変化する新聞業界(4月:朝日16万部減、
産経4万部増)
2011.5.19 01:02
変化する新聞業界
読売1千万部割れ、朝日は電子版創刊
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110519/ent11051901080001-n1.htm
東日本大震災の影響で4月の新聞各紙の販売部数は
落ち込みが目立ち、最多の読売新聞が17年ぶりに
1千万部を割り込んだことが18日、日本ABC協会の調べで
分かった。
一方、朝日新聞は同日、有料電子版を創刊し、ネット新聞に
本格参入。新聞業界の“変化”を象徴する動きが重なった。
日本ABC協会によると、読売の4月の販売部数は
3月より7万部減の995万部。
読売東京本社広報部によると、1千万部を切るのは
平成6年4月以来で、同社は「読者の中には被災された方々も
多く、発行部数が減少した。しかし、
1千万部の早期回復を目指す」とコメントした。
他の全国紙では、朝日770万部(前月比16万部減)、
日経301万部(同3万部減)と減らす一方、
毎日は347万部(同2万部増)、
産経も被災地では減らしたが、全体では165万部(同4万部増)に
伸ばした。
ブロック紙では、中日268万部(同800部減)、
東京53万部(同1万部減)。震災被害が甚大な東北では、
福島民報(福島市)が同6万部減の23万部など、厳しい状況だ。
一方、朝日は18日、有料電子版「朝日新聞デジタル」を創刊。
パソコンのほか多機能携帯端末「iPad(アイパッド)」や
アンドロイドOS搭載機向けに、朝夕刊の記事と独自のコラム、
動画などを提供する。
月額は同紙購読者が1千円、電子版のみが3800円。
来年度中に10万人の会員を目指す。
会見した朝日の飯田真也・取締役販売担当は
「新聞全体がABC調査で100万部ほど減っているが、
今回の地震でも新聞という媒体が注目されている」として、
紙の新聞の意義も強調。
「デジタルが紙を食べてしまうとは思っていない。
競合ではなく、デジタルから申し込んだ人にも紙を勧めたり
するなど、複合させていきたい」と話した。
全国紙の電子版は日経が昨年3月に創刊、
産経も多機能携帯電話の「iPhone(アイフォーン)」と
iPad向けに、紙面の閲覧アプリを提供している。
産経は4月下旬、韓国のエンターテインメントに特化した
週刊新聞「韓FUN」も創刊するなど、新聞業界では
サービスの多様化が進んでいる。
上智大の碓井広義教授(メディア論)は
「震災後、新聞は読者が知りたいことをいかに分かり
やすく伝えるかという姿勢が問われた。
読者に“寄り添えるメディア”への変化こそが読者獲得のカギだ」
と話す。
電子版については「若者は新聞社の発信する情報を
欲しているが、手に入れるためのツールが
紙面購読ではない。デジタル化は必然だ」と指摘している。
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正しさということを国民は理解しつつある( ・`ω・´)
http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/fd00147aaf0231963b19ec94167a1781
2011年5月3日憲法記念日に合わせて、幸福実現党では、
「この国を守りぬけ!国難突破運動」として、
産経新聞に「ありがとう自衛隊、ありがとう米軍」と
いう全面広告を掲載しました。
一方、2011年5月15日沖縄返還39周年に合わせて、
日本のオピニオン新聞である、朝日新聞に全面意見広告が
掲載されました。
2011年朝日新聞意見広告。
日本をリードするオピニオン新聞として恥ずかしくないのか。
「トモダチ作戦」はいらない」と書きたて、
米軍の好意に見事に泥を塗る広告です。
朝日新聞の全面広告を普通に見ると、
まるで全沖縄県民が、米軍の徹底を願っているか
のような書き方です。
こういうことを書いていたら・・( ・`ω・´)消滅
、
根拠は聖徳太子が死んだ日が「推古天皇29年2月5日」・・ウィキペディアで橋本岳氏が生まれたのも2月5日。楠木正成が死んだのが5月25日・・・ウィキペディア、で御法川氏が生まれた
のも5月25日。計画して2人とも地上に送り込んだらしい。
どういう狙いで送り込んだかというと、大川隆法が自分が死ぬ日を2037年だと言っていたが、それは2040年が皇紀2700年だから自分が天皇であることを証明するためらしい。
2036年は楠木正成が死んだ年、すなわち南北朝の動乱が始まった年でそれから700年目の2036年と2040年の間の「7」の年に死ぬことにしたらしい。自分が南朝以来の天皇だという
ことにもっていくため、愛子親王と自分の息子を結婚させる予定だそうだ。仏国土を創るための憲法改正を聖徳太子にさせ、聖徳太子はリンカーンの生まれ変わりだから南北戦争で勝ったように
今度は南朝の大川家のために戦わせるそうだ。楠木正成は以前、足利尊氏を九州へ追いやった実績があるから、同様に今度も真の天皇の大川隆法のために、現天皇家を九州に遷都させるために
地上に送り込んだらしい。先の大戦で楠木正成礼賛の声が多かった責任の意味もあるそうだ。遷都先は福岡の那珂川町。理由は那珂川町が有名なの町で、大川の旧姓が「中川」だからだそうだ。
那須の近くにもナカ川が流れているらしいが詳しくは調べてくれ。ともかく、現天皇家をとし、自分は本当の天皇家としたいらしい。
ちなみに2037年の100年前に1937年7月7日盧溝橋事件を起こしたり、1941年12月8日(この日は釈迦が出家した日付であり大悟の日付)に戦争始めたのも全部関わってきたそうだ。
新情報!新首都は栃木(幸福の科学の総本山のある)にするらしい。首都機能移転候補地ってのが3つあるんだけど、
①栃木②岐阜・愛知③三重・畿央。そのうち2つはブラフで、栃木にするという意志をもっているようだ。なぜかはわかるだろ。
それをやるのが天照とヤマトタケル、即ち長女と次女らしい。長女が天照であり、オトタチバナで次女がヤマトタケルだろ?
2人でやるらしいよ。