愛国保守のメルマガ特集

現在の日本は危険な状態です。国内に反日勢力が蠢いています。在日朝鮮人、中国人がいます。また、外国のスパイが野放しです。

韓国問題-歴史編 第3部 「お家の事情」の歴史観 : 歴史は国民の背骨

2014-06-16 16:16:37 | 韓国問題

韓国問題-歴史編 第3部 「お家の事情」の歴史観
歴史は国民の背骨

 中韓の間の歴史紛争を見れば、歴史問題の重要性が理解できる。
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第3部では、特異な韓国史観を見てきましたが、前号ではそれが我が国の歴史教科書に大きく影響を与えている様をご紹介しました。しかし、それが我が国の中で、大きな問題となっていないのは、我々が、自分達の歴史に真剣に向き合ってないからではないでしょうか。

 中国と韓国の間の激烈な歴史論争を見ていると、その内容自体の妥当性はひとまず置くとしても、両国の真剣さに比べて、我々は何か大事な事を忘れているのではないか、と思えてきます。

 本講座の最終号として、この点を考えて戴けたら、と希望します。

  本編にて、ステップメール講座「韓国問題 歴史編」を終了します。4ヶ月半にわたる御受講ありがとうございました。

 JOG週次最新号は引き続き、お送りします。また別のステップメール講座も開講次第、毎週のJOGにて御案内いたしますので、よろしくお願いいたします。

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 中国と韓国は、日本に対して歴史観の問題で、いろいろ言ってくるが、実は両国の間でも「歴史紛争」が勃発している。これを見ていると、「歴史」が政治や外交に持つ意味がよく分かる。

 
中韓歴史紛争の発端は:

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 韓中の“歴史紛争”は昨(2003)年夏、中国社会科学院傘下の歴史研究組織が高句麗の歴史を「中国の地方史」と位置付ける大掛かりな「東北工程(プロジェクト)」を推進していることが韓国に伝わり大騒ぎとなった。

 高句麗は紀元前後から七世紀にかけ、朝鮮半島北部から中国大陸(旧満洲)にかけて存在した朝鮮族の国家とされる。しかし中国は現在の領土を基準にその領域内の歴史を「中国史」とし、辺境民族の歴史的な独自性を否定する動きを見せている。

このため韓国では「中国による歴史侵略」「歴史覇権主義」などと非難を高め、逆に現在の中朝国境地帯の朝鮮族自治州などを「中国に奪われた領土」として“奪還”を主張する声さえ出ている。[1]
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 2004年には、中国外務省のホームページ資料の韓国史に高句麗の歴史が含まれていないことが判明し、韓国外務省は「高句麗の歴史はわが民族のルーツであり、民族の基本にかかわる重大な事柄。




中国政府が善隣友好の精神に立ち歴史歪曲(わいきょく)を直ちに中断するよう、深い関心をもってその態度を注視している」と強い遺憾の意を表明した。

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 韓国政府の抗議を受けた中国政府は、韓国側の「高句麗史復活の要求」を無視したまま問題の古代史部分の全体を削除してしまった。中国としては非難をかわすため問題部分をはずしたものだが、韓国側は「ごまかしだ」として逆に反発を強めている。[1]
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 その後、両国政府は事態の改善で“合意”していたが、中国の歴史侵略は止まるところを知らない。

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 ところが最近、中国科学院の歴史研究書が高句麗史の“中国化”をさらに推し進めているほか、韓国が韓民族国家だったとする渤海国(7~10世紀)についてもこれを否定。




また古代中国の支配圏が現在のソウル付近にまで広がっていたとする内容が含まれるなど「中国史の膨張ぶり」が判明し韓国の学界や世論を刺激している。[2]
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中国の手は「韓民族の聖地」白頭山にまで及びつつある。

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 中朝国境地帯にある白頭山(中国名・長白山)をめぐって韓国と中国の間で“争奪戦”が始まっている。




中国が最近、白頭山での2018年冬季オリンピック誘致計画を発表するなど、白頭山一帯の開発と国際的知名度アップに力を入れているためで、これに対し韓国側では「“韓民族の聖地”である白頭山から韓国(朝鮮)イメージを排除し、ひいては白頭山を中国の山にしてしまおうとする陰謀」として強く反発している。[3]
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 相手の出方を見ながら、隙を見せれば、ひたひたと寄せていく中国のやり方は、日中中間線での海底油田開発でもおなじみである。一方、韓国の方も反撃に出る。

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「上海は韓国の古代王朝の領土だった」とする韓国の学者が出版した歴史書が、中国の新聞に紹介され、同国内で大きな波紋を広げている。ネットの掲示板には「非常識」「無責任だ」といった反論が殺到。

