OMKSRU's monologue

なにはともあれ、生かされているうちは頑張らねばと、思いつつも・・・。

K 君(大玄海)

2010-03-14 18:27:47 | 飼い人の友達
 飼人が外出したので、PCを使う。

遠慮していたのか、それともずぼらしていたのか、人間の身勝手さは今に始まったこっちゃぁないが、嘆かわしい...ワン。
飼い人が、お詫びのコメントをアップしたみたいだけど、次に僕が書くなんて、約束した覚えはないのに、丸投げだ。どこかの国の政治屋の手法そのものじゃぁないか、と、怒り心頭ですが、せっかく始めた独り言の落書き帳を閉じさせるのは何とも勿体ないので、ここは誘いに乗ってあげよう。しかし、今回限りだよ。
だって、僕が使いたい時には、優先して使わせてくれないじゃないか!このPC。
僕だって、たまには、いや本当に時々は、麗しいプードルちゃんやなんかの、その、あのぉ、艶めかしいお宝画像を探したいのに...。

あっ、ご心配なく。飼い人も他の登場人物も、犬語を理解しないから、だからして、こんな事書いても、彼等には読めやしないのだから。

【飼い人の友達】というタグを作ってしまったので、続けよう。
第二回目は、K君。他にも語るにおぞましい数多の友人は居るけれど、少し品のいい話にしようか....


K君(大玄海)

飼い人がK君と始めて知り合ったのは、高校2年の時だ。クラス替えで、同級となった。

それまでに飼い人が知っていた、K君の来歴。

1 御当地で唯一入試のある、公立大学附属中学校出身。
2 応援団に入部したが、半年でDrop-Outした、意気地なし。
3 ペンネーム【大玄海】として、Z会の数学の会報では常に全国のトップ5に位置する。

順序立てて、解説しよう。

1に付いて。

飼い人の住む町は、それほどの田舎町ではない。と言って、それほどの都会地でもない。政令指定都市ではあったが、所詮地方の100万都市。学校の格差も、お江戸あたりと違って、公立優位であった。(小、中、高とも)今でもそうかなぁ...。

そんな状況の中で、中学入試などは、飼い人などには思いもよらぬ事。附属中学校とは、親の憧れる最初のブランドで在ったらしい。
そして附属出身者のほとんどは、飼い人の通うこの高校(これも県立高校)に進学する。K君もこの中の一人であり、他の公立中学出身悪ガキ秀才連合にとっては、軟弱ものとしてオミットされるべき存在の一人だった。(女子は別との事...なにせ女子は一学年500人中80人しかいないもので、選別など以ての外なのだ)

2に付いて。

そんなK君、何を狂ったか、応援部に入団した。飼い人の母校(これからは母校とのみ書く)は、文武両道?を旨とする。
まァ、先人に付いてはそれも正しかろうが、はたして飼い人世代は?あ、いや、同窓諸兄に叱られそうなので、飼い人に限っての評論としよう、ワン。

母校は、かって、遠い昔、歴史の事実として(くどいなぁ)、甲子園の優勝校としてその名を紫紺のにも、深紅のにも、記している。しかも、連続で。げに、先輩はすごい。
と、その影響もあって、応援部の活動も推して知るべしである。

新入生は、入学して最初のオリエンテーションでその洗礼を浴びる。
運動場の北の端、裏山との境にある屋外の第3運動場に、全員集められ、『校歌、応援歌、(これが思い出すだけでも4つもあるのだが、不思議と酔った時には今でも全部歌えてしまう)、優勝歌?、逍遥歌、エールのパターン練習(こらぁ、貴様ら気合を入れんかー)』が、三日間行われる。
まっさらの、学生服のまま、赤土の地面に直に座らされ(もちろん女子も)、カタチノイイ学帽も、握りつぶして振りかざし、軟く握ろうものなら、上級生の罵声が浴びせられる。中学を卒業したばかりの『いとけなき』幼子たちは、ここで世の理不尽を学ぶのだ。
であるからして、応援部部員たるもの、全ての在校生の模範となり、お勉きょなんかいいから、声帯と足腰を鍛えるべし、の有り難い教えどうり、凄まじいブートキャンプが行われる。
案の定、K君は、挫折した。ひょっとしたら、K君にとって人生で唯一の挫折だったかも、と今は思う。

