goo blog サービス終了のお知らせ 

サンタフェより

高地砂漠で体験したこと 考えたこと

星からのメッセージ

2009年06月05日 | All is ONE
ゆうべは友人宅に長居してしまい、真夜中過ぎに家路に着いたのですが、花火かと思うほど明るくて、すごーく大きな流れ星を見ました!!

それは、家にたどり着く直前、前方の夜空の割と低いところにまばゆいばかりの光を放ちつつ、突如として現れたのです。ピカっとして、はじめはかえるの卵がおたまじゃくしになるように尻尾を生やしたかと思うと、その尾はもやしのように長くなって、やがて枝垂れ柳の花火のように火花を散らしつつ、名残惜しそうに消えてゆきました。しばらくの間、残像がまぶたに焼きついてしまうほど、力強い光の踊りでした。

とっさに出てきた願い事は、くだらなくて恥ずかしくて、とても人には言えませんが(笑)、最後まできちんと言い切ることができました。久しぶりに夜空をゆっくり見上げ、ほっこり。

ここのところ、ちょっと心を亡くしそうになっていました・・・。でも、元気が出て、心にも余裕ができたみたい。

この空のもと、みんなともつながっているんだよね~。そんな当たり前のことを忘れそうになって、ひとりで少しだけ哀しくなっていました。ほっ、思い出させてもらってよかった!

空海の誕生日

2006年06月15日 | All is ONE
6月15日は弘法大師さんの誕生日らしい。家の宗教が真言宗なので、祖先を知ると言う意味で最近興味を持っていることもあり、今日は空海、本尊の大日如来、この次はぜひ訪ねたい高野山(宿坊がよかったと友人も言っていたし)、今日行われたはずの青葉祭などに想いを馳せた。

高野山のホームページに出ていた基本の教え

--------------------
<真言宗の教え>

大日如来の智恵に目覚めるために、次のことを求めます。

* 菩提(ぼだい)の心を発し、仏の誓願を堅く信じ、すべてのものの本性(ほんしょう)が清浄(しょうじょう)な心であることを、ありのままに知ること。
* この世のすべてのものを愛する心と、真実を求める心を堅く持って、行いと言葉と心のすべての働きを通じて、真理を悟り、実践する仏の智恵に気づくこと。


<生かせいのち>

宇宙のすべてのものが、大日如来の「いのち」の顕れとして平等であり、相互に助け合うことによって、その「いのち」を生かし、個々に与えられたすばらしい個性を充分に発揮することができます。

すべての人々が、菩提の心を因として、慈悲の心を根本として、平和社会の建設を目指すこと・・・・・

生かせ いのち」を基調テーマに、弘法大師の「共利群生」(きょうりぐんじょう)という共存共生の精神に立って、すべての「いのち」の世界を生かす福祉社会を目指しています。

----------------

宗教の教えや教義って、よく聞いてみると実にいいことを言っている。このすべての「いのち」の世界を生かす福祉社会って、ネイティブな社会=土着の精神に乗っ取った社会のことだと解釈しているのだが。(そしてマルクスのいう改訂付きの社会主義の社会。(もちろん彼は本人いわく「無神論者」だが、私は「無宗教者」と受け取っている・・・))。私は、節操なくひとつの宗教に決められないのだが、こうやって何かにつけ「祈る」理由を探したら、案外毎日祈る特別の理由ができるのかもしれない。(昔はやった俵万智さんの「サラダ記念日」みたいで失礼。)

言うまでもなく、大日如来(マハー・ヴァイローチャナ)は太陽神だ。いつもは月の方が好きなのだが、ペルーでインカの太陽神信仰にどっぷり浸かって来たところなので、なんだかしっくりくる。今日は気分を変えて、ヨガ→瞑想の締めくくりは、いつものオームではなく、大日如来真言にしてみようと思う。

  おん あびらうんけん ばざらとばん

追記:5/26から5/29までの写真と5/30 コカの葉占いアップしました。

インディアンにあげたいもの

2006年05月18日 | All is ONE
最近とても頭を痛めていることがある。だいぶヒントは見えてきたものの、本当にそれでいいのか迷っているのだ。先日満月にたずねたのも、このことだった。

