goo blog サービス終了のお知らせ 

Noblesse Oblige

「裕福な者には使命がある」

これからは、使命感をもって活きましょう。もっと、もっと、知りましょう。

ミサイル発射

2006年07月12日 00時24分12秒 | 国際政治
北朝鮮がミサイルを発射したとこによって、日本ではかつてないほどに外交が注目されている、かつ評価されているように思う。発射から数時間後に制裁の一部を発動するなど、「及び腰」と揶揄されていた判断の鈍さが、今回は感じられなかった。このように評価する意見が大勢のよう。

友達のブログにもあったが、メディアの反応は一過性の性分がまたも露骨に表れた。TV報道は、発射の当日には賑わいをみせたものの、その後は小康状態。一方、新聞では連日、細かい記事を書いているけれども、それでも紙面の割合は徐々に狭くなっている。

この事件にまつわる論点というのは結構ある。「なぜミサイルを発射したのか」「テポドン2号は失敗したのか」「新たな発射はあるのか」「軍の独走か」「日本の対応は甘いか」「中国とロシアは北朝鮮に甘いのか」などなど、きりが無い。

僕が今最も注目する点は、果たしてこの問題がこれほど注目を集めるべき問題なのかという点。韓国の総理府のHPでは、日本はこの問題ついて騒ぎすぎだという批判がされていたという。韓国政府としては、たいした問題ではないのだと。ロシアにしても、沿海州沖にミサイルが落ちたにも関わらず、一通りの批判しかしていない。

国がミサイルを発射するという行為は、北朝鮮が言うのように、確かに「主権的行為の一部分」であり、これを規制する条約は存在しない。何より、他国は頻繁にミサイル発射(実験)をしているわけだ。だから、北朝鮮も同じようにやっているのだから問題はないじゃないかという。

それにも関わらず北朝鮮のミサイル発射が注目される理由は、まさに北朝鮮という国がやった行為だからである。ミサイルの発射実験などは、基本的に周辺国にその旨を事前通知した上で行う。TVなどで、中国やら米国やらの軍事演習のニュースが流れているときに、ミサイルが発射される様子をよく観るはずであろう。こうした事前通知が少なくとも周辺国である日本にはなかった。そして、日本が第一に主張するのは、平壌宣言に北朝鮮のミサイル発射実験の凍結が載っているにもかかわらず、北朝鮮がこの約束を反故にしたという点にある。北朝鮮は約束を破ったということだ。

このような状況が、安定している地域ならば、それはまだ重大問題には発展しないだろう。しかし、事が北東アジアで発生している問題だから重大なのだろう。北東アジアは北朝鮮の問題だけで不安定なわけではない。竹島、黄沙諸島などの領域問題に加え、中台問題を抱えているわけだ。穿った見方をすれば、北朝鮮のミサイル発射を許容すれば、中国の台湾に対する、台湾の中国に対する、威嚇としてのミサイル実験の応酬にだってつながりかねない。

事を大きくしないこと。それによって、この地域の安定が脆いなりにも維持されてきた。日本は、安保理で北朝鮮制裁決議案の採決を目指している。中国に拒否権を恐れずに日本は強行にいくべきだと思う。中国の拒否権行使に伴う政治的損失の大きさは彼の国自身が最も良くわかっているはず。中国にとっての北朝鮮は米国にとってのイスラエルとは違う。ともあれ、安保理の行方に注視したい。

難民支援と日本

2006年06月25日 18時14分45秒 | 国際政治
先週の土曜日に早稲田大学アジア太平洋研究所で開催された講演会の報告です。プレゼンテーターは、UNHCRでシニアオフィサーをやっている羽生勇作氏。英語の講演だったけど、なんとも分かり易い、日本人英語だったので日本語で聞いてる感覚でした。

さて、その内容といっても大部分は基本的な内容。そもそも、難民とは何か、UNHCRとは何をやっているところなのか。日本はどの程度、難民を受け入れているのか。たとえば、難民条約が締結されたことによって、欧州の難民は救われていたが、欧州以外の地域、第二次世界大戦後発生の難民は対象外だったけれども、その後の議定書でこうした制限はなくなったと。これは、MUNのBG(懐かしい…)にある程度の事項だった。

興味深かった点は、日本の難民受け入れの議論にありました。いつぞやの記事でも書きましたが、日本の難民受け入れ数は世界的にみても圧倒的に少ない。氏は、昨年1年間での難民申請者が336人中10人しか認定されていないと興奮気味に語っていました。ちなみに、その年、認定されたのはこれに加え16人いたのだが、これらは「人道上の理由」ということで、難民の要件には合致していないとされているとのこと。日本は世界で二番目の経済大国であるにも関わらず認定率3%という現実は、おかしいと。もちろん、そもそも日本に申請にいく人々が少ないことも考慮に入れてのことだけれども。

難民を受け入れることを渋る理由は、経済的、文化的理由という伝統的な理由はもとより、近年はテロリストを受け入れてしまうという懸念が加えられている。よって、日本は特に厳格に、難民と申請されるための証拠を保持していないと認定されない。もっとも、本当の難民とは、例えばパスポートやらを持ち出せないくらいに困難に直面していた人々なのだから、認定されることが困難なのははっきりしているのだが。

しかし、重要なことは、こうした日本政府の姿勢に反発する世論というのもほぼ皆無であって、市民活動がうまくいかないという現実があるということ。つまり、日本国民が難民を受け入れる許容性を見せない点にあることが問題だという。2年前に、国連大学の前でガソリンをかぶり、火をつけようとして抗議したトルコ難民申請者の映像は、全国に流れたけれども、それにも関わらず国民の反応は鈍く、大した動きにはつながらなかった。

もう一点、興味深かった点は、難民申請者の側にも問題があるという点。例えば、多くの申請者は、裕福な先進国に移民できれば自分たちの生活が楽になる。だから難民となろうという人々が多くいる。こうした人々は、難民となるための要件を本当に難民となるべき人々よりもよく知っているから、難民の資格を得ることが多々ある。要件の機械的な適用はこうした弊害をうむのだと。

