Noblesse Oblige

「裕福な者には使命がある」

これからは、使命感をもって活きましょう。もっと、もっと、知りましょう。

「米軍再編」と「不安定の弧」

2004年11月25日 01時29分54秒 | 国際政治
お待たせいたしました。
決して時間が無いわけではないのだが、、いやいいわけですね。
日々、いろいろな問題を考え、いろいろな結論を自分の中で導き出すのですが、
そうした考えはえてして新聞から始まります。

今回も新聞を読んで、改めて考えたことです。

少し話しはずれますが、先日、日米同盟について議論をする機会に恵まれました。
与えられた議題は、「もし、あなたが沖縄の米軍基地問題を担当する政策担当者だとしたら、どのようにしてこの問題を解決するのか?」というものです。

多くの人の出した意見は、「沖縄にだけ負担をかけるのは、世論が承認しないから本土に移転したほうがいい。」また、「日米同盟に頼りすぎず、米軍自体を減らす努力をする」などというものでした。あなたはどう思いますか?

ちなみに、僕はこういいました。「日米同盟は、日本と米国のためだけにあるものではない。極東条項のいう範囲を越えた国際関係に大きな影響力をもつ重要な条約である。それゆえ、単純に日本国内の状況に応えて兵力の移転や削減をするべきではないと。」

これらの意見はすべて、現実的な国益を考える視点が欠けています。それはどのような点でしょうか。キーワードは「世論」でしょうか。先月(先々月だっけか?)の『外交フォーラム』は「世論」を特集していましたよね?それを参考に、みんなにも考えてもらいたいです。意見ください。


話を戻しましょう。

『不安定の弧』ですが、実は結構有名なタームですよ。
ずばり、朝鮮半島から中東にかけての地域を指します。さてそれらの間にはどのような国があるでようか。あんな独裁国や、核配備で有名になったあの国や、軍事政権の国や、いろいろありますね。

在日米軍が増強されるとしたら、一番の理由はおそらく『不安定の弧』への対応でしょう。しかし、単純に『増強』といっても、それは人数(兵力)の増強を意味するわけではないです。
米軍を再編するのであれば、単純に兵力を増やすというのではなく、防衛白書的にいうのであれば、多機能的に強化するわけです。そもそも、増強(強化)といわれても、それは人によって解釈が代わってくるわけですからね。

重要なことは、『新たな脅威に効果的に』対応することでしょう。
確かに、『不安定の弧』に脅威は集中しているのかもしれないが、アフリカに破綻国家が誕生すれば、そこがテロの温床となります。例えば、今のソマリアのように。

米国が口をすっぱくするほど、テロへの対策ということを言っていますが、それならば、こうしたテロの温床を叩くことを優先するはずです。つまり、米軍再編の再に重要視されるべき能力は、『機動力』ということでしょう。

『機動力』を重視するのであれば、あの問題が浮かびあがります。
米軍ヘリの沖縄国際大学への墜落ですね。あのような、衝撃的な事件が起これば、間違いなく世論は、沖縄を支持するでしょう。しかし、政策側は態度を変えないでしょうね。『世論』じたいに対する議論は後日ということで、ここで考えるべきは政策を立てるメルクマールではないでしょうか。

そもそも、なぜ米軍が日本に駐留する必要があるのか。
安全保障を中心に考えるのは当然です。長期的視野に立つことが必須条件なわけですね。

日本の自衛隊の戦力はどのように決めているかわかりますか?

日本にとっての、潜在的脅威はもっぱら北朝鮮に向けられていますが、本当に恐れるべきは中国でしょう。あの人数、あの大量の武器、かつハイテク化、その上、反日感情・・・ こわいです。
つまり、中国の兵力=日本の兵力 となる必要があるのです。
でも、どう考えても自衛隊が中国に勝てるわけはないです。だから、米軍がいるんですよ。

中国の兵力=日本の兵力+米国の兵力 というバランスが保たれるように、自衛隊は組織されているんですよね。これをみなさんはどう感じるでしょうか。いろんな意見を聞きたいものです。


『不安定の弧』に目を行き過ぎると、本来対策すべき脅威を忘れることになります。
ましてや、額面どうりにはいってないとはいえ、『極東条項』という範囲を限定している点は、考え物でしょう。上述した、破綻国家対策など、テロを防止するための有効な手段を一番に考えるべきなのでしょう。

とはいえ、矛盾に感じるところも多くあります。「テロ対策」の名の下に、なんでも成されている現状は、かえって大きな脅威を生み出してしまうのではないかという不安です。

例えば、米国と中国、米国とロシア、はともに「テロ対策」を合言葉に緊密な関係を築き始めています。しかし、その結果が、中国の国内における人権侵害や、ロシアのチェチェンなどに対する軍事行動を許容する結果につながっています。

国益を追求する国家だからこそ、「テロ」を道具に、自国の利益を追求する。こうした、サイクルは永遠に起動させるわけにはいかないでしょう。いつまでも、米国に単独行動を許し、先制攻撃を見て見ぬふりするのは、将来的に、「テロ」とは異なる、過去の歴史が刻み込んだ「恐怖」を舞い戻すことにつながりかねない。

