元高校教師のブログ[since2007/06/27]

地元仲間とのウォーキング、ハイキング、サイクリング、旅行の写真入報告。エッセイや意見も。

お伊勢参り2日間(その2--内宮・おはらい町散歩・伊勢湾クルーズ)

2013-04-22 10:19:45 | 旅行

日時:2013-4-19
天気:快晴

皇大神宮(内宮)案内図→伊勢市観光協会/内宮

 伊勢神宮は天皇家の祖先ということだが、庶民にとっては、「おかげ参り」という大きな神様だ。天照大神が天岩戸に隠れたら世の中が暗闇になったという古事記の話にあるように、天照大神は太陽の象徴である。他の神社やお寺には、家内安全とか商売繁盛とか、お願いをしに行くのだ。だが、お伊勢参りはそうではない。祈願ではなく、太陽の恵みに感謝しに行くのだ。そこが、他と大きく異なることだろう。

参拝順路 P→宇治橋鳥居→神苑→第一鳥居→五十鈴川御手洗場→神楽殿→御正殿
             →第二
鳥居手前→火除橋→宇治橋→P


宇治橋鳥居と宇治橋。この下は五十鈴川で、ここを渡ると聖域(サンクチュアリ)。
昔は、熊野本宮大社の聖域に入るには、その前の川に入り禊をしていたが、同様に、
ここ伊勢皇大神宮でも、五十鈴川で禊をし、穢れを落としてから聖域に入ったものだ。


松の緑が美しい神苑を歩いて第一鳥居に向かう。


第一鳥居だ。


 五十鈴川の御手洗(みたらし)場。現代では、川に入ることなく、手を洗い穢れをとる。
現代では、トイレのことを御手洗と言うが、用を足した後、不浄なものを洗い流す作業で、このミタラシに基づく語だ。
 一般的に、神社仏閣に御手洗場があるが、それは便宜上で、本来は目の前の川か池(御手洗池)で穢れを落としたものであろう。


現代人も、ここで手を洗い清める。


五十鈴川


第二鳥居


いよいよ正宮(しょうぐう)だ。残念ながら撮影はここまで。階段から上の領域は、一切
撮影禁止。


 正宮の隣の敷地に木の香も新しい社殿が建設中であったが、中は見えない
(参道の下から撮影)。今年は式年遷宮の年で、10月には完成するとか。
なお、広大な境内には立派な桧の大木が何本もあり、それが材料かと思ったが、訊いてみると、それらの伐採は禁じられていて、新材料の桧は木曽の山中から運んでくるという。
御木曳車(おきひきぐるま)


神楽殿。建物の中に上がることができる。


帰りは神楽殿の脇を通り、火除橋へ向かう。


奥深く厳粛な森


宇治橋の手前奥で。


宇治橋の聖域側の鳥居。


五十鈴川を渡って聖域外に出たら、橋の袂でTV局の番組撮影中であった。


宇治橋鳥居の前の同行者。

おはらい町
散歩--案内図→伊勢市観光協会/おはらい町・おかげ横丁

以下、ご覧のように、タイムスリップしたかのような街だ。旧幕時代の庶民は、住んでいる
土地を勝手に出ることは許されなかった。関所などは、そのためのものだ。だが、「~参り」とか、「~講」とか、信仰のためなら、かなり大目にみられたのであろう。
 そのため、お伊勢参り(おかげ参り)も、数百万単位の熱狂的な規模となり、地元では、客を喜ばせる施設や店が賑わったのも容易に想像できる。「おはらい町」はそういう名残で、多分、どこかに遊郭もあったのであろう。

 伊勢皇大神宮(内宮)は、天照大神を祭り、太陽の恵みに感謝する「おかげ様で」が本来の姿であろう。だが、江戸末期には「ええじゃないか」という社会現象もあったそうだが、こうなると、「おかげ様で」と感謝しに行く対象がぼやけてしまってきた。いや、感謝ではなく、拝んだり祈願する対象と勘違いしている現代人も多いのではなかろうか。

 


矢張りここで赤福を買ってしまった。


おはらい町の裏は五十鈴川だ。


おはらい町の一角にある「おかげ横丁」。すばらしい建物がいっぱいだ。


こんなのも見つけた。

 こちらでは、この「蘇民将来子孫家」の札を注連縄で飾っている店や家が目立った。
「我が家は蘇民将来の子孫です」と唱っている。これを門に飾っていれば、その家には
災いや不幸が訪れないのだという。

 そもそも、蘇民将来とは何者?ネットで検索してください。いろいろな説明や言い伝えが出てきます。一番多いのは、みすぼらしい姿の旅人(実は身分を隠したスサノヲのミコト)に一夜の宿を提供した貧しい人、これが蘇民将来だった。数年後に蘇民の家を訪れたミコトが、
卑しい身なりの自分を泊めてくれた礼として、蘇民の縁の家には災いが来ないことを約束
したのだという伝説が源の信仰です。

 思いつきの妄想だが、私は蘇民の蘇にひっかかる。四面楚歌という言葉があるが、どうも、蘇は中国系ではないか。更に飛躍するが、中国に秦という国があった。秦は漢民族ではなく、シルクロードのかなたの民だという説もある。丹沢のハダノ(秦野)は渡来民族によって拓かれた所かも知れない。

 もしかしたら、何らかの理由で、大昔に中国大陸から逃れて来た高貴な人、この人が蘇民(蘇の貴人)で、一夜の宿を提供した男と名前が摩り替わった(つまり、その男の名は残らなくていい)。この札を掲げていれば、(災いが近づいたら)いつでも蘇民が来て(将来)守ってくれるとのまじないなのではないか?


↑ここまでが「おかげ横丁」内のショット。
 なお、この中の店で「伊勢うどん」を食べた。ほとんど、ウドンとタレだけの単純なうどんだが、他ではみられない独特の麺とタレで、なかなかな美味。知らなかったが、これなら、
伊勢の名物と言っても許される。伊勢に来たのだからと、名前だけで注文したが、キツネうどんや、タヌキうどんを注文しなくてよかった。

伊勢湾クルーズ--鳥羽港→渥美半島 
 この船旅は実に楽しい。このフェリーコースがあるから、この旅を選んだようなもの。


鳥羽港の様子


船は順調に滑り出した。結構、波がある。


漁船が漁をしているのだろう。


デッキは風が強い。


波を切る舳先からは虹が湧く。


 これが神島で、あの三島由紀夫が『潮騒』の舞台に選んだ島だ。吉永小百合や山口百恵
主演で映画化されてもいる。

 神島は文字通り、神の島である。つまり、この島の向こうから太陽(神)が昇ってくる。日本各地に「あふ」の島がある。漢字にすると、大島や青島で、大きくもないのに、大島とは変だなと子供の頃思ったことがある。いずれも、むこうから太陽が昇ってくる島で信仰の対象になっている。これらは、いずれも黒潮・海洋渡来の太陽信仰である。
 神島にはゲーター祭という奇祭がある。藁で作った大きな輪を、多くの竹竿で突いているのか支えているのか、天高く掲げ続ける。→ゲーター祭 - YouTube
 輪はまさに太陽である。

 余談になるが、これから辿り着く渥美半島は椰子の実が流れ着く所だ。若き日の柳田國男がそれを見て「海上の道」を発見し、島崎藤村に教え、藤村が詩にした話は有名だ。


レアアースの掘削に取り掛かっているのだとか---


対岸の渥美半島が近づいた。もうじき、港に入る。 


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