Walking Holidays ~ニュージーランド編~

大好きなトレッキングを中心にニュージーでの生活を綴ります。なのでWorkingではなくWalking Holidays!

暮らしのまわり。

2013-05-05 | ニュージーランド生活
毎日、自然の中にばかり入っている訳ではありません。

普段は、人里で生活をしています 笑。

というわけで、すっかり気に入ってしまったオークランド・ノースショアの紹介です。

ノースショアはオークランドの都心部からハーバーブリッジを渡った北部一帯の総称です。

あ、写真はこちらでごらんください。

暮らしの中にビーチがとけ込んでいる、そんなエリアです。

朝、静かな浜辺でヨガをして、
昼は友だちとお喋りをしながら散歩。
そして、オープンテラスのあるカフェで一休み。
黄昏時の夕暮れは、波を忘れた静かな海辺で一日を振りかえり、
夜は星空を見上げて、目を閉じる。

東京暮らしでは、「特別」と思ってしまうことが、ここでは日常。

ワイシャツに革靴のビジネスマンも浜辺の岩の上で読書をしている!
斬新。
鎌倉、湘南辺りしか、そんなことできるところは知りません 笑。


オークランドの街中でも思ったことですが、
ここでは都会でも、なんだか、みんなちゃんと息をしながら生活できているんだな、って。

無理がないって、ことなのかな。

労働は「生活」の中心ではなく、一部に過ぎないと思っている、という例えがいいのかな。
労働時間もきっかり。5時がきたら、5時できっかり終わる。

日本の仕事観からすれば、働かねーなー、途中で終わらせるってどういうこと?
と思ってしまうかもしれません。

でも、それで社会はちゃんと回っている。
みんながみんな、「そんなもんだよね、だって就業時間がきたら終わるの当たり前じゃん。」
と思っているから。

働くことは、今日や明日だけではない。
明日も、明後日も、明々後日も・・・・人生の大きな部分を占める。
仕事も趣味も一緒です、という人には関係ないけれど、みんながみんなそういう人ではない。
人生の比重の中心が家庭におきたい人、趣味に置きたい人、色々いる。

「労働」のON・OFFをしっかりさせる価値観が社会で共有されているからこそ、
明日も元気に働こうと思えるし、そうするための時間がしっかり取れる。
だから、日本より、みんな深く呼吸して生きているように見えるんだろうな。


そして、暮らしの近くに、暮らしの中に、自然があふれているのは大切な一つの要素なんだろうな!




























Routeburn Track 最終ー山岳散歩ー

2013-04-19 | ニュージーランド生活
サイドトリップのコニカヒルに登った後は、下りのはじまり。

同じ湖だけれど、陽があたると隠された美しさが露わになり、
その輝きに引き寄せられてしまいます。



誰もいない。
音もない。
聞こえるのは、むこうに流れている滝の音だけ。

当たり前だけれど、滝や川は24時間絶え間なく流れている。
朝もやのかかる早朝だって、真っ暗なやみ夜の中でも。
人間が気づかなくても、見ていなくても。

ただ、それだけでスゴイなって感激なのです。

この前、ぽろっと同じようなことを人に言ったら、キョトンとされました(笑。
当たり前じゃん、って。

たぶん、こんな風に考えるのは、自分が小さい頃から都会で人工的なものに
囲まれてきたのが影響してるんだと思います。

近所の公園の滝や噴水は、5時になると水の流れがとまる。
夏の水不足のシーズンも止まっているときがある。
遊園地の滝や川は、閉園時間になったり、休園日は止まっている。
そもそも、天然の滝なんて身近になかったし!

きっと、人がいない時、眠っている時=水は止まっているというイメージが無意識の中にあるのだと思うのです。
だから、大自然の中で真夜中に滝がゴーゴー音をたてて流れているのを見ると、思わず、「おお生きている」と、ちょっと怖くなるのかもしれません。

頭で考えたら、滝が絶え間なく流れているのは当たり前なのだけれど、「体験値」が足りないから、
実際その光景を見ると、今までの経験との大きな誤差がうまれて、頭がおかしな発想をするのでしょう。


けどね、

私の好きな、写真家であり作家である星野道夫さんの言葉で、こんな言葉があるんです。
「すべてのものに平等に同じ時間が流れていること-満員電車に揺られながら学校へ向かう途中や東京の雑踏の中で、今同じ時間にヒグマが原野を歩いていることへの不思議な気持ち。」

これを本で読んだ時、自分の今目の前に見えていない地球上の大自然の世界を想像し、ロマンだなあと思ったのと同時に、豊かな気持ちになったような気がしたのを覚えています。そして、いつも、頭の片隅にその世界を忘れないでもっていたいと思いました。

私にとっては、滝も同じなのです。
自分が余裕なくカツカツ生活しているときでも、滝はあいかわらずゴーゴーと音をたてて、悠久の流れを作り出している。だから、その光景を心の中に描き出せると、ホッとするし、今、目の前にある世界だけが世界ではないと、少しの余裕を思い出せるのです。


なんだろう、
悠久の時の流れというのでしょうか。人間の私とはるかに違う時間軸で存在するものの時間の流れを
自分の感覚に刻んでおくことって、自分の軸を豊かにしてくれるものだなと思っています。


そんなことを思いながら、最後の宿泊をするハットへ。

じゃん、今晩の宿泊人数、私含め4人(笑)。

今までのグレートウォーク・ハットでは、あり得ない人数の少なさ!

なぜかと言うと、立地的にトラックのスタート&ゴールポイントから2時間弱のところにあるハットなので、通常なら泊まるには微妙な距離のため、みんなスルーしてしまうのです。が、私は翌朝10:00のバスに乗るために、ここを選んだのです。

いやあ、山小屋っていうより、誰かの家に滞在したような静けさでした(笑)。
まあ、色々おしゃべりできたのでよかったですが!

ルートバーンの写真はこちらをどうぞ。









トレッキングコース:Sealy Turns@Mt.Cook

2013-03-05 | ニュージーランド生活
Sealy Turns(シアリー・ターンズ)に、
ユースホステルで仲良くなった子と登ってきました。



感想;これは、修行用に作られた道ですか?

と訊きたくなるような、えいえーーんと続く急な階段トレイルでした。


あまりに急なもので、会話ができない(笑。
といっても、話し始めると止まらないので、すぐに休憩する私たち。

唯一の癒しは、上へ上へと登るたびに変わっていく周囲の風景。


マウント・クックもよく見えてきて、思わず一枚パシャリ。





時間の都合で、残念ながら最終地点までは行けなかったですが、急な分、周囲の景色の変化がわかりやすかったのは良かった☆

上りが急なら、帰りも当然キュウ!
下るのが速い友だち。


下り道、足がやばい~という友人(台湾人)に、日本では「膝が笑う」っていうんだよ、っと教えつつ下りました 笑。

ブログタイトルを変更しました!

2013-02-27 | ニュージーランド生活
ブログタイトルを「WALKING HOLIDAY ~ニュージーランド編~」に変更しました。

理由は、ぱっと見で、分かりやすいタイトルにするため。
いや、引き続き分かりにくいよという声も聞こえてきそうですが(笑)。

ワーキングホリデービザを利用して海外に来ている私ですが、
そもそも海外に行きたいと思ったのは、アウトドア、特に山登り・ハイキングが好きで、
大前提に自然が好きであり、自分の専攻も自然保全系であるため、日本にはないような
大自然に触れたかったからです。

なので、気づいたら、多くの日本人のワーホリメーカーは、語学学校に通い都市部で暮らしていますが、
自分は大自然を追い求め、回りにはワーホリ日本人仲間がほとんどおらず、ちょっと寂しい思いをしたり 笑。

けれど、日本では出会えない自然を求め、そして自然を満喫する。
それが私の描いているワーホリイヤー。

自然の中も、街の中も歩くのが好き。
特に自然の中を歩き出すと12時間ほぼ休みでも意外と元気、ハイキングバカです(笑。
workingよりもwalkingの方が自分には合うんじゃない?
そう思い、ブログタイトルを変更しました。

内容は今まで通りです。
walkingの世界と海外生活をつづっていきます。
ひきつづき、よろしくお願いします🍀



やさしさの設計

2013-02-23 | ニュージーランド生活
海外に出ると、建築や工業デザイン、社会のシステムや、その他色々のデザインって、
ああ、各国の人間味というスパイスで変わるのかなっと思う。

例えば、よく思うのがバスなど乗り物のアナウンス。
日本にいれば、「次の停留所は○○です」というのが当たり前。
けれど、海外に出ると停留所名を告げてくれないところが多かったりもする。
それは、バスの運転手に最初に聞けば用は済むでしょ。ということが前提でデザインされているのだろう。
たしかに、バスの運転手に告げて→降車場所にきたら、「着いたよ、お客さん」と教えてくれる。

けれど、いつも乗っているお客さんでも、ぼーっとしていたら忘れちゃう時もあるでしょ。
運転手もうっかり告げるの忘れることだってあるだろうし。
そもそも、乗車客が多いのだからアナウンスした方が効率良いよね?

そう考えだすと、けっして「やさしさ」からだけではないのかもしれないが、
日本では、アナウンスに関しては、やかましいくらい流れる。
いや、アナウンスだけではなくて、いたるところで時として過剰なまでの説明がされている。

それは、日本人の親切心と心配性とサービス精神などからできているのだろうか。
良く言えば、素晴らしいホスピタリティー。悪く言えば、干渉しすぎ?なのだろうか。

個人的には、思いやりのある人、習慣、国民性が存在する国は、
他人思いの社会システムがデザインされているのではないかと思う(超主観だけれど 笑。

ちなみに、カナダのバスは日本のようでした。
ニュージーランドのバスは、常連さんにしか分からないような感じで、サッと停まり、いつの間にか出発しています。
はい、こちらから教えてねといっておかない限り何もいいませんw

他にも、例えば欧米のモノと比べると、イケてないデザインの工業製品が日本にはあふれているけれど、
実はユーザーを思って、分かりやすく、使いやすく、長持ちするようにと思ったら、ああなっちゃったんだよね。と思う 笑。
でも、最近はステキなものも多いと思います。

取り留めがなくなってしまいましたが、
要は、日本は形あるモノのデザインにしろ、形はないサービスなどのデザインにしろ、
ユーザーを思いに思いまくったものなのだなと感じました。