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サンタフェより

高地砂漠で体験したこと 考えたこと

線路沿いには

2009年06月01日 | サンタフェ情報
ニューメキシコの州知事、ビル・リチャードソンの政策のひとつに、通勤のための交通手段確保として、鉄道網の建設がありました。2003年ごろからはじめられたプロジェクトは、二つのフェーズでゆっくり進んできましたが、去年の暮れ、空港がありアメリカの中でも屈指の急成長を遂げつつあるアルバカーキの市街地と、州都であるサンタフェを結ぶ線(もともと存在したBNSFの線や、サンタフェ南部鉄道などの線も使っているので、すべてが新築ではありません。)が開通し、州鳥ロードランナーのデザインがいかにもニューメキシコらしい客車を、毎日見かけるようになりました。

New Mexico Rail Runner
アルバカーキ・サンタフェ間(約100km)は、同日の往復切符が$8。
一日8本の運行。日曜運休。

同じ予算を費やすのなら、高速道路の拡大に使うほうがいい、などの非難も多いらしいのですが、個人的には鉄道の方が楽しいし、車を減らす努力としては"Good Try"と言ってあげてもよいのではないかと。



いえいえ、今回はその話ではないのです。

今日は日曜日。朝目覚めてすがすがしい空気を楽しんでいると、友人から電話。「自転車で出かけよう!あ、でもお茶の日だっけ?」とのお誘いでした。逃す手はありません。「お稽古の前だったら、数時間空いているから。」と答えて出発。

今回のルートは、新しくできた線路沿いに続く自転車道でした。とは言え、舗装してあるのはほんの町中のみで、なかなかスリル満点のラフなコースです。私の自転車はいわゆるタウン系なので、時々「次の坂を下りきって、石がごろごろしている所についたら、この自転車バラバラに壊れるぅ~?」と心配になる箇所もありました。でも、くだり坂でのブレーキは禁物です。何たって"Live dangerously"がモットーですから!

いやぁ~、楽しかった。ちょうど、大きな雲が空の真ん中にどっしりと構えて、強い日差しを時々さえぎってくれ、肌に気持ちのよい風を切りつつの走行です。東側の山には、わずかながら嵐の予感。西の空は、トルコ色。サボテンも、黄色やピンクの花をつけています。さんざん文句を言っていましたが、雨のお陰です。感謝!ロードランナーには出会いませんでしたが(見かけることもあるんですよ!)、地面に目をやると、トカゲが必死でおっちらおっちら走っていたり・・・。今日は列車の運行もないので、快適なバイク・ライドでした。やっぱり人力が一番です。

最近ちょっと落ち込んでいたのを知って、誘ってくれた二人に感謝。こんなサプライズなら、いつでも大歓迎!

(最近日記をさぼっていたので、カメラを忘れました。写真がなくて残念。)

移民法改正案の波紋

2006年04月28日 | サンタフェ情報
今アメリカでは、移民法の改正をめぐって大議論が巻き起こっている。政治経済は苦手な分野なので、あまりうまく掻い摘んで説明できないのだが、思いっきり単純に話すと、次第はこうだ。

アメリカでは、不法移民の数がどんどん増えて問題になっている。(一日数千人単位。メキシコ人の不法滞在者は1000万人を越えたとか。)何を隠そう私だって「移民」なわけだが、ここで言うのは特に南の国境線を歩いて、カリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコ、テキサスへ不法に渡ってくるラテンアメリカの人たちだ。

彼らは、(政治的弾圧もあるだろうが)大抵は貧困から逃れるためにやってくる。そうして自給5-9ドルぐらいの、アメリカ国民がしたがらない肉体労働をしながら、ココに住み着いてゆく。レストランや建築会社、農場などは、彼らの社会保障番号やグリーンカードがいかがわしいことを知りつつも、彼らを雇う。またこういった移民たちは、大抵は英語を話さない。家族やコミュニティの絆が強いので、必要がないからだ。家政婦さんが英語を話さないのなら、雇い主がカタコトのスペイン語を学ぶしかない。彼らを対象にした商売も出てくる。テレビ・映画・音楽などの娯楽もスペイン語モノが増えきた。