3に付いて。

附属中学出身者が、【Z会】を流行らせた。上級生も含めて、一種のブームが起きていた。遅ればせながら、公立中学出身悪ガキ秀才連合にもその【悪波】が押し寄せ、

「なんか、Z会やらんといかんみたいよ。おっかあが、附中の母上達から吹き込まれたみたいやけ、どげんしょうか?」状態に陥ってしまった。ったく...。

【通信教育毎月全国模試毎月全国個人順位確定(晒者付)】の時間が、楽しい【女子高麗人探索欲唇嗚呼鼻血妄想手○後始末】生活の時間を浸食してしまった、ったく...。と、これは僕では無く、あくまでも飼い人の心情を表したものです。

で、その【Z会】。御多分にもれず、全国順位月報に母校附属中出身者が、時折お目見えする。
ペンネーム【大玄海】、母校応援歌にもある、その荒海の名である。
もちろんすぐさま、公立中学出身悪ガキ秀才連合(これを次から【公中連】と呼ぶ、何セ長すぎる)による下手人探しが始まったのは、読者の想像に難くないところでしょう。

それが、K君、頭の出来は、これはもう天下一品。特に数学のそれは、教師をも凌いだのだ。

長くなったが、さて、ここからがK君話。

飼い人は、K君と意気投合した。出席番号で、直前直後の関係から話す事を始め、「ォ、なかなか良い奴やないか」状態に成るまで、そんなに時間はかからなかったそうだ。【公中連】との付き合いとは別の新たな世界からの親友をこの時得たのだという、良かったねぇ...。

K君の頭脳細胞cpuの能力は、それはもう凄まじかった。次に、本日のメインエベントを示して、それを紹介しようか、この回は、それで終わる事にしますから、悪しからず。

【メインエベント】

母校では、3年生になると年4回の実力テスト【大学入試模擬試験(これを進学テストと呼ぶのだが)】が行われる。
地元の【国立防人大学】のレベルに合わせた問題で、900点満点の六割くらいが合格点だったか、【国立御所大学】や【国立皇居大学】やは、七割以上だったかなぁ、良くは記憶に無いらしいけれど、まぁ行われるのだ。

で、4回の内、夏休み明けの回だけ、チョット趣の違う方法がとられる。
ある者には、大いなる名誉、ある者たちには、大いなる恥辱をもたらす、その誰が考えたか知らない卑しい試みとはなにか?
こういうことです、3年生500人、母校附属予備校(他校の浪人生も含む)200人程、そして事もあろうに、2年生選抜50名の参加が許可され、悪夢の(進学テスト)は執り行われるのです。
3年生や、浪人生には、拷問のような精神的プレッシャー。実際、飼い人達も、3年になった時、つくづく感じたそうです。

それで、飼い人2年生の時のそれ。
数学。200点満点。問題6問。(大学入試準拠だから、もちろん全範囲、微分方程式も、集合論、確率もある)

飼い人は、先ず捨てる問題を探す。何とか手に付きそうなのを3つ位見つけて、二時間で大丈夫かなんておもったりして...、っと。

後ろの席からは、無駄の無い軽やかな、鉛筆の用紙を擦る音が心地よいリズムで伝えられる。そう、K君が飼い人の後ろの席で、左手で頬杖付きながら、チョット斜めに腰かけたいつもの姿勢で、まるでクロスワードやってるみたいにリラックスしているのだ。

一時間が過ぎたころ、K君の筆が止まった。飼い人のエンピツはとうの昔に止まっていた。芯も減らぬ。あぁー・・・。

突然、シュッと何かを擦る音がして、芳しい香りが飼い人の後方から漂ってきた。

「アぁー、良い香りだなぁ...」などと能天気に思っていたけど、これは記憶に有る匂い。

「アぁー、俺も吸いたい!ショートピース。・・・え~、ぇえショートピー.....?」

カンニングの汚名を恐れず、気合で振り返ると、K君の右手から紫煙が真っ直ぐに天に向かって立ち昇っていた。
皆、見ていた。教官も見つめていた。暫しの沈黙、あっ、いや試験中だから沈黙は当たり前だけれど、より緊張感を伴う深い漆黒の沈黙、があって、K君悠然と、周りと自分の右手を見つめ、徐にポケットの中で、ショートピースもみ消した。後で聞いたところによると、死ぬほど熱かったらしい。

とこんなことがあった。これも青春の良き思い出の一つとのことである。
飼い人の友人は、先日のH君といい今度のK君といい、面白いですね。人間は、みなこうも落語の世界に生きているのでしょうか、と思う今日この頃です。

次回は、J君。前の回で予告してたのに、K君話が先行した事お許しを。
またお会いしましょう。そろそろ、飼い人がお帰りの時間ですので....