日本の竹島の領有権をめぐっては「日本が韓国の領土にちょっかいを出す」などと韓国寄りの書き込みが大半だったが、自国のこととなるとさすがに放っておけず、「朝鮮半島こそ中国領だった」といった書き込みであふれ、韓国批判一色となっている。[4]
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 民間の一学者の研究書だが、JOG(261)[a]でも紹介した「百済の王室が日本を制圧して天皇家となった」とか、「万葉集は朝鮮語で書かれている」というのと同様の「トンデモ史観」の一つにしか思えない。歴史侵略の方法としては、中国の方がはるかに巧妙である。

 こうした中韓歴史紛争の背景を、産経新聞の「主張 みんな歴史に真剣なのだ」が見事に解き明かしている。

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 中国としては現在の領土を絶対視し、その領土内のすべての歴史を「中国の歴史」に編入し「中国の偉大さ」や「大きさ」を確認するという意図のようだ。




経済発展で自信を深めている中国の、膨張主義ないし大国主義的な国家意識、民族意識の高まりが背景にあることは間違いない。

一方、韓国の方はかねてから中国大陸にまで広がった高句麗に郷愁があり、隋や唐と戦った高句麗の歴史は大きな誇りとして民族的な“元気の素(もと)”になってきた。

 韓国はそうした歴史を意識することによって自らを支え、民族の将来に希望や期待を持つこともできたというわけだ。この「民族の歴史」が否定されるとあっては黙っておれない。




マスコミや学者はもちろん、政府当局者まで「民族の根幹にかかわる重大問題」と中国の“横暴”を非難している。[5]
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 中国の歴史侵略や、韓国のトンデモ史観はいただけないが、両国が自分の歴史を守ろうとする真剣さは、我々日本人も見習うべきだろう。

 歴史で攻撃されたら、とにかく友好のために、事実の確認もせずに謝って水に流そうというのは、現在の日本人の悪しき習性である。




歴史は一国の国民の背骨である。背骨が折れたり、曲がったりしては、その国民は国際社会の中で、背筋を伸ばして歩けないのである。

■リンク■
a. JOG(261) 韓国製トンデモ日本史
 日本は百済の残党が土着原住民を制圧して作った国?!
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog261.html


■参考■
1. 産経新聞「高句麗帰属問題 韓国、中国に“抗議” 歴史紛争、
外交問題へ発展」、H16.08.07 東京朝刊 1頁
2. 産経新聞「【緯度経度】ソウル・黒田勝弘 好ましい韓中歴史
紛争」、H18.09.16 東京朝刊 7頁
3. 産経新聞「韓中が白頭山“争奪戦”」H18.09.09 東京朝刊
6頁
4. 産経新聞、「韓国学者『上海は新羅の領土』 『非常識』中国
で大反論」、H18.05.17 大阪朝刊 7頁
5. 産経新聞、「【主張】高句麗論争 みんな歴史に真剣なのだ」
H16.08.16 東京朝刊 


韓国問題-歴史編 第3部 「お家の事情」の歴史観 : 3-7 韓国史観と日本史教科書

2014-06-16 16:10:10 | 政治

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韓国問題-歴史編 第3部 「お家の事情」の歴史観
3-7 韓国史観と日本史教科書

 韓国に関する記述を読み比べると、我が国の歴史教科書の中に韓国の反日史観が組み込まれている様が見えてくる。
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■1.韓国からの異常な干渉■

 4年に一度の中学校の教科書採択作業が進んでいるが、扶桑社の歴史・公民教科書の採択阻止に向けて、今回は韓国からの干渉が目立つ。

 松山市には6月30日、韓国の友好都市・平澤(ピヨンテク)市から市民訪問団十人が訪れた。松山市と市教委、愛媛県、県教委に扶桑社版教科書の不採択を求める要請書を渡す手はずだった。


 しかし、県教委は「採択に関する面会には応じられない」と拒否。この訪問は、特定県議や県内の政治活動家らが訪韓して要請したものだった。[1]

 栃木県大田原市が扶桑社の採択を決めると、韓国外交通商部・李揆亨スポークスマンは「韓国政府は、わい曲された歴史教科書の採択が、日本の育つ世代に過去歴史に対する誤った認識を与え、不幸な歴史を繰り返しうるとの点について、非常に深刻に憂慮している」と発表した。[2]

 友好都市関係を利用して、他国の教科書採択に影響を与えようと活動するのは、「友好」の悪用である。また外国政府が公式にこのような発表をすることは異様な内政干渉としか言いようがない。

