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逃げた場所が大当たり🎯 鎌倉時代の少し前

2023-12-27 00:51:22 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
勝つ時もありゃ負ける日ももちろんありますがな。、、ということで、平氏と戦いながら、いつか来る幕府開きのその日まで苦労の連続の頼朝でありました。結局、兵力と戦力の不足で石橋山の戦いに敗れ、頼朝はまたまた逃げることになりました。どこへ?千葉へ!って、近いじゃん。と思われる方もありましょうが、何しろ頼朝の場合身を隠し、小さな?船で行かねばならないのですから、これはもう、大変です。多分敵方に見つかれば間違いなく討たれてしまうでしょう。子供の時みたいに「こんな小さな子を、、💧」と助けてくれる人も多分もういません。ですから必死で逃げたに違いありません。そして、何とか無事にたどり着きました。安房国へ。この、安房へ行ったのが良かった。非常に良かった💡。ここには、頼朝の力からになってくれる力のある豪族たちがいたのです。人は多分一人では何にも成し遂げられません。信頼できる人間の助けや支えがあってこそ、大望を叶えられるのですね、多分。ということで、その助けてくれる、支えてくれる人間が千葉にいたということです。しかも沢山。さあ、組織作りさ基礎固めさ。となった時に、特に頼りにしたのが上総広常となります。このかた、、知りませんでしたが、大河の、鎌倉殿の、、では佐藤浩市さんが演じたようです。石橋山の戦いで敗れた時の頼朝の軍がわずか三百人程度だったのに、この上総さんは、なんと、二万人✌近い兵を持っていたというのですからたまげます。広常はほんとによく戦い、頼朝を助けたのですが最後の方には頼朝から忠誠心を疑われ悲しい最後を遂げます。頼朝って、、悪い人じゃないんだけど、なにかこう、結構疑り深い人な感じがします。それは何故かと言いますと、上総にだけでなく、いとこ、兄弟とかでさえも疑っちゃったりしてますからね😤。結論として上総さんは、特に頼朝を何とかしてやろうなんて思ってなかったみたいです。報われませんなあ 、、😞。

話を戻します。安房に行き、せっせと組織づくりに励んだ頼朝は、有力な豪族たちに「打倒平で頑張っとります、皆さんお力貸してください」とお触れを出し、いっぱい兵を集めましたとさ。

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