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サンタフェより

高地砂漠で体験したこと 考えたこと

真っ赤な・・・

2009年06月20日 | 四季折々
やっと夏らしい陽気です!!

というのに、私は昨日新しく本腰を入れた仕事で大失敗をしてしまい、ものすごい自己嫌悪におちいっておりました。少々焦ってたんだなぁ~。新しいことを始めたとはいえ、手が震えるような大失敗って大人になって初めてかも。(そりゃ、医療ミスなどで人が死んだわけではないけれど、自分でもどこかへ消えてしまいたいようなミスでした。)

こういう時は・・・掃除に限ります。ちょっとの落ち込みなら、散歩とか歌をうたうのがいいのですが、ここまで自己嫌悪になると、腹に力が入らないし、お日さまの光はちょっと眩しすぎる!!

というわけで、愛犬桜にも行水してもらい、おっちらおっちら・・・いやごしごしやりました。タオルもシーツも洗っちゃえ~。あれもこれも磨いちゃえ~。

で、お天道様に顔合わせられる気分になったところで、友達宅へ。そのうちの子が、谷の向こう側に住んでいる友達を大声で呼ぶと、「こっちへ来いよぉ~。トランポリンしよー!」という返事。思い切ってわたしも誘われることにしました。(そんな気になるなんて、けっこう早い立ち直りだったかも。)

ひと汗、いやみ汗くらいかいて(3人の7歳児+2歳児ひとり、しかも全部男の子だったので、激しいのです!)、最後には、「冬の国をつかさどる雪の女王」にさせられて,夏の国の戦士が投げる花火と火の玉にとかされ、ぼろぼろになって、やっとの思いで友達のガーデンにたどり着きました(笑)

そこで私を待っていたのは、庭からとれたミントで作ったお茶!!ふと見ると、桜の木には鈴なりに赤い実が。

今度は木に登り、さくらんぼ摘みに没頭。木の上で頬張る真っ赤なさくらんぼは、アメリカのダークチェリーではなく、中が黄色いタイプ。おいしかったぁ。カメラを持っていなかったので、皆さんにお見せしたくて、何粒か持ち帰りました。おいしそうでしょう?

で、この写真を撮って、日記の更新を・・・。と思い、コンーピューターを立ち上げたところ、失敗を正すチャンスをもらうことができるという知らせが届きました。

ありがとうよぉ~。

かきつばた

2009年05月28日 | 四季折々
五月晴れと小鳥のさえずりを楽しみながら、おはようございます!

5月28日はわたしにとって縁深い日なのですが、この日は、歌仙のモテモテ王子在原業平さんの命日でもあると知りました。正確には旧暦に従うべきですが、京都の十輪寺ではこの日に業平忌の法要があるようですから、まぁよいでしょう。

業平さんと言えば、『伊勢物語』。三河の国八橋で詠ったとされる有名な和歌がありますね。
世阿弥によって能にアレンジされてたお話は、こんな感じ。

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ある旅の僧が、都から東国へと志す途中三河国へ立ち寄りました。とある沢辺で杜若の花の美しさをめでていると、一人の里女が現れ、ここは八橋という古歌にも詠まれた名所であり、昔、在原業平が東下りの際ここで休み、「かきつばた」の五文字を名句の頭において

「 からころも きつつなれにし つましあれば
  はるばるきぬる たびをしぞおもふ 」

という歌を詠んだと語ります。やがて女は初冠に唐衣をまとって現れ、その姿を見て驚いた僧が素性を尋ねます。

女は自分が杜若の精であると明かし、また業平は歌舞の菩薩の化現であり、その詠歌の功徳により非情の草木も成仏したと語り、舞を舞い、やがて消え失せます。

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サンタフェには湿原や沢が少ないので、どうしてもアヤメの類しか、それもかなり大振りで、うす衣をまといゆらゆら踊る「花の精」の可憐さを携えた花には、どうやっても遭遇しません。でも、ご近所で咲き乱れている、雨上がりの新緑に映える紫は、日本で慣れ親しんだ杜若を思わせます。先日お茶のお稽古でも、八橋蒔絵の棗(なつめ)を使わせていただきました。貝細工をほどこした花の部分が、光のかげんなのか、手に取り近づくとふわぁっと発色して妖艶な虹色に光り、しばし手を動かすのを忘れてしまいました。

数輪の花や蒔絵を見て、壮大に広がる紫と緑のかきつばたの原っぱを想像し喜びを得る、人間の脳ってすごい!そして、和菓子は苦手なはずなのに、ニッキの香りとほどよいあんこの甘味が口に広がり、幸せを感じるわたしって、一体・・・?

