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Noblesse Oblige

「裕福な者には使命がある」

これからは、使命感をもって活きましょう。もっと、もっと、知りましょう。

携帯と途上国

2007年02月18日 11時05分21秒 | 国際政治
社会人に備え、「日経ビジネス」なるものを読んでいます。全て、親父のおさがりですが。ビジネスのトレンドを把握するのに手っ取り早いし、経営者に対するインタビューでは質の高い質問と返答が書かれているから勉強になる。

2月5日号では、ノキアについて特集を組んでいました。ノキアについては、携帯会社というイメージしかもっていなかったわけですが、なんと120カ国以上に支社を持ち、社長曰く「全ての携帯市場に参入する」ことを考えている超ビックな携帯会社だった。インドや中国が月数百万人規模で加入者が増加している状況で、ノキアの携帯を見ない国はないというときは実は間近だったりするのかもしれません。

ノキアは中近東アフリカでの携帯シェアが北米やラテンや中国よりも多いという特徴を持っています。特にアフリカでの携帯の普及にノキアが貢献している点に惹かれました。ウガンダやナイジェリアでは、「水よりも携帯」だそうです。実際、携帯があることによって、これまで数KMを歩いて売買しに行ったのが、事前に何をどれだけ持っていけばよいのかが把握できることによって、効率的な売買ができるようになったらしい。

実際に現地の人々がどのくらいのコストで携帯を所持することができるのかということを把握できてないので何とも言い難いところですが、携帯がアフリカの貧困を救う起爆剤となるのか。いわゆる、貧困をビジネスとして捉えて、儲けると同時に貧困を救うというやつですよね。

「貧困を解決しよう」と唱えて活動するのは、やはり公的団体なんですよね。NGO・NPOも私的団体とはいえないし。それ自体をビジネスとして捉え、いかに貧困削減が短期的な利益獲得に繋がるのかという視点で考えなければいけないのではと思います。長期的には利益になるという考え方は、民間企業には難しいのではないでしょうか。その年、その年の利益を計上し、必ず黒にしなければならないというプレッシャーの中では将来的な利益というのは大きなリスクに過ぎない。

つまり、貧困をビジネスとしてみた場合、長期的利益獲得のためには公的団体が働き、短期的利益獲得のためには私的団体が働くという構図がうまくできれば、結果的に貧困削減に貢献できるのではと思うわけです。さらに、公的団体と私的団体が有機的な関係を気づくことによって、お互いの利益を拡大させる。そのためには、例えば各国のPRSTに私的団体が利益を得ることができるためのインフラ整備だとかを重視する旨を記載するなどの措置をとればよいのでは。

もっとも、ノキアの例がそうであるように、海外の会社が現地を席巻したのでは持続可能性という観点から大きなリスクをはらんでいるわけですよね。いつ撤退するかわからない。よって、私的団体といっても、現地企業の力を向上させることを考えなければならない。そういった意味では、ODA等を通じた技術協力というものが意味をなしてくるのではないかと思います。

日豪EPA

2006年12月06日 14時07分29秒 | 国際政治
日本とオーストラリアの間でEPAの交渉がスタートするようだ。日本は関税自由化のみを目的とするFTAではなく、人材交流や文化交流など幅広い二国間協力を内容とするEPAの交渉を各国と行っている。各国がFTA交渉に躍起になっている中で、日本は出遅れている。

隣国中国が各地で資源外交を展開する中、日本は目に見える動きというのが少ない。資源輸入国である日本にとって、資源豊富国であるオーストラリアとのEPA交渉は死活的に重要だろう。

中国が日本より先にオーストラリアとFTAを締結した場合、オーストラリアの企業は関税が相対的になる中国向けの輸出量を増加させ、日本向けの輸出量を相対的に減少させる。オーストラリアの資源を頼みとする、鉄鋼業や製造業は大打撃を受けかねない。

他方で、農産品の関税撤廃を頑なに拒む日本の農林水産業界はオーストラリアとのEPAにも相変わらず消極的である。確かに、安価な農産品の輸入は日本の農産品価格の下落を伴い、日本の農林水産業に打撃を与えることはわかる。しかし、国全体で見た場合に、他国がオーストラリアと次々にFTAを結べば日豪EPAは国家存続の観点からも必要不可欠なものとなるわけだから、農林水産業がある程度の我慢をするべきだろう。

むしろ、「攻めの農業」の名のごとく、良質な日本の農産品を海外に輸出し、品質保証の観点から比較優位を持つことによって、競争力を向上させるべきだろう。

豪州とウラン

2006年11月23日 13時32分20秒 | 国際政治
資源獲得競争が激化するなかで、個人的には豪州に注目しています。大学時代に、MUNの全米大会で豪州を担当したり、3回生次にちょっとした論文を書いたりで親しみを感じているわけです。