前に日記でも書いたのだが、私は今月の終わりから二週間ほど、ペルーへ行くことになっている。友人/先生であるアナから誘われて、(アナはオットー・ミズーリ/ポーニー族だが)主にナバホ族の人たち6人と、インディオの友人にお世話になり、文化やセレモニーの交換をする旅だ。アナのご主人ハリーは文化人類学者で、ディネ・カレッジのミュージアム・ディレクターだからもちろんお世話になった人。息子さんともキャニオン・ディ・シェイでキャンプした時に何日かご一緒した。ほかにも、たまに留守番と植物の世話を頼まれたベンや、東ベルリン人のルームメイトと私にヨガを教えてくれたビーケイも行くと聞いている。彼らとの再会も、たいへん楽しみだ。更に!ペルー入りして、生まれて初めての南半球で南十字星を見るのが、自分の誕生日にあたるので、密かに運命まで感じてしまう旅だ。ワクワクしすぎているのと、またまた出かけるために仕事に寄せたシワにもみくちゃにされ、事前の調査などがまったくできない。ずっと焦っていたものの、こうなったら全く白紙で行く方がいいのかも知れない、と思い始めた。

とは言っても、準備しなくてはいけないこともある。予防注射は基本的には反対なのだが、留守番役の夫に「熱帯や山で免疫の全くないヘンな病気にかかって、死なれたら冗談じゃない」と言われて、ちょっと心配になって受けることにした。また、早朝フェニックス発のため、どうやってアリゾナ州の彼らと合流するか、相談も必要だ。(余談だがナバホ・レズまで自分のジープで行き、ベンのところに一晩お世話になり、そこからフェニックスまで彼らのバンに同乗させてもらうことに決定。彼はツェイリから車で10分ほど東へ行ったルクチュカイに住んでいる。ということは、行きと帰りに念願かなってキャニオンにご挨拶できる!)

お世話になる人たちへのギフトも必要だ。ナバホの家庭にお世話になる時は、「ブルーバード」というブランドの小麦粉(インディアンブレッド用)の大きな袋をかかえていくことにしているが、今回は自分ですべて背負うことになるので、コンパクトにせねばなるまい。アメリカンスピリットという煙草、折り紙、日本の線香、手ぬぐいを用意した。日本とサンタフェの写真集もすすめられた。

また、この旅は観光旅行ではないし、みなで分け合い交流に参加するのが基本だと言われたら、インディアンではない私も何かしなけりゃならないような気がしてきた。

実はこれが、悩みのタネである。

何か精神性や大精霊に関係のあることがふさわしいのだろう。祈りや歌や宗教的な意味のある踊りなどが心に浮かぶけれど、情けないことに日本のそう言ったことは、何一つ人に披露するほどの心得がない。今までは頼まれると、昔話(古事記を含め)をしたり民謡(特に漁師のうた)などを歌って聞かせてきた。困った・・・

日本で真言宗のおつとめをいくつか習ってきて、時々やってはいるのものの、一ヶ月の付け焼き刃、大精霊はお見通しだろう。こう言う時に、カソリック系の幼稚園や大学へ行っていたことを、ちょっとうらめしく思う。小さい頃から親しんでいて、今も信じていて、人に説明したりやってみせたりできるもの。何だろう?

そして、今日たどりついたのが「お茶」ということだった。荷物に限りがあるので、もちろんきちんとできないし、茶碗と茶筅、肝心のお茶を持参するのが精一杯だ。でも、どうしてお茶がお坊さんたちのものだったのか、最近理解できるようになってきたし、社会/社交的な儀式とだけは言い切れないと信じている。私たち日本人には、沈黙を重んじる習慣がある。私はインディアンから「声に出して祈る」ことを学んだけれど、日本人の「黙祷」を紹介する手がかりとしてお茶を入れるというのは、こじつけになってしまうのだろうか?

アナとベンからは、「ぜひ」という返事をいただいたけれど、本当はまだ少し迷っていて、お月さんからの返答を待っている・・・

ホワイトセージ

2006年04月30日 | All is ONE
ブログでは香りを伝えられないのがとても残念なのだが、今日私はホワイトセージの香りに包まれている。前に話したこともある友人がカリフォルニアから生のセージを持ち帰ってきて、束ねるのを手伝ってきたからだ。

セージは、シソ科サルビア属のハーブでアメリカ先住民たちにとっては神聖なお香だ。葉を一枚燃やすこともあるし、今日私が作ったような束に火をつけて、燻すようにスマッジ(体や清めたい物にこすりつける)をする。ふつうは乾いたのを燃やして使うのだが、これがまだ半乾きだからとても柔らかで鼻の奥をそっとくすぐる香りがたまらない。私たちに親しみのあるものでいうと、シソというよりはヨモギとか春菊のような香りだろうか?

