《 子どもたちは逃げたがっていた 》
2:46 地震が起きて
2:52 大津波警報を聞いて
3:25 「津波が来る、高台へ避難して!」との 広報車の呼びかけを聞き、はじめて 避難先を相談しはじめた
3:35 避難開始
3:37 津波襲来
津波襲来までは 警報を聞いてから45分、 地震から51分もあったのに、
なぜ、大川小だけが、逃げなかったのか。
・地震後校庭に集まり、みんな校庭の防災無線で大津波警報を聞いたのに、
・ ラジオも津波警報で、さかんに高台避難を呼びかけていたのに、
・迎えにきた母親たちも、「津波がくる、逃げて!」と訴えていたのに…。
・ 佐藤勇樹君は「ここにいたら死ぬ。山に逃げたほうがいい」と言うと、
「よけいなことを言うな」としかられ、
・ 今野大輔君は「山に逃げた方がいいと思います」と言ったが「私にも分からない」と言うので「先生なのに何で判らない!」と食ってかかっています。
・ 山に逃げてゆくのに呼び戻されたり、泣いたり吐いたり死んでたまるかと強がってもいます。
子どもたちは逃げたがっていたし、
両親らは「裏山があるから大丈夫」と思っていました。
しかし、先生はたき火を用意していたし、スクールバス運転手の〝うかがい“にも待機 させ、
二日前のM 7・3の地震にも山に逃げず、校庭にいたのだが、
逃げずに、いったい何を待っていたのか。
先生たちは逃げる気がなく、でも“どうする”と迷いながら
何も決定も行動もせず、ただ危険が去るのを待っていたのでした。いや、
そればかりか、逃げたがる子どもたちを逃がさず、
その結果犠牲になったのです、先生が原因と言えませんか。
6年生の天晋さんを迎えにきたお母さんは、激しく逃げるように訴えたら、「お母さんお母さん落ち着いて…」と逆になだめられたうえ「周りの子が動揺するので先に連れて帰ってください」と、怖がる子どもたちに怖さが伝わらないようにさせられ、「感情的に強く訴えた私がバカのようだった…」と言っていました。
(怖い→逃げたい→逃がしてくれない→逃がせば動揺の原因が無くなり収まり落ち着くのに…。動揺が広まれば逃げたい気持ちも広まり、逃がさざるを得なかったのに…)
逃がして命を守るための本当の義務や責任よりも、なぜ動揺を防ぎ、待機させる義務・責任・立場を重視したのでしょうか。
逃がす積極性よりも、何もせずに待つ消極性はどこから生まれたのでしょうか。
なぜ子どもらの意見を先生たちは取り上げなかったのでしょうか?