遠い旅路で、叶わなかった願いと今の自分の境遇や旅の辛さ、残してきた愛しい人を想って袖を濡らすのみならず、草木のうたを詠むことが供養になるというのが、いかにもいにしへ大和の感性だなぁ、なんて思いますが。

杜若の花言葉は、「幸運と雄弁」。
学名イリス(アイリス)は、ギリシャ語で「虹」。
昔、花汁が染色につかわれていたため、「書き付け花」→「かきつばな」→「かきつばた」と呼ばれるようになったとか。

先日頼まれて作った粒餡の残りがあったっけ。餅もどきをつくって、シナモンをふりかければ、生八橋も夢じゃない・・・・・・かも。


追伸 メッセージを送ってくださった方々、ありがとうございます!いくつになっても「おめでとう!」なんて言われると、嬉しくなっちゃうものですね。

五月雨

2009年05月24日 | 四季折々
早く衣替えしなくちゃ、・・・と焦ってしまうほどの夏日が続いていたのに、ここのところ急に冷え込み曇天&しとしと雨ばかり・・・。

四季七十二候では、今週辺り「蚕が桑を食む」時期なのだそうですね。こう聞いてピント来る人は、少ないのかもしれません。実は私、うっすらとではありますが、「蚕起食桑」の記憶がございまして・・・。

信州上諏訪は、おとなりの岡谷と共に、19世紀中盤から昭和初期にかけて絹の製糸で知られていました。(とても古い、胸のつぶれる悲惨なお話ですが「ああ 野麦峠」という映画を、ご覧になった方もいるかもしれません。あの舞台の辺りです。)小学校の工場見学では、学校近くの製糸工場を訪ねました。茹で上がった繭の外皮をつまむと、それはそれはおもしろいようにスルスルと糸がはずれます。その様は、なんと言うか仕掛けのないマジックショウのようでした。そうそう!岡谷蚕糸博物館は、さりげなく充実しています。(中学生の頃の、訪問記憶ですが。)

だから私が育った昭和後半でも、その名残がありました。桑もずいぶん生えていたし、「お腹を壊すから、やめなさい。」といわれながらも、桑の実を木からつまんで食べたりしていました。

近所にヒロコさんという、お母さんが地元で芸者さんをしていて、その立ち居振る舞いなどを真似してみせる、ちょっとおしゃまな小学校の同級生がいたのですが、彼女の家の先に一軒だけ、まだ「おカイコさま」(地元ではこう呼んでいます)を飼っているお宅があったのを覚えています。桑の葉というのは、ツルツルと照りのあるかしわ手の形で、ブラックベリーを薄いえんじ色にしたようなツブツブの実をつけます。こんな感じです。

私の記憶にある蚕の養殖所は、ほんの小さな家でした。おばあさんが一人で切り盛りしていたように、覚えています。高床式のような木造の部屋になっていて、地上1mくらいのところに桑の葉をぎっしり敷き詰めてありました。建物のすぐ外には、整然と木が植えられていました。カイコの食べっぷりは、結構迫力があります。生き急ぐかのように、ばくばく食らいます。そういえば、ある時ピアノのお稽古へ行く途中、毎回じっと見入っていたら、おばあさんに(まだ中身の入っている)繭をもらったことがありましたっけ・・・。そうとは知らず、大切に引き出しにしまっておいたら、中から蛾が飛び出したときはショックでした!!

今日、遠くへ行ってしまう友人にフェルトで作ったプレゼントをあげたら、奇遇にも「これ、繭みたい。手触りが気持ちいい!」と言いました。そのせいでしょうか・・・あした友人の披露宴ガーデン・パーティーがあり、ケータリングの担当としては、雨が降って寒くって、まったくぅ~文句ったれ~!と書き出した、久しぶりのつれづれ日記ではありますが、幼少期の思い出フラッシュバックにとって替わってしまいました。

ふいをついて心に映る、故郷の思い出のひとコマは、意外に鮮明で目が覚めます。

でも、やっぱり少し寒い~。
夏よ来い。  はーやく来い。

雷雨

2006年07月10日 | 四季折々
ご存知のように、ここ一、二週間サンタフェは雨季(モンスーン)が続いている。私がここへやって来た頃は、クロックワークで朝からパリッと晴れ午後4時頃に凄まじい夕立が来るというパターンだったのに、この10年はかなり深刻な干害で、気持のよいモンスーンはほとんど来なかった。ところが、今年は乾いていた冬に詫びるかのように「雨づくし」である。シトシトやさしいナバホのいう「女雨」ではない。バリバリ雷音、雷光をともなっての激しい雨だ。

