昨日は、日本から四通も「節分」のごあいさつのメールをいただいた。仕事とアレルギーにダブルパンチをくらいつつ、我が家も豆まきをした。「ソイ・ビーンズ」も日常的になってきたので、乾燥したスナック用の大豆も入手は容易い。
「鬼はぁ~外、福はぁ~内!」と叫んでいて、幼少時の記憶が蘇ってきた。私の妹は踊りが好きで、好きというよりは「踊り(バレエ)気違い」と言った方が近い。三歳になるかならない頃、無理を言って教室に通い始めて以来、音楽も小説もすべてバレエにあるから興味を持つ、読むマンガもバレエものばかり。よく言えば徹底的な凝り性、悪く言えば単細胞である。クラシック音楽しか聞いたことのない彼女は、高校を卒業してすぐヨーロッパへ出てしまって、初めて帰国した時に「ねぇ、ジョン・レノンって知ってる?」とか言っていて(1980年代後半の話である)返す言葉がなかったのも、つい昨日のことのようだ。挙げ句の果てに、今ではヨーロッパでバレエ教師をしている。
その彼女が初めて見たバレエの出し物が、『泣いた赤鬼』だった。他にもテレビ番組で影響を与えたものがあったのだろうが、この公演後彼女のバレエ熱がただの好奇心から、決意へと変わったのを覚えている。赤鬼への思いやりから、敢えて悪者になって去って行った青鬼の手紙を読んで、赤鬼はおいおいと泣く。ひろすけ童話の名作のひとつで、私は読んでいて七五調が耳に快く響いたのを覚えている。しかし、このお話を「踊り」という「コトバなし」の世界に変換された形で経験し、それに深い感銘を受けて「鬼さんたち、かわいそう。」と、会場に響く大声で泣いていた妹。「コトバ」にこだわる私としては、彼女がどうこの世界を経験しているのか、興味深いところだ。電話や手紙のやり取りはあったものの、彼女には十年ほど会っていない。今年は是非会いたいね、と言っているのだが。
と、新しい春に向けての豆まき鬼退治は、結構センチメンタルになってしまった。「福は内」には自信があるが、「鬼は外!」の声が少し弱かったのは、「泣いた赤鬼」が念頭に焼き付いていたせいかも知れない。
「鬼はぁ~外、福はぁ~内!」と叫んでいて、幼少時の記憶が蘇ってきた。私の妹は踊りが好きで、好きというよりは「踊り(バレエ)気違い」と言った方が近い。三歳になるかならない頃、無理を言って教室に通い始めて以来、音楽も小説もすべてバレエにあるから興味を持つ、読むマンガもバレエものばかり。よく言えば徹底的な凝り性、悪く言えば単細胞である。クラシック音楽しか聞いたことのない彼女は、高校を卒業してすぐヨーロッパへ出てしまって、初めて帰国した時に「ねぇ、ジョン・レノンって知ってる?」とか言っていて(1980年代後半の話である)返す言葉がなかったのも、つい昨日のことのようだ。挙げ句の果てに、今ではヨーロッパでバレエ教師をしている。
その彼女が初めて見たバレエの出し物が、『泣いた赤鬼』だった。他にもテレビ番組で影響を与えたものがあったのだろうが、この公演後彼女のバレエ熱がただの好奇心から、決意へと変わったのを覚えている。赤鬼への思いやりから、敢えて悪者になって去って行った青鬼の手紙を読んで、赤鬼はおいおいと泣く。ひろすけ童話の名作のひとつで、私は読んでいて七五調が耳に快く響いたのを覚えている。しかし、このお話を「踊り」という「コトバなし」の世界に変換された形で経験し、それに深い感銘を受けて「鬼さんたち、かわいそう。」と、会場に響く大声で泣いていた妹。「コトバ」にこだわる私としては、彼女がどうこの世界を経験しているのか、興味深いところだ。電話や手紙のやり取りはあったものの、彼女には十年ほど会っていない。今年は是非会いたいね、と言っているのだが。
と、新しい春に向けての豆まき鬼退治は、結構センチメンタルになってしまった。「福は内」には自信があるが、「鬼は外!」の声が少し弱かったのは、「泣いた赤鬼」が念頭に焼き付いていたせいかも知れない。