田中良平 切り絵・切り紙制作所

Ryohei Tanaka`s Killer Cuts&Killing Shapes

好きの難しさ

2021-05-21 22:43:16 | つぶやき
妖怪は好きだが詳しくはない。
妖怪が好きってどういうことですか。
いや、ホントに。
妖怪が好きってどういうことなんでしょう。
何を指すのでしょう。
それは「映画が好き」っていうのと同じかな。
「マンガが好き」っていうのと同じかな。
好きは好きでもいいけれど、そうなんだけど、それだけ。
そして、それでいい。
しかし、そうなると宣言しにくい。
でも、好きっていっていい。
あたりまえだ。
詳しくないと好きって言っちゃダメなのか。
そんなことはない。
だが、そこに好きの濃度が濃い人、あるいは薄い人と対面してしまうとややこしくなる。
好きであるとより深く知りたくなる場合が多い。
すると、どうしてもそのことに対して詳しくなっちゃう。
知識は増えちゃう。好きだから。
でも、好きだけどそんなに深く掘り下げることに興味がないパターンもある。
映画好き、でも俳優の名前は覚えない。監督、脚本どうでもいい。
でも、映画好き。
大いにある。
会話の上では成り立つ。
「私、映画好きなんですよ。」
例え「タイタニック」しか観てなくてもそう言って間違っているわけではない。
さすがに、「タイタニック」しか観てなかったら、それは「タイタニック好き」であって、映画好きというのは厳しいが。
「映画」というストライクゾーンと「好き」の捉え方の範囲が広すぎる。
「マンガ」もしかり。
自分はこういう風に好きだから、当然こういう事は知っている。
あなたも同じものを好きというのなら、同じことを知っているに違いない、と思いがち。
んなこたぁない。
いくら、好き濃度が近くても全く同じなんてことはありえない。
でも、似てたら嬉しい。だって、自分が好きなモノを、好きなんだから。
そこで、言葉の距離感。
「映画、好きなんですよ。」「マンガけっこう読むんですよ。」の深度、濃度の見極め。
如何に、自分も相手も楽しく好きについて話せるかだ。
ワシは馬鹿なので、その距離感を測るため、女性でもすぐ年齢を聞いてしまう。
ジェネレーションによって、読んでいたマンガなどの話に持っていきやすいのだ。
「映画、好きなんですよ。」「マンガけっこう読むんですよ。」はただの挨拶だ。
そんな人類は、億いる。
問題は「何の」「どんな」だ。
誰が、何を、どう好きでもいいんだけどね。
妖怪の話じゃないじゃん。
こういう、思考をねー。
ちゃんとした形まで持っていけたらいい。
散らかってるねー。
着地点がないねー。
眠いねー。




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