葉っぱを上に向けるよう手で撫でながらいくつかの茎を束ね、木綿の細いひもでぐるぐるまきにしてバンドル(束)を作る。自然のアロマテラピーにリラックスして、「私はイリノイ州の牧場で育った」とか、どうして日本からはるばるこんなところへ来たのかとか、話もはずんだ。

ずっと動きっぱなしの一ヶ月だったから、こんなふうにゆったりの時間が必要だったみたいだ。

Sacred Run いよいよDCへ

2006年04月19日 | All is ONE
私もちょこっと参加して、ずっと応援している(2/22、2/27、2/28の日記参照)セイクリッドランが、長い長い行程を終えつつある。終点はホワイトハウスに4/22の「地球の日」に辿り着くこと。二月にサンフランシスコを出て、今まで世界平和を祈りながら走り続けてきた彼らの中には、私の知っている限り三人の日本人がいるはずだ。ジュンさん、イツコさん、そしてガリさん。自分もかじったからわかるのだが、全行程に参加するとうのは、並大抵の心がまえではないと思う。

残念ながら日本から帰ったばかりで、ワシントンには行かれないのだが、心から声援を送りたいと思う。できたら、日本からも応援をよろしく。公式サイトからメールも送れます。(念のためアルファベットで)

片想い

2006年04月11日 | All is ONE
富士山への私の片思いは、この日本滞在中さらにつのるばかりだ。こちらに到着したのは夜だったので、名古屋からの新幹線からは拝めなかった。京都へ行く途中も天気が悪く、信州からの帰り道河口湖の方へちょっと寄り道したのだが、裾野は春の霞に包まれて頂は雪の覆いをかぶり、その姿を現してはくれなかった。

先日から読んでいる『日本のち・から』に、能因法師が自分より100年前に歌人として生きた伊勢という女性に「あくがれる」という話が出てきた。恋焦がれるを通り越して、灰汁(あく)が枯れる(かれる)ほど清麗で永劫の感情を言うらしい。何だかそこまで高尚にはなれぬ私は、「どうして私を避けるの?」「何か嫌われるようなことしたかしら?」とまるで少女時代にもどったかのように、うじうじしている。

ところがゆうべ、偶然NHKのハイヴィジョンシリーズで『奇跡の山 富士山』というのを見て、ちょっとだけ気持が落ち着いた。様々な名前を持つ富士の姿、雲の生まれて消えてゆく様子、富士をとりまく「自然(あめつち)」の移り変わりが、透き通るようなハイヴィジョンで、昔観た映画『コヤニスカッティ』を彷彿させる、美しい早送りで詩的に描かれていた。(DVDも出ているらしく、オススメだ。NHKエンタープライズ)

テレビはその早口のペースと散漫な感じが嫌で、ここのところ避けていたのだが、捨てたものじゃないと思った。自分の足でその中へ踏み入りたい夢は大きくなるばかりだが、自分の恋する相手がどれだけすばらしいか再認識できたら、焦りが消えて長丁場でもいいという覚悟ができた!?

日本のち・から

2006年03月22日 | All is ONE
お久しぶりです。
三月十七日は聖パトリックの日で、アイルランド系の聖者の命日を祝う日だった。アイルランドという国も、周りの勢力に虐げられてきた国だし、ケルトやドゥルイドのことなど興味深いことが多いので書きたいと思ってはまり始めたら、知らないことや勘違いしていたこと、その他網羅したいことが山ほどあるのに気づいてしまった。というわけで、結局頭の中の整理がつかぬまま、今日に至っている。あしからず。