最後に僕はこういう質問をしました。「難民問題の最前の解決策は、その本国に帰還させることだと言っていたが、難民となる人々の多くは本国での迫害を受けたのであり、本国帰還を望まない人々の方が多いのではないか。その場合に、UNHCRはどのような対応をとるべきなのか」と。

氏はまず難民認定主体について教えてくれた。一つは、各国が認定するやり方であり、もう一つはUNHCRが認定するやり方。そして、UNHCRは各国が難民と認定した人々を難民でない人と同様に扱うことは許されず、その逆もまた許されないのだと。ところで、難民は本国で脅威に切迫された人々(とても大まかに言って)なのだから、本国が紛争中の場合は難民たり得る。しかし、いったん紛争が終われば、人々は難民資格を失い、帰国しなければならない。UNHCRや国家もそのように対処する。ならば、誰がどのように紛争の終了を見定めるのか。この点、氏はUNHCRが自身で判断すると言う。

この点、疑問に残るのは、事態の改善を認定する主体は第一義的には国家であるべきで、UNHCRが認定することによる弊害が生じるのではないかと。つまり、日本にとってアフガンの状態が平和状態ではないと認識しているにも関わらず、UNHCRがアフガンの紛争は終了したと認定すれば、他国から見た場合に難民受け入れの負担を恣意的に低下させたのではないかという疑念が生じるはず。

いずれにせよ、難民にしても移民にしても、日本がこれからどのように受け入れていくかは国民的議論が必要となるのではないか。トップダウンで議論を巻き起こさないと国民の関心は向かないと思うが、すぐ脇に外国人がいる状況を各個人が思い浮かべれば、それがその人にとって望ましい状況なのかそうではないのかという疑問が浮かぶはず。そうなる前に何が自分にとっていい状況なのか、判断するべき。なぜ、政治家は大きな論点としないのだろう・・・

米軍再編問題(2)

2006年05月13日 15時49分31秒 | 国際政治
普天間基地の移転先が、名護市の海上になることは、1997年には閣議決定した。それが、現在までも実施に移されなかったのは、名護市での住民投票による反対、沖縄国際大学への米軍ヘリの墜落などが重なったためである。

2006年1月に名護市市長選に島袋氏が勝利すると、4月には島袋氏が政府によるキャンプ・シュワプ移設案を受け入れ、今月頭の最終報告発表となった。名護市の受け入れ容認を受けて、稲嶺知事は沖縄県内での移転に反発する声との間で板ばさみあったが、昨日の朝刊一面にあったように、事実上、稲嶺知事も受け入れた。おそらく、次の沖縄県知事が正式に受け入れを表明するだろう。

こうして、普天間基地移設問題については一応の決着が得られた。しかし、これは在日米軍再編の完了を意味しない。そもそも、名護市に米軍が移っただけであって、グアムに移転した8000人を除けば状況はあまり変わらない。米軍兵による事件などが今後も発生すれば、沖縄県人の反発はやむことがないだろうし、数十年後には名護市からの移転問題だって発生しているかもしれない。

冒頭述べたように、米軍再編の目的は9.11後の新たな脅威に迅速かつ能動的に対処することである。北朝鮮の脅威が顕在化している以上、沖縄から米軍の影響力が低下することは、日本の安全保障上のリスクを増やしていることに違いはない。「抑止力の維持」というフレーズは、より身近に感じなければならない。北朝鮮が攻め込んできた(想像し難いが…)ときに、これに対処する兵力がいないでは、困るわけだから。「負担の軽減」と「抑止力の維持」を目指すことは、客観的に観ればとても都合のいいこと。在日米軍兵が、「なぜ守ってあげているのに嫌われるのだ…」と意気消沈することにも一定の配慮を示さなければならない。

住民投票が常に米軍反対を示すのはこうしたバランスが崩れていることを示しているのではないか。しかしながら、すぐ近くで戦闘機の飛ぶ音が毎日聞こえる環境に身を置いていない人間には、地元住民の辛さはわからない。あまり、無責任なことを互いに言えない立場にありつつも、こうした微妙なバランスの上に在日米軍再編問題が成り立っていることを、沖縄県以外の国民も関心を寄せるべきだと思う。

米軍再編問題(1)

2006年05月13日 15時21分28秒 | 国際政治
在日米軍再編問題が先月、大方まとまったみたいで、キャンプ・シュワプ案がなんとか沖縄県知事(稲嶺氏の次)の了解の下、実行に移せそうです。今回は、そもそも、なぜ米軍はこれまでの軍事態勢を変更する必要があるのかという点に考えよう。

米軍再編の背景には、米国同時多発テロ以降、非国家主体による脅威が顕在化し、こうした脅威に迅速かつ能動的に対処する必要性が高まったことがある。そして、米軍は大別して、(1)全世界的軍事態勢の見直し、(2)トランスフォーメーションに着手した。

(1)具体的には、地域問題を重視し、グローバルな問題に対処する体制。新たな脅威や不確実性に対処する柔軟な軍事態勢の整備。兵力よりも能力を向上。同盟国との関係の強化。紛争地への迅速な軍の派遣。などが挙げられる。

(2)上記を実施に移すためには、世界中に展開する米軍を必要な地域に、必要な分だけ再展開する必要がある。そこで、「不安定の弧」といわれる、中東、インド、東アジア(中国・朝鮮)での有事に迅速に対応できる編成を実施している。

さらに、軍事革命の進展はトランスフォーメーションの加速に寄与している。現地に大量の軍を駐在させなくても、ワシントンからの指示一つで、場合によっては無人の兵器を係争地に放つことが可能となる。

それ故、相対的に安定している西欧に駐留する軍は大幅に削減している。一方で、韓国や日本でも削減の要請がでているし、一部の撤退は韓国で始まっている。ここに、米軍再編の困難さがある。台湾有事や、中国、北朝鮮の存在を考えるならば、米軍が東アジアから撤退することは、先の目標に反し、安全保障上のバランスを崩すことに繋がる。ここに、在日米軍再編の難しさがある。

