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常識や空気に反して

学校やマスコミは本当のことを伝えないことが多すぎます

沖縄集団自決 ⑥ 集団自決の裁判

2016-09-04 20:53:33 | 沖縄集団自決

☆ ほとぼりが冷めたころに資料開示した例

 松川事件の被告20名は、6人の死刑を含む全員極刑の有罪判決での冤罪でした。裁判長は始めから米軍の意向を受けて、有罪にするように強引に裁定しました。

 砂川事件も、当時の駐日大使マッカーサー2世が、一審の「米軍の駐留は違憲」とする伊達判決を覆させるために、二審を飛び越えてすぐさま判決させる跳躍上告させたし、最高裁長官・田中耕太郎→も米公使と密談してアメリカに沿う密約をしていました。

 このおかしな判決に、元被告人の一人が、日本側における関連情報の開示を最高裁・外務省・内閣府の3者に対し請求したが、3者はいずれも「記録が残されていない」などとして非開示決定して、請求を却下しました。

 しかし、外務省は事件から53年後の2010年、「関連文書」の存在を認め(隠してもアメリカの機密文書不開示解禁からバレルと思ったのか?)、藤山外相とマッカーサー大使が1959年に行った会談文書を公開しています(以上ウィキペディア砂川事件、及び【横板に雨垂れ、田中耕太郎最高裁長官のこと】より)。

  属国にしておくため、アメリカは裁判と検察を裏からガッチリと抑えているし、昇進を無視できない優秀な裁判官ほどWGIP洗脳効果が大きいから、裁判官は「米兵犯罪裁判マニュアル」で判決するなど、アメリカの意向を忖度して判決します。

 「沖縄ノート」の大江健三郎裁判で「隊長の命令はなかった」と判決したなら、歴史修正主義者と見られて、アメリカの意向に逆らうことになります。そのため原告が突き付ける事実を認めない上手な理由を、考えだして原告を敗訴させています。

 例えば、勝手に援護金申請書類を作ったと証言した照屋昇雄さんは、任命書を提示しているが被告側が出した「当時は援護金申請する職に就いていなかった」「彼の申請書類は存在しないとされて非開示にされた」とする方を採用しています。だから、照屋さんが出した「申請書類」はほとぼりが冷めたころに出すのだと思います。

  隊長の拒否と村長の解散宣言を目撃したという宮平秀幸さんは、当夜は一晩中島内を逃げ回るのだが、村長解散宣言時には忠魂碑前にはいなく、解散宣言証言目撃はねつ造だが、まるきりのねつ造ではなく、戦後の伝聞をもとに、解散時にはもうそこから退散していたのに、まだそこにいて解散宣言演説を聞いたような脚色をつけたものでした。この脚色で、解散宣言が分かりやすくなるから、村は秀幸さんは忠魂碑には来ていないようにするために、当日の夜の行動証言を注意深くねつ造しています。

 即ち、村史にお母さんの宮平貞子さんに証言させるのだが、一家で逃げ回る時に忠魂碑前に行ったことなど、村に都合の悪い部分に触れさせないように、何度もテープを巻き戻して、やり直しやり直しさせていたのです。「一家で逃げまわったのに、そのお母さんは忠魂碑前に行ったとは証言していない。それなのに秀幸が忠魂碑前で解散宣言を聞いたと言う。聞けるわけがないではないか」と言えるように、村史をねつ造したのです。

 忠魂碑前に行ったことは行ったと分かると、村史のねつ造が分かるので、裁判ではそのようなことには一切触れられないように「虚言」で片づけています。触れると藪蛇となるからでしょう。

 ここ https://www.youtube.com/watch?v=CoJDFak7PpUでは、忠魂碑前に秀幸さんがいたと大城澄江さんが証言しているし、座間味村史のねつ造の仕方」も分かります。(ただし、この動画での藤岡信勝氏の説明で当時の状況がよく分かり、裁判や村のやり口・方針も理解できるが、秀幸さんがねつ造した“本部壕と忠魂碑前での証言”を信じている部分は藤岡氏の勇み足。その部分は間違いとして聞いてください)

 村史のねつ造の部分は【沖縄メディアの「日本軍悪玉祭り】http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110605/1307266915 に文章化されています。

 

☆ 日本の司法は「裁判は儀式」とする悪影響をうけていないか

 田中耕太郎は東大法学部長・文部大臣の後、最高裁長官として、アメリカが起こした松川事件で全員有罪を強硬に主張しました。超一級の強者:米国追従者でしたから…。

  今、東電の責任を棚上げしてまで原発被害者や提訴者が裁判で苦しめられているのは、裁判は公正中立な裁定をするとの思い込みで裁判を信じるからでしょう。

 指導者たちは人事権を上手に使うから、昇進を無視できない裁判官ほどヒラメになるが、「裁判は権力者があらかじめ決定した結論に到達するための単なる儀式でよい」とする強者中心主義の田中耕太郎が11年間も最高裁長官に君臨していたから、今もそんな思想が受継がれているせいかもしれません。

                 

           (↑冤罪承知の、検察官と裁判官による典型的ヒラメ裁判)                  

 大飯原発差し止め訴訟で、原告の弁護士が「こんな良心的な裁判官がいたとは」↙と感激したが、樋口英明裁判長の今後の人事待遇を注視したいものです。イラク派兵違憲判決のように、退職直前のウッチャリ判決でないと良心に従えないのが今の司法だから…。

