愛国保守のメルマガ特集

現在の日本は危険な状態です。国内に反日勢力が蠢いています。在日朝鮮人、中国人がいます。また、外国のスパイが野放しです。

韓国軍が民間人135人殺した「ハミの虐殺」 石碑に犠牲者の名

2014-03-18 22:52:34 | ライダイハン
韓国軍が民間人135人殺した「ハミの虐殺」 石碑に犠牲者の名



2014年03月18日 07時00分提供:NEWSポストセブン




「誤りを認めない指導者に、新しい未来を開いていくことなどできない」──3月1日、独立運動記念式典で韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は日本をそう批判した。その言葉、そのまま朴氏にお返ししよう。韓国軍こそ、ベトナムで何をしたのか。現地取材で判明した韓国軍による蛮行を明かす。

 ベトナム戦争で派遣された韓国軍は、1966年1月から2月にかけてビンディン省ゴダイ集落で1004人の民間人を虐殺した。

 ベトナム中部のクアンナム省のフォンニャット村は、非常に小さな農村だ。ここでも韓国軍によって虐殺が行なわれた。当時14歳だったトワン・ヴァン・ディエップさん(60)が涙ながらに語った。

「早朝、100人以上の韓国兵が突然押し入って来た時、私は慌てて家の中に逃げ込みました。家には両親と6歳の弟がいましたが、動揺した弟は私たちの制止を聞かず家の外に飛び出てしまい、韓国兵に撃ち殺されました。まだ幼い弟を殺された両親と私は恐怖と悔しさに震え、ただ家の中で息を潜めるしかなかった。

 隙間から外の様子を窺うと、40人ほどの村人が一か所に集められ、銃弾を浴びせられているのが見えました。やがて私たち一家も見つかり、外に連れ出され、両親を目の前で射殺されました。

 逃げようとする私にも銃を乱射してきました。右足に銃弾を受けて倒れ込んだ私は、死んだふりをして韓国軍の襲撃をやり過ごすことができたのです。韓国軍は民家に火を放ち、村全体を焼き払いました」

 フォンニャット村周辺では74人が犠牲になった。わずかな生存者となったディエップさんは過去を忘れようと努力したが、「40年以上経った今でも心の傷は癒えない」と声を震わせた。

 さらに北上すると、ベトナム戦争最大の激戦地のひとつ、ダナンに着く。そこから20キロメートルほど南へ下るとハミ村がある。1968年2月25日、135人もの民間人が無差別に殺された「ハミの虐殺」の地である。

 犠牲者の慰霊廟が建てられていた。荒れ果てた野原に建つ慰霊廟の横には、犠牲になった135人全員の名前が彫られた石碑があった。女性が97人も含まれ、生年月日から紐解くと0~9歳までの子供が57人も確認できた。

 殺戮と破壊──これがベトナム戦争で韓国軍が行なったものだと、現地の人々は口をそろえた。

※週刊ポスト2014年3月28日号



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韓国問題-歴史編 第1部 忘れられた国土開発 : 1-5 筋を通した日韓交渉

2014-03-16 09:49:37 | 韓国問題
■■■ Japan On the Globe ■■■ 国際派日本人養成講座 ■■■

韓国問題-歴史編 第1部 忘れられた国土開発
1-5 筋を通した日韓交渉

 日本政府は足かけ14年もの交渉で筋を貫き通して、「完全かつ最終的な解決」にこぎつけた。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 転送歓迎 ■■■■■




■1.「植民地支配 『韓国に個人補償義務』」■

「植民地支配 『韓国に個人補償義務』 朴政権当時の文書公開」。日本経済新聞1月17日付け夕刊の一面にこう大きく報道された。2面には「40年前の攻防 日朝に影響も」と題して、詳細な報道がされている。[1]

 1965年に日本と韓国が戦前の関係を清算して新たに外交関係を築くための日韓条約を結んで、今年はちょうど40年目にあたる。その当時の議事録や報告書などを韓国政府がこのたび公開した。

