New Yorkerさんから頼まれたので、UPします。
16日夜、TVで震災のドラマ、やってましたね。とても良くって、私なんかオイオイ泣いちゃいました。
それでね、あの社説。
結構長い文章だから、ドラマの中じゃあ、さわりしか紹介されて無くって、ちょっと消化不良。
「UNEちゃん、ブログに上げといてくれたまえ。YOU KNOW?」と半ば脅されて、探してきました。約束通り全文UPします。
神戸新聞さんへも、ちゃーんとお知らせしてのupですから...
▼被災者になって分かったこと(神戸新聞1995年1月20日付「社説」)震災から3日目、三木康弘論説委員長が書いた論説
あの烈震で神戸市東灘区の家が倒壊し、階下の老いた父親が生き埋めになった。三日目後に、やっと自衛隊が遺体を搬出してくれた。だめだという予感はあった。
だが、埋まったままだった二日間の無力感、やりきれなさは例えようがない。被災者の恐怖や苦痛を、こんな形で体験しようとは、予想もしなかった。
あの未明、ようやく二階の窓から戸外へ出てみて、傾斜した二階の下に階下が、ほぼ押し潰されているのが分かり、恐ろしさでよろめきそうになる。父親が寝ていた。いくら呼んでも返答がない。
怯えた人々の群れが、薄明の中に影のように増える。軒並み、かしぎ、潰れている。ガスのにおいがする。
家の裏に回る。醜悪な崩壊があるだけだ。すき間に向かって叫ぶ。
何をどうしたらよいのか分からない。電話が身近にない。だれに救いを求めたらよいのか、途方に暮れる。公的な情報が何もない。
何キロも離れた知り合いの大工さんの家へ、走っていく。彼の家もぺっしゃんこだ。それでも駆けつけてくれる。
裏から、のこぎりとバールを使って掘り進んでくれる。彼の道具も失われ、限りがある。いつ上から崩れてくるか分からない。父の寝所とおぼしきところまで潜るが、姿がない。何度も呼ぶが返事はなかった。強烈なガスのにおいがした、これ以上無理だった。
地区の消防分団の十名ほどのグループが救出活動を始めた。瓦礫の下から応答のある人々を、次々と救出していた。
時間と努力のいる作業である。頼りにしたい。父のことを頼む。だが、反応のある人が優先である。日が暮れる。余震を恐れる人々が、学校の校庭や公園に、毛布をかぶってたむろする。寒くて、食べ物も水も乏しい。廃材でたき火をする。救援物資は、なかなか来ない。
いつまで辛抱すれば、生存の不安は薄らぐのか、情報がほしい。
翌日が明ける。近所の一家五人の遺体が、分団の人たちによって搬出される幼い三児に両親は覆いかぶさるようになって発見された。こみ上げてくる。父のことを頼む。検討してくれる。とても分団の手に負えないといわれる。市の消防局か自衛隊に頼んでくれといわれる。われわれは、消防局の命令系統で動いてくれるわけではない。気の毒だけど、という。
東灘消防署にある救助本部に行く。生きている可能性の高い人からやっている、お宅は何時になるか分からない、分かってほしいといわれる。十分理解できる。理解できるが、やりきれない。そんな二日間だった。
これまで被災者の気持ちが本当にわかっていなかった自分に気づく。″災害元禄″などといわれた神戸に住む者の、一種の不遜さ、甘さを思い知る。
この街が被災者の不安やつらさに、どれだけこたえ、ねぎらう用意があったかを、改めて思う。(了)
角川ソフィア文庫「神戸新聞の100日」
文章のほとんどがが現在形で記述され、目の前に情景がありありと浮かんできます。また、涙。
New Yorkerさん、お約束は果たしましたよ。
さあ、それじゃお休みなさいっと・・・。
えっ、お前はだれ?かって、いやだぁ、ラルフ君の次に登場した雌猫ですよ。
あっ、そうか、あの時は気取ってブログ・パーツで顔見せしちゃったから・・・。
これが私の本当の姿ですから、覚えておいてくださいね、どうもごめんなさいです。
名前は、UNE(アン)です。
ご主人さまとはラルフ君よりも長く付き合いました。今は、星になっちゃいましたけど。
また、おじゃまします。はやくご主人様の夢の中に戻らないといけないので・・・。
追伸?
みんな、「テーマ」を決めてるみたいだけれど、ここでは何をしゃべっても良いんだよね?