 

 それはさておき、沖縄タイムスは判決の尻馬に乗って照屋氏を「経歴詐称」と大々的に(訂正は小さく目立ちにくく…は常套手段だが)報道し、照屋証言を信じないように県民と国民に印象操作をして、「軍命詐称」を死守する構えです。

 判決も沖縄報道も、アメリカの機嫌を損ねるようなことはできない、と知るべきです。       


沖縄集団自決⑦ WGIP とは

2016-09-04 19:50:16 | 沖縄集団自決

☆ アメリカの WGIP洗脳は今も続いている 

 修学旅行で沖縄に行くと、たいてい本島南部の沖縄平和祈念資料館に行き、悲惨な沖縄戦に感動させられます。感動で心が開いた状態で、「日本軍は沖縄を守りに来たのではなく、自決を強要し県民を弾圧した」と生き残りたちと説明されると、素直に信じてしまいます。   

        

 こうして、「軍命による集団自決」が拡大生産され次世代に受け継がれ、日本軍を悪逆非道にするWGIPのプロパガンダが見事に生き続けています

 

 アメリカ(戦勝国・GHQ)は白人に対抗した日本を二度とそむかぬようにする意識を植え付けるためにWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム:戦争贖罪感植えつけ計画=「日本人に大東亜戦争についての罪悪感を植えつけ、日本古来の精神文化を奪う洗脳計画」を巧妙に実施しました。

 

 戦勝国の宣撫工作は、国民はだまされたんだ、戦争に引きずりこんだ政府・軍人が悪いのだとして国民を盗り込むものが一般的で、WGIPも同様に、いかに日本軍が残虐非道なことをしたか、日本を徹底的に卑下し自己否定して戦勝国の戦争犯罪を問わない日本人にするためでした。そのためGHQはマスコミを検閲し、映画、ラジオ、新聞、書物などで次のように徹底的に洗脳しました。

〇  すべての日刊新聞は、戦時プロパガンダで捏造した「太平洋戦争史」なるものを12月8日より9日間毎日掲載させられたが、これは米英の民主主義対日独伊の全体主義の戦争で、

日独伊はすべて邪悪だったというものでした。さらにこれをドラマ化した

〇  「真相はかうだ」と題する放送を、昭和20年12月9日より約2カ月、日曜午後のゴールデンアワーにNHK第1、第2で放送させ、再放送や「真相箱」との名称変更での再放送で、昭和23年8月まで約

 3年間も続けさせました。

〇  「宣伝映画」:戦争犯罪を告発する宣伝映画が9本も作られ、表面は日本人が自主的に作ったように見せかけながら日本人に罪悪感を植えつけようとしたもので、その観客動員は延べ3000万人にも達しました。

〇  更に戦争罪悪感教育を徹底して、WGIPの通りに見事に洗脳してしまいました。

  こんな教えを忠実に学び、その成績優秀者が政・官・学・法・報・産など国のトップ層となって国策を主導し、その後もその後もそんな彼らがそのように教育するから、そんな潜在意識が拡大再生産され維持されているたわけだが…。 

 さらに言えばGHQの検閲組織CCDと翻訳機関ATISに勤務した一万人にも及ぶ日本人協力者たちが、GHQ解散後も、GHQになり代わり、戦後日本を長期間思想的に支配し続けた結果が、

  ・日米合同委員会が憲法の上に存在し、

・日本を悪者にしないと気が済まない日本人を生み出しているのだと思います、南京虐殺記念館を作らせたり、いわゆる従軍慰安婦問題を韓国や国連で広めたり8人をA級戦犯にするような日本人です。

 ・(鳩山首相の「少なくとも県外・・・」をやらせなかったのも、この連中の仕業なのに、マスコミはそんなことはおくびにも出さずバッシングに余念がなかった)

              

                 

  WGIPについては公文書では確認されていなかったが、関野通夫氏がやっとそれを明らかにしました。自由社の『日本人を狂わせた洗脳工作』です、ご覧下さい。

  ところでGHQは当初、共産党と同じく民主化を求めていたから労組育成に意を用い、これを受けて、マルクス主義歴史学者の丹羽五郎が日教組を組織します。日教組はマルクス主義のもとにアメリカの影響もうけて設立されており、アメリカが施すWGIP洗脳教育を今も知らず知らずのうちに行っているようです。

  ☆ 日本人洗脳にソ連も手がけた

 さて、戦後の共産党再建の立役者は親ソ・武闘派の徳田球一だが、宮本顕治との権力闘争に敗れます。

           

 (在日といわれる沖縄出身の徳球も内地で酷い差別を受けています↑)  

 ソ連は徳球を支援していたが共産党ではうまくいかぬから、国民受けのいい社会党に鞍替えさせます。

 社会党左派はいわばソ連が作らせたようなもので、民主党はそれを引き継いでいるわけだが、徳球の死後ソ連は左派の松本浩一郎を呼び以下の密命を授けた、とされています。

「何も武装闘争などする必要はない。共産党が作った教科書で、社会主義革命を信奉する日教組の教師が、みっちり反日教育を施せば、三、四十年後にはその青少年が日本の支配者となり指導者となる。教育で共産革命は達成できる。」「青少年に対し祖国の前途に対する希望の灯を奪い、祖国蔑視、祖国呪詛等の精神を植え付けることが、革命への近道だ」と。    

