さとまゆ写真館

伊勢白山紀行と北海道の日常とお馬さんを紹介する写真館。
そして6人の子に囲まれた家族生活からの気づきの日記帳。

共生

2009年01月30日 | 日常生活
今晩、8時前に職場から自宅に戻る途中、エゾシカとまたぶつかりそうになりました。
あやうく5mくらいのところで急停止出来たので良かったのですが、
その場所から1kmもいかない所で、道路の真ん中にエゾシカが倒れていました。
運悪く、クルマと衝突してしまったようです。
クルマを停め、路肩に引きずって移動させました。
引きずることが出来たので体重は70~80kgくらいだと思います。
今年生まれた若シカだと思います。

今住んでいるところに限らず、北海道の郊外(住宅の少ない地域)では、
野生動物が至る所に出没するのが当たり前です。
特に住宅がほとんどなく、周囲が畑や原野だとエゾシカだけでなく、キタキツネも多く生息しています。
そして、その自然の多い大地を道路が横切っています。

動物は道路と他の場所の違いが何であるかをはっきりと分かっているわけではありません。
ただ行きたい場所に行く途中に道路があるだけで、クルマが近づくと怖くて逃げるだけの話です。
道路を通ってはいけないなどと理解できるのは、本当に生死に関わる状況になり
うまく生き延びた個体だけでしょう。

人間は自然を征服し自分たちの思いのままに使うことを無意識にして生きています。
自然の中に住んでいるのだから、自分たちが遠慮しようと思う人は本当に希少な存在だと思います。
日々の自分の生活に追われている中で自分が通る場所について遠慮しながらという気持ちになれる人は本当に立派な人だと思います。
ましてやただでさえ気持ちの大きくなってしまうクルマの運転をしていれば、
「そこのけ、そこのけ!」で自分の思いのままに疾走します。

さて、自然が直近にある土地で人間が生きていくということはどういうことなのでしょうか。
人間の生活の犠牲になる、自然の中に存在する人間以外のものがいます。
この犠牲を全く無くすことが出来るのか?
自然に負担を掛けずに人間がその土地で生きていくことができるのか?
それは絶対に無理なことだと断言します。
自然を少しずつ犠牲にしながら、日常が過ぎていきます。
時にはこのように一般の人間が持つもっとも凶暴な凶器であるクルマによって犠牲を生じながら。

人間は何をしても、どんなに謙虚に生きていても、
存在する以上は他に対する影響を及ぼさざるを得ません。
目に見える状態でも、目に見えない状態でも、命を奪いながら生きていかざるを得ません。
わたしたちの流す排水が何かを命を奪っているかもしれません・・・・
クルマに乗っている時に小さな命を踏み潰しているかもしれません・・・
朝食、昼食、夕食、おやつで命を頂いています・・・

わたしは今晩、真新しい暖かい死体との対面であらためて生かして頂いていることへの感謝を痛感しました。
その後の車中で感謝をひたすら唱えながら家まで戻りました。
わたしたちが水・食物・衣服・住居・移動手段・・・などを当たり前のように得て、
当たり前のように暮らしていることは想像以上の犠牲の上になりたっています。
そしてその状況は咎められることなく、与えられています。

いかしていただいて ありがとうございます
いかしていただいて ありがとうございます