しかし、その間に収穫もあった。私が最近凝っているというか、気になっているコトバは、「日本のち・から」だ。これは、『日本の「ち・から」 』(友常貴仁[著] 三五館)という本からいただいたものだそうで、同郷の信州でブログをやっている。こはるさんのサイトで教えてもらった。本は読んでいないので、何も言えないが(追って紹介いたします)、聞いた瞬間ピーンときてしまった。「日本人本来の力を取り戻すためには、地・血・智から学ぼう」ということだ。この本を読んで、自分の生活で実践し、ブログに書き込もうというグループに参加してみることにしたので、どうなるか、しばらく成り行きに身を任せてみようと思う。最近ひしひしと感じるのは、神道=右翼/愛国主義=かかわらないほうがよい、の法則が変わりつつあるということだ。私はいつも、1960年代の意識革命に間に合わなかったと思って生きて来たのだが、もしかしてまた新しい革命が起こりつつあって、私たちはその目撃者もしくは実践者にあたるのかも知れない。でなきゃ、こんなに多くの人が、今まで静かに胸に秘め、自分でたどり着いた道を共有するはずがない。うまく言えないけれど、何かがうごめいている。

さてサンタフェは、またまた雪が降って春と冬を往復している。こんな感じで五月のはじめまで、まだまだ大雪の可能性は否定できない。

日本では、「桜前線」の声が聞かれるようになったとか。桜を見るのは実現しそうだ。いよいよ、だ!!

いいことのあった日

2006年03月13日 | All is ONE
今日は二ついいことがあった。

ひとつは、四ヶ月振りで、まともな積雪があったこと。嵐がやってきているとは聞いていたが、ここのところ冗談程度で終わってしまうことが多く、サンタフェ住民は半信半疑でゆうべ床に着いた。今朝目覚めると、文字通りの銀世界。杏や梨の花がほころび始めていたので、まさに花冷えの一日となった。プエブロ インディアンの人から、この一週間キバに入って雨乞いしていた部族も多いと聞いたのだが、ご利益があったのだろう。

それからもうひとつ。今日は知り合いに頼まれて、30人ほどの日本人観光客をアルバカーキ空港まで迎えに行って、プエブロ イディアン カルチャー センターで、ヘメスプエブロ族の歴史家のお話や踊りの見学に付き合った。30代から70代位の広い年齢層で、ボストンから到着した彼らは、山岳地帯時間で朝四時前起床にもかかわらず、ものすごく熱心だった。聞くとこのグループは、日本各地の神主さんたちなのだそうだ。私ごとではあるが、故郷の上諏訪からも諏訪大社の若い神主さんがいらしていて、日本に行った時お伺いする約束までしてしまって、感激だった。

ともあれ、私がものすごく興味をそそられたのは、彼らがインディアンの宗教はいわゆる万物信仰、アニミズムであって、自分たちの信じていることとつながりがある、と気づき始めていることだった。今回のツアーはもちろん例に漏れず駆け足ではあるが、スミソニアン博物館に行って、専門家の話を聞いたり、サンタフェまでわざわざ足を伸ばし、インディアンの信仰について、何か手がかりになるものを探しているようだった。特に、私ぐらいの年齢で何名か、とてもどん欲に質問する方を見かけてうれしかった。これは私だけが感じていることではないのだろうと思うが、日本人の土着民としての意識復興の鍵は、神道のような地に根付いた私たちの信仰とネイティブの生き方の共通点にありそう。それを、私たち一般市民だけでなく神社でのお務めを職としている人たちが、真剣に信じ始めている、というのは勇気づけられる。何だか、おもしろくなってきた。

百年

2006年02月23日 | All is ONE
百年というのは、長い長い時間だ。それだけの時を生きるというのは、どんな感じなのだろう?1900年代に生まれた人は、第一次大戦、花の大正ロマンの時代を生き、関東大震災、世界大恐慌、第二次大戦、その後の日本の復興(?)を経験し、冷戦や学生運動を(多分)遠くから眺め、石油危機からバブルの80年代を経てきた。車が登場し、テレビが登場し、コンピューターが人の生活必需品になってゆくのを、その目で見て来た。こうやってほんのいくつかの出来事を羅列しただけでも、気の遠くなるような長い時間だ。

父方の祖母が亡くなった。数えで百歳。先日、市から表彰されたばかりだ。秋になったら、国からも表彰される予定で「小泉さんから渡してもらえるのかしら?」などど、楽しみにしいたようだ。特に病気があったわけではないので、純粋な老衰死だった。呼吸管に食べ物が詰まったのを自力で取れなくなって、入院して10日ほど、うつらうつらと眠り少しずつ呼吸が止まったらしい。