 東京湾に原発を作らなかったのは「危険」を知っていたからだが、原発に携わっていた社員は「安全」と信じて仕事をしていたハズ。抗がん剤の専門医は自分には絶対使わぬが、看護婦さんたちは信じて勧めてくれます。

 トップ層は極秘意図を隠して部下にさせるが、部下たちは仕込まれた真意を知らずに、定め通りに善意で実行します

 日教組の先生たちもトップ層の真意を知らぬまま、まじめに熱心に教えるが、まさかアメリカからもソ連からも「祖国蔑視・祖国卑下」するようにさせられている幹部たちが日教組を作ったとは気づかず、真面目に闘っているのではないでしょうか。

  私たちも「蔑視卑下」に洗脳教育されて「悪逆非道の日本軍」と信じているから、沖縄集団自決は日本軍のせいと言う誤解を真実とするのです。

 洗脳されると、それまでの自分の否定が必要だから、“まさか”に傾き真実を知ろうとはしません。

 日本国のおかしさには色々あるが、愛せない原点を貴方なりに調べて下さい。


沖縄集団自決 ⑧ 動機の一例

2016-09-04 19:25:44 | 沖縄集団自決

 ☆ 集団自決キッカケの一例 

 【人間の尊厳を取り戻す時、…誰も語れない】での上原正稔氏の記事は、集団自決は誰が起こしたかの一端がうかがえるのでその部分を…、

≪…夜明け、俺(グレン・シアレス伍長:米軍側の資料を翻訳したもの)たちは渡嘉敷の最南端の浜に上陸し、山の小道を登る…目的地に着くと信号弾を打ち上げ、味方の艦隊の砲撃が始まった。

 「山を下りて阿波連の村を確保せよ」との命令を受けた。その途中、小川に出くわした。川は干上がり、広さ十メートル、深さ三メートルほどの川底のくぼみに大勢の住民が群がっている。俺たちの姿を見るや、住民の中で手榴弾が爆発し、悲鳴と叫び声が谷間に 響いた。想像を絶する惨劇が繰り広げられた。大人と子供、合わせて百人以上の住民が互いに殺し合い、あるいは自殺した。俺たちに強姦され、虐殺されるものと狂信し、俺たちの姿を見たとたん、惨劇が始まったのだ。

 年配の男たちが小っちゃな少年と少女の喉を切っている。俺たちは「やめろ、やめろ、子供を殺すな」と大声で叫んだが、何の効果もない。俺たちはナイフを手にしている大人たちを撃ち始めたが、逆効果だった。

 狂乱地獄となり、数十個の手榴弾が次々、爆発し、破片がピュンピュン飛んでくるのでこちらの身も危ない。全く手がつけられない。「勝手にしやがれ」とばかり、俺たちはやむなく退却し、事態が収まるのを待った。医療班がかけつけ、全力を尽くして生き残った者を手当したが、既に手遅れで、ほとんどが絶命した。

 

 --ーこの阿波連のウフガー上流の集団自殺については、今進行中の「集団自決裁判」でも表に出たことがなく、タイムスも新報も全く触れていない。…≫

 

 この自決は、ただアメリカ兵を見ただけでパニックを起こし、半狂乱になって、日頃の「捕虜になるより死を選べ」の訓示で、住民自らで引き起こした実態を表しています。 

 渡嘉敷の集団自決は、姿は見えなくとも、迫りくる米兵と炸裂する砲弾により一発触発のパニック状態になり、村の幹部の音頭で始まった、と思われます。

 

 ☆ 次に、死ねずに悔んだ例をウキィペディアのhttp://bit.ly/1TYNpbwより…。

≪…慶留間島の大城昌子によれば、「前々から阿嘉島駐屯の野田隊長(海上挺進第三戦隊長・野田義彦少佐)さんから、いざとなった時には玉砕するよう命令があったと聞いていましたが、その頃の民にはそのようなことは関係ありません。

 ただ、家族が顔を見合わせて、早く死ななければ、とあせりの色を見せるだけで、考えることといえば、天皇陛下の事と死ぬ手段だけでした。

 命令なんてものは問題ではなかったわけです、(自決中に発見され止められ)米軍にひきいられながら、道々、木にぶらさがって死んでいる人を見ると非常にうらやましく、英雄以上の神々しさを覚えました。(自分がなさけなくて)しまいには、死人にしっとすら感じるようになり、見るのもいやになってしまいました」と述懐している…≫

 

 このように、どうやって生き延びるかではなく、いかにして死ぬかに意を注いでいたのだから、米軍は上陸してくる、砲弾は炸裂する、と言うような状況下ではパニックの半狂乱の群集心理を呼び起こして、誰かが音頭を取れば一発触発、自然と集団自決が起きても不思議ではないでしょう。だから、隊長命令で簡単に自決した? と、でも言うのでしょうか…、

☆ 集団自決、ある背景 

 沖縄戦の約5か月前の昭和19年11月3日の明治節に護国神社(波の上神社?)で、泉守紀知事をはじめ村長・助役ら行政の主だった者・警察・消防・消防団・校長・郵便局長・在郷軍人会など、軍をはぶく官民の各地区の長老や代表者らが集まった決起集会で、ある決議を行いました。米軍にひどい目に合わないように、普段から教えられていた「軍民共生共死」で軍に協力しようと言う決議です。 

