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ルーシー・リー展

2010-05-02 | 『美術館・絵画に関すること』

午前中は賞味2時間、中国語レッスンを受け、各国の言語の母音の音の違いって奥深~っと、思いました




午後、友人と新国立美術館の『ルーシー・リー展  ウィーン、ロンドン、都市に生きた陶芸家 』を見てきました。

先日、中央線に乗っていたら、高円寺だったか、この展覧会の看板を目にした瞬間、いかなきゃ!と思いました。

その看板の、青い陶器は、とてもきれいに見えました。


今日、実際に、作品を見た感想は。。。


軽やか、自立、遊び心、イスラムの香り、普遍性、ささやか、


こんな単語が思い浮かびます。

きっと、ルーシーさんは、とても強く、とてもやわらかく、とても繊細で、とても大胆だった、と想像しました。

美術館で放映されていた、制作中のルーシーおばあちゃんを見ながら、このかわいらしいおばあちゃんは、スーパーおばあちゃんに違いないから、目の前のやわらかな印象を、半分くらい信じよう、と、思いました。

すてきな、展覧会でした。




《以下、ルーシー・リー展HPより 一部要約》
ディム(大英帝国二等勲爵士)の称号を持つルーシー・リーは、20世紀を代表する陶芸家の一人。

ウィーンに生まれイギリス人として半生を生きた。

彼女の作品は無駄のないシンプルなフォルム、自由な色彩、優雅で洗練された装飾との見事な融合…。

1902年、ウィーンの裕福なユダヤ人家庭に生まれたルーシー・リーは、小児科医の父と母、二人の兄と共に何不自由ない環境で幸福な子ども時代を過ごす。

20世紀初頭のウィーンは美術界ではクリムトやシーレが活躍し、精神分析のジークムント・フロイトが「夢判断」を出版した。

やがて工業美術学校に入学して陶芸家のミヒャエル・ポヴォルニーの指導のもと陶芸の道を志すことになった。

1938年、戦争の足音が近づいてくるとルーシーは夫と共にイギリスへ亡命。

やがて第二次世界大戦が勃発すると、陶芸活動は中断されルーシーは生活のために陶器のボタン作りを始める。




40年代後半から50年代にかけてカップ&ソーサーなどの実用的な器を制作するようになり、工房の仕事は軌道に乗る。

作品はイギリス、アメリカ、ニュージーランド、ドイツでも徐々に認められていった。

50年代初頭からは陶器の他に磁器も制作した。

88歳に脳梗塞で倒れるまで人生のほとんどを陶芸に捧げ、最後までチャレンジを続け信念を貫いたルーシー。

「窯を開ける時はいつも驚きの連続なのよ」

1995年に自宅で93年の生涯を閉じた。


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新国立美術館は、波のようできれい。

わたしは、好きです。

いろいろ政治的な意味で問題の多い美術館かも知れないですが、美しいものは美しい。





黒川紀章氏の設計。


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