父の実家へは行きたくて行くというよりは、連れられて、わけもわからず行く、と言う感じだったが、他にもう一軒、時々行く家があり、そこは、私が行きたくて行くと言う感じの家だった。
父方の関係である家である事はわかっていたが、詳しいことはよくわからない(未だにわからないのだ。)多分、祖父の兄妹の家だったのではないかな。
その家も江○子村にあったが、滑田よりは大分○上寄りにあった。
さとおばちゃん、と言うとても優しいお婆ちゃんがいて、その息子、嫁、そのさらに子供、女の子三人がいた。私はその三姉妹の一番上の子と年が近く、非常にウマがあった。
滑田とは全く雰囲気の異なるその家には土間があり、家の中に馬がいた。
「おかあちゃん、さとおばちゃんとこに遊びに行きたい。」
私は時々そう母に頼んだ。「ああそう?じゃ、さとおばちゃんに電話してあげる」すると大抵の場合、さとおばちゃんは、
「ああ、いいよいいよ、とうもろこし茹でてあるから早くおいで」とか、漬物しかないけどおいで」当時うちには車がなかったのでバスに乗り行ったのだ。
滑田とは全く雰囲気の異なるその家は、滑田の家と同じく長いこと専業農家であったが、途中から兼業農家に切り替わった。時代の流れで、稲作農業一本では何かと厳しかったのだろうな。
遊びに行くと、いつもいるのは、さとおばちゃんちと、孫の女の子3人。おじさんとおぱさんは、いた試しがない。二人とも外に働きに出ていたのだな。
さとおばちゃんの家の玄関のすぐ横には大きな木があった。その後ろがちょうど家の縁側の前に当たる。
そのでかい木に、太いロープと板で作られたブランコが吊り下げられていて、これが、やけに乗り心地よく、遊びに行くと私は必ずそのブランコに乗り空を見上げた。遮るものがない。そのまま空に吸い込まれてしまいそうだった。考えてみれば、ブランコには子供とはいえかなりの体重がかかるのだから、それを支える木の枝たるや相当な太さだったのだろうな。
ブランコ遊びに飽きると、石蹴りやかくれんぼ、トンボを追いかけ野良猫をからかう。
それらの遊び全てに飽きた頃、ベストなタイミングで中からさとおばちゃんの声がする。
「そろそろ昼食べだらいいんでねがー。」いよっ、待ってました〜!
おかずはだいたい漬物と煮物。これがやけにうまいのだ。握ってくれるおにぎりの中には自家製の梅干し。さとおばちゃんちにしても、滑田にしても、とにかくご飯が本当においしい。自分の田んぼで手塩にかけて育てた米だもの、、うまくないわけがないのだ。
たらふくご飯を食べて、少し眠くなり、日当たりの良い縁側でちょっとだけ昼寝をし、起きたらまた外遊び。そうして、そろそろ夕方かな、、という頃、バスに乗り、私は○上の自分ちに帰る。「また来てなー、、」とさとおばちゃん。「バイバーイ!また遊ぶべねー」と三姉妹。さとおばちゃんちで過ごせる日はとても幸せなのであった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます