先日テレビで「チャーリーズ・エンジェル」をやっていた。キャメロン・ディアス主演のやつだ。
あいかわらずのドタバタコメディで、そんなに好きじゃないなーとか思いながらそれでもダラダラ最後まで観てしまった。
気になったのは、エンジェルたちが実行する作戦作戦、全て1回失敗するところ。まぁハラハラさせなきゃ映画として成り立たないんだろうからしょうがないが、それにしても失敗しすぎじゃなかろうか。
失敗するたびにエンジェルたちは「失敗だわ。こうなったら作戦Bよ!」といって作戦を切り替える。
吹替えだから「作戦B」って言ってるけど、これって英語だと「PlanB」なんだろうなーと思い至って、意識が別のところに飛んだ。
日本ではスケーター以外、あまりなじみの無い言葉かもしれないPlanB。(PlanBSkateBoardsってカンパニーがある)
だが、これって固有名詞みたいになっているようだ。欧米では日常的に(特にビジネスの場とかで)使う言葉なんだろう。
PlanA:第一戦略。物事が理想的に運んだ場合の道筋。
PlanB:第二戦略。Aがダメだったときに採用する道筋。下方修正案。
計画段階でAとBの両方を考えておくということだ。つまりこれらは2つでワンセット(3つ以上の場合ももちろんあるだろうけど)。
BがあるからAではかなり理想的なシナリオを描けるわけで、その通りに運んだ場合サイコーにエクセレント!となる。
一方で自分は、もしくは日本では、というと最初から計画を2通り以上立てることってまず無い。
PlanAとBの間くらい。ある程度、うまくいかない場合や予期せぬ事態を織り込んでおいて1つのマスタースケジュールを作る。
どちらがいいのか、つらつら考えてみたけど、やっぱりPlanAとBを用意しておくほうが構造的にしっかりしているんだろうと思える。
今やってるあの仕事でもPlanAとBを考えておいたほうがいいな、などと考えた。
とまれ、これは仕事上の話だけではない。説教くさい話になってしまうが、「人生」においてこそ最も重要なのだ。
それが僕のプランAだった。なかなか素敵なプランだ。
しかし現実の人生にあっては、ものごとはそう都合よくは運ばない。我々が人生のあるポイントで、必要に迫られて明快な結論のようなものを求めるとき、我々の家のドアをとんとんとノックするのはおおかたの場合、悪い知らせを手にした配達人である。「いつも」とまでは言わないけれど、経験的に言って、それが薄暗い報告である場合の方が、そうではない場合よりもはるかに多い。配達人は帽子にちょっと手をやり、なんだか申しわけなさそうな顔をしているが、彼が手渡してくれる報告の内容が、それで少しでも改善されることはない。しかしそれは配達人のせいではないのだ。配達人を責めるわけにはいかない。彼の襟首をつかんで揺さぶるわけにはいかない。気の毒な配達人は、ただ上から与えられた仕事を律儀にこなしているだけなのだ。彼にその仕事を与えているのは、そう、おなじみのリアリティーである。
そんなわけで我々は、プランBというものが必要になってくる。(村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』)
例えば僕は20代前半のころは「研究者」というものになりたかったが、断念した。肝心の勉強が全く好きになれなかったのだからさすがにそれは資格がないということだろう。他の「研究者」なる人たちに対しても失礼だ。そうして僕は民間企業に就職し、所謂サラリーマンになり、営業なぞをしている。毎日はそれなりに幸せだ。苦労ももちろんあるが。
問題はそこに、「プランはあったか?」「戦略があった上で下方修正案として選んだ道だったのか?」ということだ。全く自身がない。というか少なくともあのときにはプランなんて無かったような気がする。
今となっては若いときの自分のしたことなんてどうでもよくて、大事なのはこれから自分がどうやって生きていくかだ。想定外のことが起きて、それまでの計画が全てオジャンになってしまったとき、ひたすら想定外の事態のせいにして生きていくのか。それとも(下方修正したショボめのプランであれ)「自分から選んで」生きていくのか。やってること自体は変わらなくても、そこには大きな違いがある。
一旦PlanBに突入したらもはやPlanAに未練を残さない、ということもポイントだ。あとは割り切って気の毒な配達人の肩をポンポンと叩き、前を向くしかない。
ここ2年くらいランニングにはまり、ハーフマラソンも完走でき、いよいよ次はフルマラソンだ!と息巻いていたが、以前書いたとおり変形性膝関節症になってしまい走れなくなってしまった。もしかしたら一生無理かもしれない。
それはそれでもう起こってしまったことだ。確かにランニングは素晴らしい。だけど自分にとっての要件は「適度な有酸素運動と気分転換」だったはずであり、膝への負担の軽い水泳でも自転車でも代替案としては成り立つのだ。
あとは割り切って自分でそれを選択するかどうかだ。