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17年間のボッチ自宅介護を振り返る

1人で自宅で認知症の母親を介護、その間、父親も6年間の介護のすえ、どちらも家で看取る。その17年間はなんだったのか? 

夢の中の狭山湖の手前?

2025-04-07 10:47:55 | 
ウォーキングついでに、狭山湖まで足を伸ばしてきた。

これは、多摩湖側から狭山湖に入っていくところだが、桜並木になっている。
まあ、ここの桜がどうなっているのか気になって来てみたんだが、なんとも・・・
写真だとどこに咲いているのかわからない。実際行ってみても、ここの桜を見ている人もいない。私以外は(笑)。

実は、ここ、私にとってはちょっと特別な場所なのだ。

20代のころだと思うが、夢に興味を持って、記録していた。あ、今、見ていたなと思ってすぐ目を開け、枕元に置いていたノートに記録する。これが寝不足の元になって、困ったりしたが、データがたまってくると、同じような夢を結構よく見ることに気づく。パターンがある。これがそこそこ面白い。やばい、卒業単位が足りないとか(笑)。

場所もそうで、ここはあの時見た夢と同じ場所だ、かなり違ってもそう思える。それで、いくつか場所が増えてくると、その位置関係も出来てきて、ここの隣はあそこで、ここに行くにはあそこを通って行く、と地図のようなものも描けるようになる。実際、描いてもみた。

ここは、その地図にある所だ。

夢の中では、どこか不思議な世界に入っていく入口になっている。でも、その先がない。向こうに、不思議な世界があるらしいことは、なんとなくわかっている場所になっている。

現実の世界では、初めて来たのが、最近知ったのだが、小学1年生の時で、家族で、5月の連休に家からここまで歩いて(小1には結構、大変)、おとぎ電車に乗って西武園まで行った。2年の時だったか? 近所の和尚さん(もちろん、その時は、和尚じゃない、中学生?)に釣りに連れて行ってもらった。あとは6年と中学2年3年の徒歩遠足。その辺のことはフェイスブックに去年書いた。

夢の中ではたいがい自転車に乗っている。中学生になると、よく自転車で行っているので、そのせいか。

夢の世界でも、子供のころの現実世界(狭山湖までは行ってるけど)でも、ここから先がない。東京と埼玉の県境で、なにか先へ行ったらいけない感じか。まるで写真の桜のようにさえない感じだ。夢のここが現実のここだと、感じられるようになったのもつい最近のこと。やっとここまで来たのに、先がない。先に行けない。自分の限界のようなものを感じる。

当時の桜はどんなだっただろうか? 

中学の時に撮った写真があった。夢だとここまで。

1973年4月17日だから、桜は終わってたか?



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