RyuTube~Broadcast myself~

世界を旅するバックパッカーです。
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宗教って楽だ

2009年01月31日 | 帰国
イスラム圏を旅行してて思った。

戒律であれやこれや決められてて、それに従って
ただ盲目的に神を信じてさえいれば良い

それはなぜそうなるの??
あなたはどう思うの??

って聞いても、神様が決めたこと
コーランにそう書いてあるもの

というんですね

一種の思考停止ですね
こわいこわい


ここで思ったのは、宗教ってのは人間の手によって
きわめて合理的にプログラミングされている

例を挙げるときりがない

豚肉をたべるな
これは、遊牧・隊商民にとっては、衛生状態が悪かったり、調理過程で十分な火力が得られないため、豚肉を食うことに危険が伴うため禁止した。

そのなかでも最も重要な役割として、民衆の思考を停止させる効果があると思う
これは、宗教の創始者は意図していなかったことだろうが、時の為政者がこの効果を利用している

まあ、これはあくまで僕の考察です
神様を信じる人は信じれば良いし
僕の場合は自分の中にこれだっていう、何かがあれば良いと思いますねー

まだまだ

2009年01月28日 | 帰国
書き足りないことがたくさんあるので

ちょこっとずつですが、アップしていきます

今日は、イスラエルとか、イエメンの項を書き足しました。
イスラエルは、割と充実したないようです。

今後ともよろしくお願いします。

医療スタッフを狙い撃ちするイスラエル兵

2009年01月16日 | イスラエル
ネットで発見!!!
実際行って知ってしまった以上、ほってはおけない気がします
とにかく今起きてる事実を知らなくては

イスラエルは対ハマス戦争をうたっているが、実際はただの虐殺
オバマになって和平条約が推進される前にやれることはやってしまおうということか。。。
和平が成立する=パレスチナ独立=パレスチナから搾取できなくなる
からかー
うーんわからん

子ども向けで分かりやすいよ
http://www.nhk.or.jp/kdns/hatena/04/0327.html

ガザで起きている現状(写真、、)
http://www.elfarra.org/gallery/gaza.htm#

イスラエル支援企業一覧(ちょっと無理があるかも)
http://palestine-heiwa.org/choice/list.html

ニュースサイト(なかなかおもしろい)
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/news_j.html


医療スタッフを狙い撃ちするイスラエル兵

エヴァ・バートレット
エレクトロニック・インティファーダ/Live from Palestine
2009年1月12日


1月7日、スペインの人権活動家でドキュメンタリー作家のアルベルト・ア
ルセと一緒に、パレスチナの医療スタッフが、イスラエルの地上侵攻軍に
撃ち殺されたひとりの男性の遺体を収容するのに同行した際、私たちは、
遺体を救急車に運んでいる最中の医療スタッフともども、イスラエル兵の
銃撃を受けた。場所はジャバリヤの東の地域、ダウワール・ジーモ。地上
侵攻が始まって以来、イスラエル軍の兵士に占拠されている場所に近いこ
の一帯では、イスラエル軍の爆撃と銃撃で何十人もが重傷を負ったという
情報が入っている。負傷者・遺体収容は医療スタッフの任務で、これがで
きないとなると、もっともっと多くの人が、何日も何週間も、怪我を負い
殺された場所にそのまま放置されつづけることになる。

医療スタッフのハサン・アル・アタルとジャマルが救急車(101救急車と
はっきりと記されている)を降りて、道の真ん中に横たわっている遺体に
向かっていった。ふたりともパレスチナ赤新月社(PRCS)のユニフォーム
を着ている。ハサンは蛍光帯のついた明るい赤、ジャマルは同じく蛍光帯
のついた明るいオレンジ色と白のベストだ。ゆっくりと近づいていくふた
りの手には、遺体を運ぶストレッチャー以外には何もない。アルセがその
様子をヴィデオに収める。ハサンとジャマルが死んだ男性を抱え上げ、ス
トレッチャーに載せ、救急車に戻りはじめる。突然、アルセがまだ撮影を
続けている時に、銃撃が起こった。明らかにスナイパーの銃撃だ。マシン
ガンではない。ハサンとジャマルは、信じがたいことに、それでもなお遺
体を運びつづけようとし、死んだ男性を載せたストレッチャーごと走っ
た。でも、とうとう、自分たちの命を守るためにストレッチャーから手を
放さざるをえなくなった。