韓国や日本における在留米軍兵によるさまざまな事件が重なり、両国における米軍への反発は強い(とりわけ韓国)。そこで、日本における米軍再編の目的は「抑止力の維持」と「負担の軽減」に定められる。

日本の米軍再編問題を語る上で必須なのが、在日米軍の75%が駐留する沖縄の対処である。政府はこれまで、沖縄県との対話のために「沖縄米軍基地協議会」を、米国との対話のために「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」を設置して対話を重ねてきた。その結果、騒音削減、訓練方法の調整、地位協定の運用改善などを実施してきた。最後に残ったのが、土地の返還である。沖縄の普天間飛行場については、1996年に返還がSACOで合意されていた。しかし、「抑止力の維持」からわかるように、土地の返還は米軍削減を意味せず、日米はどこに普天間飛行場の能力を「移転」するか協議し続けた。


保護する責任

2006年05月06日 22時19分36秒 | 国際政治
保護する責任(Responsibility to protect)という概念は、人間の安全保障概念の発達と同じように、国際社会に浸透しつつ概念で、昨年のUNサミットの成果文書でも言及された。

この概念は一言でいってしまえば、人道的干渉のように、大規模な人権侵害が生じている場に対して弱者を保護する責任が国際社会にはあるという考えで、まだ概念的に確立しているとはいえないし、人道的干渉との違いや、人間の安全保障との関係など、つめるべき点がおおい新たな概念。でも、これからの干渉の新たな規範となりうるから、注目されている。そこで、僕がよくみるInternational Crisis Groupのエバンス元豪外相がジェノサイド防止諮問委員になるにあたって、保護する責任について語っているのでちょっと書いてみます。

氏曰く、保護する責任という概念は、主権国家がその国の文民をジェノサイド、民族浄化、その他の人道に対する罪から保護ための責任を有することを指すと。そして、もし主権国家がその責任を能力の欠如や悪意をもって放棄するようなことがあれば、その責任の主体が国際社会に広がるのだと。

その上で氏は、国際社会がすべきことは、この保護する責任という概念を完璧に使いこなし、世界が二度とルワンダの悲劇、そして現在のダルフールの悲劇を起こさないようにしなければならないと言う。


実はこの概念は4月28日の安保理でも確認されているらしいです。


ジェノサイドなどがあれば、国家がこの脅威から文民を保護し、そうしないのであれば国際社会が変わりにこれをするべきだと。こうした考えは、ダルフールに対して、国際社会がなかなか本腰をいれなかったこと、ルワンダの大虐殺という国際社会の大失態を二度と繰り返さないようにという願いが込められている。石油がそのこにあるから介入しないとか、米国との関係があるから介入しないとか、そういった理由はやめて、ただ目の前の悲惨な状況を国際社会は見過ごすべきではないと、こういう思いがはいった概念。

なかなか、全ての国に理解されるには時間がかかると思うけど、さて日本人は何を思うか。遠いアフリカの悲劇を活字の上で終わらせる、あるいは認識すらせずに終わらせる… それでよいはずはないけど、そうなっている現状。そして、その一部に自分も含まれている現実。それがたまらなく嫌なんです。

フランスデモ

2006年04月10日 23時50分35秒 | 国際政治
ここ1ヶ月ほど、ニュースで連日取りあげられていた、フランスでの若者による雇用法改正に対するデモがようやく終結しましたね。最後は、ドビルパン首相が法案撤回をして決着をつけた。このドビルパンという人、かなり人気のある人で、僕も憧れてます。去年の外交フォーラムにはドビルパンのスーツ姿の写真が掲載されてて、「かっこええなぁ」と思ってたねぇ。

さて、フランスでのデモはいわゆるマンパワーが民主主義国における強大な力となっていることを示したものだが、若者がやったというところに注目。今日の報道ステーションで言ってましたねぇ、「フランスの若者ですよー。それに比べ日本の若者といったら、仕事にも就こうとしないでぇ…」ってね。いや、こんなのアツクなる必要はないのだけど。

でも、「最近の若者はぁ…」とか、けっこう言われると嫌だよね。仕事に就かない人たちも、それぞれに理由があるし、現に仕事に就かなくてもいけていけるわけだし、そもそも仕事がすべてじゃないし。って言っていられるのはこんな環境が現に目の前にあるわけだからなんだけど。

って、話が完全にそれてる感があるわけだが、じゃあ、日本の若者は仮に日本の国会がフランスのような改正案を提示した場合に、フランスの若者と同じような行動をしただろうか。たぶん、ごく一部にとどまって、テレビのインタビューなんかだと、「しょうがないんじゃないすかぁ」とか言ってそうだ… 

日本の政治が機能していくためには、それでも「おかしな状況」に対して健全とした態度を明確にしめさなくてはいけないわけで、そういった意味ではちょっと怖いものもある。

で、何の脈略も無い話を書いてしまったわけで、ごめんなさい。


ps. 塾で生徒に知恵の輪みたいなのをやらされました。大人気なくも、30分間、ひたすらやり続けてしまった… あ、ちゃんとはずせましたよ。……、、…、ま、
……つけられなかったから、マグレなんですけど…

senの文明の衝突批判

2006年03月27日 13時16分01秒 | 国際政治
アマルティア・セン曰く、

「文明に基づく分類は希望のない歴史であるばかりではなく、人々を狭義のカテゴリーに押し込め、「文明ごとに」はっきりと分かれた境界線をはさんで対峙させ、それによって世界の政情不安をあおり、一触即発状態に近づけるでしょう」
(アマルティア・セン『人間の安全保障』集英社新書p33)


こうして、人間安全保障の立場の人は、人間を「文明」という枠に収めてしまうことに抵抗するわけですね。そして、ハンチントンは批判される。もっとも、ハンチントンの論が評判を得たのは何もそれが明確だからというだけではなく、冷戦崩壊後、米ソの二大パワーが米の勝利におわったことで世界が一極していくのではないか、あるいは、他の準大国たちがその影響力をまして多元化するのではないかという、冷戦後秩序の模索の過程で、説得的かつ現実的な論として評価を受けたわけですよ。だから、時代が9.11以降、テロリストを始めとする「個人」に焦点をあてはじめた現在、ハンチントンは批判の矢面にたたされているという流れを把握するべきかな。

ちなみに、大学3年生のときのゼミの先生はハンチントンと一緒にプロジェクトやってるらしいです。半年前くらいに再開したら、嬉しそうに語っていました。さらに、アマルティア・セン、APUにもきてくれたけど、今思うとほんとよくきたなと思いました。センを知らないAPU生がかなりいたのは悲しい限りで、おもしろいと思うんだけどな。

今度は、ジョセフ・ナイとかつれてこないかなー 誰か、呼んでみてよ。

民主主義って何だ?