こうなると、アメリカ国民の中でもさまざまな反応が現れる。そのうちアメリカ人の最低賃金の水準が低くなり、仕事はみんな外国人に奪われてしまうのではないか、という人がいる。保守派の中には、そのうちアメリカはスペイン語文化圏になって、生活が変わってしまうのではないかと心配するひともある。9-11のテロ事件以来、アラブ人がラテン系を装って進入する可能性がある、なんて不安の声も出始めた。更に国境の管理は、ナショナルガードがイラク戦争に借り出されて、手薄になっている。今問題になっているのは、政府の中にこういった不法移民に対する処罰を厳しく(重罪扱いに)しようという動きがあって、それをめぐって政府内でも意見が分かれ(道徳的な議論に加え、「国民でもない者を罰するのにかかる費用は誰が出すのか」なども考慮すべき点のひとつらしい)各地で反対のデモが連発しているらしい。

私もこれは肌で感じている。レストランなどで働いているコックは、大抵ヒスパニックだ。私が友人のレストランを手伝う時も、厨房はオーナーと私以外すべてがヒスパニックだ。先日そのうちの一人が青い顔をしてやってきて、セリヨス通りで移民局の職員が抜き打ち捜査をしていて、友人が捕まってしまったと言う。(もちろん私と彼女は、簡単にコミュニケーションを取れるはずもなく、「セリヨス」「イミグラシオン」「ミ・アミーガ」の三語から推測するしかない。)彼女は、25才のエルサルバドール人。19才でここへ来てから、一度も帰国していない。時給$9-10ドルで週に50-60時間働き、毎月両親に$1000ほどの仕送りをしている。本人は不法ではないのだが、人事ではないらしくとてもおびえていた。

さて、当のブッシュの立場はというと「奥歯に物がはさまった」ようだ。彼の再選にはヒスパニック票が大きく貢献した。(基本的には、中絶と同性愛問題をからめて教会信者とキューバなどからの上流階級保守派ヒスパニックの票を、移民がらみで家族や友人を呼びたがっているヒスパニック労働者階級の票を集めた。)彼は大企業のあやつり人形だから、当然低賃金労働者は大歓迎のはずである。だから、他の理由をくっつけて移民枠を広げることや、一時的に滞在許可を出すなどいくつかの約束をしてきたわけだから、今更共和党の保守派と一緒になって、「不法移民追放」へ乗り出せない。今のブッシュ支持率の悪さを考えても、不可能だ。しかし共和党の中でも超保守派の政治家たちは、この改正案をどうにかして推し進めようとしている。それを受けて、国民が動き始めたわけだ。

私は、どっちかというとマルクス理想主義だと思っているのだが、現在は彼の言う「資本主義が自分の墓穴を掘っている」状態だという気がしてならない。つまり資本主義をぎりぎりまで追求してゆくと、「国」とか「政府」ではなく「経済」が力を握る。アメリカの南国境線のこちら側と向こう側の違いは、何と言っても「経済の違い」だろう。しかし、向こう側からどんどん人が流れてきて、今その国境線が曖昧になりつつあるわけだ。マルクスに言わせれば、きっとこれは資本主義の末期状態で、時間をかけて国境がなくなっていく。混沌の後、もし私たちがラッキーだったら、心あるすばらしいリーダーが出てきて、地球全体がひとつの共同体として、みんなが助け合って価値観の違いを尊重し合って生きてゆく。まぁ~、やはり「理想」なのだろうか・・・

このままでいい、と言っているわけではないので、ご了承願いたい。このままでは、全ての労働者がどんどん首を絞められ、企業の利益増加に貢献するだけだ。決まりが厳しくなれば、もっと巧みに不法で侵入し、それを助けると称して金儲けをする人が増えるだけだろう。何らかの努力と変化が必要で、今私たちはそれを模索しているのだ。

ところで、こう言った政治的なことに国民が「参加」するのが、この国の大きな特徴だ。サンタフェでも、色々な動きがある。

       