時間は午後1時半ころ。イスラエル自身が宣言した「時間限定停戦」の最
初の日に、スナイパーが医療スタッフを狙い撃っている。救急車はサイレ
ンを鳴らしっぱなしで、運転手は、私たちと自分に向けてさらなる銃弾が
襲いかかってくるのをかわそうと即座に車を発進させ、スナイパーから遠
ざかる方向に走り出した。結果、私たちは半狂乱になって、ハサンとジャ
マルを探しまわることになった。

これに先立つ日々、ガザの人たちに対するイスラエルの空爆・地上攻撃が
始まってから、7人の医療スタッフが殺された。怪我をした者は何十人に
も及ぶ。ハサンもその一員に加わることになった。スナイパーの銃弾はハ
サンの太ももを貫通していて、ハサンが必死に救急車に這いずり込んでき
た時には、ズボンから血がどっぷりしみ出ていた。

医療スタッフはみな、イスラエル軍の兵士の面前で仕事を行なうことが自
分たちの死につながりかねないことを充分に知っている。みな、これまで
もこういう事態には何度となく直面してきている。ジュネーヴ条約では、
侵攻軍は、医療スタッフを銃撃してならず、彼らが死者・負傷者を収容す
るのを妨げてはならないと明記されているが、イスラエル兵はそんなこと
はおかまいなしなのだ。

私はもう気が気でなかった。ハサンもジャマルも失うことになるのかもし
れないと思った。何度表彰されてもいいくらいの仕事をやっている、この
素晴らしい若者たちを。でも、とうとうふたりを見つけ出した。ハサンと
ジャマルが救急車に跳び込んでうしろのドアを引き下ろすまでの10秒か15
秒が果てしなく長く思えた。その15秒の間にも、私たちは最悪の事態にお
びえつづけていた。救急車が一目散に逃げ出した時、最後の銃弾がバック
ドアに命中した。

ほかのスタッフがすぐにハサンの太ももの治療に当たった。銃弾は左太も
もの上部に当たり、筋肉を切り裂き、侵入孔から5センチほど離れたとこ
ろから出ていっていた。ハサンは感動的なまでに雄々しく振る舞っていた
けれど、恐ろしい痛みに耐えていることは明らかだった。

アルセのヴィデオには、この出来事が逐一撮影されている。このヴィデオ
は、私たちが目撃したこと、医療スタッフが、これまでずっとこういう事
態をかいくぐってきたんだと私たちに話してくれていたこと、イスラエル
当局が否定しつづけていることに対する動かしがたい証拠となる。イスラ
エルは医療関係者をターゲットにしている。ジャーナリスト、一般人を狙
い撃ちにしている。今のガザでは、動くものには何であれ銃弾を浴びせて
いる。医療活動への保護・安全・保障はいっさいない。

・・・

エヴァ・バートレットはカナダ人の人道活動家、フリーランサー。2007
年、西岸地区の各地に8カ月、カイロとラファ・クロッシングに4カ月滞
在。2008年11月に第3次フリー・ガザ運動の船でガザに到着したのち、現
地にとどまり、国際連帯運動(ISM)の一員として活動を続けている。現
在、ISMメンバーは、救急車同伴活動を実施し、イスラエルのガザ空爆・
地上侵攻の目撃証言を現地から発信している。

"Israel is targeting medics"
Eva Bartlett writing from the occupied Gaza Strip, Live from
Palestine, 12 January 2009