資源獲得競争において、中国を切り離して考えることはできない。中国は内政不干渉を掲げて、人権問題が深刻なスーダンなどのアフリカ諸国から資源を獲得している。また、東シナ海では日本との間で強硬な姿勢を示し続けている。

一方、豪州はあらゆる資源分野で世界トップの生産量を誇る。日本にとって豪州が最大の資源(石油以外)輸入相手国であることは周知の事実である。今、豪州ではウラン濃縮に関する論争が盛んに行われているらしい(昨日の読売新聞)。豪州はウランを日本などに輸出し、日本はこうして得たウランを濃縮して原子力を得る。

ウランの濃縮を行うには国際的な信頼が必要となる。日本は、非核保有国として唯一、ウランの濃縮を認められている国だけれども、豪州もこうした地位を得ようとしている。記事によれば、ハワード首相は資源大国としての地位を固め、長期的には「エネルギー超大国」としての地位を得ようと考えているらしい。

オーストラリアやカナダは元来、自国をミドルパワー国家(中級国家)として色づけてきた。大国が扱うことが困難な問題を、これらの国が扱い、国際的な連帯を醸成させて、一つの解決策を提示するという、いわばニッチを狙う役割に徹している国家であった。地雷撤廃条約がカナダのNGOや市民団体の協力を経てトロントで締結されたのは有名な例の一つだろう。

ハワード首相が本当にこのような超大国志向を持っているとしたら、これからの国際会議の舞台において豪州の存在感は高まっていくことになるだろう。もっとも、国内においてもこうした地位を志向すること自体に反対する声が多いのだけれども。

世界の人口が増える中で、既存の資源が減っていくこれからの国際社会では、資源を持つ国が一定のパワーを持つようになるのだろうか。だとしたら、日本は…

フリードマン死去

2006年11月18日 17時12分35秒 | 国際政治
経済学者のミルトン・フリードマンが亡くなったらしいです。経済学の教科書には必ずといっていいほどフリードマンの理論が紹介されてます。受験時代に何度もこの人の議論に触れました。教科書に載るということは、経済学のスタンダードになっているということを意味するわけで、そういった意味では偉大な経済学者が逝ってしまったなと思います。

フリードマンはマネタリストと呼ばれていて、通過供給量の増減により物価を安定させることで、経済成長をもたらすという理論を提唱しました。これに対立する考え方は、ケインズ派と呼ばれる人達が主張するような、財政政策による経済成長です。つまり、ケインズ派は政府が主導となって景気をよくするという考え方を持っていて、フリードマンは市場原理に任せて政府は動くなかれと主張したわけです。前者が大きな政府を代表し、後者が小さな政府を代表する理論と評されるのはこのためです。

日本が規制緩和の方向に向かい、自由経済が進む背景にはフリードマンの理論がありました。すごいですよね。こうして、ある人間の頭の中で考えられた理論が、一国を動かし、ひいては世界の経済の流れを少しずつでも変えるわけですから。学者様のありがたさが身にしみる。僕は理論よりも実践が大事だと思う人ですが、こうした理論があっての実践であることも間違いがないわけで、やはり実践の基礎には理論があるということなのでしょうか。

米朝二国間協議

2006年10月30日 11時43分50秒 | 国際政治
なぜブッシュ政権は頑なに北朝鮮との直接対話を嫌うのだろうか。昨日の読売新聞では、共和党内からも直接対話を求める声が挙がっているという。実際、なぜここまでブッシュが拘るのかは記事にも書かれていない。

一度、直接対話には応じないという姿勢を見せてしまったから、いまさら後には引けないということなのだろうか。北朝鮮からしたら、米国が直接対話に応じれば、米国が北朝鮮に譲歩をしたと判断し、また国内向けにもアピールするのだろう。しかし、米国がこうした譲歩(?)をしたことによって失いうる利益は、米朝対話を再開することによって得る利益を上回るものだろうか。

あるいは、ブッシュ政権は北朝鮮との関係を意図的に険悪な状態に維持したいのだろうか。ブッシュ政権との繋がりの深い軍需産業への貢献がしたいのか。つまり、体制転換をもたらすためには、米朝関係を悪化させた状況を維持し、何かのきっかけでもって武力行使を可能とする雰囲気を維持したい、と。

しかし、北朝鮮が核を保有し、その核兵器が横の拡散をもたらす重大な脅威を考えれば、上記の理由など説得力を無くす。だとすれば、より重大な、かつ表にはでない目的がブッシュ政権にはあって、その目的を達成するには直接対話を設けるわけにはいかないということなのだろう。

よくわからない問題です。直接対話をして、直に核計画放棄を訴え、六者協議の場でもって平和的解決が達成されるという状況になればそれが一番ベストだと思うのですが。

(シンポ)日本と「人間の安全保障」

2006年10月29日 12時22分19秒 | 国際政治
一昨日、UNUで開催されたシンポジウムに行ってきました。テーマは、日本と国連のより効果的な関係とは如何ということ。通訳なしだったのでしんどかった… そして、若干不正確な解釈だと思うけれども、感想おば。

