前回、じいさんがつくった墓の墓地の管理事務所から、草ぼうぼうだ、なんとかしろと苦情が来たので、2006年10月9日に、じいさん、ばあちゃん、私の3人で墓掃除に行ったところまで書いた。
この墓、じいさんが1989年5月につくって、この時までで17年間、そして、これから9年後、2015年7月、じいさんが入るまで、26年間、空き家状態。8年たって、2023年9月に、ばちゃんが入り、早2年。
1989年から今年で36年。そのうち、約3分の2が空き家(こういう墓を正式には何と言うのか? 空墓じゃないだろう)。使用期間はじいさんが入ってからの、まだ10年間だけ。
そして、後を継ぐのは私だけ。私には家族がいない。ということは、私がこの墓に入ることはまずない・・・墓じまいだ!
じいさんよ。作るのも楽ではなかったとは思うが、処分するのも、何だぞ~。そこそこお金もかかるぞ(苦笑)。
この時、この3人の誰も、19年ったら、なんて思いもしなかったろう。
多高齢多死社会真っただ中の現実がここにある(笑えない)。まあ、それがただ負担だけの暗澹たる未来じゃないよ、高齢者なりに各自が出来ること(私にとっては、この墓じまいも)を取り組むことで、そこから得られるものも何かあんでしょうよ、という思いで書いてるんだけど。
この後、またタクシーを頼んで、ばあちゃんの生まれ故郷に行った。電車だったら、五日市線の武蔵五日市駅なんだが、タクシーで五日市街道を西に進んだ。駅でいったら、2つほどなんだが田舎の駅でもそんなに遠くはない。車ならすぐだ。ここからは、ほぼぐるっと山に囲まれる山ん中だ。
全く関係ないんだけど、じいさんが昭和34年(1959年)に撮った我々が後にタクシーで通った五日市街道の写真があったので、載せてみる。

これは、まだ山に入る前。
何故か、じいさんが駅の下、秋川沿いにあるバーベキューランド(?)にタクシーを行かせた。どこまで行くのかと思ったが、秋川にかかる歩行者用の大きなアーチ型のきれいな橋のすぐ近くまで入ってくれた。
私がここに来るのは初めてだった(子供の時、来ているかもしれないが、辺りが一変しているのでよくわからない)。じいさんとばあちゃんは、前に来たことがあったようだ。
この橋を渡れば、向こうが、ばあちゃんが子供のころ遊んだ「小庄のたんぼ」(本当は「下田のたんぼ」っていうのか?)だ。「ばあちゃんの「村祭」」で書いた、NHKの「みんな童謡」の「村祭」の農作業の場面の撮影がされたと思っていたところだ。実際は、もっと秋川の下流の方だったが。
多分、橋の上で、じいさん、ばあちゃんの写真は撮っただろう。小庄のたんぼでは数枚撮ったに違いない。
たんぼ、といは言うが、今は田んぼはない。「ばあちゃんの「村祭」」で書いたところもそうだが、私の子供のころの数十年前はこの辺一帯、川沿いが田んぼだらけだった。春になると、かえるの鳴き声がすごかったろうなあ。

こんな感じ。残念ながら「小庄のたんぼ」が田んぼだったころの写真はない。これは、上の写真と同じ、じいさんが昭和34年秋に武蔵増戸辺りで撮ったものらしい。
今は、みんな畑、または宅地になっている。
ここから、川沿いに遡って、ばあちゃんの実家の墓に行くという手もあったが、この時は行かなかった。年寄りの足だと20分はかかるだろう。畑の中を真っ直ぐ北に通って、林の中の街へと上がっていく坂道を登っていった。
今考えて、ばあちゃんにとって、これが最後の「小庄のたんぼ」だった。感想みたいものがあったのか、ここでよく遊んだよ、ぐらいは言ったか?、覚えてない。
このちょっと前、2006年3月に撮った「小庄のたんぼ」。奥に見える(?)木々の中の坂道を上がっていく。

坂を上り(じいさん、ばあちゃん、よく登ったなあ)一段上ったところから見た「小庄のたんぼ」。

これは2023年9月に撮った。奥にアーチ型の遊歩道の橋も見える。
街に入って、街道沿いのうどん屋に入って昼食にした。

寿美屋さん。これも2006年3月撮影。
昔からあるうどん屋さんで、店のホームページによると創業150年だそうだ。当然、ばあちゃんが五日市に居た時にはあった。私が子供ころよく来ていた時に、ばあちゃんが親戚の家に持っていくのにだか、ここで買っている記憶があるような気もするが、食事が出来るようになっていたのかどうか知らなかった。私はもちろんそうだが、じいさんもばあちゃんも、ここの店で食べるのは初めてだったんじゃないのか。
じいさんとばあちゃんが2人並んで、向かいに私が座った。
何を食べたのか全く覚えていない。まあ、うどん屋なんだから、うどんだろう。
この時の写真がある。 それを見ればわかる。
おそらく、じいさんが注文をしたのだろう。
都心の立ち食いそばじゃないんだら、少しは待たされただろう。
ここで、ようやっと気づいた。 カメラにフィルムが入っていない! フィルムカメラにフィルムがはいっていないことに、どうして気付かないかな~(笑)。
デジカメもあったんだが、調子が悪く、何を撮ってもハナカマキリのような芸術写真になってしまう。それで、フィルムカメラの一眼レフにしたんだった。失敗した(泣)。すぐ、フィルムを入れた。

食べたのは、うどんだ!
後は、帰るだけ。ここからどう返ったかさっぱり覚えていない。歩いて駅まで行って、電車に乗って帰って来たのは間違いない。
じいさん、ばあちゃんにとって、五日市はこれが最後。ばあちゃんには電車に乗ってかなり遠くに行った、最後の外出になった。それが自分の生まれ故郷、五日市だった訳だ。
そんなことは、ずっと後になってわかることだ。実家の墓参りは、しておけば、と思うわな。
これを書いている私以外、じいさんもばあちゃんも死んじゃってるんで、どうしても最後ネタ、ああしておけばよかったネタが多くなる。悪しからず。
この後は、行動半径が狭くなり、ちょこちょこ小トラブルが起こるようになってくる。
おそらく、じいさんが注文をしたのだろう。
都心の立ち食いそばじゃないんだら、少しは待たされただろう。
ここで、ようやっと気づいた。 カメラにフィルムが入っていない! フィルムカメラにフィルムがはいっていないことに、どうして気付かないかな~(笑)。
デジカメもあったんだが、調子が悪く、何を撮ってもハナカマキリのような芸術写真になってしまう。それで、フィルムカメラの一眼レフにしたんだった。失敗した(泣)。すぐ、フィルムを入れた。

食べたのは、うどんだ!
後は、帰るだけ。ここからどう返ったかさっぱり覚えていない。歩いて駅まで行って、電車に乗って帰って来たのは間違いない。
じいさん、ばあちゃんにとって、五日市はこれが最後。ばあちゃんには電車に乗ってかなり遠くに行った、最後の外出になった。それが自分の生まれ故郷、五日市だった訳だ。
そんなことは、ずっと後になってわかることだ。実家の墓参りは、しておけば、と思うわな。
これを書いている私以外、じいさんもばあちゃんも死んじゃってるんで、どうしても最後ネタ、ああしておけばよかったネタが多くなる。悪しからず。
この後は、行動半径が狭くなり、ちょこちょこ小トラブルが起こるようになってくる。