この祖母は、若い頃偏頭痛があっていつも苦虫をつぶしたような顔をしていて、煙草をたしなんだので、私は、幼い頃近くに寄り付かなかった。50歳ぐらいから「お婆ちゃん」として、地味な着物を着て、お茶を飲み窓から外を眺めるだけ、特に親しい友達はいなかった。相撲のファンで、毎年暮れには忠臣蔵を楽しみにしていた。私がアメリカ人と結婚したとき、他の親戚が「ヒェ~、外人だ』とビビっているのを尻目に、日本語で堂々と話しかけ、いちばんコミュニケーションがうまかった、なんてこともあった。それでも正直言って、彼女のことは「迷った魂」の人と思っていた。死ぬのを怖がっていたし、業のようなものにいつも苛まれていたように、私には思えた。眠るように逝ったというのを聞いて、ホッとしたのだが、今この百年という年月を改めて考えてみて、私は彼女のことを何一知らなかったのかも知れないと思う。人がどうしてどうなるのか、自分のものさしで簡単に判断してはいけないと、気づかされた。百年の命を全うし、最後苦しまずに去ってゆくというのは、それだけで立派なことだ。

今日は仕事を休めたので、誘われているスェットに行き、明日あさってと「セイクリッドラン」で祈りながら歩くのだけれど、祖母の魂に話しかけてみようと思う。そして彼女がもう苦しまずにすむよう、祈ろう。いや、きっと彼女はもう救われているのかも知れない。私たちを守り、平和を築く手助けをお願いするべきだろう。

セイクリッド ラン(聖なる走り)

2006年02月22日 | All is ONE
デニス バンクス率いるセイクリッド ランが、ニューメキシコにやって来た。(と、ブログで知り合った友人に聞いて知った。Sさんありがとう!)デニス バンクスは、興味のある方はご存知のように、アメリカンインディアン運動(AIM)の中心人物、1960年代から現在にわたって幅広く、休むことなく活動を続けている。私たち、インディアンを愛するものたちにとっては、キング牧師、ガンジーやマンデラみたいな人だ。(暗殺されずに生き残っているところも、平和志向でいい!)

2月11日にサンフランシスコを出発した一行は、昨日ニューメキシコ州入りした。今日のバンクス氏は、ラジオ出演、人権シンポジウム、などなど忙しい予定をこなし、夕方ニューメキシコ大学で走者と支援者のための小さなミーティングを開いた。私も仕事を少し早めに切り上げて、ランナー激励に顔を出して来た。学生会館でやるとしか聞いていなかったので、どの部屋でどれだけの人が集まっているのかもわからず、ちょっと迷ったが、セージの匂いとそのうち始まった祈りの歌声を手がかりにたどり着いた。今日現在のメンバーはだいたい20-30人。何日の参加でもよいので、増えたり減ったりするらしい。日本人も5-6人いて、ニューヨーク州から来た、もう何年もこういった活動に参加しているという頭をまるめた女性、近いうちに都会の子供たちが田舎を体験しに来る学校の寮父母になって沖縄へ行くというカップル、平和運動からネイティブのピース ランなどに参加するようになったという若い女性、千葉から来ていて、今年の秋日本での「聖なる・・・」を主催しようと思っている男性などと会った。ほんの1-2時間の間にものすごく有意義な話をすることができた。「コトバが通じる」とは、こういうことを言うのか、と思う。

このセイクリッド ランは、1978年に大地への祈りを体で示そうという平和運動として、バンクス氏の提唱で始まった。サンフランシスコのアルカトラス島を開始地点にしてあるのは、かの島で悪名高い刑務所が閉鎖され、観光施設として公開されるまでの間に起こった重要な事件にちなんでいる。1969年11月から1971年6月まで、リチャード オークス(モホーク族)の指揮のもと、数百人のインディアンが、自決権を主張してこのアルカトラスに立てこもったのだ。デニス バンクスらエイ アイ エムも賛同し、インディアン運動の重要出来事のひとつとなる。この時の様子や、どうしてそれが「聖なる走り」へと発展してゆくか、興味のある方はセイクリッドランのサイトへどうぞ。編集してないので繰り返しや、わかりにくい所もあるけれど、彼のスピーチも聞くことができる。