私の好きな、バハ(BAJA)と言われるメキシコのグリル焼きをメインにしたこのレストランは、改正に反対して5/1は閉店するという。

「萬波」 (Ten Thousand Waves)という日本式の温泉リゾートは、5月いっぱい外国生まれのひとは誰でも無料で公衆浴場へ招待する、と発表した。

「人ごとではない、あなたも真剣に考えて」と言われている気がしてならない。

ニューメキシコでジュエリーを学ぶには

2006年04月22日 | サンタフェ情報
ある友人に、ニューメキシコで習えるジュエリー作りについての情報を尋ねられたので、今日は、私のわかる限り提供しシェアしたいと思います。ジュエリー作りといってもいろいろありますが、ここでいうのは主に彫銀(金)技術のことです。はじめに断っておきますが、私がやっているのはインディアン・ジュエリーではありません。私は、インディアン・ジュエリーはインディアンに任せておくのが一番のように思います。どうやったって、パートでやっているわたしが彼らの域に追いつけるわけはないし、例え追いついたとしても、今度は彼らから仕事や収入を奪うことになるような気がします。その世界に惚れ込んでインディアンジュエリーを作っている方たちには、何も非難の気持はありませんので、ご了承を。

<私個人の経験>
ニューメキシコ大学(アルバカーキ市)
  「小さな金属の構造」という題でいくつかクラスがあり、生徒はわずかな費用で工房への自由なアクセスが認められています。

ディネカレッジ(アリゾナ洲ツェイリ)  
  「ナバホ銀細工」という題でクラスがある。以前はひとつのレベルのみで、ある程度経験のあった私には、正直あまり効果的ではなかったです。現在は「中級」もあり、もう少し充実しているのではないでしょうか。(Academics→Couses→Navajo Studies→2頁目Navajo Silversmithing)

タオス・インスティチュート・オブ・アート(タオス市)という小さなよい学校があり、そこでも一週間の集中講座を取りました。残念なことに、9-11のテロ事件以来生徒が減ってしまって閉鎖してしまってそうです。私は習っていないけれど、そこの先生の一人は少人数制クラスの学校をやっているらしいです。

後は、1年ほど個人的にホピのジュエラーから指導を受ける。(オーバーレイ)
アシスタントの仕事についてからは、ここ8年ほど純度の高い金細工の修行。(グラニュレーション)

<その他>
インディアン・ジュエリーを学びたいのであれば、サンタフェ市内にあるIAIA(インスティチュート・オブ・アメリカン・インディアン・アート)をお薦めします。私は行ったことがありませんが、本格的に学べるはずです。かつてそこの生徒だった日本人の方を知っているし、今通っている日本人も友人ではありませんが面識はあります。(つまりむやみに煩わしたくないけれど、情報はいただけます。)7レベルのクラスがあるらしいです。

これらのクラスで基本的な切る、伸ばす、曲げる、銀ロウでつなげる、スタンプを押す、磨く、石をはめる、などを学べます。3ヶ月程度(1学期)のクラスでは、鋳造までは学べません。もう少し本格的に学校へ行くべきでしょう。

彫金は、例えば編み物やビーズのように、気軽に家で楽しむ趣味にできるものではありません。何らかの形で工房へのアクセスがある方は除いて、それなりの投資をする覚悟が必要です。小さな手道具(はさみ、ペンチ、糸鋸等は一般的には共有できません)はもちろん、ガスタンクとバーナー、ドリル、研磨モーターや、火を使ったり金物を削って汚れてもよいスペースが入用です。また、ミシンのようにたたんで押し入れにしまうようなわけにもいきません。特にスターリングの銀細工は、デザインして切ったり貼ったりする時間と、酸化したり引っ掻き傷のついた部分を磨いたり削ったりする仕上げにかかる時間が半々。つまり、「あ~!形になった!」というところで、丁度折り返し点になります。皿洗いが嫌いだと、料理人としてやっていけないのと同じで、この仕上げ作業が嫌いだと欲求不満が溜まるかも。更に指はいつも切り傷だらけで、爪と指の間も真っ黒です。

でも、火遊びは楽しいですよ!それに、固いはずの金属が、実は粘土と同じだと実感できておもしろい。温度や化学変化など科学的な部分と、デザインを考える芸術的な部分、そして瞑想の部分。よし、と思う方にはぜひ体験していただきたいですねぇ。オリジナル・ジュエリーを注文するのにも、多少知識があると作り手は対処し易いのではないかな。

今時分の南西部

2006年03月28日 | サンタフェ情報
美紀子さんからの要望により、アリゾナの今頃の気候について。

今回東京に来て、「寒いな」と想いましたが、実際はサンタフェと変わらないような気がします。

アリゾナは場所によって、かなりの差があります。フェニックスやツーソンのような国境に近いところは、半そでで歩いています。グランドキャ二オンに近い北部は、私の飛行機から雪が積もっているのが見えましたね。

