いつもそばに感じてる

2024-04-11 12:09:05 | 日記
風の中に
鳥の声の中に
流れる水の音の中に
あなたの声を聞いた

寄り添い咲く花に
小指の爪ほどの小さな花に
あなたの微笑みを見た

頬に触れる柳の葉に
寝ころんだ濡れた草の上に
あなたのぬくもりを感じた

こんなふうに、あなたは
いつもそばにいる
どこにいても、あなたは
いつうも私のそばにいるの
 

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「埋火」 -うずみび-

2024-04-11 12:06:10 | 日記

まぶしいほどに健全な 正午の
カフェで

かつて愛したひとと会う

ふと合う瞳に 思い出の影

揺れては駄目、と頭(かぶり)を
振って

強く 強く 強くならなきゃ
友達でいると 決めたのだから

『灰に埋もれた小さな春』
昔、囲炉裏では、大きな切り株や
太い薪を昼夜絶やさず焚いていま
した。

また、火鉢なども灰の中で炭を
熾し、その火で暖をとったり、
煮炊きをしました。

こんな火鉢や暖炉裏を実際に見た
ことのある人は、もう少なくなって
しまったかもしれませんね。

こうして火を熾した暖炉裏や火鉢
も、夜中や真昼の火を必要としな
いときは、燃えている炭や薪に

たっぷりと灰をかけて覆います。
その灰の上に手をかざしてみると、
ほんのりと暖かいのは、

灰の下には、まだまだしっかりと
燃え続けている炭や薪が残って
いるからです。

この灰に埋もれた炭火を「埋火」と
いい、ひそかに人に恋い焦がれて
いるさまに見立てたりもしました。

「埋火の下にこがれし時よりも
かく憎まるるをりぞわびしき」
    在原 業平

「ひそやかに消えることのない火」
秘めた恋心・・・・。

 

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私は、あなたから、すこし、こばれる。

2024-04-11 12:03:18 | 日記

はっきりいって、彼好み

の女になる女なんて魅力

ありません。

上質の男は、自分らしく

生きている人に惹かれる

ようです。

私イコール彼なんて考え

は、さっさと捨ててしまい

ましょう。

 


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「あなたに出会えるまで・・・」

2024-04-11 12:01:08 | 日記

生きていることはそれだけで
素晴らしい。
人はでも、そのことを普段、
意識しないように生きている。

あるいは、知らないで生きて
いる。

知らないで生きている人も、
一緒に
ごたまぜに この世界にいる。
奇跡の中に私たちはいるのだ。

そのことを、たまには思い出したい。

そのひとカケラでも私はだれかに
手渡したくて、その素晴らしさの
中にいるという奇跡を

一瞬でも感じさせたくて、私は
今日もまだ、見ぬあなたに
会いたくて生きている。 


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奇跡は奇跡として、ちゃんと存在している。私たちの心の中に。

2024-04-11 11:59:51 | 日記
時の流れは速く
日々の流れはおそい
涙よりもずっと
流れる間もなく

鳥が遠くへ飛んだ
あざやかさに目をうばわれ
たちすくむ心

ひんやりとした石のテーブルに
顔をつけていても
思い出すのはあの人のこと

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「やまびこが言ってた」

2024-04-11 11:58:28 | 日記
青い山に夕方の光
ちょっと悲しいような気持ち

きれいで、虚しくて 愛するって
どんな気持ちだったろう

人を愛するって 天国のような
お花畑と 真っ暗闇の断崖を
同時にのぞき込むような

ぞくぞくするような怖い おごそ
かな気持ちだったな

感謝と感動と覚悟を同時に強いられ
るような

「素敵な人と知り合いたい」って
 やまびこかが言ってた。

素敵な人と知り合うには、
自分も素敵にならなきゃね。
 

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『受け入れ姿勢の違いが・・・』

2024-04-11 11:56:11 | 日記

 

【すぐれた人と凡庸な人の違い
は受け入れ姿勢の違いにある】

ある職業を喜んで、さらに心から、
受け入れた場合と、その同じ職業
をいやいやながら甘受した場合とで
は、実際に大きな違いがある。

すぐれた会計係と凡庸な会計係、
すぐれた大工と凡庸な大工との
違いはすべてこれである。

「自分のような人間でも、ひろっ
て使ってくれる会社があった。
嬉しい」といって働く人と

「本来はオレのような才能のある
人間が働くような職場ではないが、
しょうがない、勤めてやっている」
と考えて働く人と比べたらどうだ
ろうか。

仕事の取組み姿勢も、仕事のでき
ばえも違っていて当然のことでは
ないだろうか。

職業や職場に対するこうした意識
の違いは、新入社員のうちはあま
り大きな差にならない。

しかし五年、十年たつと取り返し
のつかないほど大きな差になる。

どんな仕事にも奥行があるもので、
一つのことをマスターするとまた
自分の知的収穫に刺激されて
次のことを覚えたり、試したく
なるというようにできている。

誰かが「仕事の報酬は仕事だ」
とうまいことをいっていたが、
そのとおりである。

やっているうちに面白くてたま
らなくなる。

こうやって楽しんで、そのうえ
月給をもらうのだから悪くない。
この人は二重に報酬をもらって
いることになる。

これをくりかえして何年もたつと、
当然明らかに違いがでてくる。

仕事を楽しんでいる人にはいつの
まにか豊富な知識や技術、経験が
身につく。

上司からも仲間からも頼られる
人間になっている。

仕事を心から喜んで受け入れた
結果である。

これに対して平凡なビジネスマン
はこんなふうにいう。「オレは月給
ぐらいの働きはしている」。「会社
の体制をもっと良くしてくれなきゃ
仕事がやりにくくて困る。おまけに

「オレはプロだ」などとうそぶく。
なにがプロなものか。他の仕事は
できないというだけのことではない
か。 


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