何故私がこの本を選んだかというと単純に「新エゴイズムの若者たち」という書名に惹かれるものがあったからだ。何より私自身、今現在は年齢的数字で言うと19歳であり書名からして正に私のような年代をテーマにした内容なんじゃないかという期待感という楽しみがあった。しかし私個人的には自分を若者だとは思わない。確かに年齢的数字で言うと世間一般から見られても若者だろうと思うが心はもう若くないのだ。これはあまり良い意味ではない。そんな私に現代風の若者たちがどういうものなのか学べる且つ私自身の心の若さを確認する意味でもこの本を読んでみる価値はあるのではないかと思い選んでみた。
私が着目したのは著者が自己決定を色々な例を持って書いてあることだ。印象的だったのはガングロ、未成年者の性、援助交際、フリーター、コクルなどのキーワードだった。これらに共通することはやって良いか悪いかは別として一人の人間としてやろうと思えば簡単にやれてしまうことだ。どれもこれもやり始めるのは簡単であり幾らでもカッコイイ動機を言うことができる。その動機の例なども本書に書かれているが一見立派な自己決定に見えるが実は単なるわがままなのではないだろうか。カッコイイ動機を考えてやり始めるが結局は現実逃避をしているだけだろう。そんな若者達が誰かに忠告をされたら現実逃避用のカッコイイ動機を堂々と喋って忠告をしてくれる人を決して自分の心の領域に踏み入れさせない鉄壁な心の防御ができているのだ。このカッコイイ動悸は忠告をしてくれる人に対する心の防御でもあり自分自身の精神安定持続のためにも必要な動機であり一石二鳥なのではないだろうか。実に安全な身の守り方である。
私はこんなエゴイズムな若者たちを凄いと思う。幾らわがままを言おうが幾ら現実逃避をしようが何だかんだ言いながらも一歩一歩人生を確実に進めているのではないかと思えるからだ。正直疲れないのかと疑問に思うがそれがまた若者にとっては充実していて若さという若者特有のエネルギーがあるのだろう。私はエゴイズムな若者を味方してあげたい。ただ本当に若者たちはエゴイズムなのかは疑問だ。今の世の中の状況に合わせてエゴイズムになっているだけで大半は本当の自分をまだわかっていないだけなのではないだろうか。そんな若者たちの世の中に対する適合性はリスペクトして見習いたい。