2006年03月23日 12時24分27秒 | 国際政治
なかば、ぼやきに近いけど、改めてDemocracyってなんだと思ってしまった。いや、そういう本を読めって話だけど、あまり時間も無いもので。

選挙によって、国民の代表者を選出し、その代表者たちが国政を担うことによって、国民が主権を有することを体現しているわけですよね。国民主権、が民主主義の根本だと。もともとは、貴族階級から出た考えだけに、理想的。でも、普通選挙が実施されるにおよび、選挙は争点に対する国民の多数派によって投票された政党(議員)が勝利すると。だから、民主主義は賞賛される。

でも、イラクでは宗教色が強くて、シーア派の住民はほとんどが、シーア派政党の「統一イラク同盟」に投票し、クルド人はクルド政党に投票する。「統一イラク同盟」は他の政党に連立を呼びかけるが、うまくいかず。すると、結局は多数派による少数派の支配になる。多数派が少数派を弾圧するような国政を起こせば民意はそれを否定する。しかし、結局は少数派の意見は通らないから、肯定される。まるで、郵政民営化の小泉さんみたいに。

じゃあ、民主主義って何だ。国民みんなの意見を代議士が背負うのでなく、多数派の意見が国政に変わり、少数派は搾取されるならば、民主主義がそんなに崇高なものには思えない。もっとも、僕は知識がないだけであって、多数派支配の独裁化を肯定する民主主義という見方以外の見方、というか、この考え方をアウフヘーベンしてもっと適切な見方があるのかも知れない。でも、無知な僕には民主主義がこんな程度にしか思えないわけです。

ちなみに、じゃあ社会主義国や共産主義国家を肯定するのかといわれれば、違いますよ。ただ、民主主義が一番ましだからという感じで、考えられるならば、それを世界中に押し広げようとする人々に対して疑心暗鬼になるわけで、もっと適切な見方ができないのものなのかと、思うわけです。

パレスチナでイスラム過激派のハマスが選挙に勝って政権政党になったにもかかわらず、イスラエルのみならず西欧(含日本)はこぞってこの政権を認めないという。この矛盾はどのように説明するのだろう。ハマスが政権をとってから自爆テロなどの過激な行動は少なくともそれ自体の意思としてはないわけで、本人達も言論によって対決していく姿勢は明確なわけです。なぜ、西欧はこれを認めないのだろうか。いろいろ、憶測はできてもどれも正当性がない気がするのだ。

明治維新後、西郷どんが西南戦争を起こした後、それまで各地で武装蜂起していた元武士たちは、刀を納めて言論で対決するというある種の革命が生じた。西郷どんの犠牲が武士たちの意思を変えさせたといえる。パレスチナで犠牲になった、人々、そして自爆テロを実行した人々ですら、その犠牲に何をみたのかわからなくなるのではと思ってしまう。そうなると、言論の対決を体現している民主主義の正当性を自分で主張しているようにみえる。ってことは、少数派が多数派の意見を変えられるだけのある種の自己責任を持てよ!って結論になるのだろうか。


本を読まずに妄想だけで考えるとこんな脈絡のない話になってしまうわけです。こんなこと考えていた今日の昼下がりでした…

文明の衝突と人間安全保障

2006年03月21日 18時29分15秒 | 国際政治
前回の続きです…

東大大学院の石田勇治先生が曰く、デンマークを発端とするムハンマドの風刺画問題、イラクでのイスラム過激派によるテロなどは「文明の衝突」として描かれる。でも、実際には「文明の衝突」では説明できない紛争がほとんどである。では、なぜ「文明の衝突」と称されるのか。なぜなら、「わかりやすい」からである、と。

「文明の衝突」という枠組みを欲する集団がいる(イラクのテロ集団等)ことを忘れてはならない。「文明の衝突」の枠組みで観る人はしばしば自分の所属する文明以外に対しては嫌悪感をもち排外主義的になる。それが、イスラム原理主義などにもつながる。

イラクでの米国のテロ掃討作戦は、本当に対テロ作戦といえるものなのだろうか?ファルージャでの米軍による大虐殺はすでに忘れられようとしているが、あれこそ「文明の衝突」の枠組みで米軍が行った戦争ではないだろうか。「イスラム過激派」をこの世から葬るという主張は、正当なようで実は危険である。それを理由に無実の人々が大量に殺害された現実を検証するべきである。


僕自身、何度も記事で書いた気がするけど、「民主主義を世界に広める」ことが平和をもたらすことに繋がるとは思えない。確かに、民主主義国同士での戦争はかなり少ない。でも完全に無いわけではない。第二次世界大戦の日本ですら、その30年前には「大正デモクラシー」だったわけだし。でも、この主張は一方で、「独裁政権」を正当化するとか、「非人道主義的」だと反論される。しかし、状況の異なるあらゆる国の政治体制をすべて民主主義に統一することは非現実的でしかないと思うな。ポリアーキーな社会においては、民主主義は正当性を持つけど、たとえば独立したばかりで国際社会の支援も満足に受けられなかった1950年代のアフリカ諸国なんかは、独裁政権だからこそ国家と成立してきた。