 ところが最後に、日露戦争で金鵄勲章をもらった東間と言う威勢のいい生き残りが突然壇上に上がり、抜刀して発破をかけました。「日本には侍は戦に出る時、家族に覚悟をさせて後顧の憂いを残さすようにする。沖縄でも(それに劣らぬように)手足まといにならないように、婦女子は死んでくれんか…」と。 

 当時の社会状況・心理状況なのでしょう、こんな無茶無慈悲な暴論に異議がはさまれず、承認されたような空気になり、代表者は地区に帰ってそう伝えました。(少なくとも座間味ではそうしようとなったと、郵便局長が梅沢元隊長に戦後伝えていることは、https://www.youtube.com/watch?v=Pn3MqD_9Fdk の【2/4沖縄集団自決の真実 Part2。知られざる座間味島】での梅沢隊長の証言でのべられています)

  http://www.geocities.jp/torikai007/1945/kerama.html 「鳥飼幸博研究室」の宮城晴美(2000)『母の遺したもの―沖縄・座間味島「集団自決」の新しい事実』高文研 (座間味島の集団自決の生き残りの証言)では、住民のそんな「玉砕自決決意」の経緯や自決を当然視する様子が述べられています。(そして、そのサイトの中ほどに隊長の証言が文章化してあります)

 「自決もできない意気地なし目が…」と言い、軍服姿で参謀長と言われるような男が教頭でなくても、毎月行われる小学校での軍事訓練では、捕虜になるくらいなら自決せよと教えたと思われ、学校でも地域社会でも自決のハードルはかなり低くくなっていて、しかも二等国民と差別された沖縄のコンプレックスが、見事に死んでみせるとなっていたとしてもおかしくありません。南部藩主の南部利洋公の日露戦争での戦死を、明治維新の際に朝敵とされた汚名をそそいだ、と市民は見なした例もあるのですから…。 

 http://www.jiyuushikan.org/rekishi/rekishi106.html【沖縄戦集団自決事件をめぐる「反日神話」の背景(2)】の終わりの方には…、

≪…座間味島駐屯の元第一戦隊長梅澤裕氏の手記は、昭和57年に同島を訪れた際、村の長老連が、集団自決は役場幹部の指導で決行されたこと、軍命令などなかったことは衆知の事実であること、幹部は一ヶ月前から自決の打ち合わせをしていたことなど、「交々」語るのを聞いたと記している≫とあります。        

  梅沢隊長は座間味島民が進んで隊に協力してくれたと語っているが、この手記の末尾には、島民の「献身的愛国的行動」「親切」に深く心打たれたし、他に後れて日本国沖縄県となった歴史が、「内地人の処遇の域に迄向上せん」と協力してくれた(ようだ)と言う旨の感想が述べられています。

 サイパンなど南洋諸島で住民がひどい犠牲にあったことを、「沖縄人で済んでよかったね…」との会話があったと聞いたことがあります。2等国民と差別されていたのだから、幹部が一カ月前から計画するとは、単に鬼畜米英と洗脳されてけだもの扱いされるのを恐れたからとは思えず、戦前にも、“差別抜き本土並み”という精神的復帰願望があったのかもしれません。祖母・母・姉妹たちが戊辰の役で覚悟の自決をした会津藩士柴五郎が、陸軍大将にまで昇進した例もあるのですから。

 

 であるとすれば、軍命による自決などとは、彼らの崇高な意思を台無しにすることであり、命を懸けて“われら日本人、差別ごめん”と訴えたことをしっかりと受け止め、是正してこそ、自決に対する慰霊になり無駄死ににさせないことにはなりませんか。

 まず、沖縄と言うことで見方を変えていなかったか、振り返ってみて下さい。


沖縄集団自決⑨ 隊長命令と言うデマはどこから出たのか

2016-09-04 19:05:54 | 沖縄集団自決

 ☆ 軍命自決説はどこから生まれたのか 

 考えられるのは…、

①  証言から 

 しかし、ネットに残されている証言ビデオは自決状況証言はあったものの、軍命がなかったと言うものばかりで、軍命があったと言うものは、信用しにくい証言が少しあるだけです。

・まず、宮平春子さん(とその親族)。

【日本軍の強制による集団自決はあった!・証言2.3.4】で、

                         

 映画「ぬちがふう」でも語っている宮平春子さんが、座間味村の助役だった兄の宮里盛秀さんが「軍から命令が出たから、一緒に死にましょうね」と言って自決した「まさか一個人で、死になさいと言うことはない、と思います」と語っています。(監督が誤解を与える恐れを感じたのか、誤解していたのか、「完結編」が出せない、誤解を与える「軍命説」の映画↑)

・ 同じ動画の中で、渡嘉敷の金城重明氏が「軍からの強制」と言っているが、彼は沖縄キリスト教短期大学学長でもあったし、多数の著書と講演で若い人に軍命説を信じ込ませており、拡大再生産させました。その悪影響は計り知れません。

・次に宮城初枝さん。雑誌「家の光」で軍命説を全国に知らせています。

・娘の宮城晴美さんは体験者ではないが、集団自決裁判で被告の大江氏側の“軍命があった”とする側の証言をしています。

  しかし、初枝さんも晴美さんも拙い私の文章では伝えられない過酷な事情があるので、【宮城晴美さん講演】で、彼女らの心境を察して下さい。

・また、古波蔵元渡嘉敷村長は強烈に隊長命令を主張しているが、本人が音頭を取って行わしめたのだから、隊長命令にさせたいだけで証言にはなりません。

・他に映画「ぬちがふー」の中に、当時15歳だった中村武次郎さんが「戦隊長から直接、玉砕訓示を聞いた」とあるが、彼の記事がネットになく、未確認。恐らく、日頃の訓示のことだろうが、訓示だろうが放言だろうが、実力有る者が言うと、庶民は「命令」として受け取ることを、軍自身が注意しなかったことが、軍国主義社会を盛り上げる大きな要因になり、軍命説錯覚の元になったのでしょう。

