愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 147 飛蓬-54 小倉百人一首:(権中納言定頼)  朝ぼらけ

2020-05-22 09:21:59 | 漢詩を読む
(64番)朝ぼらけ 宇治(うぢ)の川霧(かはぎり) たえだえに
あらはれわたる瀬々(せぜ)の網代木(あじろぎ)
         権中納言定頼『千載集』冬・419
<訳> 明け方、あたりが徐々に明るくなってくる頃、宇治川の川面にかかる朝霧も薄らいできた。その霧がきれてきたところから現れてきたのが、川瀬に打ち込まれた網代木だよ。(小倉山荘氏)

oooooooooooooooo
所は宇治川のほとりの別荘。寝起き端、縁に出ると風が頬を撫ぜ、ヒンヤリと心地よい。川面を見遣ると、立ち込めていた霧が徐々に薄れて途切れていく。霧の切れ間にはきれいに並んだ網代木が次第に見えてきた。やがてお日様も顔を覗かせるのでしょう。

作者・権中納言定頼は、前回(閑話休題146)に述べたように、小式部内侍をからかって、逆にやり込められたという、その人です。上の歌では、なんらの技巧を凝らすことなく、夜明けとともに始まる宇治川の情景の変化が見事に詠われていて、筆者好みの歌です。

漢詩化するに当たっては、作者の立つ状況・位置を詠み込みました。歌の理解に役立てば幸いである。七言絶句にしてみました。

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<漢詩原文および読み下し文>  [上平声十四寒韻]
宇治川黎明情景 宇治川 黎明(レイメイ)の情景
遠山颯颯朔風寒、 遠山(エンザン) 颯颯(サツサツ)として朔風(サクフウ)寒く、
払暁悠悠倚欄干。 払暁(フツギョウ) 悠悠(ユウユウ)として欄干に倚(ヨ)る。
処処宇治川霧散、 処処(ショショ) 宇治の川霧(カワギリ)散じ、
網代木顕頭浅灘。 網代木(アジロギ) 頭を顕(アラワ)す浅灘(センタン)に。
 註]
  颯颯:風の吹き寄せる音。  朔風:北風。
払暁:明け方。       悠悠:ゆったりと落ち着いたさま。
倚:寄りかかる。
  網代木:“網代”を張るために浅瀬に打ち込んだ杭。“網代”は、氷魚(ヒオ、アユの稚魚)をとるために竹や木を編んだもの。
  浅灘:浅瀬。
<現代語訳>
 宇治川の明け方の情景
遠くの山からさわさわと吹いてくる北風が頬を撫ぜてひんやりとする、
明け方、欄干に凭(モタ)れて屋外を見遣る。
切れ切れに至る所で宇治の川霧が晴れてきて、
その晴れ間に、浅瀬に打ち込まれた網代木がその頭を現わしてきた。

<簡体字およびピンイン>
宇治川黎明情景 Yǔzhìchuān límíng qíngjǐng
远山飒飒朔风寒, Yuǎn shān sàsà shuò fēng hán,
拂晓悠悠倚栏杆。 fúxiǎo yōuyōu yǐ lángān.
处处宇治川雾散, Chùchù Yǔzhì chuān wù sàn,
网代木显头浅滩。 wǎng dài mù xiǎn tóu qiǎntān.
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平安時代には宇治川の辺りは貴族の別荘が建てられ、有名なリゾート地であったらしい。冬になると川面に霧が発生し、貴族たちの詩情を駆り立てたようだ。また琵琶湖で育った鮎の稚魚“氷魚(ヒオ)”が生息し、氷魚漁が宇治の主産業であった と。

紫式部の『源氏物語』「宇治十帖」が読まれるに及び、宇治の風物の人気に拍車が掛けられたようである。歌の世界では“宇治の川霧”は定番となって、歌枕として頻繁に詠いこまれるようになっていった。

氷魚を獲るのに、“網代(アジロ)”と呼ばれ、“網の代わり”に竹などでできた仕掛けが用いられ、川の浅瀬には“網代”を固定する“木の杭(網代木)”が打ち込まれていた。想像するに、“網代木”は、川上を開口部に、氷魚を誘い、囲い込むよう、整然と並んで立てられていたことでしょう。

明け方、微風に流されていく霧の晴れ間に、網代木が見え隠れしつつ変わっていく情景、やはり味わい深い、佳い歌と率直に感じいります。この情景、今は昔語りとなっているようです。平等院の宇治川沿いの「あじろぎの路」が、網代漁の場所であった として語られている。

宇治川は氾濫して洪水を起こすことが屡々であった。鎌倉時代中期、奈良西大寺の僧・叡尊(1201~1290)の発案で、「川の氾濫被災は、魚の殺生による」として、氷魚漁は禁止された。漁具等は川中島に埋められ、埋跡に供養のために石塔が建てられた。塔の島の十三重の石塔として遺っている。

漁師の失業対策として、叡尊は茶の栽培を興した。嘗ては 宇治川河畔は茶畑で、この茶葉を宇治川の霧が霜から守り、良質なお茶が育った。今日味わえる香ばしい宇治茶の誕生である。

作者・権中納言定頼(995~1045)に触れます。藤原定頼のことで、最終官位が権中納言である。百人一首では作者名は、作詞の時期ではなく、ほぼ最終官位が冠せられている。博学多才な文人、藤原公任(百人一首55番)の長男である。

父親の才能をしっかり受け継ぎ、和歌に書道、管弦にと才能豊かである。諸所の歌合せに参加し、中古三十六歌仙の一人に選ばれている。『後拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に45首入っており、家集『定頼集』がある。

少々茶目っ気のある人であったのでしょうか。前回に触れた小式部内侍に遣り込められた話もそうであるが、いま一つその人柄を想像させる逸話が語られている。

一条天皇の大堰川行幸にお供した折の事である。父・公任も同行していた。例に拠って、同行の各人それぞれ感想の歌を披歴した。定頼の番が回ってきて、読み手が上の句を読み出した:
「水もなく 見え渡るかな 大堰川」 と。

満々と水を湛えている大堰川を前に、「えらいこっちゃ」と父・公任は顔面蒼白、ヤキモキしていたことは想像に難くない。読み手は、間を置いて:
「峰の紅葉は 雨と降れども」。

なんと、紅葉を雨に見立てて詠んだのである。歌の素晴らしい出来栄えに、居合わせた人々からは感嘆の声が上がり、父・公任も胸を撫で下ろした と。
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