文明の衝突は「民主主義対非民主主義」として色付けされるときもある。でも、そんなに単純に分けてはいけないわけで、各国の実情に照らした最適な政治体制を尊重するべきでしょう。「文明間対話」と名の付く活動を、よく聞くし、そうした活動が現に行われている。自己の所属しない文明についての知識を持つことは、重要なことに違いはない。互いの文明を尊重する。それは一見、崇高な考えに思える。でも、現代においてほとんどの人間は他の文明をけなしたり、見下すことは無い。「文明国の神聖な使命」の下に植民地化が正当化される時代は終わったわけで、民主主義を全ての国にー、という主張は植民地化への逆戻りへの感すらする。

APUの国際学生と何度か紛争の話をした。みんな必ず共通のことを言うわけです。「僕たちはあの民族が嫌いなわけではない」。「一緒の場所で生活をしていても何の違和感も無い」。ただ、「政府や、トップの人間が勝手にやっている」のだということ。一市民である僕らにはなぜ彼らが「寛容」を示さないのかが不思議であると。

大学での勉強で、「民族紛争」という名のつく紛争に出会ってきた。でも、実際にはそれこそ「民族紛争」というレッテルの貼られた、いやその枠組みが当然のものとしてそこにあると思ってやってきたことに過ぎなかった。

人間安全保障は、民族や、宗教や、文化、というレッテルをはずし、「個人」として対応することを主眼としている。この考え方が、普及するには、これまでのさまざまなレッテルをはがさなくてはならないのだなと思うわけです。

一つ、面白い話を聞きました。スペイン・トルコ・アナン国連事務総長が新しい「文明」を創造しようとしているらしいです。詳しいことは知らないので、知っている人がいれば詳細を教えてもらいたいですが、面白い発想ですよね。「われら地球人」って思える瞬間が、宇宙人の侵略の前にやってくることを期待しちゃいます。この点、APUの環境はいい勉強になった。あそこですら、「われらAPU生」という感覚が完全には浸透していたわけではない。基本的には、自分の文明と共通する文明の人々と一緒にいてしまう。かく言う自分も、東アジアの友達ばかりなわけで… 

個人に注目がいくほど、これまでの世界の伝統との逆流の中で、様々な矛盾や衝突がうまれていくのだと容易に想像できてしまう。でも、僕は「われら地球人」という考え方に深く共感するし、そうなれるように働きかけていきたいなと思います。

Human Securiy

2006年03月12日 23時23分56秒 | 国際政治
3月10日 「人間の安全保障のための平和構築-対テロ戦争をどう捉えるか?」
主催 「人間の安全保障」プログラム @東京大学


ということで、またシンポジウムに参加してきました。標題の通り、人間の安全保障(HS)に関するシンポジウムでス。主催のHSPは東京大学大学院にあるプログラムで2年前にできたらしいです。長はあの山影進先生。びっくりしました。てっきり、東南アジアの専門家だと思っていたので。シンポ終了後に山影先生とも話したけど、「ははは 二束のわらじだよぉ」と言われてしまった… ふむ。さすがです。

講演者などについては、このシンポのHPを参考にしてくださいな。
http://human-security.c.u-tokyo.ac.jp/symposium/sympo20060310.htm

以下、気になったところを何点か書き連ねようかな。

あ、HSの概念的なところや、具体的なところは以前の記事を読んでください。
http://blog.goo.ne.jp/ryouhod2/e/8f30c629734409e82ff8eba1b7f034a9


1.テロ対策とHSとの関係(神余大使)

人々をテロの物理的・精神的脅威から守る→「保護」のアプローチ
テロ集団の心理的部分を強化し、社会復帰させる→「能力強化」のアプローチ
          ↓
総合的なアプローチが必要となる

とりわけ、テロリストや自爆テロの実行犯となりがちな人々はしばしば脆弱なたち場にある(必ずしもそれだけではないと思うが…)人々だが、こうした人々が未来の可能性について「選択肢を得る自由」を得ることができる環境を作る必要がある(アマルティア・セン)。

「選択肢を得る自由」というのは僕らにはイメージがしづらいよね。でも、例えば教育ママに連日「あなたは勉強して絶対に東大にいくのよ」といわれ続けた時のつらさというか、そういう感覚なのかなと思います。あるいは、他者からは抑圧されている状況だと明らかなのに、当事者からしたらそれが普通と思ってしまう状況。こうした状況から解放し、様々な選択肢を知り、最適な道を自由に選ばせる。確かにこうした考えを根底にアプローチすればテロリストは減るかも知れない。

でも、ロンドンテロのように、自爆テロや、テロリストってのは必ずしもそういった環境にある人々ではなくて、高学歴でしかも西洋人だったりと、なんらかの脅威で抑圧されているとは考えられない人々も多いのではと思う。

じゃあ、こうした人々をHSの観点から救う(?)にはどうするのか。いや、でもこう考えるときにいつも思うのは、西洋近代文明を憎み(テロの動機が文明社会への反抗だとするならば)、これを否定するのであれば、それ自体は否定するべきではないよね。たとえ、その行動が過激であったとしても。

ただし、人を殺傷するのはよくないわけで、その点ハマスが政権をとったことは特筆するべきことだと思った。でも、ここで大きな落とし穴が、この政権を認めようとしない西洋諸国だった。つまり、ハマスをテロ組織としてしかみないで、それを一つの政治的意思を表現する組織だとは認識しないこと。

つまるところは、文明間の意識の対立を互いに望んでいるではないかという疑問。文明の衝突という言葉に彩られて、さも自分が他の文明とは異なり、自分の文明が一番だと自負すること。そうした認識がテロを生んでいるのか。

文明の衝突については、シンポでもよく話し合われてました。
また、次回、書きます。



ps. 今日は第3回の予備校での模試でしたぁ。第2回の結果、ようやく総合ランクで20位内に入ったよー あとは、、、経済学だ・・・







麻生外務大臣VS市民

2006年02月21日 20時26分04秒 | 国際政治
やはり、タウンミーティングなんで、市民との対話を紹介しないとね。
全部というわけにはいかないんで、興味深かった話を抜粋。


1.吉田茂の孫ということで、吉田ドクトリン(経済国家志向)の限界についてどのように考えるか?