 例えば、「畏れ多くも、“キオツケェ!”、天皇陛下におかれましては、“なおれぇ !”…」と続いて訓示して、吾輩の訓示は天皇陛下のご意向である、と言うような言い方をし、それを無視したり批判したら、連行されぶち込まれたのですから、訓示を命令と受け取るのも仕方ありません。

 だからと言って、訓示したとしても命令していない現地部隊長のせいにするのは度がすぎるし、生死に関わる重大事を、訓示を命令として実行するのも度が過ぎ、自決訓示が自決命令とは言えません。

  ネットの【産業組合の壕】には、沖縄タイムスが伝える座間味の自決状況が詳しく記されています。読めばきっと宮平春子さんの証言通り「軍命で起きた」と思うでしょう。タイムスは、そう思うような記事の書き方となっているから、沖縄県人が軍命説に染まってしまうのは当然でしょう。

 しかし、あくまでも、盛秀助役が家族に話していたと言う伝聞証言で、誰が軍命を出したのか分からず、沖縄時間ののんびりさを急かせようと軍と言った、或いは防衛隊員が言ったのか、または同じ軍服姿で闊歩していた参謀長と言われた山城教頭が言ったのかもしれず、真実は伝えきれません。お兄さんをかばいたい気持ちは痛いほど分かるが、軍命説を成立させ得まません。

 金城重明さんは母親や兄弟だけではなく、周りの人も殺しており、それがもとで島から逃避したと言っておりながら、父親に手をかけたことは隠していました。

 先に述べた【ドキュメント 集団自決を追って】にあったように、

≪…その人(金城氏)は大きな棒を拾って、『まだ生きているか』と確かめながら…≫殴り殺していたのだから、軍命説願望はしかたないが、それでも1970年3月27日付沖縄タイムスの記事には、インタビュー記者が執拗に自決命令者を聞き出そうとする質問に、「直接命令を下したかどうかはっきりしない…」「…村民の中では、足手まといになるより自決して戦いやすくしたら…ということがいわれていたし、…」と明言を避けていたのに、現在では裁判の証言や講演で堂々と軍命があったと言い変えています。なぐり殺して回ったことを陶酔感のせいにする人が、軍命のせいにしていることを【殺人者の陶酔】より知ってください。 

 証言の次に、軍命による自決を認知・周知・流布させたものに、

②   メディア・マスコミ・出版物があり、現地取材や「家の光」「村史」「県史」の影響もあるだろうがその最右翼は、

・何と言っても「鉄の暴風」とそのラジオ放送をおいてほかにありません。

 しかし、同本の内容を疑わずに引用・孫引きしたり、「鉄の暴風」の目線で見るし、学者・歴史学会などの専門家が現地に行って調べなかったから、教科書にまで「軍に強制された」などと、歴史を歪曲して広め、裏付けのない隊長命令説が拡大再生産されるわけで、歴史学会の責任は重大です。

・そして、沖縄を二分する「沖縄タイムス」「琉球新報」の二紙が、「鉄の暴風」を擁護して、軍命死守の態度で報じるから、「軍命はなかった」とは言えない沖縄の空気をかた作り、その悪影響は計り知れません。

・しかも、「隊長命令が無かった」と知っている宮城初枝さんには村の圧力が加わり、「無かった」とは言えず、雑誌「家の光」にまで「あった」と、事実に反することを記載し、史実歪曲を広めてしまいました。

・だから、悩んだ後、梅沢元隊長に告白し謝るのだが、それだけではなく没する半年前(1989年)に一冊のノートを娘の晴美さんに残し、「隊長命令はなく、隊長に追い返された」ことなど、生前書いた諸本のうち8カ所を訂正・削除するように依頼しています。「関係者が存命中には公表してはならないが、いつか必ず公表して…」と頼んで…。(権力者の意に反する事実を公表する難しさを察して下さい)

・2000年12月晴美さんは、お母さんからのノートをもとに、「母が遺したもの」 

                                    

として刊行し、お母さんの遺志を実現させ、隊長命令は無かった」=「隊長命令不在説」を広く知らしめました。こんなことは沖縄では考えられないことなのに、どうしたことか「沖縄タイムス出版文化賞」までもっています。

・宮平秀幸さんは民宿を経営していて、村民に白い目で見られてもお客さんには「隊長命令不在説」を盛んに話していたが、影響力のある読売テレビの1990年4月の取材に「村長の解散宣言」をしゃべったら、村から叱責を受け、以来マスコミには口を閉ざしていました。

 しかし、「母の遺したもの」が出版され、賞までもらって隊長命令が否定されるきっかけが出ると、気を強くしてか2001年6月に毎日新聞紙上で、梅澤隊長が自決用の弾薬提供を断っていた伝聞を、あたかも自分で聞いたような話に脚色して証言します。こんなこともあって「隊長命令なかった説」が知れわたった……かに見えました。