原文:http://electronicintifada.net/v2/article10174.shtml

エレクトロニック・インティファーダ:
http://electronicintifada.net/new.shtml

バートレットさんのブログ(In Gaza):http://ingaza.wordpress.com/

ISM(国際連帯運動)サイト:http://www.palsolidarity.org/

翻訳:山田和子

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サーメル氏の話ーその2

2009年01月12日 | ヨルダン
多くのパレスチナ人はサダムフセインのことが好きだった。

イラクがフセイン政権の時、サダムはパレスチナ人を助けてくれたからだ。
パレスチナ人はイラクに簡単に行くこともできた。

パレスチナ人がイスラエルに対して自爆攻撃をすれば、サダムのポケットマネーから家族に20000$渡されていたりもした。

6年前のインティファーダの時、パレスチナのラマラーという街で、アフマッドという少年と父親がパレスチナ人とイスラエル軍の銃撃戦に巻き込まれた。
父親は息子を守るため、撃ち合いを止めようとしたが、父親はイスラエル軍に胸を撃たれ、アフマッドは殺されてしまった。
アフマッドを助けにきた救急車もイスラエルに撃たれてしまった。
サダムはアフマッドの家族に20000$支払った。
当時はこういうことがよくあった。

私は自爆攻撃をした人の遺族にお金を渡すことは良いことだとは思わない。
しかし、父を息子を殺された彼らに何ができるのだろう。
武装したイスラエル軍に石を投げる?そんなことをしても意味がない。
自爆という方法しか彼らには残されていなかったのだ。

サダムが死んだとき、多くのパレスチナ人が悲しんだ。
私も悲しかったが、それはイラクでの殺し合いを止められるのはサダムしか居ないと思ってたからだ。

サダムが死んでイラクは終わった。

スンニ派とシーア派の殺し合いで、毎日100人もの人々が死んでいる。

私も、サダムは悪いことをしたと思っている。
クルド人がサダムを暗殺しようとした時には1000人以上ものクルド人を殺した。

それでも、パレスチナの人々にとってサダムはベストだった。
少なくとも、国はひとつにまとまっていた。
イラクにはサダムのような強い力を持った人間が必要なのかもしれない

サーメル氏のお話

2009年01月12日 | ヨルダン
以前、香田さんの記事(http://blog.goo.ne.jp/ryu-bo-ta/e/1c8824e0a95462bd1fe714e10eddf2a7)を書いたときに登場した、ヨルダンの首都アンマンのマンスールホテル従業員、サーメル氏の話を日本人旅行者が情報ノート書き写していたので、転載しました。
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イスラエルができるまではヨルダンとパレスチナの間に国境はなく、人々は簡単に行き来できていた。
同じ国内を移動するような感覚だった。ヨルダン人とパレスチナ人の間に違いはなかった。


1948年、パレスチナに集まってきたユダヤ人は、イスラエル建国に反対するアラブ7ヶ国に対し、僅か7時間で勝利し、イスラエルを作った。
イスラエルが国境を引き、戦火から逃れるために国外へ出たパレスチナ人はもう自分たちの国に帰れなくなってしまった。

他の国はわからないが、ヨルダンでは、国連がキャンプを作り、家を建てるための援助をした。
病気や怪我で病院に行かなければならなくなった時に、無料で治療を受けられる書類も発行された。
そうして、ヨルダンに逃れてきたパレスチナ人は家を建て、仕事をし、生活を始めた。


幸せに暮らしている家族もあるだろうが、私の叔母のようにパレスチナに残って家族と離ればなれになってしまって、未だ再会出来ない場合が多い。
ヨルダンに住むパレスチナ人がパレスチナを訪問するためにはビザが必要になる。パレスチナに家族が居ればビザがスムーズに取得できる。
私もパレスチナへ行ってみたい、会ったことのない叔母を訪ねたい。しかし、4人の息子のうち2人はイスラエルに逮捕され、2人は殺されてしまった。
彼らはインティファーダにも参加していない、何もしていないのに殺されたんだ。
イスラエルにマークされているため、叔母にはビザの手助けをしてあげれないと言われた。


パレスチナの家族の手助けがない場合もビザは申請することはできる。大使館へ行って指定の銀行に50$を振り込んで返事をまつ。10回目の申請でOKをもらえるかもしれないし、100回申請してもダメかもしれない。彼らはお金を振り込む前にビザをくれるかどうか決して教えてくれない。私はとてもじゃないがこんな方法はとれない。金銭的に不可能だ。パレスチナ側の人がヨルダンへ入国することは簡単だが、越境するための税金も移動費も高く、お金に余裕のある人しか出来ないから、60年経つ今でも離れたまま再会を果たせないでいる家族が沢山いる。