まず、パネリストの面々に驚きました。緒方貞子さんはもちろん、CNN創設者のテッド・ターナー、極めつけはノーベル平和賞を受賞したばかりのモドマド・ユヌスさん。さらに、討議参加者には元ICJ判事の大和田さんなどなど、有名人がたくさんいました。誰が来るのか知らなかったので驚いた。

議論は武見敬三参議院議員が作成したペーパーをベースにパネリストが問題意識をぶつけて、それに対して意見が言われるという形でした。残念ながら武見さん本人は親戚の不幸で出席できなかったようですが。論点は多岐にわたっていましたが、特に関心を持ったのは以下の三つくらい。


① 人間安全保障の実施面について、「事業の立案及び実施に際し複数の国際機関が参画することが望ましく、これにより各機関の取り組みの統合が推進されること」という基準ができつつあるということ。

武見さんによれば、UNICEFは「人権を基盤にしたアプローチ」、UNHCRは難民支援+エンパワーメントだから日本の人間安全保障アプローチと似てる、UNFPAはリプロダクティブ・ヘルス等ミクロのアプローチで人口問題を捉えるというアプローチ、をとっている。これらのアプローチはそれぞれ似ているようで違う。まずは、その違いを明確にする必要がある。違いが明確になれば、ある事業について、統一されたベクトルを示し、統合された措置ができる。それによって、コミュニティレベルで欠乏の脅威等から守ることができる。という議論を展開していました。

では、どのような統一されたベクトルを示すのか。緒方さんはこの点に関し、人間の安全保障委員会(座長は緒方さんとアマルティア・セン)でも議論した(1)トップダウンアプローチと(2)ボトムアップアプローチを示しました。

(1)は法の支配・裁判制度・行政能力の向上等を行い、当該国民を不当な力から守るということ。これによって、恐怖からの自由を獲得する。

(2)は当該国民が情報、福祉等にアクセスできる環境を構築するということ。これによって、欠乏の脅威から人々を守る。

これらのアプローチを諸機関の共通ベクトルとして維持すれば、当該事業は人間安全保障の実践としてうまくいくのではないかという議論でした。


②アプローチが決まっても、誰に対して実施すればいいのかが定まらないと意味がない。では、人間の安全保障アプローチとはどの単位に対応するのものか。先のトップダウンで考えるならば、国の政府なのだろうけれども、ボトムアップで考えるならば、それは人間一人一人なのだろうか。否、それは不可能だろう。そこで、考えられるのがコミュニティという単位でアプローチするということ。

例えば、スマトラ沖地震の被災者支援において、UNICEFの学校再開事業(Back to School Campaign)は、子供が被災の混乱の中で人身取引等の危険から守ると同時に地域開発のハブの役割を果たしたようです(武見ペーパー)。

確かに、人間一人一人に異なるアプローチをしていたんじゃきりが無いですからね。とはいへ、一言にコミュニティという枠で考えるのも、現場レベルではそんなに容易なことではないと思う。例えば、対象地域の市町村レベルで事業を起こしても、その市町村内では民族間でグループが分かれる等、想定するコミュニティとは異なるコミュニティの存在があるかもしれない。そういった意味では、最も事業にとって効率的なコミュニティの定義を模索する作業というのは事業のスタート段階で非常に重要なことになるのだろう。

以前、東大の人間安全保障プログラムで研究している人と議論したとき、その人は移民に焦点を当てているといっていました。APUではMigration Theoryという授業をとったけど、その授業内容とその人が話していることがものすごくリンクしていて楽しかった。つまり、当該地域の移民コミュニティに対して人間安全保障アプローチから当該コミュニティの人々が、欠乏・恐怖からいかに自由になるかということを研究しているようです。現地に何度も赴き、ヒアリングを行い、ベストプラクティスを模索するといっていました。(ボクモヤリタイ)


③ 主にユヌス氏から提起されていた議論ですが、人間安全保障と銘打って事業を起こすならば、それなりのインパクトをもたらさなければならないと言っていました。より具体的には、ODAによる援助、人間安全保障基金による援助、など援助と一言に言ってもさまざまなところから資金が拠出され、さまざまな使われ方をしている。ならば、人間安全保障と銘打って行われる事業らしさをどのようにアピールするのか。と。

実際、資金の量は大した問題ではなく、事業の効率性、有効性こそが最も重要なのだといっていました。ユヌス氏は小口融資によって貧困削減に貢献してきた人だから、こうした問題意識が非常に強いのだなと思いました。

