愛国保守のメルマガ特集

現在の日本は危険な状態です。国内に反日勢力が蠢いています。在日朝鮮人、中国人がいます。また、外国のスパイが野放しです。

李明博氏 ベトナム政府の逆鱗に触れ国賓訪問一時拒否された

2014-03-18 23:35:25 | 政治
李明博氏 ベトナム政府の逆鱗に触れ国賓訪問一時拒否された



「韓国人は横柄だ」「乱暴だ」「ずるい」「嘘をつく」「信用できない」。欧米はもとより、アジア諸国で嫌韓ムードが広がっている。ベトナム国民がどう思っているかを紹介しよう。

 ベトナム戦争(1960~1975年)に参戦した韓国軍が暴虐の限りを尽くしたことは世界的に知られている。それを詳らかにしたのは韓国人ジャーナリストだった。1999年当時、韓国紙『ハンギョレ新聞』ベトナム通信員だった具スジョン女史は、同紙の系列週刊誌『ハンギョレ21』で韓国軍の蛮行をリポートした。

「1965年12月22日、韓国軍はビンディン省クイニョン市の村を急襲し12歳以下の子供や妊婦を含む50人以上の村民を虐殺した。韓国兵は2歳の子供の首をへし折って殺害し、別の子供は木に投げつけられ殺害後、焚き火に放り込まれた」(『ハンギョレ21』1999年5月6日号より)

 韓国兵は現地女性を見れば強姦し、凌辱の末、焼き殺すこともあった。殺害を免れた女性たちの中には「ライダイハン」と呼ばれる戦争犯罪の落とし子を身籠る者も多数いた。当時、サイゴン支局に赴任した元朝日新聞の井川一久氏は街中でベトナム人に囲まれ、「ダイハン!」(大韓)と呼ばれた。韓国人と間違われて憎悪の目を向けられたのだ。

 しかしその後も韓国人に反省の色は皆無だった。そればかりか、2009年の李明博政権はベトナム帰還兵を称えるため「国家有功者優遇法」の改正を急ぎ、ベトナム政府の逆鱗に触れた。李大統領はベトナムへの国賓訪問を一時拒否されるなど異例の事態を引き起こしたが、未だに韓国政府は戦争犯罪を償っていない。

 朴槿惠大統領も態度を改めず、昨年のベトナム訪問ではセールス外交に終始した。周知のとおり、ベトナム派兵を決めたのは父の朴正熙だ。償いもなく、金儲けの話ばかりしていては嫌韓感情が高まって当然だ。

※SAPIO2014年2月号


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ベトナム 50歳以上、年の差16歳以上の韓国男性との結婚禁止

2014-03-18 23:29:02 | 政治



ベトナム 50歳以上、年の差16歳以上の韓国男性との結婚禁止


李明博大統領の竹島上陸、天皇陛下への不敬発言があって、日本人の「嫌韓感情」に火がついている。しかし、嫌韓は日本だけではなくアジア各地にも広がっている。ベトナムの例をジャーナリストの山村明義氏が紹介する。

 * * *
 2010年7月、慶尚北道清道郡に住む37歳の韓国人の夫が、20歳のベトナム人新妻を、韓国に来てわずか1週間で殺害するという悲惨な事件が発生した。前年の2009年7月にも、釜山市で精神疾患を患った韓国人男性がベトナム人妻を殺害する事件が起きた。

 その以前から、「韓国人は、女性を商品のように扱う」とベトナム主要紙が韓国を批判的に報道していた経緯もあり、ベトナム・韓国間の外交問題になっていた。

 実際にベトナム政府は2011年以降、「満50歳以上、または年齢差が16歳以上」の韓国人男性とベトナム人女性との国際結婚を禁止する厳しい制限規定を設けた。

 先進国で韓国以外の国が規制対象になることはあり得ないだろう。海外商社の現役ベトナム駐在員が語る。

「一般的にベトナム人には、ベトナム戦争時代、韓国人兵士との間に混血児として生まれた“ライタイハン問題”への悪感情が今なお残っているため、韓国人への嫌悪感が強い。それでも最近、ベトナムへの著しい経済進出で、大人しいベトナム人女性と国際結婚したがる韓国人男性が増えてきた。

