本名は思い出せないが、あだ名は辛うじて思い出すことができた、Y田下宿2の一階一番奥の部屋にいた予備校生、フーちゃん。同
郷と言う事もあり、結構仲良くなった。いい意味で素朴なかただったなあ。お部屋にお邪魔させてもらうと、いつも赤い半纏(私の故郷では、それをどんぶくと言っていた)を着ていて、部屋の中なのにマフラーを巻いてる時もあった。Y田下宿では、冷暖房は一切設置されていなかったので各自で調達しなければならず、しかも火災防止のため暖房は電気ストーブ以外は禁止だった。暖かい仙台とは言えさすがに真冬はちとキツイ。だから、フーちゃんの室内マフラーも、わかるっちゃわかる。。実は私も仙台に引っ越す時、母から赤いどんぶくを持たされたのだが、何だか着るのが恥ずかしくて1度も着たことがなかった。話を戻すが、そのフーちゃんとはなかなか会えなかった。帰宅時間が違うし、朝食の時間も微妙にずれていて会えないのだ(そもそも私は下宿の朝ごはんをほとんど食べなかったので)。たまに大学の実習が早く終わり洗濯などしてる時に、ちょうどフーちゃんが予備校での授業を終えて下宿に戻って来ることがあって、そんな時に彼女が「〇原さん、こんにちは。今日は珍しく早いんですね。私も今日は早かったです。よかったらちょっとお部屋に来ませんか。お茶でも飲まない?」と誘ってくれるのだった。下宿の共同の流し場でお湯を沸かし、ミヤさんは、日本茶を淹れせんべいを出してくれる。赤い半纏、日本茶、煎餅。和、なんである。何もかもが。話題といえば、目指す大学の学部についてや、わたしの大学生活の話、故郷岩手についての話し、など。たまにしか会わなくても話はめちゃくちゃ盛り上がるのだ。ある時、話題が音楽の事になり「サツコさんは、ロックが好きなんですねえ。」と言われた。「え、はあ、まあ。好きですよ」答えながら私はハッ( ゚д゚)とした。斜め下のフーちゃんの部屋に、私が朝な夕なに、やや高めのボリューム出かけてるムーディブルースやランディマイズナー、浜田省吾などの曲がにかけているレコードの音がだだ漏れしている事に気づいたからだ。志望大学目指して一生懸命勉強しているフーちゃんの邪魔をしてしまってたのか、、。いやいや、本当にすまない。深く反省ヽ(・_・`)…。「ところでフーちゃんはどんな音楽を?」と聞くと、即答→「さだまさしさん。」キッパリ( ー`дー´)キリッ。「へえ、そうなんだあ、さだまさしさんかあ!。」内心「わ、、私とは音楽の趣味は合わないかな、いや、でも、精霊流しは私だって大好きだしなあ、あ、無縁坂だっていい曲じゃないか、」などごちゃごちゃ考えているとフーちゃんが、さだまさしさんの素晴らしさ、どこがいいのか、を穏やかな口調で語り始めた。何しろ相当に昔のことなので詳しい内容は覚えていないが、歌詞をきちんと読んでほしい、と言われたのは覚えている。ひとしきり語ったあと「サツコさん、聴いてみる?」と言ってカセットテープを引き出しから取りだした。「ああ、では、、」と受け取る。タイトルはすっかり忘れていたが、スマホで調べてすぐに思い出した。「夢供養」である。借りたはいいが、はっきり言ってあまり興味ないなあ、、でもまあ、せっかくだから一度くらいは、、」と正直あまり乗り気にならない。部屋に戻ってもすぐには聴かず数日放っておいた。珍しく夜出かけずに1人で部屋にいた私は電気ポットでお湯を沸かしコーヒーを淹れ☕、、。あ、そうだ、、さだまさしさん、、聴いてみるか。となったのだ。でも、、最後まで聴けるだろうか。あまり聴いたことないし、、。一体どんな感じなんだ、さだまさしさんの曲というのは、、。あれこれ考えながら、それまで入っていた浜田省吾さんのカセットを取り出し「夢供養」を入れる。一曲めで早くも心が悲鳴を上げる、、「ウオーっ、、何だなんだ、、!」歌というより、なんだか、童謡の歌詞の朗読みたいな、、そう、わらべ唄風の?いやいやわからん。ヤバい、、これはマジで聴き続けられないかも知れないぞ。でも、せっかくフーちゃんが貸してくれたやつだからなあ。カセットテープは、曲をポンポン飛ばしてかけるのが難しい。なのでとりあえずそのまま流していた。正直、初めは「一回聴いたら返そう」と思った。しかし、、結論を先に書いてしまうと、このアルバムを後に私は買うことになる。そう、大好きなアルバムの1枚になったのである。フーちゃんが言ってた通り、歌詞がポイントだった。意識しなくても歌詞が心に染みつくのであるのである。特に響いた1曲がある。病室を出て行くというのに、、から始まる、そう「療養所 サナトリウム」である。始まりの静かなピアノの音色がスーッと耳に入り込んでくる。これは、いい。好みだ。最初聴いた時時点で、その歌詞と、美しいメロディに心が惹き付けられ、何と、なんとなんと涙を流してしまったのだ。巻き戻してもう一度、更にもう一回、、。やはり泣けてくる。サナトリウムだけを繰り返し聴いた記憶がある。だいたい、サナトリウムを曲のタイトルにつけること自体非常に珍しいのではないか。聴いてると切なく悲しくもなるが、歌詞をよく読むとそれだけじゃない、何か、うーんうまく言えないが、とにかく、沁み込んでくる何かがあるのだ、この曲には。フーちゃんがさだまさしは、歌詞を読んで。と言ったのは、こういうことか。
紛れもなく人生そのものが病室で、、という言葉は、当時まだ十代だった自分には全くピンと来なかったが、歳を重ねた今ならわかる。わかる気がする。
というわけで、サナトリウムで惹きつけられてしまった「夢供養」。、結局フーちゃんに返すまでの数日間、他の曲も全て歌詞を読みながらじっくり聴くことなった。中には、どうしてくれるのよ、この重さ、、(T_T)というくらい暗くなってしう曲(空蝉、まほろば、春告鳥、、)もあって、聴くのがホントに苦しかったが、その苦しさは嫌な苦しさではなかった。一つわかったのは、さだまさしさんというかたは、明らかに、ただ者ではない。という事か。詩人であり優れたミュージシャンであり、他にも様々な才能をお持ちであるのだから今でも素晴らしい曲を変わらず作り続けていられるのだなと思う。今だってさだまさしさんは、好きだ。でも、じっくり聴いたのは、夢供養だけ。その一枚だけだ。最近は家族に乾杯の時にテレビから流れてくるテーマソングしか聴いてない。
でも、並外れた才能の持ち主であることは間違いない。
フーちゃんに、カセットを返すため、鍵のかかってない部屋の戸を開けると、フーちゃんは机に向かい勉強をしていた。「これ、ありがとね。」フーちゃんは、どうだった?よかった?などと言うことは一切聞かずニヤッと笑った。「言った通りでしょう、歌詞が」という事か。
フーちゃんとは、その後やはりすれ違いの日々が続きほとんど話す機会がなかった。 でも、未だにさだまさしさんをテレビで見たり曲を聴いたりすると、フーちゃんの事、そして「夢供養」を懐かしく思い出すのだ。
フーちゃんは、翌年無事志望大学に合格し、岩手に帰って行った。めでたしめでたし。