この点に関し、日本の人間安全保障による貢献というのはアピールが足り無すぎるという批判があちこちであがっていました。確かに、日本がほぼ全てを拠出している人間安全保障基金から拠出されている事業がどれくらいあるのか、そしてそれらの事業が他の事業とどう違い、どれほど有効性を持っているのかということは表に出てきません。外務省のHPで人間安全保障基金によってこういったプロジェクトをやりましたという告知は出ていてもその中身は不明。

税金の無駄遣いという無知な批判を受ける前に、その有効性を効果的にアピールする仕組みを早急に作るべきだという意見が多かったと思います。それによって、国民的議論を盛り上げてこそ、国策としての人間安全保障が妥当性を持つようになるのではないかと思います。


その他、多様な論点が挙がっていました。このシンポジウムは2時間弱でしたが、全然足りません。あと2,3日はずっと聞けそうな勢いでした。それにしても、こうした問題について考えるとき、いつも思うんです。現場を見たことがないのに、問題について考えても、分かった気になってるだけなんだろうなぁと。

レジームチェンジ

2006年10月19日 14時49分43秒 | 国際政治
金正日政権を崩壊せしめることは誰にとってどのような益をもたらすのだろう。あるいは、それによって生じるリスクとは誰にとってのどのようなリスクなのだろう。その上で、金正日体制を崩壊させるという動きがあるとしたら、そうした動きをすることは妥当なのだろうか。

北朝鮮国内にいる住民にとって、政権の崩壊は歓迎されるだろうか。平壌に住む富裕層は歓迎しないかもしれない。地方に住む貧困層は、見せ掛けの社会主義からの脱却を期待し、また自らの生活向上を期待してこれを歓迎するかもしれない。

日本にとって、政権の崩壊は歓迎されるだろうか。核を保有し、日本を敵視している国が無くなるという意味では、脅威が無くなるわけだから、日本の安全保障に貢献し、歓迎されるかもしれない。他方、政権が崩壊し、不安定化を恐れて難民となる北朝鮮人民が日本に流入してくれば、日本人は暖かく彼らを迎え入れようとはしないだろう。排斥的な日本人は、彼らの存在を疎く思うはず。

中国にとって、政権の崩壊は歓迎されるだろうか。日本と同じく、顕在化している脅威がなくなり、核の拡散を防げるという意味では歓迎されるだろう。しかし、現在ですら手に負えない脱北者が大量に発生するわけだから、これは歓迎できない。むしろ社会的負担があまりに重く、政権崩壊は中国にとって明らかにマイナスだろう。韓国も同じような状況だろうか。

米国は、手放しで喜ぶだろうか。政権が崩壊すれば、北東アジアはそれ以前よりも短期的には不安定化する。韓国・日本に基地を持つ米国はこれらに対処するためにかなりの資源を投入する。それでも、米国にとっての敵国が無くなるのであれば、きっと許容範囲なのだろう。


実際に金正日体制が崩壊するならばどのような過程が踏まれるだろうか。東ティモールやカンボジアのように、国連が暫定統治し、(見せかけの)三権分立を確立させた上で、主権を北朝鮮に返す。あるいは、南北統一朝鮮に主権を返還するという形が一番想像し易い。政権崩壊と同時に韓国が北朝鮮の面倒を見るというのは、韓国の国力を考えても不可能だろう。ましてや、米軍がCPAやGHQみたいなものを北朝鮮に設立して暫定統治する意義はあまりなさそうだし。

レジームチェンジを起こすにしても、自発的に起こるにしても、それがそう遠くはない未来の話だとすれば、そういった状況下で日本が何をするべきかという計画みたいなものは出来ているのだろうか。

北朝鮮の核実験

2006年10月16日 14時33分35秒 | 国際政治
核実験が成功だったのか否かは別として、北朝鮮が核実験を実施したと表明したことは事実として残っている。安保理は制裁決議を採択し、憲章7章に基づく法的拘束力を有する経済制裁を決定した。つまり、核実験が必ずしも成功したとは言えないにも関わらず制裁を決定したのだから、明らかな核実験の成功が見られた場合には、さらに強固な制裁を発動すると考えられる。

日本にとって北朝鮮が核武装をすることは、隣国中国が核を保有すること以上に危険なことだ。それは、中国が節度ある国際社会の一員である一方で、北朝鮮は国際社会のルールを無視し続けた無法国家であるからだと言われる。もっとも、より重大な事は、北朝鮮が侵略者と揶揄する米国の基地が北朝鮮から目と鼻の先にある日本と韓国にあるからだろう。仮に、北朝鮮が日本と韓国を攻撃する意図がないと表明したとしても、日本・韓国の米国基地に攻撃することには些かの迷いもないのではなかろうか。

PAC3が米軍基地に配備されたことは当然の措置といえるだろう。これに抵抗する平和団体が、「兵器を配備したら、北朝鮮の標的になるではないか」と訴えるのも、特に基地がある地域の住民の気持ちを汲み取ればわからぬでもないが、すでに全ての基地が標的となっている現状、防衛措置をとらないことには被害拡大は防げない。

