サンタフェより

高地砂漠で体験したこと 考えたこと

また!

2010年07月26日 | 振り返りの月はじめ
このブログは、違うテーマを中心に展開することにしたため、引っ越しました。
コメントを寄せてくださった方々、リンクを張ってくださったサイトの管理人の方々、今までありがとうございました!!

もしご縁があれば、またどこかでお会いしましょう。

工事中のお知らせ

2009年09月03日 | 振り返りの月はじめ
ここのところ更新もせず、前の記事を一時的に削除したりしていたため、いろいろ心配のメールなどいただきました。すみません!

実は、内容を統一して編集してから引っ越そうか・・・と考えていまして、工事中です。

しばらくご迷惑かけます。(気が向いたら、ひとりごとを更新しますね。)

水無月 ヤッイシジャーシチリ

2006年06月01日 | 振り返りの月はじめ
日本は梅雨入りして、思い出しただけでもゾッとする、あの時期がやってきました。旧暦ではもう少し後の季節を、水の枯れる暑い月と呼ぶのだそうです。サンタフェも、6月が一年で一番暑い月。後半になってちょっとした雨季をむかえるまでは、まさに「水無月」であります。最高気温は毎日35度を越え、湿度は3-10%といったところでしょうか。

一ヶ月遅れでこの日記を書くことになって、ちょこっとへんてこな気分ではありますが、「流れにまかせおけばよい」と、ペルーで実感しました。壮大な山や谷でたくましく生きている人々に会って、無理強いしないことを学びました。

ディネ(ナバホ)はこの月をヤッイシジャーシチリ、夏野菜が実りはじめ、儀式用の食べ物を蓄え用意する月なのだそう。とあ言っても彼らにとって重要な野菜、トウモロコシやスクワッシュには、まだ少し早いように思います。

砂漠の真ん中で暮らす彼らにとっては、一年中が水の無い月。水道の引いていない家も多く、トラックで大きなタンクへ汲んできて(自然水の汚染が激しいので、買うことがほとんど)家の外に置き、皿を洗ったり顔を洗うのには、たらいに入れて家の中に保管する光景をよく見ます。飲み水は別に、プラスチックの小さいタンクに入れて柄杓ですくったり、ベンを持ち上げて使う水筒型の入れ物(ディスペンサーと言って、簡単に入手可能)を使います。こういった生活を経験すると、意識しないでも歯を磨くときや、シャワーを浴びる時、水を出しっぱなしにはできなくなりますね。

皐月  タッアー ツォー

2006年05月01日 | 振り返りの月はじめ
早苗を植える月、新緑の月がやってきました。私の一番気に入りの月です。ここサンタフェも、すべてが生命力で輝いています。

信州の学校では五月の終りに一週間くらいの休みがあって、今でこそ「春の中間休み」と言っていますが、昔は「農繁休暇」だったと聞いています。私の学校に専業農家は、たしか宮坂君という一年下の人の家一軒だけでしたが・・・あの茅葺きの屋根を維持できたのか、見てくるのを忘れました。

ディネの人たちはこの月をタッアー(冠詞のようなもので意味はないらしい:先月意味がわからないと書いたのと同じ語)ツォー(大きい)「大きな葉・イーグルの大きな羽」と呼びます。ここのところ何度か続けて、悠々と空を舞っている姿を見かけました。

先月は「旅人になれた月」でした。まぁ、帰郷しただけですから大げさですが。去年ぐらいから、ふつふつと湧きはじめた望みが叶えられて、うれしくありがたい気持でいっぱいです。そして、この旅がまた次の旅へとつながりそうな予感がしてなりません。

このブログも知人には誰にも話さずひとりぽっちではじめましたが、これを通して知り合った方が増え、ここでやっとカムアウトして昔からの友人、実家のご近所さん、友達の友達などが加わり、いろいろな方の励ましでここまでやってきました。知らぬ間に半年以上経っていたんですねぇ。一人では生きていかれないと去年やっと気づいた人間にしては、随分大きな変化です。みなさん、ありがとう!