今日も、午後になって晴れていたのに、夜になって降り出した。今夜はとくにすごい。ほんの30分ほど前に、まず賑やかな雷。「屋根に登って雷劇場!(空が開けているせいか、ここそこで光っては消える雷光を見るのは、私の楽しみのひとつだ。光が横に走ったり、複数の光が繋がるように見えることもある。文字通りワンダー・フルだからつい「劇場」と呼びたくなる)」と思いきや、はしごを登り切る前に降り始めてしまい、大粒の雨が頬に打ち付けて痛いし、随分近くに雷が落ちるのでたじろいでしまった。玄関のドアを開け、猫を呼ぶと木陰で雨宿りしていた彼は、「ミャー(やはり英語で鳴く。通訳:なんでもっと早く開けてくれないんだよぉ~!)」と文句を言い言い、一目散に駆けて来た。

一度停電して書き直すことになったが、この短い日記を書いている間に、局地的に降る雨は、もう他へ移って行ったようだ。いつものごとく早足だ。ペットたちは、いつもの落ち着きをとりもどして寝入っていて、呼んでも顔も上げずに迷惑そうに薄目をあけるだけだ。私はというと、真夜中過ぎたと言うのになんだかドキドキしてしまって、眠れそうにない。もうしばらく、踊る雷神を遠くの山に探そうかと思う。

夏越の大祓え

2006年06月30日 | 四季折々
恥ずかしいことに、全く知らなかったことなのだが、今日は「夏越の大祓え(なごしのおおはらえ)」なのだそうだ。実際にお祓いを受ける友人から聞き、またいつも楽しんでいるこはるさんのブログで読み、興味をそそられた。これは、一年に二度12月と6月に行われる神事。大宝律令(701)から正式な宮中の行事となり、応仁の乱(1467-1477)頃までには見られなくなった。そして江戸時代に復活し、今でも神社で年中神事のひとつとして続いている。

日常生活での言葉や振る舞いから出る「塵」は、ともすると積もり積もって災いを招く汚れや、エネルギーが滞る原因を作り出す。そこで、この神事を通して厄を祓い、身を清め、自然とそれを守る神々に感謝を告げる、というのがこのお祓いの目的なのだそうだ。

    
         茅の輪(ちのわ)


各神社で多少の違いはあるようだが、基本的には「茅の輪」をくぐるのと「形代」といわれる人形(車や船用は四角い)紙に名前を書いて、それに災いや厄を吸い込ませて炊き上げる。 

                  形代(かたしろ)    

やたらに自分でまねごとをするのはよくないので、私は体験できずとても残念だが、今日が「お清めするにはよい日」であるのは事実だろう。ちょっと汗をかいてから、冷水浴をしてみた。和菓子は作りは趣味なのだが、実はあんこは苦手だったりする。しかし今日は三角形の小豆菓子「水無月」を作り、背筋を伸ばして抹茶をたてた。昨日まで、砂埃にまみれてインディアンの砂漠を駆け回っていたのが嘘のようだ。

(Photo from 足立ちれきみんのサイト

追記:6月1日 「水無月  ヤッイシジャーシチリ」
   6月2日 「ファニタ」アップしました。(6/26-6/30も一気にアップしてあります。)

満月との対話

2006年05月13日 | 四季折々
満月や新月は誰にとってもサイクルの大きな節目だろう。私も例漏れず、周りにヨガや東洋医学系のセラピスト、ネイティブに傾倒している人が多いし、自分でも常に満ち欠けの影響を身をもって感じている。でも、今回の満月はちょっと特別な気持で見上げた。

先月は丁度日本からもどったドサクサにまぎれて、ゆっくり「対話」できる状態ではなかったし、今回は気のおけぬ友人が一緒で、ふたりしてセレモニーへ出かけたから、というのもある。