なぜこの時期に北朝鮮が核実験をしたのだろう。米国の中間選挙が間近に迫っているからなのだろうか。それもあるだろう。しかし、思うに中東情勢が北朝鮮に核実験を決意させたのではないだろうか。レバノン紛争が決着し、国際社会はふたたびイランに注目を集めた。イランに対する安保理決議案も出た。これに対して、イランは反発をしている。状況が似た者同士がいる間は、国際社会は北朝鮮に集中しきれないと。他方、イランの状況と北朝鮮の状況は同じとはいえない。イランはあくまでも、核の平和利用を主張している。これは、NPTに基づく権利があるという主張だ。核兵器を作っているのかもしれないが、これを主張したりはしない。北朝鮮は違う。核兵器を作ったと言ったわけだ。国際社会が北朝鮮に視点を集中させるのは間違いないだろう。

はたして6カ国協議は再開できるのだろうか。安保理決議では、即時無条件での6カ国協議への復帰を要請している。では、制裁を強めることが対話の場に戻すための必要な手段なのか。北朝鮮が対話の場に出るとすれば、その目的は米国に政体の維持を確約してもらうことだろう。核を保有し、ミサイルに搭載可能となれば、北朝鮮の脅威は一段と増す。そうした脅威を梃子に米国に政体の維持を確約してもらいたいならば、結局は対話の場に戻らなくてはならない。しかし、北朝鮮が自ら、対話の場に戻りますとは言わない気がする。米国が対話の場で少しでも譲歩する気配を見せない限り、北朝鮮は暴走を続けるのではないだろうか。

多様な国際協力

2006年09月26日 15時00分49秒 | 国際政治
昨日、UNフォーラム及びワシントンDCフォーラムの合同オフ会にいってきました。何の専門知識ももたない身分なので、いつも恐縮しきりなのだが。多方面から国際協力の現場で活躍されているかたが来ていたので、とても刺激になりました。例えば、外務省、国税庁などの官庁から、JETRO、JBIC、JICA、JCIEなどで働いている方々。あるいは、大学院で勉強されてるかたなどなど。国連職員で人間の安全保障を担当されている方ともよくよく会話できました。楽しかった。

知らないことがとにかくたくさんあるのだと再確認。国際協力、否、国際政治のフィールドに立つのは外交官だけではなく、こうした多様な立場からそれぞれのアプローチで世界の発展・平和に寄与している人たちがいる。

例えば、国税庁の方のお話。国税庁といえば、税金を取り仕切るのだから、国際性なんかないだろうと思っていたのです。ところが、お話していると、日本の税制度を途上国の税制担当者などに教授して、その国の税制に生かすという活動を政府としてやっているようです。基本的には、途上国から職員さんが日本に研修にきて、約1ヶ月くらいのプログラムで勉強してから帰国し、実際にその知識を使って税制度を改革する。例えば、いきなり所得税をはじめるのではくて、固定資産税がどのくらい機能しているのかだとか、その国の実情にあった税制度を創ることが重要だとのお話でした。

JCIEの方は、トラック2、3での対話を出来るように会議をオーガナイズしているそうです。政治家を極力入れない形で、ある事柄に対する提言をまとめたりするのだが、実際に成立する法律にはその提言書の内容が影響されていて、やりがいがあると。国際交流センターという響きからはそのような業務があるとは予想もしてなかった。

JBICの方とは、つくばエクスプレスの話をしました。1区間あたりの金額や、乗客の人数や、時間帯などをデータとして、どのような評価方法があるのかという話などなど。この方は、東欧における日本の援助による鉄道建設等の評価をされている方で、とても興味深かった。


僕はといえば、何の専門性も持っていない。いや、「何を専攻されたのですか?」と聞かれれば、「社会学」「国際関係」「国際法」などでしょうかとしか答えられないわけで、自分の弱さを感じます。いろいろなことに関心を持っていたから、広範囲にわたって知識は持っていても、これぞ!っというものがないんだよね。大学時代から分かっていたけれども、なぜか何かを極めることを敬遠していたのか。

以前、ブログでも書いたコンサルタントの会社、次が最終です。自分の考えていること、しっかりと伝えられればいいなと思っているしだいでございまする。

続 アザデガン油田

2006年09月15日 12時42分08秒 | 国際政治
以前にもイランのアザデガン油田を巡る日本と米国の関係を書いた(http://blog.goo.ne.jp/ryouhod2/e/0742476d6f25b47270ace3b15eb58ccd)。ここにきて、日本のイランとの交渉も大詰めを迎えたようです。

日本とイランは15日を最終交渉期限として、アザデガン油田の開発について議論してきました。しかし、安保理でイラン核開発疑惑に対する非難決議が採択され、国際的圧力が非常に高まっている中で、日本が開発に着手するのは困難となっているのが現状です。

