小沢さんの裁判について思うこと
2011-10-08
曽我周作氏ブログ転載
民主党、小沢元代表の裁判が始まりました。
私は、小沢さんが起訴されたことに対してどのように
関わっていたのか、関与していなかったのか知りません。
しかし、報道等を通じて色々な「印象」はあります。
でも、それはあくまでも印象であって、事実がどうで
あるかは知らないわけですし。無罪にすべきか有罪に
すべきかも、事実がわからないから判断のしようもありません。
私は、司法の場で、公正に裁判がされてくれれば、
事実が明らかになればいいと思っています。
今回、強調したいのはこの「公正さ」という部分です。
小沢さんを擁護するつもりは毛頭ありませんが、
人民裁判のようになるならば、それは危険である、
とだけ指摘しておきたいと思います。
例えば、Aさんが小沢さんについて「黒」っぽいな、という
「印象」を持っていたとして、
そしてAさんの呼びかけで、同じような印象をもっている
人たちで集まって「小沢さんは有罪にすべきである~!!」
とかデモを行った。
そのデモが全国に広がって、国民全体が
「小沢さんは有罪にすべきだ~!!」となったとします
。
で、それが報道されるとします。そして報道でも
「小沢さんは断罪されなければなりません。」というような
論調になったと仮定します。
しかも、日本が、そのような国民世論によって判決が
左右される国だったと仮定します。
もしも、こんな国だったら、ちょっと怖くありませんか?
事実はどうなのか、で最終的な判断がなされなければ、
公正とはいえません。
事実に基づかない「印象」だけで判決が決まっては
ならないと思います。
国民の世論がこうだから、とかで判決が左右されて
はなりません。
国民の世論はマスコミの報道で大きく揺れ動く
可能性があります。
マスコミは裁判官ではありません。
裁判は、裁判官が、事実をもとにして、公正に判断を
下すべきです。
日本は法治国家として、この原則だけは今後も
守っていくべきであるとおもいます。
ついでに、ちょっと話は変わりますが、
裁判員裁判制度が導入されましたが、
量刑まで裁判員に判断させるのは反対です。
一般市民は量刑をどうすべきかの知識はもっていませんし、
例えば「死刑」判決を下さなくてはいけない事例に
あたったとしても、そんな判断下したくないのです。
重いのです。
その精神的重圧は、プロである裁判官が負うべきだと
考えています。
http://ameblo.jp/water-heaven23/entry-11041409650.html
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