【ここに…いたら死ぬよと必死に】【大人が居なければ…】

【歯を食いしばりながら涙を流し…】
【写真は「みんなが知るべき情報・今の物語」さんのサイトより借用】
歯を食いしばり涙流すほど逃げたかったことや、逃がさずに犠牲にした真因(及び怖ければ逃げる、と言う自然な行動をさせない教育)などを考えないように、
逃げたくて進言までした二人の様子を証言する只野哲也君の聞き取りを、
市教委は無視し、検証委員会はなかなか行わず、
周辺部の小さい原因を寄せ集めています。
こんな核心部を避けた報告書で真実にフタをされたら終わり、と感じた遺族らは何とか事実を明らかにしてほしいと、最終手段の裁判に訴えました。核心の最核心の「生き残りの先生」を証言させない主治医に、裁判所はどう立ち向かうのか楽観できません。
・子どもたちは逃げたかったのになぜ逃がさなかったのか?
・津波が来るまでの51分間、何をしていたのか?
この51分の実態が遺族たちが知りたい最大の疑問でありここに原因があります。
でも、教育委員会も、第三者検証委員会も、
・生き残った先生には、ドクターストップがかかり、他の先生たちは皆なくなっているとか何とかと、
・当時の真相を追求する気はありませんでした。
何しろ、遺族の問いにはのらりくらり。例えば、逃げたがった子がいた、逃げ始めて2分もしないで襲われた、などの遺族の調べを、
市教委は何だかんだと1年間も認めなかったのですから…
その間、市教委の説明は二転三転し、記憶違いだった、忘れた、再度調べ直す、などとはぐらかした上、担当者を入れ替えて振り出しに戻し、
「第三者検証委員会」も核心の51分間にせまらず、
「周辺部念入れ時間切れ作戦」で遺族らをいらだたせました。
なぜ、議論だけで何も決めず、49分間もとどまり続けたのか、ここが
犠牲にしたかしないかの分かれ目だから、その原因の究明は最々々々重要です。
そこで大切なのは生存者の証言です。 なのに
【生存者の証言=真相は知らせたくないのだろうか】
きっとそうでしょう。
なぜなら、市教委は聞
き取りメモは廃棄して隠す姿勢を示し、
好都合な証言のみ調査報告書に載せ、記憶は変わるものとか何とか屁理屈を並べ、
果ては「山に逃げようと言う子がいるいないはたいして重要ではない」とまで言って遺族らを侮辱し、
検証委員会はなかなか哲也君の証言を聞こうとせず軽視し、
証言を公開したテレビ局やそれに協力した遺族に抗議までしたのですから。
しかし、「揺らぐ真実」や遺族の報告書を見ればこんな姿勢がアリアリです。ぜひご覧ください。
今回の強い地震では大川小以外は、すぐに逃げています、議論に時間かけた学校などありません。
逃げる忠告も要望も警報も手段も裏山もあったのに、なぜ同校だけ逃げず議論ばかりしていたのか…そこで考えたいのが、大川小では行われなかった
「すぐに逃げさせるセーフティミス」です。
《 市教委の作戦を推察すると… 》
以上の通り原因は「校長と先生方」となるが、石巻教育委員会=市教委はそうは絶対にしたくない心理に陥るため、そうであると思っても、 そうでないと思うふりをして、他の原因を探して反論したくなり、核心の49分間は避けようとする。しかし、
遺族は核心の49分間( 避難行動は多くて2分、計51分)の議論にするから市教委・第三者検証委員会も、それを避けようと…
1) 反論しない反論=話し合いを避ける作戦
度重なる話し合い要求に市教委はなかなか応じず、遺族が調べた核心部には認めないだけで反論せず、不誠実に対応した。
第三者委員会の説明会には調査した委員を欠席させて議論できないようにしたのが多かった。
2) 打ち切り作戦
上記の結果、市教委は議論・話し合いを早く終わらせたくなるので、しつこいほどの遺族らの話し合い要求に応えず、たった2回の僅か2時間の説明会で「終わり」を宣言した、遺族は全然納得しなかったのに…。第三者委は核心部を後回しにし、時間切れにしてお茶を濁した。
3) 慇懃無礼
でも、学校側にも非があるのも自覚しているから、下手に出て遺族の追及を和らげようと腹背面従な丁寧さになる。
4) 風化作戦
指摘されても認めず、時間を稼いで疲れさせ 諦めさせ、風化を期待。
5) 隠ぺい作戦 好都合の証言者だけを選ぶ。
調査しても都合の悪いものは採用しない。
6) 人事作戦
〇偽装作戦 好都合の委員を選び、第三者委員会のように見せかけた。
〇堂々巡り作戦 市教委は担当者を入れ替えて前任者との約束を反故にして振出しに戻した。新任者に説明納得させて再度約束させるまでの労力で気力を疲弊させた。
7) 核心そらし
重要でない部分を先に念いり調査し、核心部を時間切れにする。
好都合な背景原因、小さい原因を多数列挙し主原因を薄める。
特に第三者検証委はこの手で報告書を作っていました。
8) 国会議員を真似する
核心部を握る議員は証人喚問の必要性を感じると、面会謝絶の病気になる。それを(主治医か教務主任が)まねをする(まねさせる黒幕がいると思うが、市教委と主治医
とのつながりはまだ明らかにされていません)
9) ゴリ押し作戦 分断作戦
自分らに不都合な核心部は絶対認めず力で押し切り、疲弊させ諦めさせ遺族らを分断させる。しぶしぶ開いた一回目に続き、やっと開いた二回目の説明会では納得せずに立ち上がらぬ遺族を尻目に、さっさと椅子を片づけ、(説明会は) これで終わり、と言うのは非情なゴリ押しの象徴。
加えて裁判では…、
10)想定不可能説(同校だけだが) 11)教師の義務の矮小化。
この10) 、11)で「想定できなかった」し「やるべきことはした」んだから、これは天災「我々に責任はない」と主張するようです。つまり
12)責任転嫁作戦
84人も犠牲にした直接の張本人は津波だが、防げたのに防がなかったのは先生たちでした。これは、防げた天災を人災にしたことを意味します。そして、管理責任者は校長だから校長が責任を取るべきです。不在だった のは情状酌量の問題であり、あくまでも責任は“長”にあり、そうでなければ長の意味がありません。しかし、そうなると類が及ぶので、市教委は天災のせいにしようとしていました。
幸か不幸か、石巻も被害甚大で犠牲者はほぼすべて津波にやられています。市民・国民の間にも“死んだのは津波のせい”と言う一般認識があり、大川小の犠牲も“津波だからしょうがない”とする受け止め方は少なくありません。この状況は市教委にとって好都合で、核心の49分間の実態にフタさえすれば世間は天災と勘違いしやすくなります。こういう状況を利用して、市教委は責任を津波に転嫁させるのだと思います。
【結局は裁判でしか49分間の真相は明かせない】
いずれにせよ市教委は「49分もとどまり山に逃げなかった」と言う犠牲にした核心に真摯に向きあおうとしませんでした。
でも、遺族らは当初から、話し合いで解決できると信じ、
しつこく話し合いの場を求めたが市教委は応じず、
やっと開いた説明会は僅か2回、それも一方的に打ち切ろうとしました。
(脱落者期待もしたと思うが)この打ち切り宣言で受けた遺族のショックは計り知れず、今思えばこの時「市教委は核心の49分間の話し合いによる解決の意思はない」と見て提訴していたら、話し合い解決を信じて丁寧に対処した3年間の“時間の損失”は生じなかったでしょう。
でも、そうしたら世間は「第三者にも調べさせないで‥」などと冷たく後ろ指を指したでしょう。その第三者検証委員会にも核心部をぼかされ裏切られ、最後の手段として裁判に訴えました。この提訴は3年間の“いたぶられ”があったからこそ世間は理解もしてくれる、と思い、理解を期待したいと思います。
なお、犠牲になった真相を知れば知るほど、市教委は(第三者検証委も似たり寄ったり)先述の作戦を用いて対立感情をかきたて、遺族らを裁判に押しやった経緯が分かるが、紙面の都合上、それは表記の書物やインターネットにゆだねますから、どうかそれらをご覧下さい。
すると、どうしても市教委のおかしさに突き当たり、それを克服しないと本当の原因が分からず、真の対策もたてられないので、このサイトは市教委の追求になるがご容赦を。