 それによると、日本からの無償3億ドル、有償2億ドルの経済協力によって、両国の財産・請求権の問題は解決済みであり、以降の個人補償の義務は、すべて韓国政府が負うということが確認された。韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会は即日、韓国政府を相手に補償を求める裁判を起こすと発表した。

 なんのことはない。韓国の元「従軍慰安婦」が日本政府相手に補償を求める裁判を起こしたりしていたが、これもお門違いだったわけだ。それを韓国政府は知らんぷりを決め込んでいたのであり、なぜか日本政府も両国国民に分かる形で明らかにしなかった。

 この交渉経過を追ってみると、当時の日本政府が安易な妥協を排し、筋を貫き通した見事な外交姿勢を示した事が窺われる。そこには現在の韓国との外交関係を考える上でも、将来の日朝交渉に臨む上でも、国民一人一人がわきまえておくべき「外交の常識」がたっぷり含まれている。


■2.戦勝国として賠償を求めようとした韓国■


 日本が連合国との講和条約を結んだ1951年のサンフランシスコ講和会議[a]に、韓国は戦勝国として参加を希望したが、連合国はこれを認めず、この条約によって日本に賠償を要求することはできなかった。

 それも当然で、大東亜戦争勃発当時に上海にあった「大韓臨時政府」は、日本に対して宣戦布告をしたきり、内部抗争を続けるのみであった。

 一方、朝鮮半島では昭和18年、6千3百人の志願兵募集に対して、実に30万人以上の韓国青年が応募した。結局、最終的には24万人が軍人・軍属として出征、うち2万1千余人が戦死して靖国神社に祀られた[b]。

 日韓は一体として大東亜戦争を戦ったのである。戦後、急に「戦勝国」として講和会議に出席したいなどと言い出しても、連合国が取り合うはずがない。

 講和会議での「賠償」とは「戦争賠償」という意味で使われており、戦争の結果として敗戦国から戦勝国に支払われる金銭や役務を意味している。ちなみに日本政府は北朝鮮を除くすべての相手国に対して戦争賠償を完全に済ませており、このあたりがドイツとは違う所だ。[c]


■3.「不当な植民地支配を謝罪し、補償せよ」■

 サンフランシスコ講和会議で門前払いを食わされた韓国は、日本との直接交渉によって謝罪と賠償を勝ち取ろうとした。

 1951(昭和26)年10月から始められた予備交渉では、オブザーバーとして出席したシーボルトGHQ(占領軍総司令部)外交局長によれば、韓国代表は「過去40年にわたる朝鮮における日本の行動に対して」、あたかも「起訴でもするかのような調子の演説を行い」「日本を破産させてしまうほどの巨額な賠償支払いを要求」した。[2]

 第1回の本交渉でも、金溶植公使が植民地支配による「破壊と国民の犠牲」に対して、「賠償を要求するのは当然のことだ」と力説し、「日本が過去の対韓植民地政策を謝罪し、過去に締結したすべての条約、協定書などを無効にする措置」を要求した。

 日本による植民地併合は国際法上も違法であったから、1910年の日韓併合条約は最初から無効であり、それゆえに日本による統治のすべてが違法で、それを謝罪し、補償すべきだという論法である。

「補償」とは、「損失を補填する」という意味合いで使われるが、国家間の場合では、国際法上の違法行為に対する償いという意味で使われる事が多い。「戦勝国」という立場からの「賠償」をあきらめた韓国は、今度は「不当な植民地支配」という日本の違法行為による「被害者」として、補償を求めたのである。


■4.併合は違法か?■
 

これに対して日本側は、朝鮮は「国際法上、国際慣例上、普通と認められた方式により取得され、世界各国とも久しく日本領として承認していた」と反論した。

 各民族が独立して、自前の国家を持つのが良い、という思潮が広まったのは第一次大戦後であり、現実となったのは第2次大戦後である。それ以前はいくつかの民族が一つの「帝国」として、力を合わせていくのが、富強への道と考えられていた。

 イングランド、スコットランド、ウェールズ三国で同君連合を組んでグレートブリテンをなし、さらにアイルランドと連合王国を構成した大英帝国はその典型である。[d]