 なぜ韓国側は扶桑社教科書に異常な敵意をぶつけてくるのか。各教科書の韓国に関連する部分を読み比べてみれば、その理由が見えてくる。[3]


■2.どのような人物を紹介しているか■

 学習指導要領には「国家・社会及び文化の発展や人々の生活の生活の向上に尽くした歴史上の人物と現在に伝わる文化遺産を、その時代や地域との関係において理解させ、尊重する態度を育てる」とある。

 まず近世近代で国民によく知られた著名な人物を紹介している教科書を挙げると(単に名前を挙げるだけで人物紹介になっていない教科書を除く):

二宮尊徳:  扶桑のみ
明治天皇:  扶桑のみ[a]
東郷平八郎: 扶桑のみ[b]
渋沢栄一:  扶桑のみ[c]
昭和天皇:  扶桑のみ[d]

 次に、他の教科書では一般国民があまり聞いたこともないような朝鮮人が紹介されている例が目立つ。(東書:東京書籍、大書:大阪書籍、教出:教育出版、日書:日本書籍新社、日文:日本文教出版)

李舜臣(秀吉の朝鮮出兵の際の朝鮮の将軍):東書、日文
閔妃(日本の浪人に殺害された朝鮮王妃):日書
安重根(伊藤博文を暗殺した朝鮮人): 帝国、日文
柳寛順(三・一独立運動で逮捕され、獄死した少女):帝国、日文

 日本文教出版の教科書で学んだ中学生は、二宮尊徳、明治天皇、東郷平八郎、渋沢栄一、昭和天皇は知らないが、李舜臣、安重根、柳寛順は知っているということになる。


■3.「帰化人」か「渡来人」か■

 古代日本における帰化人の果たした重要な役割は否定できない。ただ、扶桑社だけが「帰化人(渡来人)」と呼び、他の7社の教科書はすべて「渡来人」と呼んでいる。

「渡来人」とは物理的な移動を指すのみだが、「帰化人」はその国の法的・政治的秩序に従い、その共同体の一部となった人びとを指す。朝鮮から古代日本にやってきた人々は、独立王国を築いたわけではなく、日本という共同体の一員として同化していった「帰化人」である。

 これをことさら「渡来人」とするのは、現在の一部の在日韓国人、朝鮮人が帰化を拒否する心情に阿っているかのようだ。


■4.聖徳太子の対隋対等外交の意義■

 聖徳太子の対隋対等外交をきっかけに、日本は中国の冊封体制(中国の皇帝に朝貢し、その土地の王として認めて貰う事)から離脱し、独自の文明圏としての歩みを始める。それに対して、朝鮮は近代に到るまで冊封体制の優等生であった。[e]

 扶桑社は太子の狙いを明確に記述している。

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 このときの隋の皇帝にあてた手紙には、『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや』と書かれていた。太子は、手紙の文面で対等の立場を強調することで、隋に決して服属しないという決意を表明したのだった
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 これに対し、日本文教出版は「小野妹子らを、隋に派遣した」、教育出版も「隋との国交が開かれ、小野妹子らが遣隋使として送られました」と結果を記すのみで、太子の意思がまったく書かれていない。

 東京書籍では「東アジアでの日本の立場を有利にし、中国の進んだ制度や文化を取り入れようと、小野妹子らを隋に使わし(遣隋使)、多くの留学生や僧を同行させました」とあるが、これでは隋との友好が日本の立場を有利にするという意味にもとれ、独立対等外交の意義が伝わらない。

 特に「東アジア世界の朝貢体制と日本」という一頁の主題学習では、「中国は、古代から近代にかけて、朝鮮や日本など、周りの国々との間に『朝貢』とよばれる関係を結びました」とあり、日本が韓国と同様、近代まで中国に服属していたかのような誤解を与える。

■5.元寇をどう記述しているか■

 元寇は、モンゴル帝国による世界征服に対する我が国の独立維持の戦いであった。


  フビライの最初の国書が「応じなければ武力を用いる」、二度目の国書が「日本の人民と土地の略奪」と明言している事実からも、モンゴルの武力恫喝と侵略意思は明白である。

 この点、扶桑社はフビライが「独立を保っていた日本も征服しようとくわだて」と、日本侵略の意図を明記している。

 ところが、日本教文出版は「服属をこばんだ日本に大軍を送ってきた」、教育出版は「服従しようとしない日本に遠征軍を派遣しました」などと記している。


  素直に服従していれば、戦争は避けられた、とでも、言いたいかのようだ。戦後の無抵抗平和主義の表れであろうか。

 大阪書籍は「武力を背景に」とするのは正確だが、「国交をせまりました」は、服属を国交に言い換えており、史実を歪曲している。

 東京書籍は「日本を従えようと」、日本書籍新社は「服属」、清水書院は「日本もしたがえようと」、帝国書院「朝貢と服属」などは正確な記述だが、それが武力恫喝を伴うものであった事を記していないのは片手落ちである。