・・・


米軍再編を考えたはずが、また少しずれましたか。いや、ずれたというか本質に自分のなかではつなげているつもりです。

ひとつに事例から多くの議論を導き出すことができます。
こうした、議論をひとつひとつ組みたて、論理だてる、こういう知的作業の連続が、勉強の楽しさにつながるんですよね。

最近、受験勉強と同時に、改めて、政治学の勉強をしています。さまざまな偉人の理論をいただき、自分の考えとつながることによってより深みのある議論ができればいいなと思うところです。

まだまだ、知らないことが多すぎるなぁ。
まぁ、がんばって勉強していこう。
それでは次回をこうご期待。

コメントまってまーす。あいかわらずアクセス数とコメント数があってませーん。

では

休憩

2004年11月20日 02時39分16秒 | ぼやき
読み返してみると、なんともつまらない文章を書いていました。
やっぱ、経済なんかやーめた。

もっと時事性の強いネタでいこうと思います。
次回は「米軍再編と不安定の弧」でいきましょう。
でも、ちょっと待ってください。

今週の土日は模擬国連の合宿です。
とはいえ、私は夜は逃げますが。

今回の模擬国連会議はですね、
設定会議は「女性の地位向上委員会」で、議題は「女性難民の保護」です。

メインの論点としては、1995年の北京宣言および2000年のフォローアップ会議にて成立した文書(北京+5)を基にした、より実際的な具体的な対処ですね。
そのための方向性として、3つ提示されており、

A:女性の条約難民、国内避難民、その他の難民の政治プロセスへの参画
B:〃の社会復帰のための訓練体制の整備
C:〃の国家による具体的な措置

でしょうか。少し間違っている気がしますが。
私の担当国は、なんと模擬国連史上初のNGOです。
しかも、「Amnesty International」。そう、世界にその愛の手をつねに差し伸べているあの集団です。NGOらしく、しばしば抽象的になりがちな国家間合意を具体的に、かつ実施義務を課すための文言調整にいそしんでいます(明日は)。

簡単に述べる程度になってしまいましたが、何か興味があれば、コメントをください。
じゃないと無視しちょうよーだ。

アクセス状況をみたかんじ、見ただけの人たくさんいますねー
ばれてますよそこのあなた。

コメントよろしく。

国際関係と経済学(1)

2004年11月15日 01時44分52秒 | 国際政治
さっそく、更新サボリまくってます。実に忙しい毎日です。
いや、この毎日を忙しいというべきなのか、何か単調なリズムの繰り返しで、変化の無い日々です。
それでも、そんな日々に自分の将来を期待して、なんとか励んでいます。

外交官を目指している私にとって、経済学の勉強は必須であり、というより試験科目です。
「経済学」を勉強するのは、大学生活でも始めて、今日の授業でもほとんどわからず、
先生に向かって、ぼやいてました。「経済学をスキになれない…」と。

大学生活で私がもっとも力を入れてきた活動は(現在進行形??)、「模擬国連」です。
「模擬国連」の活動と出会えてことで、今の自分があり、今の夢があるのだと思ってます。
で、そういったツールを利用して、国際関係を疑似勉強してきたわけですが、
外交官試験の勉強のため、「国際法」「憲法」「経済学」している過程で、これまで培ってきた、
「知識」が本当に表面的なものだったのだな、と思いました。

これからは、その「表面的」な知識を中身のあるものに変えていくために、そういった視点からの
記事を書こうと思います。そういうわけで、まずは経済学と国際関係です。


『経済学』に拒否反応を示すのは、概して、表面的な知識を勉強しようとする人が多いのでは
ないでしょうか。そう私みたいな人間です。

「経済学」が難しいと感じる理由は、この学問が「海外からやってきた」学問だからです。
それゆえに、いわゆる経済学用語、たとえば、『価格受容者』『効用』『限界生産性』など、
こういうわけのわからん漢字だらけの用語が羅列したらそりゃ嫌になりますよね。
ちなみに、上記3つは、英語でいうと、『Price Taker』『Utility』『Marginal Productivity』ですね。とはいえ、鎖国を押し通したご先祖様を非難するわけにもいかず、僕らはわけのわからん専門用語群をいっこいっこ理解していくしかないですよね。

話がそれましたが、本題。
APUの模擬国連サークルでは、現在、「FTA」等をテーマに活動をしていますよね。
すなわち、「WTO」という、普遍的な自由貿易推進のための機構がありながら、あえて、ブロック化につながる可能性を含む、「FTA」を推進する意義とは、また、グローバルな「FTA」のあり方とは、などなど非常に困難だが楽しいテーマをしていると思います。

米国をはじめとする、「先進国クラブ」と途上国には揶揄される、さらにはグローバリゼーションの象徴ともいえる「WTO」における、先進国と途上国の対立、さらにはそれ以上に熾烈ともいえる、日欧米の対立軸は、ダイナミックなゲーム性も伴って、国際関係を勉強する人にはかなり人気のあるテーマだと思います。