 ロシア、清、日本に挟まれ自立できない朝鮮が、日本に併合され、一体となって生きていく事は、東アジアの安定化につながる道として、欧米諸国からも承認された。またその手続きも両国が合意の上、「日韓併合条約」として結ばれたもので、国際法上も適法なものだった。

 1965年8月、韓国国会韓日条約特別委員会で李東元・外務部長官は「大韓帝国と日本国間で結ばれたすべての条約と協定は過去日本の侵略主義の所産であり、我々の民族感情や日本の韓国支配が不満であったという我々の基本的立場から見るときに当然、無効だったということはいうまでもありません」と答弁した。

 これは親が結んだ合法的な契約を、息子が「不満」だから無効だと言っているのと同じ理屈である。こういう言い分が通るなら、どんな契約や条約も好き放題に破棄できるわけで、国際法、国際常識を無視した言い分である。


■5.「日韓(併合)条約は当時、法的に有効に締結された」■


 日本側は、日韓併合条約は合法であったという見解を崩さず、最終的には「もはや無効であることが確認された(日韓基本条約第2条)」との表現で決着した。かつては合法であったか否かは言及せず、現時点では無効となったという妥協である。

 しかし条約には「謝罪」の言葉はなく、また韓国政府も併合を違法として、その「補償」を求める事ができなかったという結果を見れば、日本側の主張する国際法と国際常識が通ったと言える。

 ちなみに、日韓併合条約が法的に有効であったという立場は現在も維持されており、社会党の村山首相ですら「日韓(併合)条約は当時、法的に有効に締結された」(平成7年10月参議院本会議)と述べている。

 それに続けて「しかし、政治的、道義的評価とは別の問題であり、政府としては朝鮮半島のすべての人々に対し、過去の深い反省と遺憾の意を表明してきた」と述べた。

 これはたとえて言えば、昔は先進国でも女性が選挙権を持てなかったことに対して、現時点で感情面で「遺憾であり、反省する」とは言えても、それに対して「謝罪し、補償する」ことはできないのと同じである。

 過去の合法的行為を、現代の法で裁くことが許されるなら、現在の合法的行為も未来に非合法とされるやもしれず、それでは法治社会は成立しえない。過去の合法行為に対しては、感情面で「遺憾・反省」はしても、法的次元で「謝罪・補償」をする必要はないのである。


■6.日本側にも請求権がある■

 こうして戦時賠償も併合の補償も拒否された韓国に残された道は、財産の「請求権」だけであった。日本からの分離・独立に伴って国家および民間の財産をどう分割し、清算するか、という純粋に経済的な問題である。

 ここで韓国側は自国の日本に対する請求権しか認めないと主張したのに対し、日本側は日本にも韓国に対する請求権がある、と反論し、両者は真っ向から激突した。

 ライシャワー米駐日大使は「日本は敗戦に際し、韓国に三十億-四十億ドルの財産を残してきた」と発言していた[3]。また政府資産はともかく、私有財産は50万人もの朝鮮半島在住の日本人が正当な経済活動によって築いた財産であり、これを一方的に韓国が接収するのは違法である、という主張である。

 日本側の久保田寛一代表は、後に参議院水産委員会でこう報告している。

__________
(会談の)劈頭(へきとう、冒頭)早々、向こうの方から日本側の請求権はない、請求権の問題として考えられるのは韓国側から日本に対する請求権だけであるというので、日本側として・・・対韓請求権は放棄しておらないという議論に入らざるを得なかったわけです。

 そうすると向こうは、・・・もし日本の方でそういう要求を出すことが前から分かっておったら、韓国側の方では朝鮮総督の三十六年間の統治に対する賠償を要求したであろうといいました。

