
結婚した当初から「あなたは主婦だから」と言われることが何故だかとても抵抗がありました。友達などはからかって言うのですが、私が「やめてよ」と言っても照れているようにしか思われていなかったこともありました。あまりにもムキになるので、なんでそんなに怒るのか不思議がる人もいました。自分でもよくわかっていなかったと思います。
一番大きな理由は、そのことばを浴びせられると馬鹿にされたような、軽んじられているような気分になってしまうのです。それからオバサン扱いされているような疎外感もありました。親しい友人の中では結婚が早いほうでしたので、自分だけが老けこんでしまったような感じがしたんですね。実際私が子どものおしめを替えている頃、ミニスカート履いてディスコのお立ち台で踊っていた同世代の女性もいたくらいですから。
私は傍から見るとおとなしく見られ、何故か家庭的な印象を持つ方が多いんです。ですから独身の頃から
「あなたみたいな人は、いい人見つけて早く結婚したほうがいいよ」
と言われることが度々ありました。実はこんなふうに言われることが辛かったんですね。能力がないと言われているみたいで。
私が独身の時代でも、抜きんでて頭が良くて才長けた女性っていたんですよ。そういう人には
「あたなみたいな人が家庭に収まってしまったら勿体ない」
などと言われていた。私も本当はそんな風に言われたかった。でも言われなかったということは、それなりだったって事なんですね。
日本の国は共産主義国家でも宗教国家でもなく資本主義国家です。資本主義の国では必然的にお金を持っている人達が優遇されます。そしてお金を持っていない人、稼げない人は肩身の狭い思いする羽目になります。一流企業の社員に比べ、中小企業の社員、パートや派遣労働者などはなんとなく感じているのではないでしょうか。まったく収入のない主婦ならば尚更コンプレックスを感じると思います。ここで言うコンプレックスはどちらかというと本人が実感しているか否かの問題ではなく、社会の圧力のようなものを指します。
そして、この問題が厄介なのはまったく真逆な感情を持った人もいるということです。まったく仕事をしていない既婚女性でも職業を聞かれて
「無職です」
と答える人がいるかと思えば、しっかり働いているのに
「私は主婦です」
と堂々と答える人もいるということです。
私はこれまで何人かの女性の上司の下で働いてきました。その中の一人で70代の現在もまだ現役で働いている方がいます。その当時は女性の起業は今よりもずっと大変だったと思います。その方がある日こう言われました。
「私は本当は主婦になりたかったの。生活を支える必要がなければなっていたわ」
驚きました。それこそ家に収まっていたら勿体ないタイプの人でしたから。でも主婦になることは憧れだったんだそうです。
戦前の私の祖父母の時代は今みたいにサラリーマン家庭が少なかったので、農家の子どもや商売をやっている家の子どもは小さいうちから家業を手伝わされました。後取りでない子どもは小学校を出たくらいで奉公に出されました。ところが、いいところのお譲さまは女学校を出た後しばらく花嫁修業をして、結婚したらそのまま奥様になり、家事や雑用はすべて使用人が行う。だからほとんど働かなくてもよかったんです。
≪働かなくていい≫というのは、女性にとってひとつのステイタスなんです。これは男性にはないことです。
一番大きな理由は、そのことばを浴びせられると馬鹿にされたような、軽んじられているような気分になってしまうのです。それからオバサン扱いされているような疎外感もありました。親しい友人の中では結婚が早いほうでしたので、自分だけが老けこんでしまったような感じがしたんですね。実際私が子どものおしめを替えている頃、ミニスカート履いてディスコのお立ち台で踊っていた同世代の女性もいたくらいですから。
私は傍から見るとおとなしく見られ、何故か家庭的な印象を持つ方が多いんです。ですから独身の頃から
「あなたみたいな人は、いい人見つけて早く結婚したほうがいいよ」
と言われることが度々ありました。実はこんなふうに言われることが辛かったんですね。能力がないと言われているみたいで。
私が独身の時代でも、抜きんでて頭が良くて才長けた女性っていたんですよ。そういう人には
「あたなみたいな人が家庭に収まってしまったら勿体ない」
などと言われていた。私も本当はそんな風に言われたかった。でも言われなかったということは、それなりだったって事なんですね。
日本の国は共産主義国家でも宗教国家でもなく資本主義国家です。資本主義の国では必然的にお金を持っている人達が優遇されます。そしてお金を持っていない人、稼げない人は肩身の狭い思いする羽目になります。一流企業の社員に比べ、中小企業の社員、パートや派遣労働者などはなんとなく感じているのではないでしょうか。まったく収入のない主婦ならば尚更コンプレックスを感じると思います。ここで言うコンプレックスはどちらかというと本人が実感しているか否かの問題ではなく、社会の圧力のようなものを指します。
そして、この問題が厄介なのはまったく真逆な感情を持った人もいるということです。まったく仕事をしていない既婚女性でも職業を聞かれて
「無職です」
と答える人がいるかと思えば、しっかり働いているのに
「私は主婦です」
と堂々と答える人もいるということです。
私はこれまで何人かの女性の上司の下で働いてきました。その中の一人で70代の現在もまだ現役で働いている方がいます。その当時は女性の起業は今よりもずっと大変だったと思います。その方がある日こう言われました。
「私は本当は主婦になりたかったの。生活を支える必要がなければなっていたわ」
驚きました。それこそ家に収まっていたら勿体ないタイプの人でしたから。でも主婦になることは憧れだったんだそうです。
戦前の私の祖父母の時代は今みたいにサラリーマン家庭が少なかったので、農家の子どもや商売をやっている家の子どもは小さいうちから家業を手伝わされました。後取りでない子どもは小学校を出たくらいで奉公に出されました。ところが、いいところのお譲さまは女学校を出た後しばらく花嫁修業をして、結婚したらそのまま奥様になり、家事や雑用はすべて使用人が行う。だからほとんど働かなくてもよかったんです。
≪働かなくていい≫というのは、女性にとってひとつのステイタスなんです。これは男性にはないことです。
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