Playlist of Harborland、ジュリーにチェックイン!コーナー
先週の放送で、3月末で番組は終了するという報告がありました。その中でパーソナリティの田名部さんが
『あと二ヵ月をどうやって皆さんと楽しんでいこうかと集中したいので、これやって下さいとか、
私は個人的に、このあいだの正月ライブのセトリで振り返っていくならば、ACBと書いてアシベ、そういうライブハウスがあったんですよね。その時の思い出をジュリー自身が詩にこめて書いて思い出を今回のライブでも歌われてて、そのACB時代を知っているという方がいらしたら、その 当時の話を是非 聴いてみたいなと いうそういう思いはあるんですけれどもね。』
ジュリ友さんは、まさにその『ACB時代を知っているという方』です。私も聴きたいと思っていた、ACB時代の記憶や思い出を語って頂きました。
2月1399日、ジュリーにチェックイン!Playlist of Harborland、パーソナリティは田名部真理さん。
ジュリーにチェックイン!コーナーは2時5分から。
今日も私が発した一言に反応して下さった、貴重なメール有難うございます。
火曜日歌謡曲ではジュリーこと、沢田研二さんの曲をお届けしています。
先週この番組で「甲辰 静かなる岩」沢田研二LIVE 2024で歌われたACBという歌があるんですけど、ザ・タイガース時代のジャズ喫茶ACB、当時を振り返って歌っているような、今の俺はこんな感じだぞ、というような、そういうちょっと勇気を貰う歌なんですけど、そんなACB時代のことをを知りたいなと、ポロっと言ったんですよね。
そうしましたら、saoさんから当時ジュリーとタイガースの元祖追っかけだった東灘区のyasukoさんに、ACBについてインタビューさせていただきました。ということで、yasukoさんから当時のジャズ喫茶の画像も番組に併せて、送って頂きました。
yasukoさんからです。
『こんにちは、私は西宮市の出身ですが、1960年代の末から高校・大学時代は東京都に住んでいました。
ACBはタイガースのみならず、私の高校生から大学生になる青春の原点の場所です。
ACBは新宿の大きな交差点、歌にもあるように甲州街道の角にありました。階段を降りて行った先は ステージのフロアと、ステージを見下ろす席がありました。
今と違い撮影はフリーでした。当時はオープンリール録音機しかない時代、せいぜい写真を撮るくらいでした。
大きな歓声と嬌声の中で、タイガースは殆どの演奏曲がビートルズやモンキーズでした。ジュリーが客席にリクエストを求めたり、すごくフレンドリーだったイメージがあります。ステージでは終始にこやかなジュリーは、あまり余計なMCもなかったように思います。
楽屋の入り口は、今でいう出待ちのファンで溢れていました。ACBの階段の途中には楽屋に通じる場所もあり、タイガースのメンバーには会うことはありませんでしたが、そこでショーケンには会いました。ゴ-ルデンカップスの故マモルマヌーに、郷田ナントカというGSのバンドマンに似ていると話かけられたことも有りました。
1967年から1968年あたりのことで、当時の日記もなく今では記憶に曖昧なところも有りますが、ジャズ喫茶は他にも池袋のドラムや、銀座のヤングメイツもありました。
歌舞伎町にはニューアシベもありましたが、今思えば あんな怖いところに、20歳前の女の子がわんさか通っていたんですね。新宿にはモナミというサリーのお姉さんが経営していた喫茶店があり、お茶や軽食もあって、そこにもよく行きました。
ジュリーとザ・タイガースのファンになったきっかけは、クラスメイトが日劇のウェスタンカーニバルでカッコいいグループを見つけたと、大騒ぎしていたのをきき 行き始めました。
時期は「僕のマリー」の後です。たぶん夏か6月頃かなぁ・・ まだGSなんて言葉があったのかな?という頃です。
もちろん当時からジュリーの人気は群を抜いていました。キムタクが束になっても叶いません。
(続きます)