そこで私どもとしては、・・・もし韓国側でそういう要求を出しておれば日本側は総督政治のよかった面、例えば緑の山に変った、鉄道が敷かれた、港湾が築かれた、また米田が非常にふえたというふうなことを反対に要求して韓国側の要求と相殺したであろうと答えたわけでございます。[e,f,g]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 これに対し、韓国側は「発言は韓日会談の基礎を完全にぶちこわすものである」「そのような発言を全面的に撤回しない限り、会談は続行できない」と抗議し、また韓国内でも「七十年前の侵略性から一歩も抜け出していない」と大反発が起こり、日韓交渉は中断やむなきに至った。


■7.「会談全般を一方的に破壊した責任は挙げて韓国側にあり」■


 しかし、日本国内ではこの久保田発言を支持する意見が大勢を占めた。外務省は「我方説明は正当、かつ充分なりとの立場を持し、些々(ささ)たる言辞を殊更に歪曲し、会談全般を一方的に破壊した責任は挙げて韓国側にありといわざるを得ず、遺憾に堪えない次第である」との情報文化局長談話を発表した。

 朝日新聞は「政府声明にもある通り、韓国側の態度には、『些々たる言辞を殊更に歪曲し、会談全般を一方的に破壊した』ものと見られる節があるのは誠に遺憾」と日本政府の立場を支持した。

 野党でも左派社会党の鈴木茂三郎委員長は、日本は李(承晩)政権になめられていると語り、勝間田清一は「がん固なことをいうものは孤立させる。何も韓国ばかりが相手でないという外交的態度が必要だ」と述べた。当時の朝日新聞も社会党も、外交に関してはきわめて健全な見識を持っていた。


■8.「完全かつ最終的に解決された」■
 

日韓会談は4年間の中断を経て、アメリカの仲介もあって1958(昭和33)年に再開される。アメリカが出した「日本は対韓請求権を放棄するが、韓国は対日請求に際してそのことを考慮して法外な要求をしない」という見解を日本側は受諾した。

 当時、韓国内で主張されていた請求権は15億ドルから百億ドルという法外なものであった。その内容は韓国に本社をおく企業の在日資産、韓国民の所有する日本国債・公債、被徴用韓国人の未支払金・戦争被害の弁済などだったが、韓国側の提出した証拠を日本側で査定した所、総額7千万ドルにしかならなかった。

 このためもあって、韓国側も対日請求権を取り下げる代わりに、日本側がそれを含めた経済援助を行う、という案が浮上し、結局、無償3億ドル、長期低利の借款2億ドル、さらに3億ドル以上の民間借款提供で合意に至った。

 1961年当時の韓国の輸出額が年間4千万ドル足らずであるから、その20年分に相当する額である。また日本側にとっても外貨準備高18億ドルの半分近い額で、並大抵の金額ではなかった。大平外務大臣は池田首相に8千万ドルまででまとめろ、と指示されており、その10倍の妥結額に首を覚悟したほどである。

 しかし、この金額により「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産,権利及び利益並びに・・・請求権に関する問題が,・・・完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する(第二条)」とされたのである。

 韓国政府は日本から受け取った資金を、農業近代化、中小企業育成、昭陽江多目的ダム・浦項製鉄所・京釜高速道路建設に投入し、韓国政府の公式統計では、「漢江の奇跡」と呼ばれた朴正煕政権下の急速な経済成長の2割は日本資金によるものとされた。[4]

「完全かつ最終的に解決された」とは、戦争被害者も含めてすべての個人補償も以降は韓国政府の責任となることを意味し、朴政権は日本からの資金の一部を使って、旧日本軍の軍人・軍属として死亡した人々に補償を行い、また郵便貯金や銀行預金などの金額返済を行った。


■9.日韓交渉に示された見識■


 こうして足かけ14年に及ぶ日韓交渉をふり返ると、なりふり構わぬ韓国側の主張に対して、日本政府は国際法と国際常識の筋を一切曲げずに粘り強く交渉し、しかも最終的には「完全かつ最終的」な解決までこぎつけた功績は見事なものであった。また当時のマスコミや野党もそれを支持するだけの見識を持っていたと言える。

 しかし、1990年に訪朝した自民党の金丸信・元副総理と社会党の田辺誠・副委員長が、

「過去に日本が三十六年間朝鮮人民に与えた大きな不幸と災難、戦後四十五年間朝鮮人民がうけた損失について、朝鮮民主主義人民共和国に対し、公式的に謝罪を行い十分に償うべきであると認める」