■6.「高麗の抵抗」■

 元寇に際して日本側は挙国一致で激しく戦い、敵軍の上陸を2ヶ月近くも防ぎ、それが結果的に暴風雨によるモンゴル軍の全滅につながった[g]。

 ところが不思議なことに、鎌倉武士の勇戦より、高麗の抵抗を重視している教科書がある。教育出版は本文で「10世紀初めに建国された高麗がはげしく抵抗し、30年以上も戦いが続きましたが、ついには元に服従させられました」と記し、側注で「高麗で三別抄とよばれる軍が3年にわたって抵抗をおこしたため、元の日本遠征はおくれました」と述べている。

 一方、元軍と日本との間では「はげしい戦いがおこなわれました」としか記していない。「武士の勇戦」よりも「高麗の抵抗」を強調しているのである。

 同様に、清水書院と帝国書院も「高麗の抵抗」に字数を割き、「そのために日本遠征はおくれた」(清水)、「日本への遠征を大幅に遅らせました」(帝国)などと、高麗が日本を助けたような書きぶりである。これでは襲来してきた元軍には二度とも高麗軍が参加していた歴史的事実を薄められてしまう。


■7.日本が他国を攻めたら「侵略」、攻められたら「遠征」■

 秀吉の朝鮮出兵に関しては、日本文教出版が「海を越える秀吉軍」、扶桑社が「朝鮮への出兵」と記した以外は、すべて「秀吉が朝鮮を侵略する」(日本書籍新社)「朝鮮侵略」(東京書籍)などと、「侵略」という言葉を使っている。

 ところが東京書籍、教育出版、日本書籍新社、帝国書院、清水書院は、元寇に関しては「遠征」「遠征軍」などという表現を用いている。


  『広辞苑(第5版)』によれば、「遠征」には「征伐」という言葉があり、「鬼を征伐する」などと言うように、征伐する方が「善」、される方が「悪」というのが一般的通念である。

 日本が他国を攻めたら「侵略」、攻められたら「遠征」では、常に悪いのは日本という事になる。

 また元寇では「対馬・壱岐二島の百姓らは、男はあるいは殺されあるいは捕らえられ、女は一カ所に集められ、数珠繋ぎにして舷側に結びつけられるなどの残虐な行為を受けた」(小学館『日本大百科全書』)が、これについては扶桑社が「略奪と暴行の被害を受けた」と記す以外、他の教科書には何の記述もない。

 しかし、秀吉の朝鮮出兵に際しては、朝鮮兵の供養のために建てた「耳塚」をあえて日本人の残虐性の象徴として紹介したり(教育出版・日本書籍新社・清水書院・帝国書院)、日本書籍新社に到っては、以下のような一文まで掲載している。

__________
 秀吉軍にしたがって朝鮮にわたることを命じられた一人の僧は、日本軍の残虐なふるまいに出くわし、「野も山も焼き払い、人を切り、人の首をしばる。そのため、親は子どもをなげき思い、子どもは親をさがし回るあわれな光景を見た」と日記に記した。
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■8.韓国併合をどう記述しているか■

 韓国併合に関しては、教育出版は以下のように述べている。

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 日本は韓国の抵抗をおさえて、1910(明治43)年、韓国を植民地とし(韓国併合)、韓国を朝鮮とあらためて、朝鮮総督府をおいて支配しました。
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 他の教科書も同様であるが、韓国併合に関して押さえておくべき、いくつかのポイントが書かれていない。

 第一に、武力を背景にしていたとはいえ、併合は韓国側の李完用・総理大臣が調印した「日韓併合条約」に基づいて、合法的に行われたという点である。


  これは日本政府の正式見解であり、今後の日韓国交上にも影響を与える重要なポイントである。この点は扶桑社を含め、どの教科書にも記述がない。[h]

 第二に、日本の韓国併合の目的は、植民地として搾取することではなかった。この点は扶桑社が「日本政府は、日本の安全と満洲の権益を防衛するために、韓国の併合が必要であると考えた」と指摘している。[i]

 第三に、この目的のためにも、「朝鮮総督府は植民地政策の一環として、鉄道・灌漑の施設を整えるなどの開発を行い」(扶桑社)、韓国の近代化に努めた。


  さらに、医療や教育の普及、大規模な植林などを行って、生活向上に努めた結果、1906年(明治39年)からの20年間で、人口が倍増したという点も述べておくべきであろう。[j]

