日時:10月6日(土) 走行距離: 約35キロ 天気:快晴
【往きの電車】東武鎌ヶ谷(6:50)---(7:09)柏(7:13)---(7:58)春日部(8:04)---[区間急]--- (8:37)板倉東洋大[→わたらせ自然館(レンタサイクル、1台600円、9時から)
○復の電車時刻は省略] *板倉町レンタサイクルセンター(受付は「わたらせ自然館」)9:00-16:30 TEL:0276-82-1935
【費用】2,320円(交通費は片道860)
【自転車コース・タイム】*印はトイレあり
*わたらせ自然館(9:20)→渡良瀬・利根川自転車道→(9:45)三国橋→(10:15)*古河総合公園(10:40)→(11:00)*坂東太郎(昼食)(12:00)→自転車道→利根川橋→(12:45)静御前の墓(12:55)→(13:20)*野菊公園・アスターホール(13:30)→(13:55)大利根文化体育館・*コミセン(下總皖一の資料館)(14:15)→(14:50)ホテイアオイ花の里(14:55)→(15:00)(道の駅)*童謡のふる里・おおとね(15:125)→埼玉大橋→(16:05)田中正造の墓(16:10)→(16:33)わたらせ自然館
【走行模様】文中の写真は*印以外は、H_W_Moonさんの提供です。
わたらせ自然館は、以前にも世話になったが、この日は地元でコスモス祭りのため、自転車が出払っていて、我々のために8台を用意していてくれた。
サドルの高さなどの調整後、群馬県板倉町から渡良瀬貯水池に向けて出発。9号道路はダンプなど交通量が多い。我々は貯水池にも降りず、9号線に沿った土手道を選ぶ。これが舗装のサイクリングロードになっていて、我々専用。右手下に車道、左手下に貯水池=谷中湖の水の広がりを見て走るこの道は申し分無し。天気も良いし、そよ風と緑の小道が遥か南に延々と延びている。斜め後方には筑波方面の山並みが霞んでいる。
三国橋で埼玉県北川辺町から渡良瀬川を渡り、茨城県古河市へ。橋は歩道は付いているが、水面からかなり高いし、思ったより長い距離で、右手を走る大型車に追われるようで目が回りそうだ。
この橋の名前だが、栃木県・茨城県・埼玉県、つまり、下野・常陸・武蔵の三つの国に跨るのがこの辺りなので命名されたのであろう。両国橋が下総と武蔵野の二つの国をつなぐので、そう命名されたのと同様と思われる。この辺りは、群馬県境もすぐ近くだ。
対岸の土手道には、「利根渡良瀬自転車道」と明確に地図にも出ている快適なロードだ。やがて、見事なアーチを見せる新三国橋に近づいたので、ここで記念撮影。
新三国橋から土手を下り、古河総合公園へ向かう。やや迷ったが、何とか戸羽口にある虚空蔵堂に辿り着く。この前から公園の中心へ降りる斜面が何とも異様な雰囲気であった。↓
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途中で通り過ぎてきた土手の道に「古河城本丸跡」の案内があったが、正確な位地は河川敷だが、大水で流されるので標識柱は小高いサイクリングロードに立てたとのこと。
※公方(クボウ)→「公方」とは、もとは朝廷を指す言葉で、室町時代に足利将軍を公方と呼び、鎌倉府という地方機関の長官も公方と称したということです。鎌倉府は2代鎌倉公方足利氏満以降、陸奥・出羽国も管轄化になりました。組織は幕府の機構と同じで一応独立して管国を支配していました。つまり、ミニ幕府とでも考えてみればいいのではないのでしょうか?鎌倉を支配する鎌倉公方、古河を支配する古河公方、・・・。[Yahooネット回答6より]
この公方跡の周辺には、昔はかなりの民家があったそうだ。ここにも立派な藁葺き屋根の民家が移築されていた。
さて、公園からサイクリングロードに戻る途中で、坂東太郎という食堂が目に入った。時計を見たら11時に近い。この先、ファミレスなどの店があるかどうか不安なので、メンバーに相談したら、早くてもよいとのことで、この店に入り、昼食とした。あとから思えば、そこで時間をとりすぎた。
たっぷり時間をとった昼食後、我々は再び渡良瀬川沿いの快適なサイクリングロードを走る。利根川との合流点を通過し、東北本線をくぐり、利根川橋に着いた。さて、いよいよ、サイクリングロードと別れ、この橋を埼玉県側へと渡り返すこととなった。
ところが、橋を渡ろうとして驚いた。こんな大きくて重要な橋なのに、歩道が無い。橋は、上り用と下り用の2本に分かれている。茨城県側から見て、左の橋が上り用で、右側が下り用で、こちらからは進入禁止のマーク。それで、上り用を走り始めたが、怖いよー。大型車が速度を落とさず、ぎりぎりに走り抜けていく。しかも、はるか下方に水面。この国道4号の橋の長さは800mはあろう。怖いよー、怖いよーでハンドルも思わず震える。この国道4号の利根川橋は、人間も自転車も走ってはいけないのかな。命からがら埼玉県側に着いたが、そこでまだ安心と言うわけにはいかない。(ところで、進入禁止の上り用の橋には歩道が付いているという情報あり。)
栗橋駅に行くため、60号に下りようと思っても、4号は、そちらに行けないようにしてある。そのまま、信号・栗橋まで連れて行かれてしまった。やむを得ず、利根川に向かう小道から60号に出、信号・駅入口から駅に向かう。
ようやく栗橋駅に着いたと思った場所が、駅の東側で西側に行けない。もたもたしていると、怪我の功名か、目の前が静御前の墓なり。店のおばさんに訊くと、この地で死んだそうだ。町では記念のお祭りもあるとのこと。