 などという合意をしてきたのは、日韓交渉の成果を踏みにじるものであり、政治家として不勉強・不見識の極みとしか言いようがない。

 02年9月に小泉首相が北朝鮮を訪問した際には、請求権に関して日韓条約と同じく財産・請求権を放棄する経済協力方式を採用することで合意している。金丸・田辺の暴走をなんとか日韓交渉の線まで押し戻したという所である。

 なにかと言うと謝罪を要求し、それをテコに補償やODAをまきあげようとする近隣諸国に囲まれた我が国では、国民一人一人が日韓交渉に示された国際常識を受け継いで、日本政府に筋の通った対応を要求する必要がある。

(文責:伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(206) サンフランシスコ講和条約
「和解と信頼の講和」に基づき、日本は戦後処理に誠実に取り組み、再び国際社会に迎えられた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h13/jog206.html

b. JOG(190) 「お家の事情」の歴史観
「抗日史観」を国家の「背骨」にせざるをえない韓国の「お家の事情」。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h13/jog190.html

c. JOG(118) 戦後補償の日独比較
 ドイツは誠実、日本は逃げている?
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog108.html

d. JOG Wing No.163 併合と植民地化の違い
http://www.melma.com/mag/56/m00000256/a00000168.html

e. JOG(005) 国際交渉の常識
 日本の朝鮮統治の悪しき遺産?!
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h9/jog005.htm

f. JOG(056) 忘れられた国土開発
 日本統治下の朝鮮では30年で内地(日本)の生活水準に追いつく事を目標に、農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発が図られた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h10_2/jog056.html

g. JOG(204) 朝鮮殖産銀行の「一視同仁」経営
 朝鮮農業の大発展をもたらしたのは、日本人と朝鮮人の平等・融和のチームワークだった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h13/jog204.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)

1. 日本経済新聞、「植民地支配 『韓国に個人補償義務』 朴政
権当時の文書公開」、H170117
2. 明日への選択、「日韓交渉に見る日朝交渉の問題点」、H12.12
3. 産経新聞、「日韓交渉当事者…韓国元高官が回顧録 日本の資
金協力は高度成長の肥料」、H9.05.20
4. 西岡力、「戦後補償の欺瞞(上・下)」、月曜評論、H12.6-7.



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韓国問題-歴史編 第1部 忘れられた国土開発:1-4 真の日韓友好への道~ 話題作『嫌韓流』を読む

2014-03-09 17:45:42 | 韓国問題

■■■ Japan On the Globe ■■■ 国際派日本人養成講座 ■■■

韓国問題-歴史編 第1部 忘れられた国土開発
1-4 真の日韓友好への道~ 話題作『嫌韓流』を読む

「日本と朝鮮の人達が手を取り合って朝鮮の近代化に努めた歴史を後世に語り継いでいかなくてはなりません」
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■1.「あまりにも危険すぎて各社に出版拒否された問題作!」■


『嫌韓流[1]』という漫画が30万部も売れている。日韓関係を扱った漫画で、帯には「あまりにも危険すぎて各社に出版拒否された問題作!」とある。 タイトルやキャッチ・コピーは過激だが、しかし、中身はごくまっとうである。それは、この漫画のラスト・シーンを見れば分かる。

__________
末行隆平(高校3年生、サークル「極東アジア調査会」所属)
 現在マスコミでは「韓流」などと友好を演出しているが、水面下では韓国を嫌う日本人が急増している。マスコミが隠しているもう一つの韓流、それが嫌韓流だ!!

矢上哲哉(同会2年生):
 地理的に韓国は日本から一番近い隣国だ。隣国のことをほとんど何も知らないなんて、それで良いわけがない。

荒巻いつみ(同会1年生、次に発言する主人公・沖鮎要のガールフレンド):
 本当に友好関係を求めるのならば、お互いがお互いをよく知るべきでしょうね。

沖鮎要(同会1年生、主人公):
 そうだ! 韓国の良いところも悪いところも含め、もっと知らなくては! そこから真の日韓友好が始まるんだ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 こういう本が「危険」視されるということは、逆に「韓流」しか語らない今の日本のマスコミの方が「危険」な偏向報道を行っているという証左だろう。今回は、この漫画の第8話「日韓併合の真実」の一部をご紹介しよう。