 他の教科書は、このような点を述べないばかりか、大阪書籍などは「学校では、日本語や日本の歴史を強制的に教えました。このように朝鮮民族の歴史や文化を否定し、日本に同化させる政策を進めました」などと、述べている。


  史実は、韓国併合当初から昭和12(193)年頃までは、日本語とともに朝鮮語も学校で必須科目として教えられていたのである。


■9.二つの「終戦時の光景」■

 最後に、日本の敗戦をどう記述しているか、を見てみよう。扶桑社は「聖断下る」と題して、終戦時の光景を次のように記述している。

__________
 9日深夜、昭和天皇の臨席のもと御前会議が開かれた。ポツダム宣言の即時受諾について、意見は賛否同数になった。10日午前2時、鈴木首相が天皇の前に進み出て聖断をあおいだ。天皇は、ポツダム宣言の即時受諾による日本の降伏を決断した。


 8月15日正午、ラジオの玉音放送で、国民は長かった戦争の終わりと、日本の敗戦を知った。明治以降、日本の国民が初めて体験する敗戦だった。
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 先の大戦について、どのような意見を持つにしても、この終戦時の光景は、日本の長い歴史の中でも胸に刻むべき一ページである。

 一方、日本書籍新社は「ソウルの西大門刑務所から出獄した独立運動家たち」の写真を載せ、「日本の支配下で独立への願いを強めていたアジアの人々は、日本の敗戦とともにいっせいに立ち上がった」と書いている。

 教育出版も「1945年8月15日のソウル」という別の写真を載せ、「朝鮮をはじめ日本の植民地や占領地の人々は解放されました」と書いている。他の教科書もおおむね同様である。

 終戦時の記事で、戦場にもならなかったソウルの光景をなぜこれほどまでに取り上げねばならないのか? 韓国の歴史教科書なら、まだ理解もできるが。

 以上の読み比べから、なぜ韓国が扶桑社の教科書に異常な敵意をぶつけてくるのか、明らかだろう。扶桑社の教科書では、他社のように韓国・北朝鮮への贖罪意識を日本の中学生に植え付けられないからだ。


 李揆亨スポークスマンの「わい曲された歴史教科書の採択が、日本の育つ世代に過去歴史に対する誤った認識を与え」とは、まさにこの事を述べている。

 しかし、弊誌にも理解できないのは、なぜ他の教科書が揃いも揃ってこれほどまでに「韓流」なのか、という点である。この点は、出版界の事情に詳しい読者からの意見を待ちたい。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(267) 変革の指導者・明治天皇 ~ ミカドから立憲君主へ
 崩御された明治天皇を世界のマスコミは日本の急速な変革の中心者として称賛した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog267.html

b. JOG(399) 東郷平八郎 ~ 寡黙なる提督 (上)
寡黙なる提督に率いられた連合艦隊は、ロシア旅順艦隊を撃滅した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h17/jog399.html

JOG(400) 東郷平八郎 ~ 寡黙なる提督 (下)
 日本海海戦に向かう東郷提督の静かなる闘志
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h17/jog400.html

c. JOG(279) 日本型資本主義の父、渋沢栄一
 経済と道徳は一致させなければならない、そう信ずる渋沢によって、明治日本の産業近代化が進められた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog279.html

d. JOG(136) 復興への3万3千キロ
 「石のひとつでも投げられりゃあいいんだ」占領軍の声をよそに、昭和天皇は民衆の中に入っていかれた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog136.html

e. JOG(311) 聖徳太子の大戦略
 聖徳太子が隋の皇帝にあてた手紙から、子供たちは何感じ取ったのか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog311.html

f. JOG(057) 自主独立への気概
 7世紀にシナの册封体制から脱却し、独自の国号、年号、文字を確立した気概。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog057.html

g. JOG(207) 元寇 ~鎌倉武士たちの「一所懸命」
 蒙古の大軍から国土を守ったのは、子々孫々のためには命を惜しまない鎌倉武士たちだった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog207.html

h. JOG(380) 筋を通した日韓交渉
 日本政府は足かけ14年もの交渉で筋を貫き通して、「完全かつ最終的な解決」にこぎつけた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h17/jog380.html

i. JOG(254) 「親日派のための弁明」を読む
 私たちは国を奪われたのではなく、日本というましな統治者を受け入れたのである。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog254.html

j. JOG(056) 忘れられた国土開発
 日本統治下の朝鮮では30年で内地(日本)の生活水準に追いつく事を目標に、農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発が図られた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog056.html


韓国問題-歴史編 第3部 「お家の事情」の歴史観 : 3-5 朝鮮は中国の服属国ではなかったのか?

