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帯とけの古今和歌集

鶴のよわいを賜ったというおうなの古今伝授。鎌倉時代に秘伝となって埋もれた和歌の艶なる情がよみがえる。

帯とけの古今和歌集 巻第十七雑歌上899~901

2010-01-02 05:37:46 | 和歌

   



 よみ人しらずの歌、業平朝臣の母の歌、業平の返歌。併せて、伊勢物語を読みましょう。


    古今和歌集 巻第十七 雑歌上
         899~901


899
 題しらず
                よみ人しらず
 鏡山いざたちよりてみてゆかむ 年へぬる身はおいやしぬると
  この歌はある人のいはく、大伴のくろぬしがなり

 鏡山、さあ立ち寄って見て行こう、年経てしまった身は老いたかなと……屈みの山ば、さあ立ち撚って、見て逝こう、とし経た身は感極まるかと。
    この歌は、或る人の曰く、大伴黒主のである。

 「かがみ…鏡…屈身…彼が身…屈んだおとこ…かが見」「やま…山…山ば」「たち…立ち…起ち…決起して」「よって…寄って…縒って…撚りをかけて」「見…覯…まぐあい」「おい…老い…ものの極み…感の極み」。これらは、言の心(紀貫之)、聞き耳異なる言(清少納言)、浮言綺語の戯れに似た言葉(藤原俊成)。翁の歌。

 仮名序は、大伴黒主の歌について、「そのさま卑し、いはば焚き木おへる山人の、花の陰に休めるが如し」と批評する。
 歌の「心にをかしきところ」が聞こえると、「歌の有り様は、卑しい男が美しい花の陰に休むようだ」という批評が妥当と思えるでしょう。


900
 なりひらの朝臣のはゝのみこ、ながをかにすみ侍りける時に、なりひら、宮づかへすとて、時々もえまかりとぶらはず侍りければ、しはすばかりに、はゝのみこのもとより、とみの事とて、ふみをもてまうできたり、あけてみれば、ことばはなくてありけるうた
 おいぬればさらぬわかれのありといへば いよいよみまくほしき君かな

 業平朝臣の母の内親王、長岡に住んでおられた時に、業平、宮仕えするということで、しばしば退出して帰り、参ることができなかったので、師走のころに、母の内親王の許より、急の事と、文を持って来た、開けてみれば言葉はなくてあった歌。
 老いたならば、避けられぬ別れがあるといえば、いよいよ逢いたい君だことよ……感極まれば、避けられぬ別れがあるといえば、いよいよひとに、合いたくなる君なのかあゝ。

 「宮づかへす…宮仕えする…宮こづかえする…宮の内にてひとが宮こへゆく仕えごとをする」。「おい…老い…極まり」「さらぬわかれ…避けられぬこの世との別れ…避けられぬ夜のおとこの逝き別れ」「見…逢…覯…合」「かな…であることよ…感嘆・詠嘆の意を表わす」。



901
 返 し
                  業平朝臣
 世中にさらぬ別れのなくもがな ちよもとなげく人のこのため

 世の中に避けられぬ別れ、無ければなあゝ、親の命は千世もと嘆く人の子のため……夜の仲に避けられぬ別れ、無ければなあゝ、僕の命千夜もと嘆く男の子のため。

 「世…夜…男女の仲」「もがな…願望の意を表わす」「人の子…すべての人の子…男の子の君…おとこ」。



 千夜もと祈るわが子のために

 同じ業平の歌のある伊勢物語を読みましょう。

伊勢物語84 原文
 むかし、をとこ有りけり。身はいやしながら、はゝなむ宮なりける。そのはゝながをかといふ所にすみ給ひけり。こは京に宮づかえしければ、まうづとしけれど、しばしばえもうでず。ひとつこにさへありければ、いとかなしうし給ひけり。さるに、しはすばかりに、とみのこととて、御ふみあり。おどろきて見れば、うたあり、
 老いぬればさらぬわかれのありといへば いよいよ見まくほしききみかな
 かの子いたううちなきてよめる
 世の中にさらぬわかれのなくもがな 千よもといのる人のこのため


清げな読み
 昔、男がいた。身は卑しかったが、母は宮であった。その母は長岡という所に住んでおられた。子は京で宮仕えをしていたので、参上しょうとしたけれど、たびたびは参上できないでいた。ひとりっ子でもあったので、とっても愛おしく思っておられた。そうするうちに、師走のころ、急なことといって、母より御文があり、驚いて見ると歌がある。
 老いたなら避けられない別れがあるというので、いよいよ逢いたいと思う君だことよ
 彼の子、ひどく泣いて詠んだ。
 世の中に避けられぬ別れ、無ければなあゝ、親の命は千世もと祈る人の子のため


心にをかしき読み
 むかし、おとこが有った。その身は卑しかったが、男の母は宮であった。その母は長岡という所に住んでおられた。男の身は宮こで女の宮こ仕えをしていて、参上しょうとしたけれど、たびたびは参上できないでいた。ひとりっ子でもあったので、おとこの親はとっても愛おしく思っておられた。そうするうちに、師走のころ、急なことといって、男の母より御文があり、驚いて見ると歌がある。
 感極まれば避けられぬ別れがあるといえば、ますますひとに合いたくなる子の君なのですか
 子の君、ひどく泣いて詠んだ。
 女と男の夜の中に避けられない別れが無かったらなあ、ぼくの命千夜もと祈るこの子のため 

 「をとこ…男…子の君…おとこ」。

 母は承知しておられたのか、業平は志があって、藤はらの井中わたりをしていた。
 母は「いいかげんになさい、御身危ういですよ」と申されたのでしょうか。藤氏のひとびとのいなかわたりは、業平ただひとりの、一人っ子による、籐氏に対する抵抗であったようだ。


             伝授 清原のおうな

 鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
             聞書 かき人しらず