■2.「韓日友好のために言論封鎖ですか?」■

「日韓併合」をテーマに、極東アジア調査会は来日した韓国の大学生6人のチームとディベートを開催することになった。極東アジア調査会から出場したのは、添内多枝と荒巻いつみの二人の女生徒のみ。男子は風邪や失恋ショックなどで全員欠席。

「何なのよ。ウチのサークルの男ドモは」といつみは怒るが、多枝は「まあ、いいんじゃなくて? 量よりも質! それよりも韓国人の『恨(ハン』のパワーを甘く見てはダメよ」と冷静だ。ディベートが始まる。

__________
韓国: 韓国を植民地化した日本政府は謝罪や賠償を行うべきだ!

いつみ: あれ? 謝罪は何十回も行われていますよ。経済協力金という名の補償もしていますし。(弊誌注:無償3億ドル、借款2億ドル[a])

韓国: 謝罪した後で、それを覆すような発言をしたら、また謝罪しなければならないのは、当然だろ! 日本の政治家が妄言を言わなければ良いのだ!!

いつみ: そんなこと言われても日本は言論の自由がある国ですし、思想の自由も保障されています。韓日友好のために言論封鎖ですか? 日本は全体主義国家になるべきとでも?

韓国(怒って): あんた達みたいな右翼がいるから、韓日は友好的になれないんだ!!

いつみ: 逆ですね。済んだことをいつまでも蒸し返すあなた達みたいな韓国人がいるから、日韓は仲良くなれないのです。日本と韓国は1965年に国交を結んだとき、過去については清算したはずです。[a]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■3.なぜ日本は韓国を併合するという道を選んだのか?■


「そろそろ歴史について語り合いましょうか」と司会者が水を向けた。

__________
いつみ: なぜ日本は韓国を併合するという道を選んだのか?まず当時の世界情勢を簡単に説明すると、欧米列強はほぼアジア全域を植民地にしていて、最後に残ったのが極東地域だったの。日本は欧米の支配から逃れるために近代化と富国強兵を急ぎましたが、日本にとって朝鮮半島の位置は脇腹に突き立てられた短刀のようなもの。そこで朝鮮に独立と近代化を求めました。

 しかし朝鮮は全く独立の気配を見せず、清の属国であることをやめようとしなかった。だから日清戦争後、朝鮮を独立させたのよ。[b]

韓国: ちょっと待ちなさい。朝鮮は半万年、独立国家よ。歴史を捏造しないで。どっちにしても韓国にとって日本が侵略国であることは間違いない。日清戦争前に朝鮮は中立宣言したのに!

多枝: その中立宣言を出した数日後に、清に出兵要請を出していますけどね。(いつみ:「うわ 汚すぎ」) 中立なんて最初から嘘なのよ。なぜなら朝鮮は華夷秩序に組み込まれた中国の属国なのですから!![c]

 その頃世界では欧米列強がアジア侵略を進め、日本はその動きへの対応を迫られていた。日本にとって朝鮮が欧米の領土になることは国防上、到底容認できなかった。それで国際法上の手続きを遵守して世界が認めた上で併合したのよ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


■4.「日本と合併するしか韓国が生き残る道はなかったのよ」■
__________
韓国: しかし、、、韓国人は併合なんで望んでいなかった。

多枝: いいえ、それは違ってよ。韓国人自身も日韓併合を望んだのよ! 韓国最大の政治組織である一進会が併合を主張したのよ。日本との連帯によって文明開化を成し遂げようと考えたのね。彼らは日本の力で朝鮮での維新を目指したのよ。

 結果、韓国は日本に併合されたけど、近代法治国家となって奴隷制度が廃止され、日本が整備したインフラの恩恵を受け、李氏朝鮮時代とは比較にならない近代的な暮らしを手に入れたのよ。

韓国:(机をバンと叩いて)捏造にもほどがある!! その頃は安重根義士のような日帝の支配に抵抗した英雄もいるんだ!!