儀式というのは、たまにスウェットをしに行くところ(先日ホワイトセージのバンドルを作りに行った)で、アニシナベ族のやり方を学んだ人たちにならい、ティピの内と外で行った。子供二人を含む、女性ばかりのグループだった。四方向にあいさつをして、セージでスマッジ(お清め)をしてから、ティピに入りドラムやガラガラを鳴らしたり、体をゆらして踊ったり、それぞれの想いをを分かち合う。私は個人的なことで答えを求めていたことに加え、最近耳にしているサウスダコタ州の聖なる山で巨大酒場を建設しようという問題や、最近会ったナバホのアルコール依存症の青年に対する救いなど、いくつか"Grand Mother Moon"に話したいことがあった。空は晴れ渡っていたので、眩しいぐらいのお月さんは、わたしたちひとりひとりをやさしい笑顔で包んでくれるようだった。

はじめセージに火がつかなくて、「お清めができないねぇ、もしかして必要ないのかな?」などと冗談を言っていたのだが、初めて来たふたりの少女が無邪気にティピ内を走り回ってからのことだったので、まんざら冗談でもなかったのかも知れない。ひととおりの儀式が終わってから、外に出て円をつくり「聞く女」のシンボルを真ん中に頭をくっつけて、みんなで空を見上げつつ横たわった。満月へのあいさつは、いろいろ今までためしたけれど、いつも「ひとりで」することが多いので、人と繋がりながらの月見は新しい喜びの経験となった。

砂嵐

2006年05月10日 | 四季折々
今日サンタフェの街には砂の嵐が吹き荒れた。日中はどうということもないほんわかした春の一日だったのに、午後になって雲行きが怪しくなり、4時過ぎから風が強くなり始めたのだ。概してここの強風の季節は三月頃なのだが、こんな時期になってこれだけ吹くのは珍しい。

もちろんここはゴビ砂漠やサハラのような砂丘ではないので、三日三晩吹き荒れて身動き取れないことなどはない。遠くから見ると、山あいや街のあちこちに黄色がかった深い霧が出たような感じだ。その中に入るとこの写真のように、前が見えなくて外にいたら目が開けられない。大抵は横殴りか、渦巻き状に吹き上げることもある。雨は混じらない。乾いた嵐だ。

私は日本で、雨が降ると浄化というか色々が洗い流されるような気がしていた。砂塵は慣れないと、汚いホコリのように感じる人もある。でも、例えばナバホのお婆さんんたちが砂で手を洗っていたように、昨日はこの嵐で何かお清めを受けたようなそんな気がした。事実、五日の日から「シンコ・デ・マヨ」というメキシコ人やチカノのお祭りのことを書きたくて、メキシコの歴史をひもといてしまい、頭と心がかなり乱れて滞っていたのが、詰まりがとれたような気がするから、不思議だ。「砂嵐、浄化説」もまんざら気のせいだけではないんじゃないだろうか。

八十八夜

2006年05月02日 | 四季折々
五月二日は八十八夜。日本で最後に印象に残ったのが、お茶の段々畑に見下ろされる静岡だったので、ふと「茶つみ」の歌を思い出した。よく友達と手を打って歌った、あの歌だ。由来を調べていて、簡潔でおもしろい説明をしているサイトがあったので、引用してみたい。

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・・・八十八夜は、立春から数えて八十八日目という意味で、現在では5月初旬(2日頃)になります。新茶を摘む茶摘みの日をさし、この日に摘んだ茶を飲むと縁起がよいとされています。

<八十八夜の由来ー種まき、茶摘み、養蚕>

八十八をたすと、米という字になります。この日は農家にとっては特別に重要な日で、「ハチヤブリ」といわれ、たいていの家では苗代に種籾を蒔くそうです。「八十夜の別れ霜」といわれますが、まだ遅霜が完全になくなる時期ではありません。種まき、茶摘み、養蚕に忙しい農家にとって、この遅霜がいちばんの命取りです。それを忘れないためにために暦に載せたといわれています。特に養蚕時代には、遅霜に気を使い、夜に冷え込みがあると、夜中に桑畑に行き、畝間の所々に落葉を積み、いぶし焚を行って煙を棚引かせ、桑の若葉を霜の害から守ったものだそうです。

<お茶壺道中>

江戸時代、将軍用の新茶を宇治から江戸まで運ぶ御茶壺道中が行われていました。これは徳川三代将軍家光の時に始まったといわれています。毎年5月に、宇治に江戸城から茶壺が届きます。それに葉茶を詰め、約半月かかって江戸城まで運びます。新茶を摘んだお茶壺が宇治を出発するまで、新茶をほかに出すことが禁じられていたようです。