一番熱いのは、多分六月の終わりから七月にかけてでしょうか。そのあとすぐにモンスーンの季節になって、夕立のある日が増えます。八月も熱いですよ。気温は上がりますが、湿気がないので日陰に入れば涼めるし、夜は(というより日地没直後から)極端に冷え込みますので、ご注意を。

サンタフェやフラグスタッフ(グランドキャニオンのすぐ南の町)は標高がたかいので、四月五月でも雪が降ることもありますが、雪は残りません。北海道のように、春は短いですね。

一年を通して、サングラスは必需品ですよ。

ユッカ

2006年02月19日 | サンタフェ情報
アルバカーキにあるニューメキシコ大学には、いくつか美術館、博物館、劇場があって、気をつけていると、おもしろい催しに巡り会う。

マクスウェル博物館 (Maxell Museum of Anthropology) で、先日やっていた「着ているものであなたのことがわかります」(I can see by your outfit) という特別展を見に行って来た。これは、ここ百年ほどの、北米インディアンの衣類装飾品が、歴史とともにどう変わったか(変わらずをえなかったか)というテーマの写真と実物の展示だった。特に北西部海岸、平原、大草原と南西部の部族のものが多かった。自然の材料と手工芸の技術巧みに利用して作られた、あでやかな儀式衣装や装飾品は目を見張るものばかり。そして、白人の到来とともにある意味では新しい技術が入ってきて、進化(?)を遂げる。そして、地域や生活習慣に寄って全く違うことは察しがつくにしても、展示としてグループに分けられて見ると、また更に興味深いものだった。

北西部海岸の森に住むインディアンは、杉の木の皮やヤギの毛で、美しい毛布をつくり、アワビの貝をネックレスにする。

平原の部族は、その狩猟技術で知られているけれども、動物の皮や毛皮で洋服を作り、鳥の羽、ビーズ、貝殻、鈴で華やかな飾りを付ける。

南西部の部族は、綿花やユッカ、羊の毛を使っての織物に長けた。

私にとって身近なのは、やはり南西部のインディアンの使う材料だ。中でもユッカ(イトラン)は、ネイティブの人たちにとってとても重要な植物だ。前に話したモカシンゲームでは、ユッカの実を靴の中に隠して、葉っぱを数え棒にする。こすりあわせていると、石けんにもなる。葉に繊維質の多い植物なので、これを水につけて柔らかくし叩いては洗って繊維を取り出し、紡いで糸にする。


      
         我が家の裏庭に育つユッカ 
        干害にもくじけず葉を伸ばす

ユッカは、ニューメキシコ州の州花になっている。葉の真ん中あたりからニュキニョキと長い茎が伸び、幾つもの白い花が鈴なりに咲く。受粉は蛾が請け負うのだそう。一般的には観賞用だ。これを見て、食べようとか着物にしようと考えた先住民の祖先は、すごい。ズニ族の話には、地下界から現れた人々がこしらえた初めての着物は、ユッカで作られたとある。白人が侵入してきて、他の材料にとって変わられたものの、私の知る限りユッカはインディアンたちにとっては、今でもとても神聖で親しみ深い植物だし、これを使って履物や織物をする人もいるらしい。

追記:マクスウェル博物館のサイトを今日チェックしたら、もう新しい展示に変わっていて、写真など見て頂けないのが残念だ。このサイトはあまり充実しているとは言えないが、ビジュアルエキジビションは、結構おもしろい。

シートン ビレッジ

2006年02月08日 | サンタフェ情報
アーネスト シートン(1860-1946)と言えば、『シートン動物記』でよく知られた挿絵画家、自然動物学者、作家である。ボーイ スカウトの創始者でもある。イギリス人のシートンだが、六才の時家族がカナダに移住し、その後ニューヨークやロンドン、パリで絵画を学んだ。しかし晩年は、合衆国のニューメキシコで過ごし、実はここサンタフェで生涯を閉じたことは、あまり知られていないのではないだろうか。

私の家は、サンタフェの市街からすこし外れていて、シートンが晩年を過ごしたシートン ビレッジのすぐ近くにある。だから毎日、ビレッジへの標識を横目に見つつ街へ出かけるのだが、あまり深く考えないで通り過ぎている。