1950年-トヨタ自動車が倒産したとき(知らなかった…)に吉田ドクトリンが発表された。つまり、経済国家を目指す年の当の経済状況は最悪であった。この政策により、これまでの日英関係から日米関係へと移った。

なぜ、米だったのか。理由は単純で、「米が最強だったから」である。ところが、この考えには猛烈な反対もあった。でも、日米安保を締約し、日本は防衛を米国に委ねた。その分、経済発展に繋げることができた。

現在の、吉田ドクトリンに対する批判は表面的だ。例えば、インドの地下鉄(前話に詳細)での教育、ベトナムの官僚を日本に呼んで教育、などが吉田ドクトリンに含まれる。結果を見よ。


2.中国との関係は?

脅威とみなすべきでない。アジアの友国として共通目標を持とう。ただし、それは覇権を目指すものではない。よりprofitableな関係を持つべき。

国のトップ間が関係悪化している状況と、両国の市民同士の関係が悪化している状況はどっちが良いか?トップが悪いだけなんだから、よいではないか。


3.日本の進むべき方向は?

第一に統一感がでてきたことを認識すべき。例えば、自衛隊が災害地に行くことなど昔はありえなかった。これは、有事法制制定によって、信号機のある道路を自衛隊は通行できないというおかしな状況を改正したからだ。

第二に、しかしながら逆行していることもある。それは少子化である。でも、とかく少子化というとマイナスイメージだが、これは改めるべき。つまり、生産性を上げ、外国人労働者について考えるときだと。

昔は、貧しいけど多産だった。ことさら、人数の問題ではない。


4.日本の外交は弱腰だと批判されているが?

日本が島国であり、昔からの土着の文化があることを考える。陸続きであれば、言語が変わったり、人種が変わったりと… 日本の考え方は、村落共同体である。隣人とは一生、隣人である場合すらある。他国では、一度出会えば一生会わないというときもある。この日本の姿勢が良い例をもたらした。

日露戦争時、日本は軍費を得るために、500万ポンドを米英に債務した。この返済にあって、日本はユダヤ人協会に支援を求めた。すると、日本はユダヤ人に期日までに完璧に返済した。その後、ユダヤ人は日本を完全に信用するようになった。

短期でみれば、日本の外交は不利益に見えるかもしれないが、長期的にみれば確実に国益にかなっていることをみるべし。



さて、まだいろいろあったけど力尽きました。最後に、イオキベ先生が麻生大臣を批評しました。曰く、実際性、人間性の溢れる人である。それを、メディアは歪めている。日本の資産は、civil powerである(ex. おしん、ポケモン、漫画など)。外交は、いわばこのcivil powerを輸出する作業。経済外交の重要性はこの点からも衰えていない。この点を重視する必要もある。


麻生大臣のイメージはイオキベ先生が言うようにまさに人間性に溢れているということでしょう。この点、人によっては批判すべき点であるかもしれない。無礼だとか、言葉が軽いとか。失言をしたかどうかは、全体の文脈を把握しないと判断できない。でも、ぼくらが得る情報はメディアを媒介するしかない。それで、その断片的な情報の中から、麻生大臣をイメージし、批判する。この点に確かに疑問は感じるよね。

でも、そんな時代だから、メディアを意識した発言なりをしなければならないのかもしれない。この点、僕はむしろメディアを意識しすぎて萎縮した政治家の方が国民に奉仕できてないのではと思う。

麻生さんの外交姿勢自体は、けっこう同調するところがあるし、おそらく多くの人が納得するのではと思う。でも、それを違うところでかき消されてしまったか。なんか、損をしているような気もするなぁ…




麻生外務大臣の日本観

2006年02月19日 13時35分10秒 | 国際政治
昨日は、外務省のタウンミーティングにいってきました。
去年の同じ時期くらいに前外務大臣のもいってきたのでちょうど一年ぶり。

例のごとく、麻生さんのイメージですが、タカ派で、吉田茂の孫だから、日米偏重の変な話し方をする人といった感じでしょうか。これがまた、話を聞いているとおもしろい人で、人間的にはとても好感の持てる人でした。

今回は、日本外交にはアイデンティティがないとの批判の元、麻生さんが考える、日本の強みというか、日本の定義は何かという点について書きます。特に、アジアにおける日本という位置づけで語っていました。


日本は、ご存知の通り「小さな政府」を目指している。しかし、「強固な政府」でなければならない。しかし、日本は軍事力がない(?)ので、ODAをその手段とし固めていかなければならない。だから、ODAは重要な戦略的手段。

このような観点から達成されるべきは、

"Peace and happiness through economic prosperity and democracy"

そのために日本は、thought leaderになるべきだと。すなわち、他人より先に難問へぶち当たらざるを得ない星回りにある人であれと。日本は失敗や成功を含めて、他のアジア諸国に比べて圧倒的な経験がある。

こう考えると、中国の台頭は、脅威でなく良い機会と捉えるべきである。もっとも、中国の急速すぎる経済発展は、40年前の日本と同じ状況。だから、中国も馬鹿ではないから、日本が失敗したのとは同じ失敗をしないように努力するだろう。

日本の強みは、第一にその経験であり、第二にアジアの重しであり、第三に横の関係(p2p)であると。横の関係というのは、いかなる国の上位に建つのでなく、従属するのではない。だから、中国と覇権を争うわけでもない。横の関係を維持し、その中でthought leaderとなり、自動安定装置となる。それが日本だと。

ODAを具体例として挙げてましたね。ODAはしばしば、金をあげるだけだと非難される。でも、金は上げるのでなく、貸すのであり、それを利用して自分たちでなんとかしていく能力を蓄える必要がある。インドの地下鉄工事に対するODAの拠出について、その工事では日本の企業が活躍していた。インド人作業員が初日に作業開始時刻にいったところ、日本人作業員はすでに作業に取り掛かっており、こうした勤勉さがインド人には驚きで会ったと同時に貴重な経験になった。こうしたインドに対しては、お金の供与だけでなく、「労働の文化」の輸出が可能になった。これが理想的な姿だと。