毎年2、3回は叔母に電話で連絡する。去年は2回したかな。
電話する度に叔母は少し泣きながら夫の給料が少なくて物価も高い。食べ物がない。
イスラエル軍がノックもせずに突然家に入ってきてテロリストを探しにくるという。
何かしてあげたくても何もできない。


殆んどのパレスチナ人はイスラエル政府、ユダヤ人のことが嫌いだ。6年前のインティファーダ以前は僕のホテルにもユダヤ人のゲストがよく来ていた。
私はもちろんウェルカムといってもてなすが、内心気分は良くなかった。

でもユダヤ人の中にもいい人は沢山いる。

私は4人のユダヤ人の友達がいて、その中でも特にアディルさんという人は平和を望んでいて、パレスチナ人のことも好きだ。
彼は今でも時々私に電話をくれるとても良い友達だ。


ヨルダンの人口の70%はパレスチナ人だ。そして、人口250万人の首都アンマンの殆んどはパレスチナ人だ。
だが、政府関係者、公務員は殆んどがヨルダン人で権力を独占している。パレスチナ人の公務員もいるにはいるが、試験がヨルダン人のそれと比較にならないくらい難しく、ごく少数だ。
給料もヨルダン人が1月に300~500JD(約45000~75000円)に対し、
パレスチナ人は150~200JD(約22500~35000円)と最低賃金の120JDよりも少し多い程度だ。

ヨルダン人とパレスチナ人は住む場所が違うため、学校も違う。互いにいがみ合っていて、自分たちとは違う民族の友達を作りたがらない。
私もヨルダン人の友達はいないし、作ろうとも思わない。ヨルダン人が怖いのだ。

例えば、街でパレスチナ人とヨルダン人が喧嘩をしたとする。警察へ行って最初の質問は決まって名前からだ。名前を聞けばヨルダン人かパレスチナ人かが簡単に分かるからだ。
警察が気にするのは、どちらに非があったかということではなく、どちらがヨルダン人かということなのだ。
ヨルダン人に非があったとしても警察は彼にコーヒーをサービスし、被害者のパレスチナ人には暴力を加える。私は何回も警察署でその現場を見てきた。

それが殺人事件であったとしても、ヨルダン人にお咎めはない。何故ならヨルダン人の家族には、力があって、警察は何もできない。もちろん、パレスチナ人の家族も何もできない。加害者のヨルダン人からお金を渡されればそれを受け取り、黙っているしかない。金すら受け取れないこともある。

私がヨルダン人の友達を作らないのはそういった理由からだ。近づかない方が身のためなのだ。近づかけば、常に「YES」と言い続けなければならない。
それに、彼らの中には銃を持ち歩いている人もいる。違法だが、警察は何もしない。でも、パレスチナ人が銃を持っていたら、大変な問題になってしまう。パレスチナ人はそういう不公平な社会の弱い立場に置かれているのだ。


以前はパスポートにヨルダン・パレスチナと記載されていたが、2年前にヨルダン人とだけ書かれるようになった。警察で起こっているそういった問題を減らすためだ。しかし、名前や話し方、顔の色でヨルダン人かパレスチナ人かすぐ分かってしまう。何の問題解決にもなっていない。

ごく少数だが私の父のように、パレスチナ人がヨルダン人と結婚することがある。(父の再婚相手がヨルダン人)でも、もし離婚したら彼は妻の家族に殺されるだろう。

パレスチナは私の祖国だ。できるなら帰って生活したい。しかし、私が生きている間は実現しないだろう。何故なら、エジプトやシリア、ヨルダン、レバノンの周辺国はパレスチナ人をパレスチナへ戻らせたくない。多数のパレスチナ人が自分たちの国からいなくなると、経済が成り立たなくなるからだ。それにあの国はイスラエルの一部になってしまっている。今後も彼らは決してパレスチナを祖国に帰そうとはしないだろう。
パレスチナの50%だけでいい。それだけの土地があればいい。それでフェアだと思う。追い出されたパレスチナ人がみんな祖国へと帰れることを願っている。


日本のみんなには、こういったことが今も起こっていることを知ってほしい。

パレスチナ人はテロリストじゃない。

祖国で静かに生活したいだけだ。

平和が早く訪れることを願っている。