【セメント崖の手前が三角地帯】

これは「揺らぐ真実」で検索した「大津波の惨事 大川小学校 揺らぐ真実」と言うダイヤモンドオンラインのサイトの表題です。
その記述者の加藤順子、池上正樹両氏著の、青志社の「あのとき大川小学校で何がおきたのか」とポプラ社の「事故検証委員会を検証する」、それと金沢啓修著、文芸書房の「大川小学校避難訓練さえしていたら…」(遺族がまとめた報告書も含む)の三冊がお勧めです。


(9・11では、検証委員会は中立を装いながら委員長を政権側の人物にしたから、市民の疑問には何一つ応えないのに、第三者検証委員会のふりをして、圧倒的に強い政権側が行った“犯人はアルカイダだ”とのゴリ押しで押し切ったので、世間の大部分はそう信じています。
「歴史は勝者によって書かれる」ように、強い者の言い分が通るのが今の強者中心主義社会であり、大川小の処理もそんな例小さな一例にされようとしています。
世論の応援がなかったら、松川事件をはじめ冤罪裁判にされた裁判が数々あります。みなさんの関心と応援が必要です。最終日の応援支援をよろしく。
続きは③へ
【参考サイト】
・ヤバイニュース 当時の校庭の様子がアリアリ。
・ダイアモンドオンライン「揺らぐ真実」一連の連載で全容が分かりやすいがここではこれを。
・「小さな命の意味を考える会」サイト