明日のコンサートは諦めねばならないが、金土の二日間参加しようと決めた。

こういう時に何もかも投げ出して、せめて1-2週間100%参加したい。普段は結構融通のきくライフスタイルではあるが、3週間の日本行きの穴埋めをしているので、ちょっとここで出ることはできなかった。正直とても残念だ。まあそういうこともあって、転職したいと真剣に考えているのだけれど・・・

「聖なる走り」の会に行って、個人的ため息をついているあたり、まだまだ自分が情けない限りではあるが、今日は大きなドアが、ギィーっと音を立てて開いたような気がした。感動で胸がいっぱいだ。始まった。

追記:富士参拝登山が尻つぼみになった分、砂漠を二日間歩く。「このおさまりのつかぬエネルギーをどうしたらいいの?」という私の祈りへ、こたえをいただいたような気がしています。多謝。

もっとセイクリッドランの日記を読みたい方は2/27、2/28をどうぞ。

ユートピアン その2

2006年02月16日 | All is ONE
妻ジュリアとの共著である『レッドマンのこころ』("The Gospel of Redman" 1936?)で、シートンは「ホワイトマンの文化は、本質的には物質的である。成功の尺度は『とれだけ財産をてにしたか』である。レッドマンの文化は、基本的には霊的であり、成功の尺度は『どれだけ仲間に対して役立つことをしてあげたか』である。」と言う。そして、レッドマンの「教義、部族内の不文律、それから自分と仲間さらに宇宙の創造主であり支配者である『大霊』とのつながりと義務についての理解」をするため、「一人のインディアンからすべてを聞き出すことはせずに」、「敬意をもって問い、伝説を集め、習慣に注目し、生活を細かく観察し、預言者と呼ばれる霊能者たちの記録を集め、原始時代のインディアンについて研究している白人にうかがい、とくに青少年期をインディアン伝統的慣習の中で生活した後で白人に混じって同等の教育を受けた人たちと語り合った。」私はこの本を読んだ頃、丁度ナバホの居住地に住んでいて、とても感動した反面「ちょっとナイーブ」という印象を受けた。それは、アルコール中毒に苦しみ、アメリカの最悪でチープな生活を強いられている彼らを、毎日見て暮らしていたからだ。しかし、今回読み返してみて、シートンはそんなこと承知でこの本を書いたのだと気づいた。実際前書きでこう言っている。


  私のモットーは「最高のインディアンの最高の教えを」
  ということである。それは当然のことであろう。われわ
  れの文明社会には無法者もいれば暴力団もいるが、紹介
  してもらうとなると、最高の頭脳の持ち主や聖人・君子
  のような立派な人を選んでほしいと思うのと同じである。
             
            ・・・・・・
  
  レッドマンは野外生活の手本であり、その処世訓は、私
  が知るかぎりいかなる西洋の倫理的教訓よりも、今日の
  地球人にとって必要なものであると考えている。


何か説明の必要があるだろうか?納得の一語に尽きる。この本は、レッドマンの知恵と実践の方法をわかり易く、具体的かつ簡潔に教えてくれる。そして更に、いわゆる宗教はもともとどれも普遍的だと、繰り返し強調する。つまりレッドマンの教えが特別なのではなく、現代人が失いつつあるものを、インディアンは守り続けているから、彼らから学ぼうというわけだ。私は、ここに彼の心の大きさと、偏見のないすなおで美しい魂を感じるのだが。

ある時、シートンの敷地を荒らして回る少年たちのグループがあった。何度もゲートのペンキを塗り直さねばならなかったシートンは、ある日少年たちの通う学校へ行くと、彼らを自宅に招待した。その週末かれは、少年たちにインディアンや野生動物の話をして楽しませ、野外生活の楽しさと技術を手ほどきした。単にすることがなくて退屈していただけの少年たちは、たちまち興味を持ち、もっと話を聞きたいと週末ごとに彼を訪ねるようになる。これは、のちにアメリカの子供たちに自給自足の野外再活を体験させる「ボーイスカウト運動」へと発展して行く。シートンはこれを「ウッドクラフト トライブ」「ウッドクラフト インディアン リーグ」などと呼んでいた。