イランは日本以外にも権益を譲渡すると脅し、日本に早期の契約妥結を求めているが、日本はなんとか先延ばしを試み、情勢が好転するのを待っている。この構図を日本が国際協調を優先するのか日本の国益を優先するのかという視点で単純化するわけにはいかないと思う。仮に、日本が契約を締結したとしても、安保理決議しだいでは破棄せざるを得なくなる。

もっとも、安保理でイランへの経済制裁が決定したからといって、すぐに開発を中止しなければならないというわけではない。経済制裁にも多様性があり、例えば、今、日本が北朝鮮にやっているような、政府職員の入国禁止措置などのソフトなものから、かつてのイラクに対するように、石油の輸出禁止などのハードなものまで幅広くある。

日本は折りしも安保理の非常任理事国であるから、石油関連の制裁には反対する立場を貫くことでしょう。しかし、非常任理事国しての任期は今年末までだから、いずれにしても石油関連の制裁が下される可能性は高い。ならば、今回の交渉でもって、アザデガン油田の開発に着手することはやめるべきか。

ところが、そうとも言えない。日本のエネルギー安全保障の観点から見れば、将来的にアザデガン油田の開発が停止したとしても、現段階において、権益を中国やインドに譲ってしまえば、長期的な石油確保の観点からは失策となる。ただでさえ、中東地域への依存度が高い日本であるから、中東に中国・インドの権益がこれ以上高まることは可能な限り阻止したい。

そう考えると、この交渉はきっと妥結するのではと思う。先延ばし戦法はもう無理だろう。今日、明日あたりにでもどうなるかがはっきりする。現場で交渉に当たっている、職員さんはどういうロジックで考えているのだろうなぁ。

平和構築への思い(2)

2006年09月03日 11時29分06秒 | 国際政治
DDRの意義は、紛争直後の治安回復を実現することによって、停戦状態を持続させること。紛争発生の原因となる軍閥を解体し、社会復帰させることによって、現政府に対する脅威を削ぐ。こうして、紛争再発の芽を国家統合の花へと転化させることに意義があると思うわけです。

何人の反政府人口が武器を捨て、社会復帰したのか。何人の少年兵が普通の子どもに戻ったか。何丁の銃が引き渡されたのか。労働人口がどれくらい増えたのか。など、成果は数字として見えてくる。

他方で、DDRを実施するには莫大なお金がかかる。国軍以外の軍を存在させないわけだから、その人数は計り知れない。しかし、日本ならばこの点は他国に一日の長があるわけだから、貢献度という点では際立つはず。

では、現状、日本はDDRにコミットする資源を有しているのか。僕が思うところでは、不十分だと考えている。DDRは紛争発生地がどこなのかによって方法論に多少のずれはあるのだろうけれども、その基本的な部分では変わらない。つまり、DDRの理論化がなされていないのではと思うのです。多少の論文はあるにはあっても、これぞと思うような議論がわからない。

そもそも、DDRを専門とする教育機関、そこまではいかずともコースだとかそういうものが皆無なのが現状。DDRだけではない。平和構築を学ぶならイギリスという人が多くいるけれども、なぜ日本でやらないのか。もっと、国として平和構築分野で活躍できる人物を養成する場があっても良いと思う。

DDRには常に危険がまとわりつく。武器を持っている人に対して、武器を放棄してくれと頼むわけだから、NOと言われて撃ち殺されれば終わりなわけだ。そういった意味での自衛力という力は必要になるし、そこは外国に依存するしかないのかもしれない。しかし、軍閥の長と交渉をし、武装解除に応じてもらうには明確な理論に伴う説得力と見返りが必要となるわけであり、その点の教育が必要だと考えるわけです。

だから、僕はその一端を担いたいと考えている。当然のことながら、これが外交官になりたい全てではない。外交の基本は二国間であり、こうしたスポットの仕事にめぐり合うには実績を伴わなくてはならない。だから、何か強みが必要だと思う。そこに自分の弱さもある。口だけで何の行動も伴っていない僕が言えば、ただの空言にしか聞こえないということ。

こうした意味では、コンサルタントとしての地位を得てから、外交の現場に出るという道もありえるのではないかというのが最近の思うところなわけです。

はっきりしているようではっきりしていない。自分って優柔不断なのだなと思ってしまう。

平和構築への思い(1)

2006年09月03日 11時06分02秒 | 国際政治
「外務省に入って何をやりたいのか」という質問に対して僕は「平和構築分野」と応じました。なぜか。

平和構築分野において日本が世界を主導する立場になるべきだと考えるからです。これを経済大国の責務と言ってしまえば、抽象的に過ぎると思うのだけど。そもそも、日本は本当に大国なのかという疑問も残ります。ソフトパワー論がもてはやされていても、現実には軍事力が国際政治を動かしている。経済力にすがる日本は、国際政治の表舞台には断ち切れていない。外交力が弱いわけではなくて、しっかりとモノ言う背景がない。ならば、ミドルパワー国家として自覚して表舞台に立つことを考えるのでなく、黒子に徹する外交姿勢があっても悪くないと思うわけです。定義が曖昧で抽象論だけど。

