4月22日、私の父が天国へ旅立ちました。
去年還暦をむかえたばかりの60歳。
その10日ほど前から、昇圧剤の点滴をしての
血圧維持。
それで、なんとか血圧は落ち着いていました。
前日から、ほとんど会話をしなくなり
病院にいた母はずっと傍で座っていたそうです。
夜7時ごろに、
「もう、帰ろうね。また明日ね」
と声をかけて帰ろうとすると、
ずっと意識がはっきりしなかった父が
声を振り絞って、
「ダメ!」といったそうです。
それで、母は、病院に泊まりました。
それから何時間後かの明け方、
急激に血圧低下。
朝はやくから駆けつけた私たちは
ずっと病院で父に話しかけ続けました。
最期の瞬間は、苦しむ事なく
静かに目を閉じました。
3人の孫の顔を見せる事ができ
本当によかったと思います。
特にゆあの事を気にかけていた父。
病気が発覚してからは、
「ゆあの事は心配しないで。ちゃんと
お父さんが天国で見守っているから。」
とよく言っていました。
父は当初から命の期限を見据え、覚悟をきめていました。
みーちゃんはこれからも
じーちゃんの事は記憶に残ると思いますが、
あーちゃんの中にどれだけ
じーちゃんの存在が残るかはわかりません。
できるだけ、たくさんじーちゃんの話をして
じーちゃんに寂しい思いをさせないように
してあげたいです。
今までありがとう。そしてお疲れ様・・・。
ご訪問ありがとうございます。
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去年還暦をむかえたばかりの60歳。
その10日ほど前から、昇圧剤の点滴をしての
血圧維持。
それで、なんとか血圧は落ち着いていました。
前日から、ほとんど会話をしなくなり
病院にいた母はずっと傍で座っていたそうです。
夜7時ごろに、
「もう、帰ろうね。また明日ね」
と声をかけて帰ろうとすると、
ずっと意識がはっきりしなかった父が
声を振り絞って、
「ダメ!」といったそうです。
それで、母は、病院に泊まりました。
それから何時間後かの明け方、
急激に血圧低下。
朝はやくから駆けつけた私たちは
ずっと病院で父に話しかけ続けました。
最期の瞬間は、苦しむ事なく
静かに目を閉じました。
3人の孫の顔を見せる事ができ
本当によかったと思います。
特にゆあの事を気にかけていた父。
病気が発覚してからは、
「ゆあの事は心配しないで。ちゃんと
お父さんが天国で見守っているから。」
とよく言っていました。
父は当初から命の期限を見据え、覚悟をきめていました。
みーちゃんはこれからも
じーちゃんの事は記憶に残ると思いますが、
あーちゃんの中にどれだけ
じーちゃんの存在が残るかはわかりません。
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