最後に大臣はこの文字でしめました。

「天下雖安 忘戦必危」

世の中が平安であっても、戦いを忘れずに危機がそこにあることを忘れてはいけない。という感じでしょうか。戦いは戦争だけを意味するわけでなく、その他の争いも含めているわけだけど。


とりあえず、こんな感じで大臣のプレゼンはおわりました。
次号、気が向けば、タウンミーティングの趣旨である参加者との議論の様子を伝えようかと思います。

では、今日も守谷市立図書館に行ってまいる…


核を持つイラン

2006年02月16日 00時35分43秒 | 国際政治
イランの核開発が紙面を賑わせていますね。
アフマデネジェド大統領が世界に挑戦するという趣旨の文章が多くみられます。
「イスラエルは地図から消えるべきだ」
「アメリカは好戦的だ」
などと発言していると伝えていますね。

いつも思うのは、なぜイランが核を開発したがるのかという点について触れてない点。
つまり、メディアではイランの核開発=悪いことを自明として描いている。
もちろん、核をもつことを肯定しているわけではないです。
先日の、卒業旅行としての長崎旅行、当然、原爆資料館にもいってきました。
改めて、身が引き締まるというか、意識をもてたというか。
意外だったのは、長崎に投下された原爆は広島より威力がでかいということ。
ただ、長崎市は地理的に被害が広島ほど拡大することはなかったということ。
それでも、その威力はすさまじかった。大浦天主堂のそばにある鐘。
それは、原爆で吹き飛ばされた鐘が現在でも土に埋もれて悲惨さを伝えていた。

話は戻ってイランについて。
この国が核を持ちたいと思うのは納得できるんです。
イランの右隣にはイラク、上にはイスラエル、左にはサウジ、下には海。
何かあってからでは遅く、抑止力を緊急に持つ必要があると考える。
しかも、北にいるイスラエルは核をもっているときた。
それで、国際社会はイスラエルの核を排除させずに、イランの核のみを否定する。
それでも、イランが保有することを否定するのは、使いそうな国だからという見方。

改めて、核を持つことは絶対に許されないと、日本人として考える。
でも、本当にそう思うなら、なぜこれらの国が核を持つ必要があるのか。
そして、なによりも現保有国がなぜその核をなくさないのか。
ここに、注目せずに目先の出来事を捉えてはいけないのでは。

以上


ps. 我が家から200M先の予備校講師に採用されたー(笑)

TICAD(アフリカ)

2006年01月23日 11時45分53秒 | 国際政治
今回はTICADについて少々。また、講演会だけど、今回はAPUのアフリカンウィークの一環として開催されたものです。

講演者は三菱総研のMizuta Shinichiとガボン総領事の審議官(たぶん)の方。
英語の講演かつ、資料がなかったので、なぞなところも多かったのだが。

端的にまとめるために、僕の感じたアフリカに対する一番のエッセンスを書こうと思います。それは、「アフリカは『アフリカ』にあらず」ということです。

日本人にとって、アフリカは疎遠であり、意識的にも物理的にも遠い遠い存在。でも、そんな日本でもTICADを開催するなどして、アフリカに貢献しています。ちなみに、TICADはTokyo International Conference on African Developmentですよね。2003年にはアフリカから22名の国家元首が来るなど、世界最大規模の会議です。

みなさんはアフリカ大陸に何カ国が存在しているか知っていますか?この質問をされて、真っ先に僕と友達は答えたんだけど、そう53カ国なんですね。かなりの数ですよね。これらの国を僕らは「アフリカ」と呼ぶ。まるで、ひとつの国のごとく。

そして、「アフリカ」というイメージでアフリカにいる国々を見てしまう傾向がある。その代表格が「貧困」と「紛争」であり、それはあたかもアフリカ全土に広がっているかのようなイメージをもたらす。

でも、例えばガボンの方が話されたのは、「ガボンは必要なインフラはあり、紛争はなく、自然災害もない、平和な国」であるということ。アフリカ大陸を地理的にみたって、北部は砂漠地帯、中部は熱帯、南部は南アに代表される工業地帯などなど実に多様な地域であるということを僕らは認識する必要がある。

TICADが2003年に進歩した点は、これまでのDevelopmentのみの会議ではなく、Trade and Investmentについても議論していこうというもの。さて、ガボンの氏曰く、「日本の企業の方にガボンへの投資を要求しても、危険だからといって断られる。」「外務省の方は、ガボンをいい国だと褒める一方で、一般人には『アフリカは危険』といって渡航を勧めない」といわれる。こんな状況では日本からアフリカに投資するなんて、不可能ではないかと。

では、そんな日本人になぜアフリカは投資を期待するのか。そこまで、日本人から-のイメージを持たれるのであれば、日本に期待しなければいいじゃないか、と。しかし、アフリカにとって、日本は重要な貿易パートナーであるということを認識しなければならない。

アフリカには、かなりの資源が埋蔵されています。日本は、資源を有さず、輸入にその大部分を頼っています。今は、オーストラリアが資源面での主要なパートナーだけど、ほんとにこれが、20年、30年、100年先も進むのだろうか。これは、実は就活中にけっこう考えていたことなんだけど…

資源獲得を他国からゆだねるしかない日本は、他国との関係を良好なものとし、また、資源を効率的に獲得するための技術を共有する必要があるのではないかと。いずれ、日本もアフリカに頼らざるをえない時代がくるはずです。それは、たぶん僕が生きている間にでも。それは、オーストラリアの資源が枯渇するとかいう見方ではなく、交通手段の発展によって、物理的にアフリカとの距離が縮まるとの推測からだけど。

つまり、アフリカに対して、正確な認識と知識を日本人が(とくに若者が)もつことは、自分と日本自身のためになるという考え方が必要なのだと思います。今は、疎遠な地域であっても、すぐに身近に感じる時代がきますよ。日本に内在する伝統的な「鎖国意識」から脱却して、視点を広くもつことが肝要ですね。