では、平和構築はミドルパワー国家ができるのことなのかというとそうでもない。しかし、カナダやノルウェーなどがこの分野を先導しているのは彼らがミドルパワーであることと無関係ではないだろう。いずれにせよ、武力行使を禁じる我が国憲法を背景とする日本では、紛争を直接的に止めるアクターにはなれない。

国内紛争、国際紛争の解決に直接的に寄与し、貢献することが最も国益を獲得する場面だと思います。最もメディアが注目し、世界の関心がそこに向かう中で、目に見える成果を発揮することで各国の日本に対する印象が良くなる。これを国益とするなら、紛争解決がその契機となる。

直接に解決することが不可能だから、平和構築分野で活躍するわけです。では、平和構築のどのパートに資源を投入するか。「援助」という形で貢献するのは当然としても、「援助」には紛争終結直後の緊急援助から、一定期間後の紛争の再発を防止するための恒常的な援助という段階があると思います。ただ、いずれにしてもお金という形の援助は顔が見えず、国民の支持も得ることが難しい。「5億円を拠出する」と書かれても、何に使ったのかということがわからなければ、貢献の形がわからない。

以上を勘案して、僕が最も取り組みたいと考えているのはDDRの分野。すなわち、Disarmament(武装解除)、Demobilization(動員解除)、Reintegration(社会復帰)ですね。最近では、Rehabilitation(リハビリ)、Repatriation(本国帰還)も加えてDDRRRと称することのほうが多いですが。

イスラエルによる国連職員殺害

2006年07月28日 11時29分03秒 | 国際政治
紛争が悪化の一途を辿るレバノンで、国連職員がイスラエルのミサイルによって殺害された。報道によると、イスラエルの爆撃は意図的であったという。これに対して、国連は「深い衝動と懸念」という言葉でこの状況を表現したものの、イスラエルを直接的に非難する文言は含まれなかった。この背景には、中国らが提案したイスラエルを直接的に非難する声明案に対して、米国が強硬に反発したことがある。

報道には現れないが、日本はこの場面でどのような対応をしたのだろう。①北朝鮮を直接的に非難した文言を含む決議を採択させてもらったばかりだから、イスラエルを非難する声明案に賛成していた。②米国の同盟国として、米中の衝突が悪化しないように、中国に米国の意図を伝えた。③イスラエルが攻撃したのか否かを明確にさせる調査団のようなものを提案した。④何もしなかった。といった選択肢だろうか。

国連職員を殺害するという行為は、どのような状況であれ非難されて当然である。国連職員はイスラエルを含む加盟国の指示に従って(大まかには)行動をしている。よって、イスラエルがそうした職員を殺害することは、国連加盟国全体に対する背信行為であるといえなくもない。堂々と直接的に非難して欲しかった。

ローマで開かれた会議でも、具体的な紛争の解決策は提示されなかった。米国が国際部隊などの派遣に強硬に反発したのだろうが、それを上回るだけの熱意を持って他国も反論しなかったのだろう。何か、世界全体としてレバノン紛争には出来るだけ関わらないようにしようとする暗黙の了解があるような気がする。それは、新たな多国間での中東戦争への進展を防止する意図もあるのだろうが、それでももう少し具体的な案を提案するべきだと思う。例えば、なぜ、アラブ諸国とローマ会議に参加したような国々が同じ場で議論をしないのか。開催地をローマでなく、リヤドやカイロでもよかったろうに、やはり欧米で意図的に固まっているように思う。

レバノン紛争は何を持って解決(終結)するのか。ヒズボラの解体だろうか。イスラエル兵士の返還であろうか。出口の見えない紛争になりかけているのは確かだと思うのだが。

サミット閉幕

2006年07月19日 18時34分28秒 | 国際政治
サンクトペテルブルクサミットが閉幕した。この、サミットという集まりは、なぜか学生時代には関心がなく、また、周りの関心も低かった。そもそもが、どのような集まりなのかを理解してなかったこともあるが、国のトップが集まって議論をして、総括をまとめるお話クラブ(ARFのような…)としか考えてなかったからかも知れない。

しかし、よく考えれば、ブッシュやブレア、シラクに小泉、さらには胡錦濤までが一つの場所に集合して会話をするのだから、十分に立派な場である。あまり実感がないけれども、国のトップが発言したことは、その下で働く公務員の活動指針となるわけであって、海外情勢に対する一言によって、その地域に関する外交官はこれまでの姿勢を180度変えたり(極端に言えば)するわけだ。