里帰りしてパワーアップしました。ただコンピュータの前に座っているだけではなく(これが病みつきなんですが)動きますよ。信州の山を思いながら、ゆっくりのペースで動いてゆきます。(思い込みが激しくて猪突猛進で悪名の高いわたしには、この「ゆっくり」がミソなんですが。)

ところで、どうしてインディアンのお話をやめちまったんだ!と不思議に思っていられる方もおられるかも知れません。インディアンのお話の季節は冬。暖かくなったらしないことになっているんです。わたしもそのしきたりに倣い、また秋が深まってくるまではインディアンのお話は当分おあずけです。日本のお話は紹介しますよ。

改訂のお知らせ

<写真を加えた日記>
3/25 菜の花畑
3/27 水郷佐原
4/02 信州の珍味
4/04 伊那の谷
4/25 衣がえ

<少し改訂したり追記が加わった日記>
4/27 病は気から
4/28 移民法改正案の波紋

卯月 タッアー チッイル

2006年04月01日 | 振り返りの月はじめ
卯(う)の花の 咲く月立ちぬ 霍公鳥(ほととぎす)
     来鳴き響(とよ)めよ 含(ふふ)みたりとも
        (大伴家持)

旧暦で四月がこの花の季節なので、「含み」(つぼみ)にさえも早いのかも知れません。ここ長野では、ホトトギスばかりか桜の開花を心待ちにしています。太陽さんさんのサンタフェからやって来た私は、この雨に少々閉口気味。ところでサクラということば、サは田の神や穀霊、クラは神座の意味。桜は田んぼの神を呼ぶ、依代なのだそうです。

ナバホの人たちは、四月をタッアー チッイル(イーグルの初めの羽、初めの葉の成長)と呼びます。二月に生まれた鷲の雛が飛び立ちの準備をはじめ、植物には双葉が出始め、いよいよ命の息吹が目に見えてくる。タッアー「後ろへ」、チッイル「植物」がどうして、こういう意味になるのか、今のところ納得のいく説明をしてくれた人はありません。ずっと、考えているのですが・・・

三月は、再会の月でした。久しぶりの日本帰国ですから、そう予想はついていましたが、その前から懐かしい人からの便りがあり、感激の一ヶ月でした。天竜峡にいる幼馴染みのご両親、カトリック系幼稚園でお世話になったシスターたち、中学の同級生同士で結婚している友人夫婦、京都の町並みと寺神社、長野の山々や諏訪湖、サンタフェで知り合った友人たち、などなど。しかも、過去を偲ぶ再会ではなく、今を分け合い将来の話をしました。新しい出会いも含め、私の中でも双葉がムクムクと頭を持ち上げてきたのかも。毎日、ひたすら声に出して祈っていますし、一人ではないと知っているので、不安や疑問はありません。

追記:タッアーは、特に訳すことのできない冠詞のようなものだそうだす。だから「植物」→「植物の成長」→「イーグルの成長」

弥生 ウォージチィード

2006年03月03日 | 振り返りの月はじめ
慌ただしくて気づかずうちに、弥生が訪れていました。草木がいよいよ生い茂る「いやおい」の月に、期待しているサンタフェ住民でありますが。少なくとも台所の窓辺に欲しいと蒔いたハーブが、10センチぐらいに育って来ました。ペパーミント、コリアンダー、バジル。日本のシソと、三つ葉も最近蒔いて、芽が出るのを心待ちにしています。よくみると、からからの庭にチューリップも緑の葉を見せています。生きていたんですね。

ナバホ(ディネ)の暦では、ウォージチィード「イーグルの初音、はじめの風の音」だそう。そう言えば、ここ二日ほど麗らかでありながら風が強い。

静かに過ぎるだろうと思っていたにもかかわらず、個人的にはいろいろあったひと月でした。しなやかにいたいと望みつつ、そのいろいろに翻弄されるのは辛いと戸惑いもありましたが、いいのかも。正直に打ち明けると、何だか個人的なことと、社会的なことと、宇宙的なことの境がなくなってまいました。単に混乱しているのか、こうあるべきなのかわかりません。確かなのは、自分の力で舵を取ろうにもどうにもならないので、あきらめて楽しむことにした、ということです。まぁ、こんな時もありますね。

改訂:先月に続き、月の名前「鷹」てはなく「鷲イーグル」です
   ヤマアラシの針の写真アップしました

如月 アツァ ビヤージ

2006年02月01日 | 振り返りの月はじめ
まだまだ寒さがこたえる「着更着」の月。「きさらぎ」、とても美しい音です。日本はまだ寒波に覆われたままなのでしょうか?こちらは、暖冬、乾冬です。下萌えの季節ですね。ラベンダーやセージは冬の間枯れますが、冬の初めに切るのを忘れた古い枯れ枝を今切っておかないと、新しい芽がかわいそう。はさみを片手に、急いで庭を一回り歩いてきたところです。