この「貿易」を経済学的に考えるとどうなるでしょうか。
通常は、一般均衡分析と部分均衡分析による自由貿易の検討から始めるべきなのでしょうが、図が使えない状態では、なんとも説明が難しい。

そこで、さまざまな貿易に関する理論を解説していこうかなと思います。具体的には、

1)リカード モデル
2)ヘクシャー=オリーン モデル
3)リプチンスキーの定理
4)レオンチェフの逆説

を取り上げます。これは私にとってもいい復習になる。ひひ。まずは、

1)リカードモデル

リカードはノーベル経済学賞も受賞した非常に権威のある人です。
彼の提唱した、『比較生産費説』はまさに、なぜ貿易が有益なのかを明確にさせてくれます。

『比較生産費説』とは、2国間における相対的な生産費の違いから比較優位が生じ、貿易の利益がもたらされることを説明する理論です。『比較優位』とは、ある国が他の国に対して、ある財をより低い機会費用で生産できることをいいます。

もう少しわかりやすくいいましょう。おそらくひっかかるのは、『機会費用』でしょうか?
たとえば、日本はA財を10人で製造可能な一方、B財に関しては15人必要です。米国はA財を30人で製造可能な一方、B財は10人で製造できます。

このとき、日本はA財に対して米国に対して比較優位に立っており、米国はB財において日本に対して比較優位に立っています。

ここで、日本と米国の2カ国間、A財とB財という2財のみのが存在する世界を仮定すると、互いに比較優位を持つ財で貿易することによって、互いに最適な消費をすることができるわけです。つまり、貿易を行うと、国際相対価格は、2国の国内相対価格の間で均等化し、上記の定義に当てはまる結果が生まれるということです。


簡単に解説するつもりが、やはり専門用語だらけになった気がする。
まぁ、わからなくてもいいと思います。
でも、こうした経済理論を駆使して、貿易の本質を知り、その上で、国際関係を勉強することが、できれば、上述の表面的な知識ではなく、中身の伴った勉強が可能になるのではと思います。

あるいは、そう私は考えて今の勉強をしのいでいます。
がんばろう。

あとは次回以降に譲ります。
がんがんコメントなどお待ちしてますよ。


ps. 画像は、模擬国連でニューヨークの国連本部に行ったときに撮った写真です。

アメリカという国

2004年11月05日 01時00分00秒 | 国際政治
大学生活の場で、「アメリカ」について考える機会は本当にたくさんありました。
たとえば、大学2年生のゼミのときに、『アメリカと一極主義』というタイトルでレポートを書いた気がします。

そのレポートの主旨は確か、

冷戦後、世界で唯一の超大国となったアメリカは、そのあまりあるパワーの使い道を考えたとき、二つの選択肢があった。すなわち、①内政を中心としてさらなる力を身につけるか、あるいは、②アメリカが世界を平和にするためにそのパワーを有効に利用するか。

そして、冷戦後のアメリカは①を選択していた。しかし、それを9.11が変えてしまった。
フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』ではなく、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』がまさにおきようとしているのかと錯覚させる瞬間であった。9.11によって、国内に目を向けるだけではアメリカの安全は保障されないと、理解した、政府およびその国民は、アメリカが仕掛ける戦争に躊躇無く足を踏み入れた。

はたして、アフガンとイラクという二つの戦争を体現したアメリカをみて、どのくらいの人がこの世はアメリカによる一極主義によって秩序付けられているのだ、と考えたのだろうか。

一極主義の善悪を論じる以前に(いやそのためにか?)、当時の僕は、イラク戦争開戦前の安保理における議論を総括し、それを評価することによって、一極主義と多極主義の衝突を描こうとしていた。

ここまで書いておいて、情けない話ですが、そのレポートはけっきょくうまくまとまらず、それというのも僕の知識のなさと調べる量のあまりの少なさに由来したのですが。何はともあれ、「アメリカ」について考えるいい機会になったと思います。

つい先日ですが、サークルの後輩が「アメリカの一極主義」と銘打ってプレゼンテーションをしていました。完結にまとまっていてよかったのですが、聞いていた側のほぼすべての人が疑問を呈したのが、果たして「一極主義」とはなんなのかという話でした。

「一極主義」「覇権主義」とはいったい何を意味するのでしょうか。
果たして、アメリカは覇権主義なのか?

そろそろ力尽きてしまいました。
次回以降は、もう少しまじめに、現在の僕がアメリカについてどう考えているのか。
うまくまとめられたらいいと思います。

それでは次回まで・・・・

そんなわけで・・・

2004年11月05日 00時31分44秒 | ぼやき
ぼくも時代にのってブログを開設することにしました。

さまざまな国際問題に対する僕なりの認識とぼやきを書き綴る予定です。
毎日書くのは無理かなぁ。

毎日のようにテレビから流れてくる、新聞で書かれている国際問題。
たとえば、ブッシュに決まった米国大統領選挙、イランの核開発、北朝鮮問題。

必ずしも、ほっとではないトピックも扱います。
ただ、僕の気の向くままに。

それゆえ、内容はあまり保障できないです。
でも、いろいろな意見は聞かせてもらいたいです。

批判歓迎。でも、中傷は禁止。
では von voyageですな。