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帯とけの古今和歌集

鶴のよわいを賜ったというおうなの古今伝授。鎌倉時代に秘伝となって埋もれた和歌の艶なる情がよみがえる。

帯とけの百人一首 (七十九)

2010-07-28 06:50:55 | 和歌
      



               帯とけの百人一首
                 (七十九)


 藤原定家の撰んだ和歌の余情妖艶なさまを、藤原公任の歌論に基づいて紐解きましょう。


 百人一首 (七十九)
                  左京大夫顕輔
 秋風にたなびく雲の絶え間より もれいづる月影のさやけさ

 秋風にたなびく雲の絶え間より、もれる月光の清らかなこと……飽き満ちた心に吹く風に、たなびくくもの絶え間より、漏れ出るつき人おとこのさわやかさ。

 「秋風…飽き満ちた心に吹く風…厭きた心に吹く風」「たなびく…棚引く…細く永く漂っている…(枕草子にいう)紫だちたる雲の細くたなびきたるさま」「雲…心に煩わしくもわきたつもの…情欲など…広くは煩悩」「月…月人壮士・月よみをとこ(万葉集の詞)…男…おとこ」「影…光…陰…ものの姿」「さやけさ…明るいさま…清らかなさま…澄んでいるさま」。新古今集 秋上、詞書は「崇徳院に百首の歌奉りけるに」。


 俊成「古来風躰抄」に、顕輔撰「詞花和歌集」について、次のような批評がある。

 詞花集は、こと様はよく見え侍るを、あまりにをかしき様のふりにて、ざれ歌ざま多く侍るなり。「葦間に宿る月みれば」といへる歌は、いとありがたく侍るものを、とより様に歌のふりのいかになりにけるにか、その風躰の歌をば撰ばずして、ざれ歌にのみなりにけるは、かつはさかしらする者ども侍りけるにこそ。

 ほぼ次のように読める。

 詞花集は、言の様子は良く見えるのですが、余情におかしき様の振りで、戯れ歌様が多くあるのです。撰者の「あしまに宿る月みれば」といった歌は、とっても珍しく優れているものを、他に寄りざまに、歌振りが如何になってしまったのか、その風躰の歌をば撰ばずして、戯れ歌ばかりになったのは、一つには、撰歌に差し出がましくする者どもが居たのですよ。

 選者の顕輔の歌は、いとありがたく侍るという。その歌を聞きましょう。

 難波江の葦間に宿る月みれば 我が身一つはしづまざりけり

 難波江の葦間に宿る低い月見れば、我が身分一つだけが沈んではいないことよ……何はえの脚間に宿る月人おとこを見れば、我が身の一つだけは、静まらないことよ。

 「なにはえ…難波江…何は江」「江…女…え…愛すべき」「葦…脚」「間…女」「月…月人壮士…男…おとこ」「しづまざり…沈んでいない…沈滞していない…鎮まらない…静まらない」。
 詞花集雑上の詞書は、神祇伯の顕仲が摂津広田社にて歌合しますと言って、「寄月述懐」ということを詠んで下さいと乞うたので遣わした歌という。
 俊成は「古来風躰抄」にこの歌を、秀歌例にとりあげ、そこでも「いみじくをかしき歌なり」と述べている。


 もう一首、詞花和歌集雑上の顕輔の歌を聞きましょう。俊成「古来風躰抄」も秀歌例にとりあげる歌。

 よもすがら富士の高嶺に雲消えて 清見が関に澄める月影

 夜もすがら富士の高嶺に雲なくて、清見が関に澄んだ月影……一晩中、不尽の高い山ばで、くも消えて、清見がせきで澄んでいるつき人おとこ。

 「富士…不尽」「雲…情欲など心に煩わしくもわき立つもの…広くは煩悩」「清見が関…関所の名、名は戯れる。清見が関門、さわやかな覯の門」「見…覯…合」「関…門…女」「月影…月光…壮士の陰…おとこ」。詞書は「家に歌合しけるに詠める」。  


 これらの歌に詠まれた風情や景色は、歌の清げな姿。
 歌の言葉が浮言綺語のように戯れて、そこに顕われる趣旨が、心におかしいからこそ、俊成は愛でている。


 藤原顕輔(1090~1155)。正三位左京大夫。父は修理大夫藤原顕季、藤原清輔は子、歌の六条家を継ぐ。顕輔は、源俊頼、藤原基俊、藤原忠通らとともに歌合で活躍した。崇徳院に「詞花和歌集」を撰進したのは保元の乱の四年前。久寿二年(1155)の保元の乱の直前に、六十六歳で没した。歌は、金葉集に十四首、詞花集に六首、千載集に十三首、新古今集に六首入集。


                 伝授 清原のおうな

 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
                 聞書 かき人しらず