サミットは、国際安全保障のみを扱っているわけではない。今回の議長総括の項目は、「世界のエネルギー安全保障」「21世紀におけるイノベーションを生み出す社会のための教育」「感染症との闘い」「(金融、貿易、知的財産、貧困、アフリカ等の)その他の問題」となっている。教育の項目で、生涯学習の大切さを訴えている点など、首脳が集まる場での宣言(?)には不似合いに思えるような内容だってある。

それでも、このサミットが、イラン、イスラエル、北朝鮮という近年においても非常に緊張感が高まっている現況の中で開催されたことによって、国際安全保障が一番の注目を集めるのは当然だった。

北朝鮮について、G8は拉致問題の解決を強く迫る内容に了解した。これまでのサミットでは、触れられては痛けれども、これほど直接的な表現ではなかった。ミサイル問題の影響があることは当然としても、横田さんがブッシュ大統領と会談するという奇跡的な出来事がこのような結果をもたらしたのだと思う。

やはりイスラエルのレバノン侵攻については、歯切れの悪い結論となった。ブッシュ大統領は、アナン事務総長が国連部隊派遣を考えていることを直接的に批判するばかりか、イスラエルという文言すら議長総括に書かせなかった。北朝鮮の問題威容に複雑な様相を呈しているのは明らか。

イラン、北朝鮮、イスラエル以外にも、スーダン、コソボ、テロ、アフガン、アゼルバイジャンなどにも簡単に言及している。

報道で気になったのは、今回のサミットの開催前に例年のような反対運動に関する報告がなかったことだ。いや、実際には少なからずあったのかもしれない。でも、開催地はロシアだったから、それが表立って行われることは無かったのだろう。確かに、今サミットでは、G8のほかにも、BRICSなどの新興勢力がまぬかれている。一部の先進国によるグローバリゼーションの規範の設定という批判をかわそうとしているのか。裕福な国だけが、世界のあり方について決めるという集まりは、批判されても仕方がないと思う。だからこそ、国連の場がサミット重要性を持つわけなのだけど。

非難決議採択

2006年07月17日 23時56分25秒 | 国際政治
とある外交官が、本物国連での議論は模擬国連(MUN)の議論と大差ないよ、と言っていたのを思い出した。まるで、MUNのような国連での議論。色々な交渉フレーズが頭に浮かぶ…

北朝鮮のミサイル発射を非難する決議は、中国の拒否権行使もなく、全会一致で採択された。当初の日米案は憲章7章下を明記することによって、制裁を可能とする決議の採択を目指した。しかし、中露はこれに反対し、制裁を可能とする決議の採択に拒否権を示唆した。そこで、英仏が妥協案を提示した。7章とは書かずに、国際の平和と安全への安保理の責務という玉虫色の表現にまとめ、双方が認めた。

日本は英仏の妥協案提示前に、修正案で7章の表現を40条と書き換えることで中国の賛成を得ようとした。つまり、40条の暫定措置をまず認定させてから、後の決議採択に制裁への望みを託すという戦略。MUNでも同じような状況を経験した。もとも、そのときは、すでに7章事態を認定されているケースだったから、経済制裁から軍事制裁に移るかいなかの議論だった。結論として落ち着いたのは、41条と明記することだった。つまり、経済制裁しかしないよ、というメッセージ。その代わりに、期限と条件を設定して、新たなステップの可能性を留保させるという文言を作った。

北朝鮮は、例のごとく採択された決議の履行を拒否した。ボルトン米大使が、決議採択からその拒否までの世界記録だと揶揄したのには笑えた。

メディアの論調は、これまでになく日本の外交力を評価している。日本が主導して採択した初めての決議が採択されたなどと賞賛している。もっとも、日本はこれまでも十分各決議にコミットしてきたのであって、あまりに今回の事例を新鮮に捉えられることには現場は違和感を感じているのではないかな。

北朝鮮非難決議が順調に採択された一方、イスラエル軍によるレバノン侵攻を非難する決議は米の拒否権であっけなく否決された。英の棄権を除けば、日本を含めて他の理事国は全てこの決議に賛成であったにも関わらず、アメリカとイスラエルの関係によって、北東アジアでの脅威よりよっぽど深刻な状況に対して何のアクションも安保理が取れなかったわけだ。このことを報道するシーンはおそらく無かったと思う。小泉首相が、中東を訪問した直後だったにも関わらず。野党からは、北朝鮮情勢が切迫している状況下で中東に出向いている小泉首相を非難する声が上がったが、これはおかしい。

少なくもとも、現況において、中東情勢は極めて深刻な事態を迎えている。ヒズボラの戦力を甘く見ているイスラエルは、イラクにおける米と同じような状況に陥るのではないかとすら思う。ロシアでのサミットがこの点をどのように評価するかに注目したい。