 ところが案の定、これらに危機感をもった「軍命説派」は両氏に圧力をかけ、

・晴美さんは抵抗できなくなり、圧力通りに「軍命があった」に転向してしまい、

・秀幸さんは圧力に抵抗して「無かったことの証言」を続けました。

 お母さんの遺志を果たさせない周りの空気と彼女の無念さを、下記サイトで推し量って下さい。 (座間味の真実が伝わらず、二人が翻弄された経緯が分かる【「集団自決」 宮城晴美氏が新版で「後出しジャンケン」】で)つまり…

・晴美さんはお母さんの遺志を「母が遺したもの」の出版でいったんは実現させたが、それが

                   

もとですごく非難され、結局、正反対のことを言わざるを得ませんでした。

 (「新版」としただけで表紙も同じだが↑、帯には「軍の命令・関与」をうたった改訂版)

 最も重要な「隊長命令はなかった」ことを削除し、正反対の事を書いて新版とは、新版が聞いてあきれるが、お母さんの遺志を潰しながらも、なんとか遺志を伝えようと「隊長命令はなかった」との断定は避けています。彼女はどうして事実とは逆のことを主張するようになったのか、を考えると、…

 

☆ 立場を優先し「事実」を曲げたり隠したりする現代社会 に至ります。

 真実を隠す場合、ウソも方便と相手を思うこともあるが、たいていは保身や組織防衛など自分たちの“利”のために行います。

 

♠   たとえば、   84名が死亡した大川小学校では

    

 (カーブした校舎から校庭に避難した時、一部の生徒は1分もかからぬ山道の登り口に駈け出したが、先生に呼び戻された。校庭待機中は「早く逃げないと津波が来るよ」などと、子どもらはすぐそばの山に逃げたがっていた。こんなことを調べるのはタブーになっていたきらいがあるようだ)

 先生たちは、山に逃げたがる子どもらを制止し、結果として49分間も校庭で津波が来るのを待たせてしまいました。だから、

 遺族たちは49分間の究明を求めるが、市教委と(文科省の息がかかった)第三者検証委員会の二者は49分間の実情を調べようとはしませんでした。

 そこで遺族らが、生き残った生徒らの証言などから調べると、先生方は命より自分たちの「立場」に囚われ、つるつる滑る山道で怪我させた時の責任などのセーフティミスを恐れ、逃げようと強く主張できないままあれこれ相談していた』、のではないかと分析しました。

 

 49分間の実態を二者が調べなかったのは、こういう可能性が判れば「教育・学校を指導する自分たちの立場」が無くなるからであり、“生活のため”“保身のため”“組織のため”と言う自分たちの“利のため”に、

 真実より「先生」「市教委委員」「検証委委員」としての「立場」や、「学校」「市教委」「検証委員会」の組織を防衛することを優先していたからだ、と、あいまい調査報告で幕引きする二者に諦めきれない遺族たちは『事実に基づかない解決は同じ過ちを繰り返えさせる』として事実究明を訴えています。(【なぜもめる大川小】や日本図書館協会選定図書で遺族の報告書もある文芸書房「避難訓練さえしていたら・・・」を参照して下さい)

 そして遺族がここまで明かしているのに、メディアがそれを報道しないのも同じ構図でしょう。そしてまた、裁判官が立場に囚われずに公正に判決するとは限りません。

 砂川・長沼ナイキや沖縄基地更新代理署名審などの、権力者に不都合な下級審の判決をひっくり返すのは、上級審裁判官ほど「折角ここまで‥」どの昇進欲邪念が無意識に蠢き出し、田中耕太郎意識に妥協するからなのかもしれません。

「裁判は権力者があらかじめ決定した結論に到達するための単なる儀式でよい」 
 これは第二代長官として最高裁に君臨した田中耕太郎↗の言です。
 彼のこの言葉からは「日本の裁判は権力者の道具であればいい」と読み取れるから、

裁判官は最高裁の道具であればいい、となって上ばかり見るヒラメ裁判官が育ちます。三権分立であるはずがありません。 

 自給自足できずに、食べものをお金で手に入れて生活する文明社会では、お金を稼がせてくれる力のある遠慮くしゃの意向に反すると、生活が苦しくなり差別され、生活が難しくなるため、意に反しても良心を閉じ込めても腹背面従しても、強者が与えてくれている立場を考え、権力者や強者が作る秩序や常識や空気に従います。

 ♠     宮城晴美さんの場合も

 市が与えてくれた那覇市歴史博物館・主査と言う立場を考えると、「軍が関与した」とする市や沖縄県民の空気に遠慮して、真逆なことでも書かざるを得なかったのではないでしょうか?

  また、組織を守るためには、組織に不都合な事実は曲げたり隠したりして事実を明らかにしようとはしないが、組織は人で動くから人間関係に不都合な事実も曲げられ隠されます。

 今回の教え子のために問題を漏らした明大教授司法試験問題漏洩事件から、教授と教え子との師弟関係は相当緊密で、一種の組織防衛感が働くとの推測をもとにすると…、晴美さんは平和活動家として安仁屋政昭・沖縄国際大学名誉教授の教え子だが、軍の関与で自決したとする教授の意に反してまで真実を優先させ得なかった、のかもしれません。

  いずれにせよ、彼女は「隊長は命令していない」と言うお母さんの真実の訴えを、一度は娘としてかなえさせながら、自分の立場を考えすぎてお母さんの『真実の訴え』を反故にしてまで、隊長が命令したとする側の被告証人になり、せっかくの自分の名誉・名声を汚してしまいました。善悪より損得で動く現代社会のワナにはまったのでしょう。

