以前、
香田さんの記事(http://blog.goo.ne.jp/ryu-bo-ta/e/1c8824e0a95462bd1fe714e10eddf2a7)を書いたときに登場した、ヨルダンの首都アンマンのマンスールホテル従業員、サーメル氏の話を日本人旅行者が情報ノート書き写していたので、転載しました。
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イスラエルができるまではヨルダンとパレスチナの間に国境はなく、人々は簡単に行き来できていた。
同じ国内を移動するような感覚だった。ヨルダン人とパレスチナ人の間に違いはなかった。
1948年、パレスチナに集まってきたユダヤ人は、イスラエル建国に反対するアラブ7ヶ国に対し、僅か7時間で勝利し、イスラエルを作った。
イスラエルが国境を引き、戦火から逃れるために国外へ出たパレスチナ人はもう自分たちの国に帰れなくなってしまった。
他の国はわからないが、ヨルダンでは、国連がキャンプを作り、家を建てるための援助をした。
病気や怪我で病院に行かなければならなくなった時に、無料で治療を受けられる書類も発行された。
そうして、ヨルダンに逃れてきたパレスチナ人は家を建て、仕事をし、生活を始めた。
幸せに暮らしている家族もあるだろうが、私の叔母のようにパレスチナに残って家族と離ればなれになってしまって、未だ再会出来ない場合が多い。
ヨルダンに住むパレスチナ人がパレスチナを訪問するためにはビザが必要になる。パレスチナに家族が居ればビザがスムーズに取得できる。
私もパレスチナへ行ってみたい、会ったことのない叔母を訪ねたい。しかし、4人の息子のうち2人はイスラエルに逮捕され、2人は殺されてしまった。
彼らはインティファーダにも参加していない、何もしていないのに殺されたんだ。
イスラエルにマークされているため、叔母にはビザの手助けをしてあげれないと言われた。
パレスチナの家族の手助けがない場合もビザは申請することはできる。大使館へ行って指定の銀行に50$を振り込んで返事をまつ。10回目の申請でOKをもらえるかもしれないし、100回申請してもダメかもしれない。彼らはお金を振り込む前にビザをくれるかどうか決して教えてくれない。私はとてもじゃないがこんな方法はとれない。金銭的に不可能だ。パレスチナ側の人がヨルダンへ入国することは簡単だが、越境するための税金も移動費も高く、お金に余裕のある人しか出来ないから、60年経つ今でも離れたまま再会を果たせないでいる家族が沢山いる。
毎年2、3回は叔母に電話で連絡する。去年は2回したかな。
電話する度に叔母は少し泣きながら夫の給料が少なくて物価も高い。食べ物がない。
イスラエル軍がノックもせずに突然家に入ってきてテロリストを探しにくるという。
何かしてあげたくても何もできない。
殆んどのパレスチナ人はイスラエル政府、ユダヤ人のことが嫌いだ。6年前のインティファーダ以前は僕のホテルにもユダヤ人のゲストがよく来ていた。
私はもちろんウェルカムといってもてなすが、内心気分は良くなかった。
でもユダヤ人の中にもいい人は沢山いる。
私は4人のユダヤ人の友達がいて、その中でも特にアディルさんという人は平和を望んでいて、パレスチナ人のことも好きだ。
彼は今でも時々私に電話をくれるとても良い友達だ。
ヨルダンの人口の70%はパレスチナ人だ。そして、人口250万人の首都アンマンの殆んどはパレスチナ人だ。
だが、政府関係者、公務員は殆んどがヨルダン人で権力を独占している。パレスチナ人の公務員もいるにはいるが、試験がヨルダン人のそれと比較にならないくらい難しく、ごく少数だ。
給料もヨルダン人が1月に300~500JD(約45000~75000円)に対し、
パレスチナ人は150~200JD(約22500~35000円)と最低賃金の120JDよりも少し多い程度だ。
ヨルダン人とパレスチナ人は住む場所が違うため、学校も違う。互いにいがみ合っていて、自分たちとは違う民族の友達を作りたがらない。
私もヨルダン人の友達はいないし、作ろうとも思わない。ヨルダン人が怖いのだ。
例えば、街でパレスチナ人とヨルダン人が喧嘩をしたとする。警察へ行って最初の質問は決まって名前からだ。名前を聞けばヨルダン人かパレスチナ人かが簡単に分かるからだ。
警察が気にするのは、どちらに非があったかということではなく、どちらがヨルダン人かということなのだ。
ヨルダン人に非があったとしても警察は彼にコーヒーをサービスし、被害者のパレスチナ人には暴力を加える。私は何回も警察署でその現場を見てきた。
それが殺人事件であったとしても、ヨルダン人にお咎めはない。何故ならヨルダン人の家族には、力があって、警察は何もできない。もちろん、パレスチナ人の家族も何もできない。加害者のヨルダン人からお金を渡されればそれを受け取り、黙っているしかない。金すら受け取れないこともある。
私がヨルダン人の友達を作らないのはそういった理由からだ。近づかない方が身のためなのだ。近づかけば、常に「YES」と言い続けなければならない。
それに、彼らの中には銃を持ち歩いている人もいる。違法だが、警察は何もしない。でも、パレスチナ人が銃を持っていたら、大変な問題になってしまう。パレスチナ人はそういう不公平な社会の弱い立場に置かれているのだ。
以前はパスポートにヨルダン・パレスチナと記載されていたが、2年前にヨルダン人とだけ書かれるようになった。警察で起こっているそういった問題を減らすためだ。しかし、名前や話し方、顔の色でヨルダン人かパレスチナ人かすぐ分かってしまう。何の問題解決にもなっていない。
ごく少数だが私の父のように、パレスチナ人がヨルダン人と結婚することがある。(父の再婚相手がヨルダン人)でも、もし離婚したら彼は妻の家族に殺されるだろう。
パレスチナは私の祖国だ。できるなら帰って生活したい。しかし、私が生きている間は実現しないだろう。何故なら、エジプトやシリア、ヨルダン、レバノンの周辺国はパレスチナ人をパレスチナへ戻らせたくない。多数のパレスチナ人が自分たちの国からいなくなると、経済が成り立たなくなるからだ。それにあの国はイスラエルの一部になってしまっている。今後も彼らは決してパレスチナを祖国に帰そうとはしないだろう。
パレスチナの50%だけでいい。それだけの土地があればいい。それでフェアだと思う。追い出されたパレスチナ人がみんな祖国へと帰れることを願っている。
日本のみんなには、こういったことが今も起こっていることを知ってほしい。
パレスチナ人はテロリストじゃない。
祖国で静かに生活したいだけだ。
平和が早く訪れることを願っている。