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苦労して西側に回った。次の目的地は地図にないが、駅のそばとの情報が誤りだったことに気づく。かなり離れているようだ。人に尋ねてようやく、アスターホールに着く。行ってみると、ここはコミュニティーセンターみたいなもの。童謡のふるさと、とのふれこみで行ってみたが、下總皖一の痕跡がなかなか見つからなかった。やっと下の写真のような痕跡を見つけた。郷土の誇り、下總皖一作曲の童謡は、ゆうやけこやけ、野菊、兎のダンス、蛍、たなばたさま、などであることを知り、天井に下げられた凧を見つけて、ようやく納得。皆で大声で合唱したりして騒いだ。
この建物には他に人がいないと思っていたので驚いた。入り口の小部屋の受付の窓から中を覗くと、2人の年配者がこちらに背を向けて、黙って前方の野原に視線を向けたまま。書類を見たり、電話をしているなら分かるが、我々が来館してから、ずっとその姿勢だったのだ。まるで我々に気づかれないように。どんな顔をしているか、我々には分からない。窓口のほうを振り向かないのだから。なんだか、話しかけられたくないみたい。それで、道路の向かい側にある「野菊公園」に行く。これが、また驚き。看板以外には何も無い。寅さん公園の対岸にある「野菊の墓」に行ってみなさい。きちんと整備されていますよ。--公園内の小川には水が流れていないし、敷地内は夏草が生い茂っていた。わずかに、「野菊」の楽譜を刻んだ碑があるだけ。↓
ああ、こう嫌われていたのでは、来るんじゃなかった、とこぼしながら、次の目的地に向かう。次は大利根町の文化体育館。そこまでの道が不明だが、見当をつけて西に向かう。途中で水路にぶつかった。そこにかかる橋が「三尺橋」なら目的地に向かっているはずだ。ところが、確認できない。4ケ所にはめ込んだ金属製の表札が、工具で剥がされていたのだ。つまり、いま流行の金属製品泥棒のしわざ。
そのまま走って行くと、農夫らしき人に出会う。我々が渡ってきた橋の名を尋ねると、「三尺橋」だと答えたので、一安心。
大利根運動公園には文化体育館があり、その中のコミュニティーセンターに下總皖一資料室があるとの情報でそこを訪れたのだ。
ところが、受付の女性職員が電話の応答中。スリッパが用意したあるので、黙って館内に入る。体育館などいろいろな施設が混在しているようだ。施設配置図などを探したが、どこにもない。受付窓口を振り向いたが、まだ電話中。ホールの椅子の前に部屋があるようだが、鍵がかけられていて、中に入れない。痺れを切らして、我々メンバーが交代に窓口へ行くがなかなか終わらない。
ようやく、終わったようなので、用件を言うと、「鍵は開けますが、ごたごたしていて何もありませんよ。説明もしません」---まあ、この忙しいのに、うるさいわね、この人たち---という感じ。大利根町のホームページでは「童謡の里」なんて、さかんに宣伝しているが、わざわざ千葉県界隈から訪ねても、受け入れの姿勢がまったくできていない。訪問されるのが迷惑らしい。
それにしても、郷土の作曲家・下總皖一先生の扱いがこれ。物置に閉じ込めて鍵を掛けてしまうなんて。軟禁していていいのか?下妻市の「ふるさと博物館」に行って、横瀬夜雨のコーナーを覗いてごらん。市の扱いがぜんぜん違う。横瀬夜雨の人生と作品に思わず引き込まれる。要するに(下妻)市民の扱いがぜんぜん違うのだ。
次に向かったのが、道の駅「童謡のふる里おおとね」。思ったより遠い距離を走ることとなった。「童謡のふる里」と銘打って、道の駅の名にしているのに、肝心の敬意を払っていない大利根町、町民。
だが、その道の駅の手前で思わぬプレゼント。なんと、一面のホテイアオイの花が我々を迎えてくれた。一箇所だけではないので、「ホテイアオイの里」と命名したい。
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名前に釣られて道の駅に寄ったのが失敗だった。ほんのトイレ休憩のつもりが、女性軍の買い物やらアイスクリームで、30分くらいロスしてしまった。時計を見ると、
予定の水郷公園はもとより、コスモス祭りもあやうい。
まずは、大利根町から北川辺町へと、利根川に架けられた埼玉大橋を渡らねばならない。目の前に大きく登っていくようだ。辿り着くと、歩道はあるにはあるが、50センチ幅。車道には大型車がうなりを上げて走っていく。歩道は車道より一段高くなっているので、風に煽られて転倒でもしようなら、人生の終わり。
やむを得ず、降りて自転車を押して坂を登ることにした。水の上だけではないので、橋の長さは1キロ以上はありそう。ここでも、怖わーい思いをした訳だ。それにしても、ここでも長時間のロス。
そのため、水郷公園もコスモス祭りもカット。道路369号を頼りに西小学校の脇に辿り着いたときには4時過ぎ。自転車は4:30までに返さねばならない。田中正造の墓や碑などの説明文を詳しく読まずに、その場を立ち去った。
何とか板倉東洋大前駅に到着できたのだが、線路の向こう側に行く踏切が無い。止む無く、信号・海老瀬経由で高架になっている橋を超え、わたらせ自然館に帰り着いたときは約束の時間を3分越えていた。
{教訓}このコースはサイクリングロードは素晴らしいが、文化遺産はお粗末。よって、次に「わたらせ自然館」にお世話になるときは、各県境橋を渡らず、北川辺町と板倉町の範囲に留める。つまり、以下のコースが安全で良いだろう。
自然館→渡良瀬・利根川自転車道→利根川沿い土手道→水郷公園→谷中湖