ぇ、何、それからどうなったかって?
あまりたいした話じゃないけれど、後日談しますか?
しょうがないねぇ、お客さんも好きですねぇ。

結局K君は、教員室に呼び出された。K君の言うことには、教師たちはこう言ったそうです、
「Kよ、気持ちはわかる。でもここは一つ言わねばならぬ。頼むから、家での事に限ってほしい、学校では許してくれ、」と。
ほんとかどうかは、解らないけどね。

後日談2。

数学の順位表によると、トップの点数は、196点。受験者800人近くの中で、見事に2年生が、それも驚異的な新記録を樹立した。飼い人ら2年生も鼻が高いというものだ。
もちろん、K君。

飼い人はと言うと、捨てずに何とか取り組んだ問題で、80点くらい。まぁ、こんなものです。
3年に進学してからも、K君の数学のそれは、常に196から198の間を漂った。
たぶん、教師のプライドがそうさせたのだろう、とのもっぱらの噂であった。僕もそう思う、ワン。

その後、K君は、めでたく【国立・皇居・文京・赤門】大学へと現役合格し、かさねてめでたく理学部数学科を御卒業、その後学研生活には入らず、コンピュータの巨人の家に下宿した。何年かして、海を渡り【U.S.アインシュタイン】大学に出張り、なんたら称号を拾ったとか。

だから、同窓会名簿の出身大学校の欄には、光り輝く【プリンストン】の文字と、【Ph.D】の記号が刻まれているのだ...、とさ。


H君

2010-01-12 17:25:37 | 飼い人の友達
 飼い人が外出したのでPCを使う。
今日は睡眠不足も甚だしい。
ここのところ毎晩、チープスリルが聞こえていたけれど、昨夜は、なんたらチューブでだみ声のこのおばさんが、メルセデスを買ってくれと神様に向かって大声で叫んでいた。


a href="http://www.youtube.com/watch?v=C-GFqhCq2HA">Janis Joplin - Mercedes Benz

安眠妨害だ、まったく。

これまでの経験から推し量ると、我飼い人は、気分の滅入った時に、自分自身を鼓舞する目的で、このおばさんの歌を聴く。
今度は何があったのかしらん。

昔、酒に酔った飼い人が、このおばさんのレコードについて語っていた事がある。本人は忘れてしまっているかも知れないが、私は良く覚えているので、ここに書いてしまおう。
ご心配なく、飼い人は犬語を理解しない。だからして、ここに書いても、彼には読めやしないのだから。


H 君

1970年、大学受験に失敗して、我飼い人は地元で浪人生活に入っていた。
この年の秋口、彼の親友から一通の長い手紙が届いた。
親友、小中高と同じ学校に通い、近所に住んでいたこの男も同様の一浪の身なのだが、この友人は(この先H君と呼ぶ)
はるか遠く東京の地で、上野の油を目指して勉強?していた、・・・筈だった。
高校三年の二学期を終えるとすぐに東京に昇り、そのまま卒業式にも帰らずに、木炭と食パンと羽根毛とを振りかざし、狂気の日々を過ごしていると誰もが疑わなかった。

H君は恋をした。
美しい言葉で書こう、H君は大人の恋をした。(吉田拓郎 / 青春の詩)青春の詩 吉田拓郎 歌詞情報 - goo 音楽そのものだった。
そして悪い事に初めての恋が、「大人の恋」だった。

長い手紙にはこうあった。

「この一年、女神(これは原文どうり)と過ごしてきた。めくるめく幸福感に包まれ、なぜもっと早く東京に来なかったのかと悔やまれた。冬の寒さも夏の暑さも、僕らには何者でもなかった。ラスト・タンゴ・イン・パリのように二人でお互いの存在を確かめあった。