いつみ: ああ、韓国併合に慎重な姿勢を示し、併合賛成派を抑えていた伊藤博文を殺害したテロリストね。

多枝: 彼のテロ行為が併合への動きを加速させたのよ。

韓国:(青ざめて)嘘だ。嘘だ。嘘だ。

いつみ: 政治は腐敗し、官吏は無能、農民は搾取され、改革派と保守派の政争で国力は衰え、伊藤博文という韓国の良き理解者を愚かなテロ行為によって自ら失い、もはや日本と合併するしか韓国が生き残る道はなかったのよ。

韓国: むぅ、、、うむむ、、、うぐぐぐ、、、

いつみ: 事実を直視する勇気を持ちたいわね。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■5.「世界一過酷な植民地支配」?■


「そろそろ議論を併合後に移してください」と司会者。

__________
多枝: まず韓国人がよく主張する「日本は韓国からいろいろなものを奪った」というのは、幻想にしか過ぎません!!

韓国: ふん、世界一過酷で血も涙もない日帝の植民地支配は歪曲しようにも無理なんだよ。

多枝: 日本は朝鮮に道路・鉄道・電力など数々のインフラを整備、さらに近代医療の導入と農業生産力の向上により、人口を倍に増加させ、奴隷制度を廃止し、教育制度を充実して、ハングルを普及させた。これらのどこが「世界一過酷な植民地支配」なのかしら。

 それらに使われた資金は全て日本からの持ち出しなのよ!!これでもまだ「世界一過酷」などと主張したいのならば、全ての資産を返還してからにすべきです!!

韓国: 何が持ち出しだ! 当時の朝鮮は土地を奪われ、農作物を奪われ、地下資源を奪われ、日帝に滅亡寸前にまで追い込まれたんだ!!

いつみ: ではなぜ朝鮮半島が日本から独立するときに莫大な資産が残っていたのでしょうね? (日本が朝鮮半島に残してきた資産 軍事用資産を除き約52億ドル 連合軍総司令部民間財産管理局調べ)

 日本はですね。韓国を併合して植民地ではなく、日本の一地方としたからこそ財政負担してまで朝鮮地方に近代化を施したのです。

韓国: 誰がそんなこと頼んだ!

いつみ: 一進会をはじめとする多くの革新派の朝鮮人達よ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■6.「無為無策だった当時の朝鮮人に責任はないのですか?」■
__________
いつみ: 日本は欧米の侵略から防衛のために朝鮮を併合せざるをえなくなり、その結果、朝鮮人の生活向上のために大変な財政的負担を強いられたのです。日本の納税者は朝鮮人のために搾取されたのよ!

多枝: 併合した以上、朝鮮人も日本国民ですけどね。そして日本国民となった朝鮮人は大いなる利益を受けたわ。自らの手では不可能だった近代化を日本の資金と技術、日本人の血と汗で成し遂げることができたのですから。現在の韓国は日本が造ったと言っても過言ではなくてよ!!

韓国: キレイ事ばかり並べているけど、それらは日本の利益のために行ったことで、朝鮮人のためではないわ!

多枝: 確かに併合は国防上の理由から行われたことですが、朝鮮人のためにもなったはずですよ。

いつみ: 当時を知らない今の韓国人は併合のプラス面を無視して日本だけを悪く言いますが、果たしてそれで良いのでしょうか? あの弱肉強食の時代に無為無策だった当時の朝鮮人に責任はないのですか? 日本人が欧米の植民地にされないよう必死で富国強兵に務めていたとき、朝鮮人は何をしていたのですか!?