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田植えや稲刈りはしたことがあるが、お茶摘みはないな。お茶好きとしては、ぜひ一度ためしてみたいものだ。古い民謡ではなくてきっと文部省唱歌なのだろうが、あの歌が頭から離れないので、他の方にもつき合っていただくことにした。あしあからず。

          茶つみ

     夏も近づく   八十八夜
     野にも山にも  若葉がしげる
     あれに見えるは 茶つみじゃないか
     あかねだすきに つげの笠

     ひより続きの  今日このごろを
     心のどかに   つみつつ歌う
     つめよつめつめ つまねばならぬ
     つまにゃ日本の 茶にならぬ

衣がえ

2006年04月25日 | 四季折々
今日サンタフェの街は、うす紫色に衣替えした。リラの花が咲き始めたのだ。風はビュンビュンだが、ひるまなら半袖のT-シャツでいられるほど暖かいし、数日前から独特のとても甘い香りがプ~ンとしていたので「そろそろだな」とは思っていたのだが・・・

リラ(ムラサキハシドイ:モクセイ科)は、英語でライラック。ふさなりに紫や白(は珍しい)の小さな花を無数につける。全体の背丈は、紫陽花くらいの大きさから、立派な木のように垣根から頭を出すほどのものもある。この街にはこのリラがたくさんあり、晩春から初夏にかけてあちこちで咲き乱れ、町中を薄紫色に染め尽くす。

私たちサンタフェ人はというと、暑苦しいジャケットを脱ぎ捨て、春の魔法の香りをまとい、これからひと月ほどひたすらその甘さに酔いしれるのだ。

(写真を近いうちにアップします。)

春うらら

2006年04月16日 | 四季折々
長旅を終え家に着くと、サンタフェに春がやってきていた。風は肌に心地よく、太陽がぽかぽかだ。そして、我が家でも桜の花が、咲いていた。前に私が捨てた(蒔いたのではなくて・・・)さくらんぼの種が育って、ひょろっと長くなったものだ。日本まではるばる桜を見に行って、帰ってみると家の庭に咲いている。灯台もと暗しというか、チルチルミチルの青い鳥と言うか・・・

でも、日本のあのもちもちと鈴なりに咲く桜のパワーは、ここでは味わえない。今も、目を閉じると千鳥が淵の華麗な風景が、鮮やかによみがえる。総武線/中央線から見える風景もよい。そう言えば、私にはお茶の水から新宿に向うところに、お気に入りのスポットがある。お茶の水駅を出てすぐ右側の窓から振り返ると、お堀の上にかかる橋の下のアーチから向うの桜と川岸の町並みが見える瞬間がある。薄汚い都会の風景と言ってしまえばそれまでだが、カーブの具合が好きで、大学に通っていた頃からいつも振り返っていたっけ。

とまあ、郷愁に浸っていられるのも今日が最後。この旅で得たパワーアップの成果に期待している。

花冷え

2006年03月30日 | 四季折々
この二日間で開くはずの桜の蕾は,じっと今日の空っ風に耐えている。夜になって,雪が散らつき始めた。

傘を片手に坂を登り、詩仙堂に着く。武勇伝にはあまり興味をもったことがないので、私にとって石川丈山は中国の詩を愛し、煎茶道の祖ということで想い入れのある人物だ。晩年三十年を過ごしたこの斜面にある山荘は、いつ来ても心を和ませてくれる茶人の家、庭という気がしてならない。秋の紅葉もいいのだが、冬や今日のような雨がちの日に、一人で部屋の隅にじっとすわり、庭に咲く野草の茶花をこころゆくまで、誰にも邪魔されずに満喫したい。

本来ならば、嵯峨野や貴船に足を伸ばしたいのはやまやまだが、この寒さでは同行した母もつらいということで、今回は東山界隈で茶庭や茶室のよいところに的をしぼっている。普段あまり洗練された文化的生活を営んでいないので、よかったのかも知れない。

それにしても、京都タワーの銭湯にはすっかりお世話になってしまった。体の芯まであたたまり、また明日もたのしくなりそうだ。

追記:京都市バス500円の一日券は、とても便利だった。

菜の花畑

2006年03月25日 | 四季折々
話に聞いていたとおり、日本は結構冷え込んでいる。朝方ヒーターをたいていて、びっくりした。昨日の午後は田舎をバスに揺られていて、みごとな菜の花畑を見ることができ、感激した。梅はサンタフェにもわりとあるのだが、菜の花にお目にかかるのは、久しぶりだ。