2014-06-16 16:06:02 | 韓国問題

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韓国問題-歴史編 第3部 「お家の事情」の歴史観
3-5 朝鮮は中国の服属国ではなかったのか?

「朝鮮は中国の属国ではなかった」とする韓国の歴史教科書にもの申す。
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■1.韓国による歴史教科書修正要求は内政干渉か?■

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「朝鮮を中国の『服属国』として表現したものは削除必要」
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 韓国はこのような修正要求を35項目、文部科学省の検定を終えたわが国の中学歴史教科書に対して、平成13(2001)年5月7日に突きつけてきた。



これは扶桑社の「新しい歴史教科書」だけでなく、他の7社のすべてを含んでいる。ついで、中国も5月16日に「新しい歴史教科書」に8項目の修正要求を行った。

 これに対して日本の世論は「不当な内政干渉」だ、という声が圧倒的であった。5月25日にテレビ朝日で放映された「朝まで生テレビ」の視聴者からの電話アンケートでは、有効回答数598件中、「明らかな内政干渉である」とする回答(286件)が、「要求されて当然だ」とする回答(117件)の2倍以上であった。

 検定途中に扶桑社版の不合格工作を元・外交官が行ったり、田中外相が「事実をねじ曲げていることを承知の上でつくった教科書を合格とするような検定制度は問題だ」と発言したりと、あいかわらず国籍不明の外務省は別にして、文部科学省、および、首相官邸の対応はおおむね毅然としたものであった

 遠山敦子・文部科学相は、韓国の修正要求の翌日、「検定制度上、明白な誤りがない以上、合格後に修正を行うことはできない」と述べ、小泉首相も森前首相以来の干渉拒否の姿勢を支持した。


■2.民対民で国際ディベートを■

 事実上のゼロ回答に、韓国政府は次々の報復措置を打ち出した。来年のサッカー・ワールドカップまでに行う予定であった日本の歌謡曲のCD販売や娯楽番組のテレビ放映の規制解除の中断(これは陰で韓国の国内産業の保護という見方もあるが)、小、中、高等学校の相互訪問中止、8月末に南アフリカで開かれる世界人種差別撤廃会議での問題提起、等々。

 日本政府はこれらについては静観しているが、民間では韓国内の反日感情の高まりを危惧して、日本からの観光客が7月には急減したという


さすがに韓国でも「学生交流までやめさせる必要はあるのか」との冷静な声も出てきた。

 韓国政府が日本の民間が書いた歴史教科書を修正させろと日本政府に要求することは、内政干渉であり、かつ言論の自由を侵すものとして拒否したのは正しい態度であるが、韓国側の要求内容が妥当なものかどうかを批判するのは、わが国の民間の役割だろう。

 日韓の民間同志で、相互の歴史観をぶつけあうことは、許されることでもあるし、また意味があると考える。これは一種の国際ディベートとして、相互の歴史観を鍛える機会ともなろう。


■3.朝鮮は服属国であったか?■

 本号では、その練習として、「韓国は中国の服属国であったか」という点に絞って、韓国側の修正要求と歴史教科書記述に対して、本講座なりの考察を加えてみたい。


この点をどう見るかで、明治期の日韓関係の見方が大きく変わってしまうからである。

 韓国の修正要求は、東京書籍、教育出版、帝国書院、日本文教出版の「征韓論」の部分で、

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 中国の属国として位置づけられていた朝鮮は、・・・日本との国交を断った。
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とある表現に対して、「当時の朝貢関係につき説明せずに、朝鮮を中国の属国として表現している」という検討意見をつけている。

 扶桑社版にも同様に、「中国の服属国であった朝鮮も」という表現に対して、「朝鮮を中国の『服属国』として表現したものは削除必要」とクレームをつけた。扶桑社側は、これを「強い影響下にあった」と自主修正した。


■4.国号を決めてもらうのが「親善関係」?■

 韓国側は教科書でも朝鮮が中国に対して服属国であったことを絶対に認めない。まず李氏朝鮮の成立にあたって、

__________
 新王朝は、国号を朝鮮と定めた。「朝鮮」は、すなわち古朝鮮の伝統を受け継ぐという意味で、壇君(JOG注:朝鮮の開国神話で、天命によって降臨した、古朝鮮の開祖)に民族の独自性を求めるという意味が含まれている。
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 と述べるが、国号を朝鮮自身で定めたというのは、歴史事実ではない。「朝鮮王朝実録」によれば、太祖・李成桂は使いを明に送って、国号として「朝鮮」と「和寧」という二つのうちのどちらかを採択することを請い、「朝鮮」を選んでもらった。

