【もう、あやめ時期はすぎましたが】
古い写真でごめんなさい!
2月27日までメールを交換していました
その後、何の音沙汰なし、最後のメールが失礼だったのかなあ
いつもやってしまう失敗かしらね
失礼をお詫びしなきゃね!と思いつつ2ヶ月近くたった時
共通の友人現れる、「○○」さんどうしているの?
元気でしょうか?
知らなかったの、亡くなったのよ!
ええっ、いつ!3月2日だったと思うよ、絶句。
葬式にも行けず、何たる不義理
5月になったら「○○」さんの功績をたたえる会を行うので
是非、来て下さい。もちろん行きますよ!
昨年10月以来、毎日メールを交換していました
彼は政治的関心が深く、日本の将来を憂いて、いろんな勉強しています
時に宣伝カーに乗り演説していました
書き言葉とおり、立て板に水のごとく喋れるので
いつも関心していました!
僕に対しても健康・教育・父親それと社会情勢の分析
アカデミックな読書家ですから、わかりやすく要領よく
説明してくれました。
僕が窮地に落ちいった時、いつも僕を励まし、勇気づける方向で
周りを説得してくれました。感謝です!
パソコンをやりだしたと聞いてメールのやり取りだけでしたが
「濃厚な付き合い」をしてきました
「○○」さんを称える会では彼を慕う職場の人、関係者が
たくさん集まり、温和な人柄でも心は「鉄の魂」をもった
強い人だったのですね!
傍らにいらっしゃった小柄な奥様、夫唱婦随と申しますか
お顔まで似ていらっしゃいました
最後に届いた「河津さくらがみれるか」「少し疲れた」と
書いてありました、彼にしては短い内容のメールのコピー
を差し上げ、○○ですと名乗り出ましたが
奥様はきょとん!
実はと話して、何とか理解していただきました
立派な称える会ではありましたが、やはり心はむなしい、
やりきれなさで一杯になりました
豪華なホテルの夜景をバックにしても、主人公なき「称える会」ね?
いない人を思う歯がゆさ、彼を称える美辞麗句が並びますが
葬式は終わってるので祭壇はありません
悲しい、実に悲しい
定年間もない、これからが第二の人生だったのに
なんとしてでも最後に言葉を交わしたかったのです
メールは所詮バーチャルな世界、彼の顔、様子、仕草が判断できません
あの時一言、「これから病院へ行く」と書いてあれば
どんな事をしてでもお見舞いに行ってたのに!残念!
ご冥福をお祈りし、合掌!
古い写真でごめんなさい!
2月27日までメールを交換していました
その後、何の音沙汰なし、最後のメールが失礼だったのかなあ
いつもやってしまう失敗かしらね
失礼をお詫びしなきゃね!と思いつつ2ヶ月近くたった時
共通の友人現れる、「○○」さんどうしているの?
元気でしょうか?
知らなかったの、亡くなったのよ!
ええっ、いつ!3月2日だったと思うよ、絶句。
葬式にも行けず、何たる不義理
5月になったら「○○」さんの功績をたたえる会を行うので
是非、来て下さい。もちろん行きますよ!
昨年10月以来、毎日メールを交換していました
彼は政治的関心が深く、日本の将来を憂いて、いろんな勉強しています
時に宣伝カーに乗り演説していました
書き言葉とおり、立て板に水のごとく喋れるので
いつも関心していました!
僕に対しても健康・教育・父親それと社会情勢の分析
アカデミックな読書家ですから、わかりやすく要領よく
説明してくれました。
僕が窮地に落ちいった時、いつも僕を励まし、勇気づける方向で
周りを説得してくれました。感謝です!
パソコンをやりだしたと聞いてメールのやり取りだけでしたが
「濃厚な付き合い」をしてきました
「○○」さんを称える会では彼を慕う職場の人、関係者が
たくさん集まり、温和な人柄でも心は「鉄の魂」をもった
強い人だったのですね!
傍らにいらっしゃった小柄な奥様、夫唱婦随と申しますか
お顔まで似ていらっしゃいました
最後に届いた「河津さくらがみれるか」「少し疲れた」と
書いてありました、彼にしては短い内容のメールのコピー
を差し上げ、○○ですと名乗り出ましたが
奥様はきょとん!
実はと話して、何とか理解していただきました
立派な称える会ではありましたが、やはり心はむなしい、
やりきれなさで一杯になりました
豪華なホテルの夜景をバックにしても、主人公なき「称える会」ね?
いない人を思う歯がゆさ、彼を称える美辞麗句が並びますが
葬式は終わってるので祭壇はありません
悲しい、実に悲しい
定年間もない、これからが第二の人生だったのに
なんとしてでも最後に言葉を交わしたかったのです
メールは所詮バーチャルな世界、彼の顔、様子、仕草が判断できません
あの時一言、「これから病院へ行く」と書いてあれば
どんな事をしてでもお見舞いに行ってたのに!残念!
ご冥福をお祈りし、合掌!
白いブランコを歌った人たちの曲ですよね
歌詞だけだと分かりませんでした。
彼は熱川の保養所をよく利用していました
いずれは我が家へ思っていましたの
それがかなわなくなりました。
何か書かずにはいられない心境になってしまいました。
本日からは伊豆情報に戻りますよ!
伊豆高原の先達によると、かつて伊豆高原はジジババ村と言われていたそうです。それがここ1~2年急に団塊の世代の永住が増えて若返ったとか。(ご同慶)しかしながら、後10年もすれば又もやジジババ村。殆どが夫婦二人の終の棲家ですから、つれあいが無くなれば一人ぼっちに。カミサンが残された場合は元気で長生きするそうですが、亭主が残されると間違いなく1~2年で後を追うようです。つれあいを失うのもつらいでしょうね。
ゆうべ枯れてた花が 今は咲いているよ
過ぎた日の悲しみも みんな君にあげる
あの日知らない人が 今はそばに眠る
※温かな昼下がり 通りすぎる雨に
濡れることを夢に見るよ 風に吹かれて
胸に残るお思い出と さよならをするために
昇る朝陽のように 今は君と歩く
白い扉を閉めて やさしい夜を招き
今のあなたにきっと 判るはずはないの
風に残した過去の さめた愛の言葉
すぐにこの歌がよぎりました。