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17年間のボッチ自宅介護を振り返る

1人で自宅で認知症の母親を介護、その間、父親も6年間の介護のすえ、どちらも家で看取る。その17年間はなんだったのか? 

9 墓参り、本人、最初で最後

2025-04-04 10:44:59 | 思い出
退院の後の病院通いは、すべてじいさんに任せていた。自分では、朝早く診察の順番取りに行って、待つことが出来ないばあちゃんのご機嫌取りなど、すべて自分がやってたと思っていたのだが、それはもっと後の事の様だ(笑)。
まだ何もしてなかった。


その墓石には、平成元年5月吉日と彫ってある。

わたしとばあちゃんは、ここに来るのは初めて。じいさんも多分2回目ぐらいらしい(手帳に墓を作ってから一回も来ていないと書いてある)。そして、その日は平成18(2006)年10月9日(月)。

平成元年は1989年だから、完成してから、10数年ほったらかしという訳だ(苦笑)。まわりの景色もちっとは変わってたかも知れない。

じんさん、自分で作った墓に10数年ぶりで、さぞ、感慨深かかっただろう(それはないか(笑))。

私は、多分あるんだろうが、何処にあるのかも知らなかった。ここなのか。まあ、いいところだ。 ばあちゃんは、我関せずか?

霊園の管理事務所から、おたくの墓が草ぼうぼうで、隣のうちの墓まで伸びて迷惑しているから、なんとかしろ、と苦情のハガキがじいさん宛てに来ていた。じいさん、草取り料を払い忘れてたか(笑)?

それで、そこへ、じいさん、ばあちゃん、私の3人で墓掃除に行くことになったのだ。駅からタクシーに乗り、10数分。着くと管理事務により、軽く挨拶してじいさんを先頭にして墓に向かう。

この辺(って、どの辺よ?(笑))にありがちな急斜面につけられた、かなりの急な鉄の階段を登っていく。81歳のばあちゃんもよくあそこを登ったと今にして思う。

確か、この辺だったか・・・ああ、ここだ、ここだ、とじいさんは言ったかどうか(笑)。でも、ちゃんと覚えていた。

おそらく、その草ぼうぼうの我が家の墓を、草取りをする前に1枚。その後、草取りをした墓を背景にじいさん、ばあちゃんの写真も撮っただろう。ついでに、迷惑をかけていた、隣のお墓の草も少々抜かせていただいと思う。
 
最寄り駅は五日市線の武蔵引田というところ。今こそちょっと変わってきたが、当時は360度畑の中にある駅で、トイレが駅のその外にある。今もある(最近立て直してきれいになった)。ここから歩くと20数分かかる。

高校の時だったか、山に行くのに夜が明ける前、朝早く家を出て、この駅に着くころ、ようやく日が昇り出して薄暗い朝霧の中、畑に植えられた大きな梅の木に真横から陽の光が差してるのが幻想的だった(もう一度見てみたいが、もう梅の木がない(悲)。でも、40年後この駅に頻繁に乗り降りすることになるなんて!)。

そんな駅前にタクシー乗り場なんかない。今もない。

タクシーは一つ都会よりの秋川駅から乗った。

じいさんは、お寺さんでやっている霊園墓地を買った。檀家ではない。このお寺さん、由緒あるかなり古い寺らしく、霊園とは本堂をはさんで東側に立派な檀家さんの墓地がある。急坂をうまく利用してすり鉢状に上から下にと墓が連なっている。上に行くほど墓石は大きくご立派、古そう。その家のこの地域での家格を表しているのだろう。下の方の下々を見下ろしている感じだ。

西側の我が家の墓の方は、同じ斜面でも新しく広く切り開いてならした感じ。まあ、普通、はなっから下々。でも、山が近くて、景色はいい。すぐ前に秋川がながれ、反対側にサマーランドがある。営業時期はその喧騒が聞こえるほどだ。その近くに、地質に興味のある人しか興味ないだろうが、山肌が崩れた露頭もみえる。奥多摩の山々もほど近い。

帰りも、また、あの鉄の急階段をおりる。81歳と84歳、よくおりたなあ(笑)。

タクシーがくるまで少し時間があり、門の前で記念に写真を撮ったか、どうだか。

タクシーが来て、この後、ばあちゃんの出身地の五日市に向かう。じいさんも、ばあちゃんも、もう、ここに来ることはなかった。今は、二人で墓の中にいるけど。


1961年(昭和36年)10月。今、サマーランドがあるあたりらしい(じいさんが言ってた)。町内会の慰安旅行だかでいった栗取り。池は川を堰き止めて観光用に作ったものか。露頭しているところは、今でもお寺から見えるところか?