基本的な自給自足の技術の他に、シートンが意欲的にススメていたのは「手話」。彼は「サイントーク」は、世界共通語になり得る可能性のあるコミュニケーションの方法と信じていたようだ。声よりはるか遠くの人とやり取りができるのも、一つの利点だそうだ。野外生活にも、とても重宝。幼い子供たちも、動物もジェスチャーでもって意志表示をするし、例えばラテン系の民族は、手でもって会話をすると言われている。そしてシートンに言わせると、大平原インディアンたちほど、この手話に優れている人たちを見たことがないそうだ。三十以上の異なる部族が、意思の疎通をはかる時単純なジェスチャーのみで、何時間も話し合いをするのだと書いている。1913年に発表した「手話へのいざない」という記事は、150の基本的な身振りと意味、実際に「サイントーク」を使って生きている人たちの身振りと意味、利点と欠点、手話の文法、絵や漢字との関係など、具体的な細部に渡る分析と説明であふれている。シートンは、物語りがうまくて有名だが、実用的とされがちなジェスチャーを、さりげなく巧みに話と組み合わせて、聞くもの(見るもの)の心を捉えたことだろう。

インディアンから魂のあり方を学び、子供の頃から自然と暮らす方法を学び、互いの違いを認めながらも歩み寄る方法、コミュニケーションを取る方法を学ぶ。そうしたら、世の中は争いの少ない助け合いの場となろう。そのためシートンは死ぬ直前まで、決して妥協せず、積極的に具体的な「生きるすべ」を探求し続けたひとだ。人権運動も、ニューエイジも現れるずっと前に、彼はすでに妻と二人の「草の根運動」を広げようとしていたのではないだろうか。彼はナイーブなんかではない。地球レベルで、何百年も先のことを考えて生きていた、スケールのとんでもなくでかい人。このシートンさんに首ったけの今日この頃である。


(引用は、『レッドマンのこころ』北沢図書出版 近藤千雄訳 より)

ユートピアン その1

2006年02月15日 | All is ONE
先日シートン ビレッジについて書いて、聡哲さんからすばらしいコメントをいただいて以来、実はシートンの世界にどっぷり浸かっている。好きだなぁとは思っていたものの、こんなに心身ともに調和のとれた、美しい魂の持ち主だとは知らなかった。この再発見には感謝の気持でいっぱいだし、その彼が自分のこんなに近く眠っていることに、勝手ながら運命を感じている。

アーネスト トーマス シートン(1860-1946)は、(二度目の結婚後養女となったディーに寄ると、)「数々の賞を取った野生動植物のイラストレーター、自然博物学者、魔法をかける物語り手、講演家、売れっ子の動物お話作家、ネイティブ アメリカン手話のエキスパート、そして早くから「初めの人々」(ネイティブのこと)の政治、文化、精神の自由の権利を支援した人だ。」スコットランド系政治難民となって英国へ逃げた両親の、十人中八番目の子。父が商売に失敗して、カナダに移民。貧乏のため、野外でのキャンプ生活を強いられた。絵画で才能を見せ始め、トロントで勉強をはじめ、英国へ奨学金を得て留学。が、貧乏な学生生活で健康を害する寸前、家族がトロントに呼び戻す。カナダでは博物学を勉強しながら、兄弟の農場を手伝うが、すぐ周りの自然に興味をそそられ仕事をしないので、その辺りでは今でも「怠け者の農民」として知られているらしい。その後ニューヨークへよく足を運び、さまざまな作家、博物学者と知り合う。そこで野生動物のイラストレーターとして、大きな百科事典の挿絵の仕事をして、金銭に余裕ができ、1890年代にもっと絵を勉強するため渡仏。印象派の隆盛期に超リアリズムの動物生態を細かく描いた作品を発表。細密なスケッチのため目を酷使してしまい、医者の勧めで田舎で保養生活をしようと、ニューメキシコに来た。

どうして私が彼を「ユートピアン」と呼びたいか、続きはまた明日話します。

友人の乳癌

2006年02月13日 | All is ONE
とても好きで尊敬しているちょっ年上の友人に昨日会って、乳癌があることがわかり先月手術したことを聞いた。リンパに近い所にもいくつか小さいものがあったが、それは悪性ではないとはっきりしたので大丈夫、と本人はケロッとしたものだったけれど、私にはショックだったし、娘さんもとてもこわかったと言っていた。

