<千歳空港から稚内まで、オロロンラインを走る>
羽田発7時の飛行機に、集合時間6:10分厳守との案内。始発の電車で行っても間に合わない。電話で遅れる旨を伝えたが、あまり良い返事はない。「出発30分前を切ると、ゲートはクロウズされます」と冷たい。これは航空会社の決まりだからとの機械的な返事。ということで、家から羽田空港のゲイトまで、プレッシャーがかかり、早朝から大汗かいた。
千歳空港で降り立ったが、気温は関東とそんなに差はない。
バスは高速道路に乗り、すぐに札幌を通過した。
※階下段のバーを右にスライドすると、隠れた部分が出てきます。
砂川ハイウエイオアシス
レストランや娯楽施設、自然公園なども隣接する大型の「道の駅」みたいなもの。
北海道のほぼ中央部に位置しているので、北海道の住人が車で来るには便利なところらしい。予め注文していた弁当をここでバスに詰め込んだ。
そこを出て、石狩原野を走ってからバスは留萌の日本海側に出た。この海沿いの道路を「オロロンライン」と呼ぶそうだ。波は静かだ。小平(おびら)というところでバスを降りた。
小平(おびら)・ニシン番屋
道の駅になっている所に「にしん御殿」があった。
かつては北海道一の番屋であったようだ。「石狩挽歌」の歌詞にあるように、最盛期には海が鰊(にしん)で埋まったのだろう。
番屋の全景 裏手の斜面はこのようになっている
しかし、この浜は旧ソ連による犯罪の海でもある。、(日本領樺太から島民を追い出した)ソ連は、第二次世界大戦終了一週間後に その引揚船を(国籍を隠したまま)潜水艦から魚雷を発射して、沈没させたのである。アメリカによる原爆投下に比する、これはまさに人道に反する犯罪行為であり、ソ連という国がいかに汚い国かがよく分かる証明だ。いまではサハリンなどと言うが、我々は旧日本領土の樺太と言い続けよう。そうでもしなければ、間宮林蔵に申し訳ないではないか。
サロベツ原野
バスは広大な大地を走り続け、サロベツ原野に達した。
今はエゾカンゾウが一面に咲き乱れていた。
ノシャップ岬
ノシャップ岬は、稚内の北外れにある。根室の納沙布岬と勘違いする人もいるが、区別する必要がある。岬の北側は宗谷湾で、そこから利尻・礼文へのフェリーが出る。
ホテル・サハリン
当地でホテルと言えば、ここでは旅館、旅館と言えば民宿、と考えてもらいたいとバスガイドが言った。だが、我々の宿泊したホテルは民宿並み。設備に「大浴場」とあったが、括弧して(2~3名)とあった。これには一同大笑い。まあ、2名と考える。ということで、ユニットバスで我慢した。つまり髪を洗うことを諦めた。これで、(自分で来たら)本州の一流旅館並みの宿泊料だとのこと。だから、何も北海道に行くことはない。みんなでボイコットすれば、少しは「反省」するだろう。