今年は暖かいので、ジュニパー(ネズの類)の花がもう咲き始めたのか、昨日あたりから強烈なアレルギーのアタックが始まりました。わたしは、日本で杉花粉に悩んだことなどなかったのですが、ここ五六年かなりひどいアレルギーに苦しんでいます。ちょっと目や喉が痒くてクシャミが止まらないのではなく、結構暴力的にやってきます。(この辺で生き延びている植物は、生命力が強いのかな、なんて思いますが。)喉の上の方が、唾液を飲み込めないほど痛くなり、アレ?インフルエンザにでもかかったのかな?と思っているうちに、クシャミが止まらなくなり、鼻が詰まって息が吸えないのに、鼻水は出っぱなし。呼吸困難と熱のため夜眠れないので、段々と気違い沙汰になって。とこれが今ぐらいから、そう五月中旬まで続きます。人の話に寄ると、ここへ引っ越してきて数年すると始まり、非ヒスタミンを使わずに自然療法で我慢していると、十年もすれば免疫ができて治るそう。ホントか?と心の隅で疑問を問いつつ、確かに数年して始まって今五六年経った所、ピークは越えたような気がするので、希望を持っております。よいと言われることは、ほとんど試しますね。鼻を洗い、乳製品は避け、キャロットジュースやルイボス茶を飲み、洗濯は外に干さない、顔を頻繁に洗うなどなど。この時期、クレンジング食事療法もやります。アレルギーじゃなくても、年に一度、こういうのもよいでしょう。ふだんが食いしん坊ですから。今年は日本に行く三週間が、よいブレイクになると期待しているのですが・・・

ディネ(ナヴァホ)語で二月は、アツァ(鷲)ビヤージ(その小さいの)で「鷲の雛がかえる月」です。ご存知のように、鷲(イーグル)という鳥は、ほとんど全大陸中のネイティブの人たちにとって、とても大切な聖なる鳥です。儀式に使われる道具や衣装も、鷲や鷹の羽で飾られていることが多い。だから、鷲の雛が卵からかえったのを確かめることは、彼らの伝統が健全な証拠みたいなもので、とても重要だと聞いています。

この一ヶ月、その前に引き続き「環・輪」のことを考えていました。それから「チェーンリアクション」つまり連鎖反応・よいことの伝染。自分の世話をきちんとしていると、それが周りに伝わっていくし、きちんと生きている人たちと関わっていると、自分も力を分けていただいで、落ち込んだとき元気になりました。こうあるべきですね。昨夜、ブッシュの「ステート オブ ユニオン」のスピーチをちらっと聞いて、またもやぞっとしましたが、落ち込んでいる場合じゃありません。環を広げる努力を続けなくては。

追記:以下改訂です。

11/03/2005 ディネの暦 訂正「鷹」を「鷲」に
01/27/2006 アドービ煉瓦  写真アップ
01/31/2006『スモークシグナルズ』 続きアップ

睦月  ヤス ニステッエエス

2006年01月01日 | 振り返りの月はじめ
明けましておめでとうございます!

家族が仲睦まじく過ごす月。できたら一年中睦まじくありたいものですが。ナバホ族のインディアンたちは、この月を「ヤス」(雪)「ニステッエエス」(あなたがローストする)と呼びます。山頂に積もった雪が、火であぶったようにちょこっと溶けて、再び凍り、半透明に見える様子を言います。「大きい風」が去って、時折雪が溶けるほど穏やかな日もあるけれど、気をつけて、まだ霜降る夜は続きますよ、ということでしょう。

サンタフェでは、とても穏やかな一ヶ月でした。そろそろみんな心の中で、春までの雨量が気になりはじめました。去年は雨にとても恵まれた年でしたが、それまでの5-6年かそれ以上、どれだけの木を失ったか知れません。一年中晴れの日が多くて気持がよい、その裏側にある落とし穴ですね。

この一ヶ月で学んだこと。それはひとつに「世の中にはすばらしい意識を持って生きている、美しい魂を持った人がいっぱいいる」ということ、そしてもうひとつ「私の旅はもう始まっていた」ということです。