 ♠    宮平秀行さんの場合は

 今度は圧力に屈せず「隊長命令はなかった」証言を続けたが、県や裁判所判決の後押しのある晴美さんと違って、一部の民間団体の後押しだけだから、その証言も実を結ぶような所までは至っていません。

  しかも、伝聞を自分の体験のようにするから、「秀幸はウソばかり」と言われても仕方なく、彼も補強しようと「隊長命令不在」寄りに勇み足になって創作するから大意は信用できても、具体性は信用できません。彼は戦後生まれの人たちが、すんなり軍命説に洗脳されるのに危機感を持ったと言うが、それなら創作せずありのまま、伝聞とことわって証言してほしかったと思います。それでも十分「隊長命令不在説」を補強できるのですから・・・。 

 そうはしなかたものの、沖縄の空気や圧力に抗して「隊長不在説」主張するから、差別され白眼視されウソつき呼ばわりされるなど、生活上はマイナスばかりでした。裁判官も含め、誰でも本当のことを言わないワケは、自分の利を重視するからでしょう。

 いずれにせよ、強者・権力者は心は貧しくとも頭はいいから、エサや見せしめで誘惑したり脅したりして弱者を操ります。するともう、彼らの意に反することは言えず行えません。こうなるのも頭ばかり鍛え修身を無視するからだが、文明人には、損してもやる善悪判断を身につける必要があり、滅私奉公(みんなのために、私欲を滅すること)が役立ちます。

         

 結局、集団自決の証言をたどると、伝聞や他所での自決や兵士個人の非情な言動によるものが主で、そんなバックグランドがあるから「鉄の暴風」を疑いもなく信じ、それに輪をかけて沖縄の二紙が「渡嘉敷・座間味の軍命による自決」だけを報道し、その上他のメディアや学者が「鉄の暴風」の引用・孫引きで全国民に流布させたから、広く国民が軍命説を信じ込んだ、と言えるでしょう。つまり、

 両島の集団自決の常識は「鉄の暴風」が作り上げたもの。即ち、「軍命令の集団自決」と言うのは米軍政府のプロパガンダに過ぎません。

 

 


沖縄集団自決⑩ 集団自決での常識のワナ

2016-09-04 18:15:06 | 沖縄集団自決

☆ 常識のワナ

 今は、隠された事実もネットで調べれば分かる時代です。だから集団自決も、自分で調べれば軍命などなかったことはよく分かります。しかし、 

①         競争に追われて忙しく、直接生活につながらないものには関心がない。

②         常識が真実と思い込んでいる。

③         マスコミが報じないと(小規模メディアが報じても)信じない。

④         事実を示されても権威や力のある方を信じる

⑤         誤りを指摘されても、誤っていた自分を認めるのが難しい

⑥         強者のウソには、仕返しが怖くて逆らえない。 

  (これらを少しアレンジしていうと、大多数が支持するものが常識だから、常識のウソを指摘すると、世間と言う大多数から仕返しされて生活が難しくなる、だからウソの常識でも指摘しないことを意味します)

  こういうことより、集団自決も一般的な常識も自分で調べようとはせず、信じていたウソの常識を正すようなことはなく、まさか…、そんなはずがない…、として、「隊長命令があったとする常識」に反する事は認めようとしません。

 集団自決は「隊長命令による」或いは「軍が強制した」・・・・これらはもともと、学校でもそう教えているし、マスコミもそういう報道の仕方をするし、世間一般もそうなっている、即ち私達はそうなっている常識でそう信じた人がほとんどではないですか。それともあなたは自分で調べましたか?

 しかし、常識が正しいとは限りません。「鬼畜米英」も「欲しがりません、勝つまでは」も「原発は絶体安全」も「ガンは不治の病」も常識でした。常識は時代や立場や見方などで変わるものです。

 大江さんも家入さんも「鉄の暴風」で作り上げられた常識とは知らずに自分で調べることなしに、ウソの常識を流布・蔓延させてしまいました。裁判長は自分の立場を損なわないように判決しました。私たちも「高名な学者だから…」とか「ノーベル賞作家だから…」とか「裁判で決まったから…」などの④の権威あるものを信じると言う常識のワナによって、軍命による集団自決と言う常識を信じたのでしょう。

 1999年8月、神奈川県の玄倉川中州キャンプをしていた18人のうち13名が死亡した事故は、独自に判断して逃げた社員は助かったが、避難勧告を無視した上司らに追随した社員らが犠牲になっています。強い者と異なる行為は、自主性より和をたっとぶのを常識とする日本人にはなかなかとれません。

 ともかく、常識と異なった行動をすると、常識はずれとか言われて悪く扱われるから、常識が間違っている場合でも、間違い常識に従って間違った行動をしなければなりません。でも、みんなが間違い行動をするから、間違いとは気づかず、支障もなく平気で暮らせます。原発事故以前の暮らしを考えて見れば、支障のない平気な暮らしがどうなったか分かります。常識が必ずしもまともではないからです。

 かといって、数限りある常識を一々自分で調べることなどできません。従って常識のワナに引っかからないためには、①~⑥の態度で接すること、批判精神を持つことです。中には作られた常識もあると知ったうえで信じること…即ち常識でもマスコミ情報でもうのみにせず、一歩下がって、疑ってみることが必要で、疑ったり批判やおかしいと感じることが悪いと思っていたら、常識のワナから逃れられません。勇気をもってそれらを悪いとは思わず、自分で調べることです。