 一昨年7月のベトナム人新妻惨殺事件でも、ベトナム政府は、あまりにも多い韓国人男性による殺害事件の再発防止のため、男性の財産や病歴などの情報提出を求めたほど。ベトナム人女性を韓国へ連れ帰る際には平気で“韓国の生活は良い”と嘘をつき、“ベトナム人女性は逃げ出さない”などと見下す。DV(家庭内暴力)などの事例が相次いでいるから、韓国人の評判は悪いままだ」

※SAPIO2012年10月3・10日号


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韓国農村部に嫁いだベトナム人妻を韓国人夫が虐待する例頻発

2014-03-18 23:23:40 | 政治

韓国農村部に嫁いだベトナム人妻を韓国人夫が虐待する例頻発



最近、アジア諸国で嫌韓ムードが広がっている。その中でもベトナム人からは恨みの声が聞こえてくる。

 かつてベトナム戦争(1960~1975年)に参戦した韓国軍は、現地で陵辱、虐殺行為を行い、「ライダイハン」と呼ばれる戦争犯罪の落し子を身籠るベトナム人女性問題は現在に至るまで大きな禍根を残しているが、韓国人は今でも違う形でベトナム人女性を蹂躙し続けている。「ベトナム人花嫁問題」だ。

 嫁不足に悩む韓国の農村部では、2000年代からベトナム人やカンボジア人の花嫁を積極的に受け入れてきた。しかし、国際結婚斡旋業者の甘言に騙され嫁いだベトナム人妻を、韓国人夫が虐待するケースが頻発。妻が自殺に追い込まれたり、夫から激しい暴行を受けた末、惨殺される事件も起きている。2007年に夫に惨殺されたベトナム人妻(19)は、肋骨が18本も折れた状態で、死亡から8日後に自宅で発見された。

「ベトナムの人々も当然、こうした事件の数々を知っていますから、韓国人を快く思うはずがない。しかし当の韓国人はベトナム人の感情などまったく意に介さない。

 ベトナムの韓国系企業では、韓国人社員が女性従業員を殴ったり、人前で怒鳴りつけるなどしてストライキが起きることが度々ありました。ベトナム人は恨みつらみを口にしませんが、過去の傷を忘れることはないでしょう」(元朝日新聞サイゴン支局長・井川一久氏)

※SAPIO2014年2月号



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ベトナム戦争 韓国軍による凄まじき「ゴダイの大虐殺」の証言

2014-03-18 23:06:41 | ライダイハン


ベトナム戦争 韓国軍による凄まじき「ゴダイの大虐殺」の証言





2014.03.17 07:00




 ベトナム南部最大の商業都市ホーチミンから、飛行機で約1時間北上するとクイニョンに到着する。南シナ海に面したこの港町は今、静かなリゾート地として旅慣れた観光客の間で人気のスポットになりつつある。

 そのクイニョンの中心地から、かつてゴダイ集落と呼ばれた農村部へと向かうと、リゾートの雰囲気は一変。そして気付かされる。ここがベトナム戦争時、韓国軍による「ゴダイの大虐殺」があった血なまぐさい戦場であったことを──。

 ベトナム問題に詳しいフォトジャーナリストの村山康文氏は、先月末までベトナム戦争時の激戦地を訪れた。このゴダイ集落を訪れた時、韓国軍による大虐殺の凄まじさを知ったという。

 その集落の村のひとつ、タイヴィン村があった場所には、現在、カラフルな壁画が建てられている。その鮮やかな色使いとは裏腹に、描かれている内容は悲惨そのもの。軍服を着た兵士たちの銃口が火を吹き、銃弾が村人たちの体を貫く。火あぶりにされる裸体の女性の姿も描かれており、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ。