(中略)-長々とのろけ話が続くのでー
    ー二十枚程の手紙の最後の一枚にー 

三日前、彼女がアパートを出て行った。理由は分からない。何故なのか、どうして。理由が知れず、頭は混乱して身体は震え続けている。もう一日も耐えられない。Sよ、世話になった。この手紙を投かんしたら、ウイスキーを飲んで、何か好きな曲を聞きながらホースをくわえることにした。悪いな、それでは。」

消印は二日前、速達だった。
飼い人は、東京在住の口の堅いもう一人の友人にすぐさま連絡を取り、彼自身も何とか金を工面して、東京へ向かった。彼の家族は、彼がどこに行ったのか知らなかったそうだ。
電話連絡は取れなかった。東京の友人がアパートを訪ねても、応答はなかった。人の気配も無かったという。

八重洲口で待ち合わせ、中央線に乗り換えて高円寺へと向かう。南口から商店街を抜け、歩いて十分位の所に、H君のアパートはあった。案の定返事はない。大家を探そうか、どうしようかと近くの喫茶店で思案し、一時間ほどして再度階段を上ってみると、二階中に響き渡るジャニス・ジョプリンの叫びが聞こえたそうだ。

そのときのジョプリンがこれ。「チープ・スリル」



H君は、郵便局からの帰り道、秋晴れの日差しに包まれた時、身体の中にふわふわとした癒しの啓示を感じたのだという。

結局、思い悩むよりも、大事は自ずと小事へと漸近する。

今となっては酒の肴の笑い話ではあるが、青春そのものの清々しくも切ない思い出である、との事。

それ以来「チープ・スリル」は彼らの癒しの定番となったらしい。
しかしその寿命も、一年足らずだった。

1972年、ジョプリンの遺作となる「パール」の出現とともに、その座は取って代わられた。

           

 最終的に、 二人の出した結論は、「こっち(パール)のほうが、なんかカッコいい、元気もでそうだし・・・」だったという。

このようにして彼らの間で抗鬱用には「パール」だ、というコンセンサスが成立したという。

微笑ましいというか、アホラシイというか、何ともはやなお話である。でも、若いとは良いなぁ、飼い人もH君も追憶の中にあの瞬間を惜しんでいる事だろう。

という事で、
今回はH君の話。次回は、そうJ君の話をしようか。

お楽しみに。

ところで、「チープ・スリル」にも「パール」にも(MOVE OVER)は入っていないよね?僕はあれが一番好きなんだけれど・・・。

        
           

続いて登場

2010-01-07 12:26:36 | 飼い人の友達
はじめまして。続いては僕の番ですか・・・。

僕は、音楽好きの ヨーキー。名前は(気に食わぬ事に自分で付けたのではないけれど)『ラルフ』です。まぁ、結構気に入ってはいるのですが。

僕の飼っている人間から、独り言でもしゃべって、日ごろの憂さ?を晴らしてみれば、とアウトプットを勧められて今ここにいる次第です。

昨日の洒落た外人は、New Yorker さんでしたか。いやいや相変わらずのGood-Looking ですなぁ。

閑話休題。

冬に入ってから、僕の周りで(僕の飼っている人間・これをこれからは飼い人と呼ぶ)旅立つ人が続きました。
飼い人も、もうそこそこの年齢だから、周りでは自然の事なんでしょう。

寿命という事で言うと、僕らはどんなに頑張っても20年、飼い人達は100年ですか。

お互いに、長いような短いような。まあ、精一杯頑張って過ごしましょうか。

正月の間、飼い人の本棚からちょっと拝借して『徒然草』を舐めました。
兼好さんも New-Yoker さんみたいな事を書いてますね。
『生きる』の反対語は『死ぬ』ではないと。

森羅万象、死は生の一部なのですね。
僕らは何の疑いもなくこう思っているのに、人間社会では対極として取り扱われているようで、微笑ましくもあります。芦屋の鼠と仲の良かった pre-novel prize 作家も何かの本で書いていたような気がしますが・・・。

さて、これからギターでも弾きますか。
なに、肉球で引けるのか?ですって、何をおっしゃいますか!
この麗しい肉球で奏でると、まるで Wes Montgomery のようなメロウで芳しい音が空気を震わせ、あまたの雌たちを引き寄せ、尻尾を挙げて、あゎゎ×××。

では、お後が宜しいようで。またいつの日か。