ろこめっとのこれでいいのかな?

社会問題と子ども関連にしぼって再開します!

未成年による殺人が目立つのは「社会的過保護」と「学力崇拝」のためである 1

2015年09月30日 12時00分51秒 | 子どもと接して思ったこと
最近未成年による殺人事件が目に付く。
暴行や傷害も気になるところだろう。

乳幼児から中学生まで接する私の実感として、学力しか目に入らない大人達の極端な過保護と学力崇拝に原因があると推測している。
結果子どもたちが必要な体験や学習ができず、一人の人間として非常に未熟なまま年を重ねているからである。

まず学力とは人間力のごく氷山の一角である。
ここまで学力でしか子どもをも見ないのは先進国では日本だけである。
世界大学ランキングで東大よりはるかに上位の海外の大学では学力以外を重視していることも多い。
極端な話をすれば「私は子どもの頃から蝶々が好きで、知識も標本もたくさんあります!」というアピールだけで推薦で入学させることもある。
人間性や能力、意欲を重視するからだ。

日本の教育も実におかしな話になっている。
授業は「一番理解が進んでない子」のレベルに合わせて組まれている。
これではできる子が簡単に感じてしまい、やる気は出ないだろう。
先進国では授業は科目ごとに理解度でグループに分け、基礎から応用まで別の内容で授業をすることも多い。
クラスの人数も日本の半分程度が標準だ。
人数が多ければ多いほど雑になりきめ細やかな教育はできない。
一度教師のスケジュールを見ると分かってもらえると思う。
いじめ対策などできないほどの多忙さだから。

そこで塾に行くことになる。
子どもの時期はとにかく周りと遊んでコミュニケーションを学ぶ大切な時期である。
遊ぶ=サボってると考えているなら、それは子どもの成長について何も知らない証拠だ。
子どもに勉強をさせる前に自身が子どもの成長や発達について学んだほうがいいだろう。
子どもにとって遊びは最高の学習であり、一人前の人間として育つには最重要要素なのである。
その時間を塾に撮られ、結果学力はついても人間性はスッカスカの大人が出来上がる結果になる。

私から言わせれば今の日本は学力神崇拝のカルト教に洗脳されている状態だ。

実は日本の政治がわざと賢い人間を育てないように教育制度を作っていると言われている。
賢い人間が増えれば政治が好き放題できないからだ。
市民は愚かな方が政治はやりやすい、中世頃まではこんな言葉があったくらいだ。


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