“つり目”で表現された武装した軍人たち。彼らこそ、大虐殺の当事者である韓国軍である。右腕には、ゴダイ集落を襲撃した「猛虎部隊」の紋章である虎が描かれている。

 集落全体では、1966年1月23日から2月26日にかけて、1004人の民間人が虐殺されたという。

 15発もの銃弾を受けながら奇跡的に生き残ったタイヴィン村のグエン・タン・ランさん(62)が、当時を振り返る。

「韓国軍が村に来たのは朝9時ごろ。100人以上の歩兵が次々と村に入り、全25世帯、65人の村人を一か所に集合させました。韓国兵はその中から、年頃の娘を見つけると、彼女を集団から引き離し、村人の前で輪姦を始めたのです。

 兵士たちに銃を突きつけられた娘はなす術なく、代わる代わる暴行されました。そして、最後の兵隊が事を済ませると、彼女を撃ち殺したのです。その一部始終を見せつけられた村人が怒り狂い、韓国兵に襲いかかろうとしましたが、その場で射殺されました。韓国兵は私たちを1度に殺さず、数人単位で射殺していきました。私の両親や親族も殺されました」

 この壁画は、タイヴィン村での虐殺を忘れないための記念碑のようなものだという。その傍らにはゴダイ集落で虐殺された380余人の名前が刻まれた慰霊塔も建っている。そこには「韓国軍が行なった非道は忘れない」という内容の文字も書かれていた。

※週刊ポスト2014年3月28日号



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韓国軍が民間人135人殺した「ハミの虐殺」 石碑に犠牲者の名

2014-03-18 22:52:34 | ライダイハン
韓国軍が民間人135人殺した「ハミの虐殺」 石碑に犠牲者の名



2014年03月18日 07時00分提供:NEWSポストセブン




「誤りを認めない指導者に、新しい未来を開いていくことなどできない」──3月1日、独立運動記念式典で韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は日本をそう批判した。その言葉、そのまま朴氏にお返ししよう。韓国軍こそ、ベトナムで何をしたのか。現地取材で判明した韓国軍による蛮行を明かす。

 ベトナム戦争で派遣された韓国軍は、1966年1月から2月にかけてビンディン省ゴダイ集落で1004人の民間人を虐殺した。

 ベトナム中部のクアンナム省のフォンニャット村は、非常に小さな農村だ。ここでも韓国軍によって虐殺が行なわれた。当時14歳だったトワン・ヴァン・ディエップさん(60)が涙ながらに語った。

「早朝、100人以上の韓国兵が突然押し入って来た時、私は慌てて家の中に逃げ込みました。家には両親と6歳の弟がいましたが、動揺した弟は私たちの制止を聞かず家の外に飛び出てしまい、韓国兵に撃ち殺されました。まだ幼い弟を殺された両親と私は恐怖と悔しさに震え、ただ家の中で息を潜めるしかなかった。

 隙間から外の様子を窺うと、40人ほどの村人が一か所に集められ、銃弾を浴びせられているのが見えました。やがて私たち一家も見つかり、外に連れ出され、両親を目の前で射殺されました。

 逃げようとする私にも銃を乱射してきました。右足に銃弾を受けて倒れ込んだ私は、死んだふりをして韓国軍の襲撃をやり過ごすことができたのです。韓国軍は民家に火を放ち、村全体を焼き払いました」

 フォンニャット村周辺では74人が犠牲になった。わずかな生存者となったディエップさんは過去を忘れようと努力したが、「40年以上経った今でも心の傷は癒えない」と声を震わせた。

 さらに北上すると、ベトナム戦争最大の激戦地のひとつ、ダナンに着く。そこから20キロメートルほど南へ下るとハミ村がある。1968年2月25日、135人もの民間人が無差別に殺された「ハミの虐殺」の地である。

 犠牲者の慰霊廟が建てられていた。荒れ果てた野原に建つ慰霊廟の横には、犠牲になった135人全員の名前が彫られた石碑があった。女性が97人も含まれ、生年月日から紐解くと0~9歳までの子供が57人も確認できた。

 殺戮と破壊──これがベトナム戦争で韓国軍が行なったものだと、現地の人々は口をそろえた。

※週刊ポスト2014年3月28日号



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