さとまゆ写真館

伊勢白山紀行と北海道の日常とお馬さんを紹介する写真館。
そして6人の子に囲まれた家族生活からの気づきの日記帳。

命の終焉

2017年10月20日 | 拙い気づき

現在、私は個人事業を営んでいます。

事業内容が同じで、私よりもずいぶんと前からそのお仕事をなさっていた方と、約1年前に知り合いました。

知り合ったきっかけは、その方が癌を患ったために事業を継続するのが難しくなり、それに伴って生産に使用していた家畜を引き取ってほしいというその方が住む町役場からの依頼でした。

その後、私は依頼を受けて引き取りを行い、その癌を発症して手術を受けたご本人とも直接お知り合いになることになりました。

 

 

その方はここ2~3週間で一気に痩せ衰えてきて、2~3日に一度お会いするたびに、骨と皮に近くなり、動きも緩慢になり、食事も1ヶ月ほど取れないために点滴で栄養補給をして生きながらえている状態です。

一昨日お会いした時には声もしわがれて、小さくなり、残す時間も僅かだろうと思わされるような状態でした。

 

ご家族は奥様が癌発症が判明したと同時に出て行かれ、誰もご自宅におらず独居の状況です。

ですので、町役場から介護や町立病院の方々が見回りにくること、私やもう一人の気になる方々が時々尋ねていくくらいです。ご本人の寂しさを思うと居たたまれない気になります。

先日は昨年手術を行った病院で検診を受けてこられたのですが、余命宣告を受けたようで、それ以降、それまで以上に早い速度で弱ってきているように感じます。

残りわずかな我が身の命を知った時、私ならどう思うか?どう考えるか?どう動くか?

あまりこのような状況を経験してこなかった私は非常に悩ましい日々を送っています。

命の終わりを目の当たりにしている方に対して哀れみを感じてしまう気になる事もありますが、ご本人の心のうちを推察すればそんな余計な軽々しい気持ちを持つことは失礼に感じ・・・。

 

命の尽きる時を想像させられない時期、年齢、状況は永遠には続かない。

人は誰しも、必ずや命の終焉を通過しなければならず、しかしその時に急にそれを静かに受け止める事はなかなか難しいのかなと思います。

常日頃、まだまだ自分の寿命を考える必要もない頃から、終わりを迎えた時に後悔、未練を残したと思わないで済むように、年齢に関係なく目の前の事に対して常に感謝をし、小さな達成感と満足を積み重ね、いつ全てを手放さざるを得なくなっても後悔も未練も無いように、相手や物事に真剣に、自分に誠実に向き合い対応していくことが必要だと感じます。

 

終わりの無い人生は無い。

人生に限らず、終わりの無い出来事、関係、状態は無い。

ならば、目の前の全てに向けれるだけ精一杯の真剣さを投入して、それがキリがつく度にいつでも手放せるようにすることが、結果的に自分にとっても周囲にとっても、終わりの時をすっと受け入れ心穏やかにやり過ごす事が出来る唯一の方法だと感じます。

 

 

その方に残された肉体を持った時間は残り数百時間程度だろうと思います。

私に残された時間はあとどのくらい?

もしかしたら明日、事故に合い、ほんの数時間~数十時間の命かもしれない。

明日起きたら、今日以上に、目の前の事に真剣に向き合い、子供たちや妻との時間を大事にし、仕事を一つ一つ、いつでも手放せるようにひとつひとつ切捨て、準備していこう。

そしてそれを毎日繰り返して終焉のときを待とう・・・。

 

 

生かしていただいて ありがとうございます