 中国皇帝が地方の諸侯に封禄・爵位を授ける事を「册封」と言うが、転じて、周辺諸国の君主に官号・爵位などを与えて、擬似的な君臣関係を結ぶシステムを「册封体制」(または華夷秩序、中華秩序)と呼ぶ。


朝鮮王も、中国皇帝の柵封を受けて、初めて朝鮮の国王として認められた。だから、国号でさえ自分では決められないのである。

__________
 朝鮮王朝は、外は明と親善関係を維持して国家の安定をはかり、女真や日本に対しては交隣政策をとって国際的な平和を維持した。
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 国号まで決めて貰う宗主国との関係を対等であるかのような「親善関係」と記述するのは、相当に無理がある。

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 明との外交は朝鮮側がより積極的であった。朝鮮は朝貢を通じて明の名分を立ててやり、使臣の往来を通して経済的・文化的実利を得た。しかし後にはいきすぎた親明政策に流れる傾向があらわれた。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 宗主国に対して定期的に貢ぎ物を送る「朝貢」も、柵封体制の特徴の一つである。これを「明の名分を立ててやり」とは、中国が読んだら、怒って修正要求を出すのではないか?


■5.清国への「君臣の礼」■

 明との主従関係は、女真族から起こった清朝にも引き継がれた。

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 後金は勢力を強め、国の名称を清とかえ、朝鮮王朝に対しては君臣の礼を要求して再び侵入し、漢陽を占領した。

 そのため仁祖は臣下とともに南漢山城に移り、45日間抗戦したが、ついに清の要求を受け入れて講和を結んだ。この戦争を丙子胡乱という(1636)。
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 「講和」の結果、清は王子一族をはじめ、3公6卿とその家族数百人を人質にし、民衆50万人を北方に連行した。


その後1636年から1881年までの244年間に、朝鮮から清への朝貢使は500回以上に及んだ。


また清の勅使を迎えるたびに、朝鮮国王は漢城郊外の迎恩門に至り、土下座して恭しく勅使を迎えた後、慕華館で勅使の接待をすることを余儀なくされていた。「君臣の礼」とは、このように過酷なものであった。


■6.日本からの無礼・傲慢な国書■

 1868(明治元)年、12月19日、日本の新政府の樹立を通告する国書を携えた使節が釜山浦にやってきた。しかし国王高宗の父・大院君が実権を握る李朝政府は国書の受取りを拒否した。

 その第一の理由として挙げられていたのが、日本からの国書に「皇上」「奉勅」の文字が使われていたことであった。


朝鮮から見れば、「皇」は中国皇帝にのみ許される称号であり、「勅」は中国皇帝の詔勅を意味した。朝鮮王は中国皇帝の臣下であり、このような傲慢かつ無礼な国書を受け取ることはできない、というのが、朝鮮の考えであった。

 そのような国書を勝手に受け取ったら、宗主国・清国からどのような懲罰が下るかもしれぬ、という恐怖感もあったであろう。


日本の新政府は、その後もたびたび使節を送って交渉を続けたが、朝鮮側の受け取り拒否は変わらなかった。この時の事情を、韓国教科書は次のように記述する。

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 日本は明治維新以降、新しい国家体制を築き、勢力を広げようと交渉を要請してきたが、朝鮮政府はこれを拒否した。これは、日本と修交すれば、西洋の侵略が後に続くと見なしたためであった。
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 国書を拒否した第一の理由は伏せられたままである。


■7.「朝鮮国は自主の邦にして日本と平等の権を保有せり」■

 ひたひたとアジアに押し寄せてくる欧米勢力から、国家の独立を守るには、内に近代的な国民国家を作り上げ、外に開国して早急に近代的経済力・軍事力を身につける必要がある。

 そうした危機感をもとに維新を敢行した明治日本の指導者から見れば、古代からの柵封体制から一歩も出ない李朝朝鮮の姿勢は、火事が迫っているのにも気がつかずに惰眠を貪る老人のように見えたであろう。

 業を煮やした明治政府は、軍艦を派遣して、李朝政府を威圧し、日朝修好条約(江華島条約)を結ばせた。


条文の第一条は「朝鮮国は自主の邦にして日本と平等の権を保有せり」と始まり、朝鮮を清国の柵封体制から独立させようという意図は明白であった。このあたりを韓国の歴史教科書はこう記述する。

