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サンタフェより

高地砂漠で体験したこと 考えたこと

鎖作り 覚え書き

2006年01月13日 | All is ONE
金属で鎖を作る。まずは時々焼きなましながら、ローラーの四角い溝にかけて細長い棒を作る。段々小さくなるローラーの溝に一回かけると、1/4ミリずつ細くなる。希望の太さに近くなったら、丸い穴がいくつも空いているプレートを通して引く。少しずつ小さい穴へ移動して行く。こちらはひとつ穴を通す度に、1/10ミリずつ細くなる。やがて棒は、細く長いひもになる。よい太さになったら、また焼きなましてやわらかくし、ちょうどよい棒に巻き付けて、コイルを作る。これに糸ノコで切り込みを入れると。ばらばらになって口のずれた輪が幾つもできる。このうち半分は、口を閉じて溶接し丸い輪を作る。もう半分は少し口を開けて輪が通りやすくする。これがつなぎ=コネクション。輪と輪をコネクションを使ってつなげ、コネクションの口をねじって閉じ、溶接する。これが基本の手順。

ひとつひとつの輪がきれいにできていること、確実に閉じていることが大切。後は忍耐力だろうか。何十回、何百回と同じ作業を繰り返して行くわけだから。目標の長さにするには幾つの輪が必要か(つまり目標を)見極めたらあと幾つ残っているかを考えてため息をついたりせず、「今までにどれだけできたか」を振り返って、たまには自分をほめたりする。作業そのものを楽しめると尚よい。今、火があたっている「この輪」に常に集中し、急がずに、ていねいに、心を込めて、楽しみながら。これが基本の態度。

こうしてできた鎖は、触ると何だか温かい、ただのアクセサリーよりはもう少し意味のあるモノのような気がする。
目に見えぬ鎖を作っている時も、この基本の態度に従ってみよう・・・

『イラクの内側』 (映画)

2005年12月13日 | All is ONE
私たちが観たもう一本のサンタフェ映画祭の出品作は、『イラクの内側』("Inside Iraq - Untold Sotries")(マイクシャイリー製作)だ。「ジャーナリストではない」らしいシャイリー氏が、テレビ局との取引に成功し、二ヶ月間(2003年終りから2004年初めまで)一人イラクを歩き回り、又は軍隊の後をついて歩きながら収録した、ニュースでは報道されていないイメージを観ることができた。(とは言っても、テレビ局がからんでいれば、カットされた部分もあるのだろうが。)

始まりのナレーションと彼自身の姿は、いらないと思ったが、私だってプロでもないのにリポーターみたいに、しかもかなり危険な戦地へ出かけていくとなったら、その興奮をカメラにおさめたいのは同様かも知れない。

特につよい政治的なメッセージを伝えるためのドキュメンタリーではなかったので、かえって中立の視点が親切だった。もちろんマイケル モーアのような人が撮っていたら、かなり強烈な反戦/ブッシュ批判になっていただろう。それはそれで、すごくいいだろうけれど。

ひとつ特に気になったのは、イラクの人々が、電気は25%しか機能していない、給油のために半日列に並んで待つ、塩辛い上に動物の死骸で汚染された井戸水を飲んで病気になる、という悲惨な生活を強いられている反面、アメリカの業者や軍隊がゴミ捨て場に、オレオクッキーやソーダや水、車のパーツなどをケースごと、それも手つかずのまま捨てている様だった。その取材に応えた警備にあたっていた兵士は、この映画のリリースの後、早々の「肩たたき」にあったといいうことだ。まちがっている!絶対にまちがっている!

落ち込んでいても仕方がないので、今日は怒ってみることにした。人類に希望を持ち続ける、というのは勇気のいることだと、つくづく思う。ちょっとくじけそうです。。。

街を読む人

2005年12月12日 | All is ONE
今日はおもしろい人に会った。初対面ではなかったのだが、今日初めてゆっくり話したら、方法は違うが同じような目的を持って生きている人だとわかったのだ。この街に10年以上住んで、そういう友人ができないから、ブログを始めたような所があったのだけれど。。。すごくうれしかった!

彼は、端的に言うと、(建築から学んだ)「街(並み)を読む」技術を使って、古くからその土地に根を生やしている人々の生活習慣や、伝統を守る手助けをする人なのだそうだ。もともとの興味は日本の古い建築であって、それから発展して、日本の現代の都市計画、災害の研究と将来の防災対策、日米の古い建物の修復と再利用を推進する交換プログラムなどに関わっているらしい。神戸の震災の後にも、視察に行ったと言っていた。「何にせよ、急いでできる作業ではない。田舎の農家だったりすると、私が助けたいと思っているんだとしても、まずは信用を得なくてはならない。土足では踏み込みたくないからね。」とも言っていた。そして、最近はプエブロインディアンの、土地開発と聖地の保存に尽力しているグループのプロジェクトを、サポートしているらしい。つまり、土地の上にあるもの=建て物を守り再現することで、現代の日本とアメリカに土着精神を復活できると信じ、そうすることでエコロジーや世界平和を目指す輪の一部になろうとしている。とは、言えないだろうか?

今日の話だけでは、はっきり言って細かい内容は、人に説明できるほど理解できなかったので、わけのわからん話で読者には申し訳ない。でも「街を読む」という表現と彼の目の輝きに、うれしい衝撃を覚えた。大げさだが(いつものことながら)彼は、カスタネダのいう「盟友」ではないかと思った。もちろん私たちの場合は、本当の聖なる道やメディスンマンとはレベルの違う話である。でも、「同士」が増えるのは心強い。そして、同じコトバを話す人が、自分の目的意識やジレンマを、一言残さず理解し「何か一緒にやろう!」と言ってくれる、というのは何て気持のよいことだろう!と再認識した。

火をおこす

2005年11月28日 | All is ONE
夕べの雪は口ほどにもなく、ほんの数センチ積もっただけであった。でも、冷たい風を運んで来たのは確かで、いつもなら2時間あれば確実に乾く洗濯物が、乾く前に凍ってしまった。猫は机の上でまん丸になっている。そうなると、暖炉に火を焚く言い訳がそろったことになる。

私は、自他ともに認める火遊び好きだ。それが高じて彫金に首を突っ込んでいる。夏でも汗をだらだらたらしながら、その熱を肌に感じるのがいい。だから、暖炉に火を起こし絶やさないようにお世話をするのは、言うまでもなく大好きだ。一刻一刻と変化し、生きている炎を見ているだけで、幸せな気分になるし、何時間でも過ごせるんじゃないかと思う。もちろん日本の普通の家庭で育ったので、以前は石油ストーブとガスヒーターしか知らなかった。たまに外で焚き火をするのと、一年に一回小正月に「どんと焼き」というのがあったぐらいだろうか。
 
    


アドービ造りの家には、部屋のすみっこに三角の小さい暖炉がついている。うまくすると、庭でダメになった木を切って大切に使い、昼は窓からの自然ソーラー熱で結構暖が取れるものだ。(多少の電気利用と薪購入は免れないものとして。)

火のまわりには人が集まる。冷えきった心と体を温めてくれる。静かでありながら、時々パチッパチッと音を立てて、時の流れや、生命のエネルギーみたいなものを、そして、近づき過ぎると決まって、自然への畏敬の念を思い出させてくれる。私の知っているインディアンたちも火が大好きだ。火にまつわるお話はいっぱいあるので、今夜は何かひとつ紹介できそうなのを、探してみようか。