ネットで毎日交信するようになって、いろんな人とつながりができました。実際に会ったことのない人々と、このように確かで深いつながりができるとは、期待していませんでした。その人々の情熱と、責任感使命感と実行力に毎日感動し、原動力を分けていただいています。そして、常に自分の心の、また魂の底から話をするのに慣れて来たら、日常生活でもそう言った表現をするのがとても楽になった。すると、周りにいる人たちが、隠れていたらしい彼らの魂を現し始め、彼らとの関係も変化してきました。今まで別段、孤独だと思ったことも、孤独が嫌いなわけでもなかったけれど、「つながり=環」を体感するのは気持のよいことです。みなさんとご縁があって、とても光栄です。多謝。

このブログを始めた頃、今まで根が生えてがんじがらめになったようで、「これじゃいや」と「旅人希望」を自称し始めました。かといってすぐに世界一周に出かけられるような、うまい話があるわけはなく、しょうがないと思っていた。ところが、行く所、参加すること、インスピレーションを受けることや人が、自分の周りにたくさんいる。気がついてみると、毎週の活動プランを立てワクワクして、もう旅を始めていました。「青い鳥」です。もちろん、今年の春は日本で桜を見ようという願いは実現するつもりですが、あまりこだわらなくなりました。毎日、日本の方達と繋がっているんです。ホームシックとため息をついているヒマなど、なくなってしまいました。

と言うわけで、こちら風に言わせていただくと、" I'm back, and I am HERE."

師走  ニスチッイ ツォー (大きい風)

2005年12月01日 | 振り返りの月はじめ
明日から12月、とうとう今年も残り一ヶ月。一段と寒くなってきました。師匠(又は法師)も忙しく、小走りに駆ける月ということらしいです。ナバホでは、先月の「ちいさい風」から続いて「大きい風」の月。日本でも小雪と大雪の間だからわかりやすいですね。彼らにとって12月は、「蛇と熊と蜘蛛と雷光のいない月。冬のゲームと物語りの季節」だと言います。先日友人の家で池を覗いたら、鯉もじっと水面下で冬眠に入ったようだったので、彼らも仲間に入れておきましょうか?

今月は、自分の世話をきちんとすること、を学んだ月でした。そして、自分が幸せだと、少しずつ波紋のように周りに広がることを、実感しました。頭ではわかり切っていることですが、人間日常におわれると、つい。。。

わかりやすい例をあげると、「飛行機の酸素マスク」の原理。どんな災害時であっても、人を助けたいと思うのであれば、(又守らなければならない子供やお年寄りが近くにいるのなら尚さらのこと)自分のマスクをきちっとつけるのが第一歩である、ということなのですが。飛行機に乗って出かければ、この注意を耳にするのは当たり前ではありますが、今月は月初めに取ったヨガのワークショップの先生、シングル ママをやっているカリフォルニアの友人、寄付を頼みに来た地元の消防団の人、ボランティアで行ったレイプ&クライシス センターの人などなど、みんなが口をそろえてこの比喩を引き合いに出しました。

そう。自分が何の助けにもなっていないことにイライラして、「物資やわずかなお金を送るだけじゃだめ。この際ルイジアナにボランティアで行こうか?」とまで思っていたのですが、思いとどまりました。ここでやるべきことや面倒みる人(やペット)をほっぽり出して、勝手のわからない行ったことのない州に滞在することになったら、結局人を助けるどころか誰かの世話になって終わりです。

   ヒーローにならなくってもいいんですよね。

それで、長い間連絡の途絶えていた人に連絡したり、身近で淋しそうだったり体調の悪い人に料理してあげたり、自分のごくごく周りに張ってしまった氷を溶かし、バリケードを取りはずす作業が始まりました。胸の内を分かち合えそうな友人も、現れて来ました。まずはこれでいいのかも知れません。「ポジティブなエネルギーの連鎖反応を広げる」。口に出すと、簡単で安っぽく聞こえますが、毎日全うするのは難しい。でも、こうして毎日、ひとりで座って、考えて、書いて、それから人と会って、話をしていると、念頭に重要なことがいつでもくっついている。そして、そういう人たちと繋がっていると肌で感じる。それは、とても暖かい感覚で、体全体が包まれると、頬の筋肉がゆるんで、目が大きくなる。

何だかとっても漠然とした話になってしまいましたが、とりあえずゆっくりのこのペースが気に入っています。