 でも、これはなかなか難しい。日本の教育は「教えたとおりに覚えよ」として、疑問や意見具申をさせない人間に洗脳しているからです。84名が亡くなった大川小で、逃げたい子どもらを校庭で待機させていた時、6年生の佐藤雄樹君が「先生、山に逃げた方がいいと思います」と進言したら先生は「余計なことを言うな!」と一喝していて、肝心な時に日頃の教育の欠点で84人を犠牲に追いやっています。

 そして世間でも、和を乱すとか空気を読めないなどと非難して、全体が支持する常識と言うワナで縛ろうとします。東京裁判で戦勝国の「物資不足で勝てないと分かる戦争になぜ踏み切ったのか」尋ねられた東条首相ら戦争指導者らはみな「世間の空気には勝てなかった」と答えたそうです。彼らが「戦争ではなく外交で…」と、天皇の開戦決定を拒否していたら、国賊と非難され戦争前に投獄されたかもしれません。

 日本は全体主義に陥りやすい教育をする国です。戦争法案を今作らなくとも、常識さえ作り変えれば戦争に導かれることを知ってhttps://www.youtube.com/watch?v=AIUYjqYokYA やhttps://www.youtube.com/watch?v=mkh8BSTkTgs での林先生の講義中にあるように、  何事も批判的に見る習慣が求められます戦争への第一歩は批判をさせない言論封殺にあるのですから…。

 

☆ 異常な言論空間

 沖縄では「言いたくても言えない雰囲気」になっており、軍命はなかったなどと言えば、のけ者・イジメ・非県民にされ生活に支障をきし、そんな言は封殺される、と言われます。

 11万人の「軍命不記載検定への抗議集会」は、

プロが計測したらせいぜい2万人強となったが、沖縄ではまるで全県民が抗議しているような印象報道がなされています。しかし、渡嘉敷・座間味では動員された人以外は、自主的に参加した人はほとんどいなかったそうです、村史には軍命で決行したとなったのに…。(その部分はいつの間しか削除されましたが…)

 隊長命令がなかったことは知っている。しかし、あったことにしたのも知っている。だから、あったとする抗議集会にはいきたくない。だからと言って「なかったのではないか」と問題提起はしない、しようものなら袋叩きにされ、狭いコミニティでは暮らしてゆけなくなる。⑥のように、圧倒的多数と言う強者に反することは、言いたくても言えないのです。言いたくても言えなかった一人が宮城初枝さんです。

 厚生省の調査員と村の長老たちに囲まれて座らされた彼女は、長老に「…あったかなかっただけを答えよ。場合によっては…」と脅されたら、従うしかありませんでした。

 沖縄の民意形成の主役である沖縄タイムスと琉球新報。この二紙が沖縄大政翼賛会となっているから、二紙に反する言論は沈黙し、沖縄全体が一つの方向になっているとよく言われます。戦前戦中を調べれば分かるように、一つにまとまった社会の中では、それと違うことを言えば、昔は非国民・今は非県民とは言われて、ひどく耐え難い差別を受けます。

 初枝さんの場合、仕方なくウソの返事をしたが「毒を食らば皿までも」と言うのでしょうか、後に「家の光」で「隊長が命令した」との“真実ではない”記事を投稿して、長老たちに恭順の意を表しています。だから、「関係者が存命中には公表してはならないが、いつか必ず公表して…」と真実を書いたノートを晴美さんに残しました。(真実を知らせる怖さがにじんでいますよね)

 晴美さんはそれを「母が残したもの」として出版し、隊長は命令していないことを明らかにしました。しかし、周りから非難に、しかたなくそれを覆してしまいました。

 これらは島で暮らす以上、耐えがたき差別をかわす方便、沖縄の偏向民意に合わせざるを得なかった…と言うのは事実の一面で、平和活動家となった晴美さんには、それだけではなく師弟関係で変更したきらいもありましたよネ。

                

 いずれにせよ、「沖縄の言論空間」で検索すると二紙の影響力など、沖縄の異常さを指摘するサイトがわんさとあります。ご一読を。

 それはさておき、隊長命令説に疑問を持つ二人が、相当の非難を覚悟し、「軍命による集団自決」を死守する沖縄二社の言論封殺を破って、「なかった」と明言しました。小さな文芸誌「うらそえ文藝」の星雅彦編集長と同書に「人間の尊厳を取り戻すとき…誰も語れない“集団自殺”の真実」と題する論考を載せた上原正稔戦記ドキュメンタリー作家です。【うらそえ文藝・星雅彦氏、1フィート運動・上原正稔氏に聞く】とその動画及び【パンドラの箱は遂に開いた!『うらそえ文藝』 の英断!】【沖縄の声-「「うらそえ文藝」にて起こった沖縄言論界からの言論封殺の実態】などもどうぞ。

 彼らはもともと「鉄の暴風」でできた常識を信じていて、軍命はなかったと聞いても信じなかったが、自分で調べてゆくと「どうもおかしい・・・」となったが、それでも長い間確信が持てなかったそうです。

 にもかかわらず、とうとう覚悟を決めて「やはり、隊長は命令していなかったこと」を公表しました。勇気ある二人に触発され、沖縄の声なき声も次第に大きな声のうねりとなることを祈らずにはおれません。