Walking Holidays ~ニュージーランド編~

大好きなトレッキングを中心にニュージーでの生活を綴ります。なのでWorkingではなくWalking Holidays!

環境に影響を受けること

2013-03-05 | つれづれゴト。
人は環境に影響を受ける生き物だという。
(そもそも、生き物ってみんな環境に影響を受けるんじゃないのかな?)

最近、私が「ああ自分、環境に影響を受けているな~」と思うのは、
昨年半年過ごしたカナダでは、みんなコーヒーが大好き。
道を歩く多くの人が片手に紙コップやらタンブラーを持っている。
え、カフェイン中毒?と思うほど、一日少なくとも一度は飲まないとダメらしい。
特に一日のはじまりの朝に飲むのが重要らしく(笑)、時間がなかったり、
コーヒーが切れてたりで、朝飲めなかった人に会ったりすると、
「もう今朝コーヒー飲めなくてね、ほんと目が覚めなくて」とか、
「気分がのらないんだよねー」とか、
「コーヒー買ってきていい?」とか 笑。

うん、やっぱりカフェイン中毒だよね 笑。

日本人から見れば、そんなストレスフルな社会には見えないし、
なんで、そんなにコーヒーが重要なんだろう?と理解しきれない部分もあった。

け れ ど、
そんな自分も、コーヒーのいい香りと、周囲で多くの人が飲んでいる光景を毎日無意識に見ていると、
なんだか飲みたくなるんです。
日本では、飲んでも一回の飲む量が缶コーヒーサイズの量だったのに、北米だけに、日本のMサイズをゴクゴク 笑。
そして、もう一つの要因としては、コーヒーがどこででも、手軽な値段で売っているので、買ってしまっていたのでしょう。


でも個人的には、北米の気候的、地理的な環境が、コーヒーを飲みたくさせるんじゃないかなって思ってるんです 笑。

なぜかというと、
ニュージーランドに来てから、全然、カナダにいた時と同じような感じでコーヒーを欲さなくなったんです 笑。

若干、コーヒー飲むと甘いものも食べてしまうからダメという自戒の念もあるのですが、それでも「中毒」なだけに、
また欧米に行ったら欲するのでは思っていたのですが・・・今のところ発症しておりません 笑。

そして、ニュージーランド人はコーヒーを北米人のようには飲んでいない。
あの片手にコーヒーの風景を見かけない。
まだ大都市をよく歩いていないので正しくないかもしれませんが、カフェはあっても、
テイクアウトカップで注文して持ち歩く人をほとんど見かけない。

やっぱり、あれは北米人の特徴だったのだろうか。

ニュージーはイギリスの色がもう少し強いのか、カフェでしっかり陶器のカップで楽しんでいる光景を見かけます。
しかも、カップの中をのぞいて見ると、ブラックコーヒーよりラテ系を飲んでいる人が多い気が。

すっかり、コーヒーの話になってしまいましたが、
要は、人って色々な周囲のものごとに影響を受けるんだなってことです。

他にも面白いなと思ったのが、
カナダもニュージーランドも移民国家ですが、カナダの国民性は非常に親切、丁寧、礼儀正しい。日本人の感覚にいちばん近いんじゃないかと思う欧米人(個人的な感想ですが。)。
そんなカナダに慣れてしまうと見る目が偏ってしまっているのですが、ニュージーランドは、陽気、ざっくりした性格、気まぐれ、ラフ。
すごく大雑把にいうと、カナダ人が紳士&淑女なら、ニュージーの人、庶民的な方々。もちろん、みんながみんなじゃありません。

なので、同じ移民でも、
例えば、同じインド人の移民なのに、カナダにいたインド人はカナダの習慣に育まれ、使う言葉が礼儀正しい、親切。
ニュージーだと、環境が違うから、違ってくるんですね。

カナダの方がいいっていうことではなく、文化や習慣の違いが異国から来た人の中には、より分かりやすく現れるなということです。

日常生活に置き換えると、
自分がどんな言葉を使う人になりたいか、どんな習慣を持つ人になりたいか、どんな考えを持つ人になりたいか、イメージして、
その理想がある環境、理想に近い環境に身をおくが大切だなっと実感しました。


南、南にやってきて。

2013-02-21 | つれづれゴト。
長らくブログをお休みしていました。

お待たせしました!

舞台はカナダからニュージーランドに移りました。

ニュージーランドは、猛獣がいません。
毒へび、クモなどの危険な動物も一切いません。

なので、国鳥kiwi(キウイ)に代表されるように、固有の鳥は飛べません。

ニュージーランドは、動物だけに楽園なのではなく、
もちろん、ハイカーにとっても楽園です!

クマなし、イノシシなし、クーガーなし、毒ヘビ&クモなし。

とにかく人以外の獣で心配する必要がありません。
楽園だ~♩

そして、お決まりの羊たち。

羊、羊、羊、羊、羊、羊、羊、羊、羊、羊、羊、羊・・・。

ホント、どこにでもいます (笑)。

そんな牧歌的なニュージーより、これからはお伝えしていきます!

ニューヨークで越える年。

2013-01-03 | つれづれゴト。
ニューヨーク。

それは夢の中にいるようだった。

この「夢」はどういう夢かというと、寝ているときに見る、支離滅裂した夢。
途中で全く違うストーリーに切り替わったり、車運転しながら空飛んでいるみたいな非現実的なことが起きたりする、あれです。

ニューヨークは、小さい空間にギューッと色んな文化が濃縮されていた。色んな人が忙しく行きかっていた。
世界中から人が集まっていた。混沌としていた。エネルギーに溢れていた。

北米のなかのアジア?

