
★ これがろっくんの生前に撮った最後の写真となったものだ。
23日の月曜日の朝、サークルを覆った毛布をはずし、扉を開けてやってがろっくんはなかなか外へ出てこようとしなかった。ようやく出ようとしたが、思うような方向へ行けない状態だ。右足は床をけるのに、左側の後ろ足が硬直して動かないみたいで、ころげてしまうのだ。それでもおしっこはいつものようにリビングに敷いたシートでしようと一生懸命にたどり着き、最後まで人に面倒をかけまいと頑張っていたようだ。

その日は珍しく家族みんなが家にいたので、ろっくんは家族みんなに見守られ、一日をリビングでうずくまって過ごした。朝のバナナにお昼の小松菜、4時のりんごといつもどおりに用意してやったけれど、結局何一つ口にすることがなかった。この時点で身体は相当衰弱していたのかもしれないが、身体を横たえずに座っていたのは、家族の者に心配をかけまいと気遣っていたからだろうか。
夜には、ろっくんはサークルへ自分で帰ることができないまでになり、座っていたクッションごとサークルに戻してやった。夜中に家族みんなが寝静まる時にもろっくんは頑張っていたが、次の日の朝サークルの中をのぞくと、ろっくんは隅で身体を横たえていた。その姿は日向ぼっこをしている時のようで、苦しみの表情はなく、くつろいでいるようにしか見えなかったが、全身が硬直し、少し冷たかったので息を引き取ったのだと確認できた。
ろっくんのために、下のお姉ちゃんはフラワーアレンジメントを、お母ちゃんはろっくんの大好物のパンジーの鉢をそれぞれ買ってきて供えてあげた。 そして、火葬の際にはそのパンジーの花をいくつか摘み取り、ろっくんが毎日食べていたペレットなどと一緒に炉に入れてやった。

★ 葬儀がすんでから、パンジーはすべて花壇に植え、庭を眺めながら日向ぼっこをするのが好きだったろっくんのために、ろっくんの祭壇は花壇のパンジーが見える日当たりの良い場所に設えた。買い物に行った時にろっくんのためのバナナやりんご、小松菜の在庫量を気にする必要はなくなったとはいえ、今でもたまにお昼や午後4時になるとその用意をしないととふと気になることもある。

庭からろっくんの部屋を見ると、晴れた日の午前中は決まってろっくんが日向ぼっこをしていた姿がそこにあったが、今はそれもない。コウやフクも窓越しにろっくんの姿を見つけると、ろっくんの様子をしげしげと見ていたものだが、もうそうすることもない。

★ このブログは毎週日曜日に更新するのにやっとで、なかなか読み返す余裕はなかったけれど、ろっくんが亡くなってからは元気な頃のろっくんがなつかしくて過去の記事を読み返すことが多くなった。週に一度だけの更新とはいえ10年以上続いたので、ろっくんの若かった時からの思い出がたくさん残っていて、懐かしく思い出される。

パンジー好きのろっくんはパンジーが咲く季節は本当にうれしそうに庭を駆け回り、花壇の中に入り込むようにしてパンジーの花びらを美味しそうに食べていた。うさぎに関する本には、パンジーはうさぎにとっては食べては毒になるので食べさせてはいけないと書いてあった。ろっくんはうさぎの主食という牧草は全く食べないし、身体に悪いというパンジーは大好きという今思えばちょっと変わり者の部類のうさぎだったようだ。

ろっくんが元気に庭で走り回っていた頃は一緒に過ごすのも楽しかった。自分であちこち歩いていても、こっちへおいでと呼ぶと一生懸命に駆け寄ってくる姿がとてもかわいかった。そばに来ると傍らに座ったり、時には膝の上に跳び上がってきたりと、楽しい思い出はつきない。