日本に行くというのを聞きつけて、友人からイベントの宣伝を頼まれたのでご紹介しよう。私にとっても丁度タイミングがよいので、行ってみようと思う・感想は後日書くことにして。

「アメリカインディアンの織物展」
2006年4月1日(土)~5月31日(水)
八ヶ岳美術館

ナバホラグに魅せられて織り始めた日本人のグループ「四つの風の会」の方たちが、展覧会をするらしい。ディネのウィーバーも招いて、ワークショップなどもあるので、お試しあれ。

佐保姫

2006年03月14日 | 四季折々
奈良と京都の間にある丘陵地帯は、奈良山と呼ばれ親しまれていて、その昔平城京が栄えていた頃、都の東側の部分を特に佐保(さほ)山と名付けたらしい。東は五行説では春の方角で、この山には春を司る女神が住んでいる。佐保姫は、淡い菜の花色の羽衣をまとった、染色と織物の守り神なのだそうだ。

我が故郷の代表詩人のひとり、島崎藤村は処女詩集『若菜集』に「佐保姫」というすがすがしくも、春霞に包まれてうっとりするような、恋のうたを織り込んだ。


       佐保姫
 
   ねむれる春ようらわかき
   かたちをかくすことなかれ 
   たれこめてのみけふの日を 
   なべてのひとのすぐすうち 
   さめての春のすがたこそ 
   まだ夢のまの風情なれ
 
   ねむげの春よさめよ春 
   さかしきひとのみざるまに 
   若紫の朝霞 
   かすみの袖をみにまとへ 
   はつねうれしきうぐひすの 
   鳥のしらべをうたへかし 
 
   ねむげの春よさめよ春 
   ふゆのこほりにむすぼれし 
   ふるきゆめぢをさめいでゝ 
   やなぎのいとのみだれがみ 
   うめのはなぐしさしそへて 
   びんのみだれをかきあげよ 
 
   ねむげの春よさめよ春                
   あゆめばたにの早(さ)わらびの              
   したもえいそぐ汝があしを 
   たかくもあげよあゆめ春 
   たえなるはるのいきを吹き            
   こぞめの梅の香にゝほへ
  

黒い夜

2006年03月01日 | 四季折々
橙色の美しい夕焼けの後、雲が出て来て天蓋を覆ってしまった。ほんのりあたたかなそよ風が、頬をなでる以外は、星も月も見えず、真っ暗で静まり返っている。新月でチベットの新年ロサーだと聞いたので、今夜は静かに瞑想の時としようか・・・

東風 氷をとかす

2006年02月06日 | 四季折々
立春も無事過ぎたけれど、冬がピンと来ないうちに終わってしまって、何だか実感のないのが正直なところだ。氷もとうに解けてしまっている。でも今日は、そよそよとやさしい風に、枯れ草が静かに揺らめいて金色にキラキラ光り、初春を味わうには絶好の日和である。

春風か・・・と思い「東風」のことを調べていて、またまた全然関係のないノスタルジーに出会ってしまった。ウィキペディアの百科事典で「東風」と入れたら、「YMO」がリストに上がってきたのだ。「東風」という曲があったからなのだが、ヘンな成り行きである。「ポップはダメ。」とか言っているが、その世代なので1970-1980年代には、やはりいくつか好きなバンドはあった。(主にひとつ下の弟の影響により)はっぴぃえんどとかサイケデリック ミカ バンドからの流れで、YMOは好きだった。いわゆるテクノの発生期に君臨した彼らは後に、「アレは、やわになった若者に対して、君たちどこまで機械のリズムに太刀打ちできるか?というチャレンジだった。」とか言っていたのを、どこかで読んだことがあるような気がする。人間性や「あたたかみ」からできるだけ離れた音楽を作りそれを楽しむというのは、今思うとなんともゴーマンというか野心にあふれる行為だったように思う。でも、ああいう極端な時期を経て、今の自分があるのも事実だ。イエロー マジック オーケストラの後、私は細野さんのやったレーベルが好きで、その後巻上公一さんとか戸川純さん(熱狂的!)とかのファンだったのだが。あの頃集めたのは、みんなテープやレコードで、今手元にないのが残念だ。CDになっているのだろうか?

単に「受験やらなんやらで失った」と決めつけていた十代の頃の記憶が、怒濤のように沸き上がって来た。これも「東風」が心の氷をとかしてくれているからなのだろう。