・ 【南相馬市に入っても海からの被害は甚大です】
海から国道6号線までの広い範囲に瓦礫が散らばって、所々に船や漁具まで散乱しています
畑は海水で覆われましたから、除塩作業が必要になりますし、ここまで原発に近いと放射能の
除染作業も必要になるかもしれません
南相馬市は2006年(平成18年)1月1日、原町市と相馬郡小高町および鹿島町が合併して誕生した
「旧市町の区域ごとに地域自治区となっており、各々「原町区」「小高区」「鹿島区」に移行して
住所に名称をほぼ残している。
以前は浜通り地方北部の中心都市であった相馬市に代わり、現在は市内原町区に中心地が移る
ようになった
国の重要無形民俗文化財に指定されている相馬野馬追が行われる。
北泉海岸はサーフィンが盛んなことでも知られており、夏になると世界大会が開催される」
相馬市と合併すればわかり易いのでしょうが、相馬野馬追の本家は南相馬市だったのです
本家のプライドが「南」相馬市を誕生させたようです
(北を相馬市と接し、南に双葉町長、西に浪江町ですからこれ以上の南下は出来ません!)
津波は3m、民家ならば1階部分は全て流されました!
・ 【民家の下の部分のガラスは全て破られていました】
海岸部分や海は全く見えない遠くにあります、水は平等にやってきましたから田畑は一様に
なってしまいました
水分が乾くと塩分が白く残っていくと思います、国道が防潮堤の役割を果たしていましたから
ここまで逃げ延びれば助かったと思います
(地震からすぐには津波は来ませんが、油断すると巻き込まれます)
海から運ばれてきた漁船が畑のなかで大きな残骸となっています!
・ 【畑の中の漁船は非日常の風景なんです】
国道6号線は幹線道路ですから、行き交う車は何事も無かったように通り過ぎて行きます
海側に行こうとするとガードマンに止められます、危険というより身元の判らない者に
物色されるのを拒んでいるようです
こちらも火事場泥棒に間違われるのは不本意です、海寄りの被災現場を見たいのですが諦めます
南相馬市の海岸も広くて長い砂浜が続いています、平地も続いていますから軒並み被害に
合っていました、国道6号線には所々流された跡があっても、頑丈な路肩が津波被害を食いとめたようです
(行きかう車はまるで日常風景のように過ぎ去って行きます!)
ショッピングセンターに入ると混雑です、当然野菜は福島産です、住んでいる人にとっては
放射線は見えないし匂いもありません、ミリ、マイクロシーベルトなんか関係ないように
無邪気にショッピングを楽しんでいるようです
(放射能の影響はいろいろありますが、とりあえず大人の20mシーベルト/年間なら
問題はないようです!)
最近、この数値も子供には危ないという集会が2ヶ月たって福島で行われたというニュースが
流れました、年齢がいくと関係ないともいいます、将来ある子供達には影響を与えて貰いたくありません
海から国道6号線までの広い範囲に瓦礫が散らばって、所々に船や漁具まで散乱しています
畑は海水で覆われましたから、除塩作業が必要になりますし、ここまで原発に近いと放射能の
除染作業も必要になるかもしれません
南相馬市は2006年(平成18年)1月1日、原町市と相馬郡小高町および鹿島町が合併して誕生した
「旧市町の区域ごとに地域自治区となっており、各々「原町区」「小高区」「鹿島区」に移行して
住所に名称をほぼ残している。
以前は浜通り地方北部の中心都市であった相馬市に代わり、現在は市内原町区に中心地が移る
ようになった
国の重要無形民俗文化財に指定されている相馬野馬追が行われる。
北泉海岸はサーフィンが盛んなことでも知られており、夏になると世界大会が開催される」
相馬市と合併すればわかり易いのでしょうが、相馬野馬追の本家は南相馬市だったのです
本家のプライドが「南」相馬市を誕生させたようです
(北を相馬市と接し、南に双葉町長、西に浪江町ですからこれ以上の南下は出来ません!)
津波は3m、民家ならば1階部分は全て流されました!
・ 【民家の下の部分のガラスは全て破られていました】
海岸部分や海は全く見えない遠くにあります、水は平等にやってきましたから田畑は一様に
なってしまいました
水分が乾くと塩分が白く残っていくと思います、国道が防潮堤の役割を果たしていましたから
ここまで逃げ延びれば助かったと思います
(地震からすぐには津波は来ませんが、油断すると巻き込まれます)
海から運ばれてきた漁船が畑のなかで大きな残骸となっています!
・ 【畑の中の漁船は非日常の風景なんです】
国道6号線は幹線道路ですから、行き交う車は何事も無かったように通り過ぎて行きます
海側に行こうとするとガードマンに止められます、危険というより身元の判らない者に
物色されるのを拒んでいるようです
こちらも火事場泥棒に間違われるのは不本意です、海寄りの被災現場を見たいのですが諦めます
南相馬市の海岸も広くて長い砂浜が続いています、平地も続いていますから軒並み被害に
合っていました、国道6号線には所々流された跡があっても、頑丈な路肩が津波被害を食いとめたようです
(行きかう車はまるで日常風景のように過ぎ去って行きます!)
ショッピングセンターに入ると混雑です、当然野菜は福島産です、住んでいる人にとっては
放射線は見えないし匂いもありません、ミリ、マイクロシーベルトなんか関係ないように
無邪気にショッピングを楽しんでいるようです
(放射能の影響はいろいろありますが、とりあえず大人の20mシーベルト/年間なら
問題はないようです!)
最近、この数値も子供には危ないという集会が2ヶ月たって福島で行われたというニュースが
流れました、年齢がいくと関係ないともいいます、将来ある子供達には影響を与えて貰いたくありません
仙台の街を過ぎると亘理平野の大穀倉地帯に入ります。どこまでも続く田圃の中を電車が走ってました。(現在は市街化しているのでしょうけど)
どちらかが常磐線経由でしたね、急行なら「八甲田」だったでしょうか?
今回の八戸行きは国道4号線の一般道17時間かかって行って来ました