韓国: うぐぐぐ...か、韓国の...植民地にされる前の歴史は...関係...ない...
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


■7.朝鮮の近代化のために懸命に働いた多くの日本人の夢■
__________
多枝: 現在も朝鮮半島には日本人が造った道路や建物、橋、ダムなどが残っているはずよ。それらは朝鮮の近代化のために懸命に働いた多くの日本人の夢の残骸なのよ。[d]

(聴衆、シーンとなる)

 想像してみて...当時の朝鮮には日本人と朝鮮人が手を取り合って朝鮮を豊かにしようと励んでいる姿がまぶたの裏に浮かんでこないかしら...あの時代...確かに日本人と朝鮮人の友好関係は存在したのね...

韓国: (机をバンと叩いて)そんなこと、あるものか!!朝鮮民族は主権回復のために三一運動などの様々な独立運動を起こし、民族解放に向けて抵抗してきた! 友好関係などどこにもない!!

いつみ: 併合してしばらくはそのような抵抗があってもそれは仕方がないことじゃないかしら。朝鮮には改革派も守旧派もいたわけですし。韓国側の要望もあって併合という形になったのに、その恩も忘れてテロや暴動を起こすなんて身勝手にもほどがあります!

(聴衆: 「そうだよな」「資金援助してもらっておいて反日だとか、ムカつくよね」とザワザワ)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


■8.日本人と朝鮮人が協力して生活していた場所■
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多枝: 韓国人は自分の都合の良いように歴史を歪めてばかりいますが、併合時代の記録の全てを隠滅してからでないと、すぐにバレてしまいましてよ! これらの写真が日本の統治時代の真実を雄弁に語っておりましてよ。(併合前の貧しいソウルの光景と、併合後の近代化された光景の写真を見せる)

 終戦時に朝鮮半島にいた日本人は人口比で3%にも満たなかったわ。つまりこれら近代的な都市整備やインフラは朝鮮人のために用意してあげたと言っても過言ではないのよ!・・・

いつみ: 当時の朝鮮で生活していた方々の話に耳を傾けてください。日本人も朝鮮人もなく同じ人間として生活していたという話が聞けるはずです。

 当時の朝鮮半島は日本人と朝鮮人が協力して生活していた場所だったのです。たとえば知事ポストの4割を朝鮮人が占め、郡長・村長に到ってはほぼ全てを朝鮮人が占めていました。

多枝: そして驚くべきことに、なんと警察官の6割が朝鮮人だったのよ。朝鮮半島を支配するために警察力による武断政治を実施したと韓国人は叫ぶけど、警察幹部の3割、警察全体の6割が朝鮮人によって占められていたのです。
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■9.日韓友好の理想形が過去にあった■
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いつみ: 現在マスコミは日韓友好を唱えていますが、実は限りなくそれに近い理想形がすでに過去にあったのです。日本人と朝鮮人が手を取り合って、朝鮮半島で暮らしていた日々が。・・・[e]

今、私達が行うべきことは過去を正確に知ることです。感情論や自虐・贖罪史観では本当の歴史は見えてこないのです。併合下での35年間、日本と朝鮮の人達が手を取り合って朝鮮の近代化に努めた歴史を後世に語り継いでいかなくてはなりません。
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 いつみの言う「過去を正確に知ること」が、日韓の真の友好への道である。



(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(380) 筋を通した日韓交渉


 日本政府は足かけ14年もの交渉で筋を貫き通して、「完全かつ最終的な解決」にこぎつけた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h17/jog380.html

b. JOG(254) 「親日派のための弁明」を読む
 私たちは国を奪われたのではなく、日本というましな統治者を受け入れたのである。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog254.html

c. JOG(201) 韓国の歴史教科書拝見
 「朝鮮は中国の属国ではなかった」とする韓国の歴史教科書にもの申す。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h13/jog201.html

d. JOG(056) 忘れられた国土開発
 日本統治下の朝鮮では30年で内地(日本)の生活水準に追いつく事を目標に、農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発が図られた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h10_2/jog056.html

e. JOG(204) 朝鮮殖産銀行の「一視同仁」経営
 朝鮮農業の大発展をもたらしたのは、日本人と朝鮮人の平等・融和のチームワークだった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h13/jog204.html



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