16日夜、TVで震災のドラマ、やってましたね。とても良くって、私なんかオイオイ泣いちゃいました。
それでね、あの社説。
結構長い文章だから、ドラマの中じゃあ、さわりしか紹介されて無くって、ちょっと消化不良。
「UNEちゃん、ブログに上げといてくれたまえ。YOU KNOW?」と半ば脅されて、探してきました。約束通り全文UPします。
神戸新聞さんへも、ちゃーんとお知らせしてのupですから...
▼被災者になって分かったこと(神戸新聞1995年1月20日付「社説」)震災から3日目、三木康弘論説委員長が書いた論説
あの烈震で神戸市東灘区の家が倒壊し、階下の老いた父親が生き埋めになった。三日目後に、やっと自衛隊が遺体を搬出してくれた。だめだという予感はあった。
だが、埋まったままだった二日間の無力感、やりきれなさは例えようがない。被災者の恐怖や苦痛を、こんな形で体験しようとは、予想もしなかった。
あの未明、ようやく二階の窓から戸外へ出てみて、傾斜した二階の下に階下が、ほぼ押し潰されているのが分かり、恐ろしさでよろめきそうになる。父親が寝ていた。いくら呼んでも返答がない。
怯えた人々の群れが、薄明の中に影のように増える。軒並み、かしぎ、潰れている。ガスのにおいがする。
家の裏に回る。醜悪な崩壊があるだけだ。すき間に向かって叫ぶ。
何をどうしたらよいのか分からない。電話が身近にない。だれに救いを求めたらよいのか、途方に暮れる。公的な情報が何もない。
何キロも離れた知り合いの大工さんの家へ、走っていく。彼の家もぺっしゃんこだ。それでも駆けつけてくれる。
裏から、のこぎりとバールを使って掘り進んでくれる。彼の道具も失われ、限りがある。いつ上から崩れてくるか分からない。父の寝所とおぼしきところまで潜るが、姿がない。何度も呼ぶが返事はなかった。強烈なガスのにおいがした、これ以上無理だった。
地区の消防分団の十名ほどのグループが救出活動を始めた。瓦礫の下から応答のある人々を、次々と救出していた。
時間と努力のいる作業である。頼りにしたい。父のことを頼む。だが、反応のある人が優先である。日が暮れる。余震を恐れる人々が、学校の校庭や公園に、毛布をかぶってたむろする。寒くて、食べ物も水も乏しい。廃材でたき火をする。救援物資は、なかなか来ない。
いつまで辛抱すれば、生存の不安は薄らぐのか、情報がほしい。
翌日が明ける。近所の一家五人の遺体が、分団の人たちによって搬出される幼い三児に両親は覆いかぶさるようになって発見された。こみ上げてくる。父のことを頼む。検討してくれる。とても分団の手に負えないといわれる。市の消防局か自衛隊に頼んでくれといわれる。われわれは、消防局の命令系統で動いてくれるわけではない。気の毒だけど、という。
東灘消防署にある救助本部に行く。生きている可能性の高い人からやっている、お宅は何時になるか分からない、分かってほしいといわれる。十分理解できる。理解できるが、やりきれない。そんな二日間だった。
これまで被災者の気持ちが本当にわかっていなかった自分に気づく。″災害元禄″などといわれた神戸に住む者の、一種の不遜さ、甘さを思い知る。
この街が被災者の不安やつらさに、どれだけこたえ、ねぎらう用意があったかを、改めて思う。(了)
角川ソフィア文庫「神戸新聞の100日」
文章のほとんどがが現在形で記述され、目の前に情景がありありと浮かんできます。また、涙。
New Yorkerさん、お約束は果たしましたよ。
さあ、それじゃお休みなさいっと・・・。
えっ、お前はだれ?かって、いやだぁ、ラルフ君の次に登場した雌猫ですよ。
あっ、そうか、あの時は気取ってブログ・パーツで顔見せしちゃったから・・・。
これが私の本当の姿ですから、覚えておいてくださいね、どうもごめんなさいです。
名前は、UNE(アン)です。
ご主人さまとはラルフ君よりも長く付き合いました。今は、星になっちゃいましたけど。
また、おじゃまします。はやくご主人様の夢の中に戻らないといけないので・・・。
追伸?
みんな、「テーマ」を決めてるみたいだけれど、ここでは何をしゃべっても良いんだよね?
TVを見て、全文読んでみたかったのですが、やっと見つけました。
これからも、おじゃまします。
こちらこそ、ご訪問ありがとうです。
これからも、ご主人様を、どうぞごひいきに。