なんだか系統の違うものが沢山溢れていて、それに触れて、頭の中は訳の分からない夢を見た後の混乱した状態のよう(笑。

建築家の安藤忠雄さんは、若いころ、「なにがなんだかわからなくてもとにかく体験してみなあかん」と思って、
ニューヨークをゴールに旅をしたそう。

うん、安藤さん、
あのニューヨークの空気、まだわけが分からんだけれど、肌を通して体験したからこそわかったこと、たくさんありました。

ニューヨークを見て、こんな国に戦争で勝てるわけないよ。となんだか感じました。


つづきは、また。

一万日いきまして、

2012-12-21 | つれづれゴト。
今年は、いつの間にか生まれてから一万日が過ぎた年だったようです。

はい、そこの計算の速いアナタ!年が分かりましたね(笑)。


記念すべき1万日目には全然気づかず、あーっと後になって気づきました。
誕生日が来ると、自分もよく人に送りますが「よい1年を」と書きます。
そして新年を迎えても「今年もよろしく」などと書きます。

1年がプツリプツリと切れた単位で、新しい年を迎えるというのは、
無意識に、ぶつ切りのブロックを重ねてきたと感じていたように思います。
それはそれで、気持ちを入れ替えるということでいいと思います!

が、
生まれてから10000日と考えたとき、あの歴史年表や、地球が誕生してからの出来事が書かれいてる
帯のように長い年表みたいに、自分の人生もオギャーと泣いた時から、ずーっと続いてきてるんだなっと思ったのです。
その歴史年表では、自分が誕生してから365日目は、当然生誕1歳の日(笑)。1000日目は3歳ちょっと過ぎた日みたいに。
ずーっと一続きなんですよね。で、その線の最先端が今の自分。

昨日までの成果が、今日の結果なんですね。うう。

そう考えると、普段思わないことも考えます。
そうか、自分の心臓は10000日も休まず動いてくれてるんだ。感謝。
これからも、まだまだ休まずお願いします。
他の体の他のパーツもそんなに長く動いているのだから、ガタもくるのだろうな。
車と一緒でメンテナンスって大事だな、心も体も。

自分とちょうど60歳違いのおばあちゃん。
おばあちゃんは一万日ユニットを何回生きているんだ?
そう思うと、本当にすごい存在だ。

私の地元では、ほおずき市というお祭りが、毎夏お寺の境内で行われるのですが、
そのお祭りのときにお参りをすると4万6千日分したことになるといわれています。
・・・仏さま、あまりに太っ腹すぎます(笑)。
どんだけお得なんだ、ほおずき市!!と思った1万日を過ぎた今日この頃でした。


ゆめはゆめをよびおこし。

2012-12-18 | つれづれゴト。
私の好きな言葉の一つ。

それは冒険家・植村直己さんの『青春を山に賭けて』に出てくる一文。
「私の夢は夢を呼び起こし、無限に広がる。」

そしてその後、こう続きます。
「過去の出来事に満足して、それに浸ることは現在の私にはできない。困難のすえにやりぬいたひとつ、ひとつは、確かに、
つい昨日のできごとのように忘れることのできない思い出であり、私の生涯の糧である。しかし、今までのやってきた全てを土台にして
新しいことをやってみたいのだ。若い時代は二度とやってこない。現在(1971年)私は29歳、思考と行動が一致して動くのはここ
1、2年だろう。経験は技術である。今が私にとって、いちばん脂がのり、自分で何かができる時期である。」

最初の文章は、その言葉を見ているだけでも、なんだか自分までワクワクしてきて好きな言葉です。

本当、そう思う。
夢は夢を呼び起こし無限に広がって・・・どこからやっていこう~と手いっぱいになってしまうのが自分なので、
順々にカタチにしていけるヒトになるのが常々の課題です。

そして後半の文章の中で、この強靭な植村さんでさえ、29歳で、「思考と行動が一致して動くのはここ1、2年だろう。」と言っているのに驚きました。いえ、体力勝負な世界にいたからこそ、そう痛感されていたのでしょう。

一理あると思いつつ、自分の回りには、年齢と体力と思考の柔軟さが一致しない方々がおられます(良い意味で!)。
植村さんの言葉からとそんな方々を見て、特に体力面では、アウトドアアクティビティーが好きなので、年を取る=
体力低下は避けられないことではあるけれど、一般平均値とは異なる体力グラフを描けたらいいと思います。

そして「若い時代は二度とやってこない」という言葉に同感。

時間はお金である意味買えます。
例えば、東京ー大阪間を高いお金を出せば新幹線に乗れて、時間の節約ができます。
乗っている2時間弱の間で、本を読んだり、何か違うこともできます。
夜行バスよりも疲れないので、到着してからも疲労にやられずに実行したいことができます。
例えば、お金を出してお手伝いさんを雇えば、家事に費やす時間を他のことに費やせます。

が、

流れてしまった過去の時間は買えない。

自分の21歳の時のあの夏の時間が欲しいのだけれど・・と言って、いくらお金を積んだところでも、
アラブの石油王でも世界一のあのお金持ちでも買えないでしょう。

若い時代=若い数字の年齢のときが若さでは単純にはないと思うのですが、やっぱり10、20年後の自分より今の自分の方が
新しく体験することがたくさんある気がするから同じ刺激でも衝撃的に感じるだろうし、そのぶん感受性も大きく揺さぶられるの
ではないのかなと思っています。

だからこそ、多くの経験をしたいし、その時受けた刺激が自分にどんな影響をくれたのかしっかり自分の中で観察して次につなげていきたい。