今の日本には一体いくつの時計があるのだろう。僕が持っているのは5個、会社とかで共有しているものもあるから、6個といったところか。単純に人口を掛け合わせて「約8億個」という数字を妄想してみた。
そのうちのほとんどはそれなりの「今」を指しているだろう。一方で、けっこうな数の時計が3月11日の2時46分で止まっている。いくつかはぶっ飛んでめちゃくちゃな時間を指しているかもしれない。ずっと昔に止まってしまったものもかなりあるだろう。それらを全部かき集めて、ゴミ集積所に「どちゃっ」と投げ出した絵コンテ。というのが今の僕の心象だ。
ずっと、「震災を『今』として生きるものとして」、サバイバルチックなログを書こう書こうと思っていた。
東京の出張先で地震に遭ったこと、慌てふためく中国人を鼻で笑いながら、気づけば自分たちも下請けさんたちを置いて我先にとホテルに逃げ帰っていたこと、やっとつながった電話先で落ち込む仙台の彼女を思いながらも、ホテルでテレビを見るしかなかった無力感、知り合いの知り合いの知り合いの自動車工場の代車を埼玉で借りて、深夜の新潟経由で16時間かけて仙台に戻ってきたこと、半泣きで彼女と再会したこと、スーパーに2時間並んで食料を買い集めたこと、風呂桶に貯めた水で数日暮らしたこと、急に流行ったTwitterで「なうなう」言ってたこと、ネットにかじりついて原発の心配ばかりしていたこと・・・。結局書けずに2週間以上経ってしまった。
この2週間、上に書いたような非日常の色んなことが起こって起こって、自分の中の時間軸がしっちゃかめっちゃかになってしまった。「世界の軸が」と言ったほうが近いかもしれない。余りにも巨大な地震は、人の地軸さえもずらしてしまうのだ。
地震の前を思い出してみる。1年続いた東京出張生活もあと3ヶ月くらいで終わりそうだな、などとぼんやりと考えながら、仕事を適当にこなして・・・る振りしてずっと中山牝馬ステークスの予想をしていた。11日の金曜日になって「やっぱりプロヴィナージュで堅そうだ」という一旦の結論を出し、数時間後の初「はやぶさ」に乗って東スポを読むのを楽しみにしていたところに大きな揺れ。そして本当に2週間だったのか怪しいような2週間を過ごして今に至る。
あの前と後では、本当に色んなことが変わってしまった。例えば、「中山牝馬ステークス」が「中山」ではなくて「阪神」競馬場で今週末開催されることになった。コース形態も大きく異なる中山と阪神の1800m、先行有利というよりは上がりの勝負になりそうな今度は、僕はプロヴィナージュではなくてヒカルアマランサスを買うだろう。いつの間にか、プロヴィナージュ的世界から、ヒカルアマランサス的世界にすり替わってしまったのだ。SF映画でよくあるように、地震の起きなかったパラレルワールドと分岐してしまったような感覚を覚えている自分に気づいて、少し気恥ずかしくなる。
ともあれ、分岐した「こっち側の世界」をひたむきに生きていくしかないんだろう。原発が(少なくとも新規建造は)廃止され、極度のエネルギー不足に陥り、低成長を続け、税金も上がり、東北地方に激しい不況が来、今より東京出張が増える世界を。生き残っててくれた大事な人たちと手を取り合いながら、時には知らない人にも手を差し伸べたり、ケンカしたりしながら。
まあ、―不謹慎かもしれないが―、それなりに楽しく生きていける自信はあるんだけどね。
↑食べ物がほんとに無かったときにやっと見つけて食べた10円ガム。当たり。