シートンの動物記は、自らが描いた挿絵がリアルなのと、野生の動物たちが人間のように感情と思慮にあふれるキャラクターとして描かれていることで知られている。日本でもファーブルの昆虫記と並んで、誰でも子供のころ一度は手にしたことだあるのではないだろうか。私も例に漏れず、愛読した一人だ。動物の性質をあたかも人間の性格や思考に置き換える語りは、雑誌への執筆当初から賛否両論の評価を得て今日に至っているし、西洋人式の「自然」の観念やアプローチの仕方に、反感を持つ人もいる。でも子供の私にとっては、単に胸踊る疑似体験の世界で大好きだった。逗子の親戚を訪ねた折、いとこのお兄さんの本を借りて読んだのが、はじまりだった。自然の掟の厳しさや、野生動物への畏敬の念に包まれて、「狼王ロボ」の話を読み終えたのを、今でも覚えている。

「ロボ」は、シートンにとっても特別な存在で、後年自分のことを「狼」とか「黒狼」と呼んだりしたらしい。ニューメキシコ大学のバスケットボール チームのあだ名も、LOBOSだ。

ユニークな形をしたこのシートン城(といってもさほど大きくないのだが)は、昨年改築工事中に火事があり、一部焼けてしまった。どうやら今年中には、工事も終り一般公開できそうな見通しがついたとのことだ。リニューアル オープンしたら、行ってみようか・・・


追記:シートンにもっと興味のある方は、2/15「ユートピアン1」、2/16「ユートピアン2」のエントリーもどうぞ。

サンタフェ関連のブックマーク

2006年02月07日 | サンタフェ情報
私の日記を読みに立ち寄って下さる方に、サンタフェに来ようとしてサーチしている人がかなり多いのに気づいた。そこでいくつか役に立つのではないかと思うサイトを、ブックマークに加えることにした。気が向いたら、そのうちオススメの美術館や遺跡なども紹介しようかと思う。

このブログは、一応カテゴリー分けしてあるものの、サンタフェやアメリカンネイティブについては、「アメリカ原住民」以外でも「魔法としての言葉」「サンタフェ歳時記」「食べ物 料理」などで大いに話題になっているので、興味のある方はカテゴリーにこだわらずつまみ食いしていただきたい。

アルバカーキからサンタフェまでは、車で約一時間。サンディアとジャックの両シャトル会社をうまく使えば毎時間定期便が出ているので、結構役に立つ(片道$20ほど)。便名を予め知らせておくので、遅れがあれば、待つか次の便に回してくれる。荷物を受け取ったらカウンターに行って到着を知らせる。(カウンターは、荷物受け取りに降りたら、右側へ。人がいなければ、隣のタクシー会社の人に話しかける。)

サンタフェは、高原砂漠である。だから服装は、重ね着に限る。どんなに暑い夏の日でも、日没と同時に、気温はグッと下がる。雨の支度はほとんど必要ないが、雨が降ったら傘を買えばいいや、というのは甘い。傘を売っている店を見つけるのは、至難の業であろう。うすいレインコートやポンチョはあると便利かも。(寒さしのぎににも使えるので。)ヤフーウェザーは、気温を華氏と摂氏の両方で見ることができるので、わかりやすい。

インディアンのことに興味のある方は、プエブロセンターに寄るとよい。アルバカーキのダウンタウンにある。みんなとても親切で、情報も豊富。サンタフェに来る前に、プエブロの基礎知識や訪問に際しての注意など、入手して損はない。空港からは、タクシーかバスを利用。ダウンタウンにはグレイハウンドバスのターミナルがあり、そこからもサンタフェへ北上できる。(ただし本数は限られるし、サンタフェの停留所はダウンタウンからかなり離れているので、要注意。)

サンタフェ人は、日本文化交流会。コンタクトを取れば、日本語で対応してくれるし、旅行のエキスパートもいるので、きっと役に立ってくれる。ちなみに私も会員です。

追記:サンタフェは、山岳地帯時間帯にあって、日本との時差は夏時間で16時間(日本の方がすすんでいる)、冬時間の時は15時間です。昼と夜を逆にして、四時間(もしくは三時間)引けばいい。例えば、夏時間で日本の朝六時はこちらの午後三時。