先週の水曜日、都内にレッスンに行くとき青春18キップを使いました『よ~し足延ばして、平塚じゃ~☆』
と、ぴてさんから話を聞いているY家のふるさと平塚へ行ってみました初めて降りる駅はちょっとワクワク
『海の方っていっていたあ~』
改札でて、海側にいってみる。
浜竹・花水をキ~ワ~ドに歩いてみる。
日差しはギラギラだけど海風は気持ちいい
駅前から海へと続く道は広かった。ここで七夕やるのかしら。
きれいに区画してある住宅街は、そんな新しくもなく静かだった。マンションもあるが、空は見える。
ひたすら歩いて、花水小と浜竹中学校が向かい合っているとこまできた
ここでぴてさんへ一報をいれる。
…つづく
と、ぴてさんから話を聞いているY家のふるさと平塚へ行ってみました初めて降りる駅はちょっとワクワク
『海の方っていっていたあ~』
改札でて、海側にいってみる。
浜竹・花水をキ~ワ~ドに歩いてみる。
日差しはギラギラだけど海風は気持ちいい
駅前から海へと続く道は広かった。ここで七夕やるのかしら。
きれいに区画してある住宅街は、そんな新しくもなく静かだった。マンションもあるが、空は見える。
ひたすら歩いて、花水小と浜竹中学校が向かい合っているとこまできた
ここでぴてさんへ一報をいれる。
…つづく
この辺り通るときは、たいていおじんが昔話してるのだ。
この前は、この海岸の手前にあるプールの監視員のバイトをしてたって話だったわ。
プールが3つあって、昔はひとつが日本人用、ふたつが米軍用だった、とか。日本人用はギッシリ満員で、ふたつは5人くらいしかいなかった、とか。
それにしてもR姉…なかなか突飛なことするわねぇ
江南進学したので、浜岳銀座では、うわさの一家だった。末っ子はとてもムリと観測されていたのに、番狂わせ合格し、広の北大合格とあわせ、美代さんは八百屋や魚屋の店先でやんやの喝采を受け、我が家はご馳走の日々でした。昭和33年の春、美代さん46歳、絶頂期でした。
今は昔の話でした。
『周りが砂地の家で、湘南おじんがよく、家の中から外から、裸足でみよさんに追っかけられて怒られてたわ』とぴてさんから聞いてたけど♪舗装されてました(^O^)
ちゃんもも通ったばかりの風景だったんだ
左手には海右手には湘南平がみえた