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 江華島条約は、わが国最初の近代的条約であったが、治外法権の認定など朝鮮に不利な条約であった。これをきっかけにして釜山、元山、仁川の3港を開港し、日本はソウルに公使館を設置し、朝鮮に大きく勢力を浸透させはじめた。
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 たしかに日本の手口はペリーと同じ砲艦外交であり、西郷隆盛が「天理に於いて恥ずべき所為」と憤ったほどであるが、朝鮮を冒頭で「自主の邦」と宣言した事については、韓国教科書では何も触れられていない。


■8.清国軍のソウル制圧と朝鮮属国化■

 この条約によって朝鮮は開国し、留学生や使節団をさかんに日本に送って、近代化への努力を始める。しかしその後、近代化政策に不満を持つ勢力や、役人の腐敗に不満を抱く民衆による暴動が発生する。


日本人軍事教官など数名が暴徒に殺害され、日本公使館も襲われて、公使らは命からがら脱出した。

 高宗の皇后閔妃(びんひ)はこれを失脚していた大院君の策謀として、清国に暴動平定のための派兵を要請した。


清国軍は3千の兵力と、3隻の軍艦で反乱を制圧し、大院君を清国軍艦で天津に強制連行してしまう。日本側も居留民保護にために、1500人規模の出兵を行った。

 この壬午(じんご)軍乱(1882)の後、清国は対朝鮮干渉を強化し、ソウルを軍事制圧下に置き、清国朝鮮商民水陸貿易章程を結んだ。これは朝鮮を清国の属国であると明記し、宗主国として貿易上の特権を独占することを規定していた。


これにより、朝鮮を「自主独立の邦」とした日朝修好条約は名ばかりのものになってしまった。

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 わが国の農民たちは、日本の経済的侵略に強い反感をもつようになり、しだいに日本を排斥する機運が広がっていった。・・・

 壬午軍乱後、朝鮮は清の内政干渉を受けるようになり、政権についた閔氏勢力は開化政策に消極的になり、近代的改革をきちんと進められなくなった。
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 治外法権はあったにせよ、朝鮮を「自主独立の邦」として交易を求めた日本を「経済的侵略」とし、清国の軍事制圧や貿易特権の独占を「内政干渉」と言うのは、あまりにバランスを欠いた記述ではないか。


■9.日清・日露への道■

 この後も、日本の支援を受けて近代化と独立を押し進めようとする若手官僚を中心とする「開化党」と、清国の軍事力で国内を抑えようとする閔氏勢力の争いが続く。


それが日清戦争にまで発展するのだが、日本の勝利後、清国と結ばれた下関条約の第一条で、朝鮮を「自主独立の国」と規定した。朝鮮はようやく清国の柵封体制から独立しえたのである。

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 清日戦争の結果、下関条約が結ばれた。この条約で日本は遼東半島と台湾を手に入れた。
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 と、韓国の歴史教科書は、ここでもこの第一条の意義を伏せている。日本がロシア、フランス、ドイツによる三国干渉で、遼東半島を放棄すると、閔氏勢力は今度はロシアに接近していく。これがさらに日露戦争の原因となっていくのである。

 三国干渉に屈した事実を見れば、日本の当時の国力では、欧米勢力を向こうに回して、朝鮮の侵略と植民地化などという大それた野望は持つべくもなかった事は明白である。


日清、日露と日本が自国の存亡を賭けて中露二大国と戦ってきた目的は、ひとえに自存自衛の為に、隣国朝鮮を「自主独立の国」として、清国やロシアの属国化を防ぐことにあった。

 もし、本当に朝鮮が自主独立の国であったとすれば、わが国は日清戦争も日露戦争も戦う事なく、もっと安全で幸福な道を歩めたであろう。

 韓国が、清国との貿易章程で「属国」と規定した事実までも隠蔽して「朝鮮を中国の『服属国』として表現したものは削除必要」と要求するのは勝手である。



しかし、それは我らが父祖が、朝鮮の独立保全のために必死に戦った意義を無視し、逆に、その努力を朝鮮侵略と曲解することにつながる。日本人の歴史観としては到底、受け入れられない要求である。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(190) 「お家の事情」の歴史観
「抗日史観」を国家の「背骨」にせざるをえない韓国の「お家の事情」。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog190.html

b. JOG(056) 忘れられた国土開発
 日本統治下の朝鮮では30年で内地(日本)の生活水準に追いつく事を目標に、農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発が図られた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog056.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. 勝岡寛次、「韓国・中国歴史教科書を徹底批判する」★★★、小学館文庫、H13

2. 呉善花、「韓国併合への道」★★、文春新書、H12

3. 名越二荒之助、「日韓2000年の真実」★★★★、国際企画、H9