彼女は大学で農業を専攻して、家でも有機栽培で野菜を作るし、朝型の比較的ストレスもない健康な生活をしている。私は何でも悪の根源は「ストレス」と思っているのだが、本人に寄れば精神的に苦しい時期は、もっとすっと前に過ぎてしまって、ここ数年はとてもいい具合なのに・・・とのことだった。そのストレスで滞っていたものが、やっと今、浄化作業に入ったのだろうか?これからは予防に力を入れると言っていた。

彼女は、「あげる人/尽くす人」"Giver"で、相手の負担になるほどあからさまに自分を犠牲にしたりはしないが、いつもさりげなく手助けしてくれるし、相談にものってくれる。今回だって、自分の不安や苦しみは置いておいて、他の人たちに「検査はちゃんと受けないとだめよ。」と、アドバイスして歩いている。そんな彼女に、私は何ができるのだろう。子供もいて、家もあって、よい友達も多く、仕事も趣味も充実していて、自分のことは自分できちんと世話のできる人だ。第一、「大事に至らずよかったね」という状況なのだから、大げさにいつまでも騒いでいる方が、いい迷惑なのだろう。でもいつもお世話になっている分、何かしたい。それでいて、どうしたらよいのかわからない・・・

三昧

2006年02月12日 | All is ONE
先週お茶の先生の家に、「昧」という字のお軸がかかっていて、簡単な説明を受けた。一緒だった人と、「何となく仏教用語だろうとは察しがつくけれど、『贅沢三昧』とかひどい時は『中華三昧』ってラーメンのことしか考えないね。」と笑ったのだが、何だかとても気になる言葉だ。

「(三)昧」とは、サンスクリット語の「サマディ」(samadhi)の音を写したものなのだそうだ。仏教、ヒンズー教、ヨガなどで使われる言葉らしい。奥が深過ぎてその意味、用法の変遷や真偽をめぐって、その筋の人なら数冊の本が書けるくらいのテーマ。だから宗教に通じていない私が、ブログでその説明をするのはどうやっても無理である。でも、私が今日のところ理解してしっくりきた、特に自分が興味を持っているヨガや茶道に役立ちそうな部分を記しておこうと思う。

仏教初期の経典「阿含経典」では、仏教修行の九つの過程(初禅~第四禅、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処と減尽定)をまとめて「三昧」という。心を一処に定めて、その動き、乱れを止め、心念を凝結し、止観と観が調和した状態。つまり修行により、瞑想が普通となる状態。曹洞宗のお寺の娘の友人は、「座って、座って、石になるまで座る。」「どうして座るかとか、どのように座るかなど考えない。」とよく言っていたが、これも「三昧」のことを言っていたのだろう。

私の好きなヨガ行者パラマハンサ ヨガナンダは、『あるヨギの自伝』でおもしろいことを言っている。彼の師のひとりはある時、彼がサマディを経験した後で、その精神状態を高める方法、更にその状態を他の人へ伝える方法を示したのだそうだ。(第十四章「宇宙意識においての経験」)つまり悟りの境地を、直感を鍛えている人には分けることが可能というわけである。私にとってこれは、とてもありがたい発見だ。なぜなら、サマディを自分だけで全うしようとは、考えただけで気の遠くなる話。でもそれに向かって努力し、サマディを知っている人の近くにいるよう心がければ、その波長にわたしもテューニングを合わせることができる。これは、祈りの環に通じるのではないだろうか。そして幸せの伝染にも。そうか、お茶だって、だから魂の鍛錬を積んだお茶人がする席に入ると、単にもてなしを受けただけではなく、温かく同時に凛とした感覚がわき起こるのだ。

目をつぶっていても、無駄のない動きでおいしいお茶を入れることができ、一期一会のもてなしをする。そんな日がほんとうにいつの日か訪れるのかというのは、今のところ私の頭に常にひっかかっている大きなギモンだ。でも、究極のゴールを想像できること自体、すでにラッキーなのかも知れない。ヨガナンダ師の言うように、鍵は直感を鍛え、自然と一体となり、心から教えを請うこと。「三昧」。毎日思い出したい言葉だ。