元高校教師のブログ[since2007/06/27]

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「ねぶた」の由来と地名の「戸(へ)」

2008-08-19 11:22:36 | 異端日本史・民俗学

 「ねぶた」は、漢字で表せば「根蓋」である。沖縄や東北地方はヤマトから遠く、古代の発音が残っていて、「フ」を「プ」と発音していたので、ネプタと云うのもある。ところで、東北地方の英雄としてアテルイが有名だが、ヤマトの蝦夷征討軍が捕虜にした原住民を、生きたまま掘らせた穴に放り込み、上から土を被せて、這い上がって来ないように、(ハネトのやるように)飛び跳ねて土の蓋を固めたのである。
 ねぶた祭りの団体最優秀賞は、当初は「田村麻呂賞」にしていたが、「(東北人にとっては)侵略軍の大将・坂上田村麻呂を賞の名にするのはおかしい」ということで、「ねぶた大賞」になったという経緯がある。
 もっと、詳しく知りたい人は次のサイトを見るといいでしょう。[リンク]→青森ねぶた - Wikipedia
 終戦記念日の祭典で、どこかの団体に「マッカーサー記念賞」なるものを与えたとしたら、少なくとも沖縄県民は許さないであろう。これと同じだ。

 青森地方には、一戸~九戸という地名がある。タクシーのドライバーは「戸(へ)は、牧場の柵です」と説明してくれたが、私はそんな生易しいものではないと考えている。いつぞや、奥の寄り道3日間 (その2)」というのをブログに書いた。その中に「多賀城ウォーキング」がある。この多賀城こそ、ヤマト軍による東北地方制圧の軍事基地だったのだ。
 アメリカには、インディアン居留地とか(第二次大戦中の)日系人居留地というのがある。要するに、戸(へ)というのは、捕虜や当局の意に従うわない者ちを囲って、外に出ないようにしている場所なのだ。詳しくは、次の資料を見てもらいたい。[リンク]→」という地名

 話はそれるが、東京には、陸軍中野学校のあった中野とか、大本営(三島由紀夫割腹自殺の場所)のあった四谷という場所がある。この地も江戸時代(多分、綱吉)創設の囲い地であった。中には犬だけでなく、下民もいたらしい。
 さらに、江戸→穢土、木戸、ねずみ小僧、忠臣蔵の討ち入り、などにも話を広めたいが、長くなるので後日にする。


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