人間の安全保障

2006年01月06日 23時11分26秒 | 国際政治
今年最初の記事は人間の安全保障(Human Security)について。先の模擬国連全日本大会でのスピーカープログラムでの話しを書きます。
スピーカーは国連事務局の「人間の安全保障ユニット」に所属しておられる田瀬和夫さんです。UNフォーラムでもこの方の議論は拝見しているのですが、とても明快な議論をしてくださるので、きいていてとても楽しいです。

話の構成は第一に、「人間の安全保障」という概念が提起された背景について、ダニに、概念そのものの説明について、第三に具体的な適用について、第四にタイミングについて、最後に質疑応答から少々といった感じです。


①背景

1990年代初期、冷戦構造の崩壊により、強力なイデオロギーによって抑圧された民族主義的なイデオロギーが表出し、アフリカを中心として国内紛争が頻繁に勃発するようになった。この関連で、ソマリアのようないわゆる破綻国家なるものが出現するようになった。

さらに、20世紀後半以降、グローバリゼーションの進展によって、これまでの体制によっては解決することが困難な問題が多く発生するようになった。例えば、テロ、HIV/AIDS、温暖化、人身取引などがそれにあたる。

こうした問題の変化に対処するために、新たなるパラダイムが必要とされるようになった。こうした概念上の対処法として、「人間の安全保障」がUNDPによって提唱された。それは、国家という枠ではなく、「人間」そのものにスポットを当てることでこうした新たな問題に対処できるのではないかという考えに基づいたものであった。


②概念の説明

「人間の安全保障」には大きく二つの解釈が存在する。一つは、日本が提起する概念であり、もう一つは、カナダなどが提起する概念である。

前者は、アジア通貨危機などを契機にして、人間一人一人がどのようなことを要求しているのかを判断し、それが自分達の手で自立して継続できるように支援すること。アマルティア・センが言うところの、capacity buildingに近いと思います。しかし、この考え方は後述するように少し違うといってましたね。

その前に、後者の考えですが、カナダなどが主張する「人間の安全保障」は人間の生存が危機的な状況にある場合には、介入をしてでも助けるべきだという、いわゆる人道的介入を肯定する根拠となる考え方です。しかし、こうした考えには途上国をはじめ、かなりの反対があります。それは、この概念を名目に主権がなおざりにされ、介入が頻繁になる可能性があるためでしょう。そこで、概念的には、この両者を接合させる必要性がでました。それを考える場として、緒方貞子先生とアマルティア・センが座長となったハイレベル委員会が設立されました。

田瀬さんも加わったこの委員会は、概念構成をするにあたって、貧困者に、「何があなたを脅威に晒していますか?」というアンケートをすることで、貧困者との対話を下に考えました。この結果、考え付いたのが以下のようなことです。

まず、貧困者といっても、それはひとくくりではなく、個人やコミュニティは実に多様であり、彼らが求める「安全」も実に多様であるということでした。ある人は、教育であり、ある人は雇用であり、ある人は栄養であったりと固定されていないということ。

そこで、気付いたことは、例えば、教育→雇用→栄養→防犯などは全てリンクしているということです。つまり、緒方先生曰く、「不安要素の連関に構造的に投資する」という考え方です。これまでは、貧困国において、例えばUNICEFは子どもを対象として活動し、WHOは健康問題を対象として活動していた。しかし、この人間の安全保障の考えに基づけば、こうした活動をいかに統合させるかを一番に考えるわけです。


③具体的措置

具体的には、まず最初に対象となる人々に「何が必要か?」とききます。その返答に対して、国際機関などがどう統合して行動するかを考えます。そして、措置を敢行するといった具合です。

ここで重要なことがempowermentという概念です。ただ、氏はこの考え方がしばしば勘違いされているといいます。empowermentは、例えば女性に対して仕事の方法とか、言葉を教えることによって自立した生活を送れるようにするという解釈をします。僕もこうした考え方をしていたんですが、実はessenceは違うところにあるらしいです。それは、こうした教育を受けた人が他の人に教えるという行為ができるようにすることに意義があるらしいです。それは、imputしたことはoutputしてこそ意味があるという考えに基づいているようだ。


④タイミング

紛争後から早期回復への間というのは、これまで国際社会が支援をするにあたってギャップが生じる期間であった。例えば、UNHCRやWFPなどは紛争地に介入するタイミングに差があるため、その間に多くの問題が生じていた。スムーズな移行が達成されるには、全体としての計画を考え、継続的にやることが重要だということですね。

その実例として、最近では、PKOのマンデートにDDRに加えて、RRの部分を加え、DDRRRとしてマンデートを実行させるようになった。

最後に、人間の安全保障についてはそれに言及した国際文書はなかった。しかし、2005年9月のサミットで初めて、「脅威からの自由」「欠如からの自由」という人間の安全保障の概念が文言に含まれた。これは重要な点である。


⑤質疑応答

いっぱいあったけど僕の質問だけ書きます。

「人道的介入の側面をもった人間の安全保障概念は現在どのように考えられているのか?」という旨でした。

氏はこれに応える前提として「保護する責任(responsibility to protect)」について説明しました。先のハイレベル委員会も、その報告書で安保理も「保護する責任」に基づいて考える必要があると訴えました。それによって、例えば、レイプなどが横行する状態に対しても安保理は「平和への脅威」を認定できるようになりました。安全保障の概念を拡大させたといえるでしょう。

その考えに基づいて、緒方先生も「悲劇が起きるまでに行動すべきだ」という考えを明らかにしている。つまり、preventの考えをprotectに含めたと考えられる。この考え方は人間の安全保障と共通するところがある。つまり、安保理は憲章7章下の強制措置の根拠として人間の安全保障を援用することが可能という解釈を残した。

しかし、UNの人間の安全保障ユニットも7章下の行動は人間の安全保障とは言わないし、それがいえるか否かもグレーゾーンとして議論していないという。


異常、まだ書きたりないのだが、時間も限られているのでおしまい。
いろいろと、ご意見ちょうだーい。